3ー7.フローラとエルメス
フローラとエルメス、オルクスの暴走に引く回です。
どうかお楽しみいただけますように……!
「……フローラ。君には確か、先日の報告書の作成と、それが終わり次第通常業務に戻るように指示したと思うんだけど。ここに何しに来たのかな?」
にっこりと笑いながら、その底に冷たいものを感じる声音でオルクスが口を開く。
――オルクス、怒ってる。
冷たい声は何度か聞いたことはあれど、それより何段階か上の冷めきった声だ。初めて聞くタイプの凍えきった声に、リーベラは彼の腕の中で思わず身を竦ませた。
なぜ彼がこんなに怒っているのかは分からないけれど、オルクスの怒る声はなんとなく心の底から冷えていく心地がして、嫌だった。
――この前、あの本泥棒に怒りを向けられた時とは全然違う。
どうしてだろうと身を強ばらせながらぐるぐる考えていると、オルクスが空いているもう片方の手で、リーベラの頬をすいと撫でた。
まるであやすような優しいその手つきにおっかなびっくり彼を見上げてみれば、手つきに反して彼の顔は恐ろしく真顔で、そしてとてつもなく鋭い視線でフローラとエルメスを見ていた。
静かに怒っている青年に、優しく頬を撫でられている状況。もはやホラーだ。
「ああほら、言わんこっちゃない」
深いため息をつきながら、フローラがつかつかとこちらに歩み寄ってくる。そして彼女は、オルクスの前に紙の束をぐいと差し出した。
「報告書ならここに。貴方が闇堕ちバーサーカー状態になる前に止めに来ました、読んでください」
「僕、今日非番なんだけど」
オルクスの凍えた目の笑顔にも物怖じせず、フローラはにっこりと満面の笑みを返した。
「存じ上げておりますし恐縮ですが、お兄様からの御伝言と共に、お読みになった方がよろしいかと」
「伝言? 何」
怪訝そうに眉を寄せるオルクスに、フローラがひそひそと耳打ちをする。それを見守るリーベラの前で、オルクスはみるみる表情を強ばらせていく。
「――遠い東洋の言葉に、こんな言葉があるそうですよ」
そして「伝言」とやらを伝え終わったらしいフローラが、にこりと可愛らしい顔に笑顔を浮かべてオルクスに向かって小首を傾げた。
「『仏の顔も、3度まで』。もう何回やらかしたかは存じ上げませんが、暴走して見限られないといいですね」
「……分かった、読もう」
謎のやりとりの後、オルクスがリーベラをちらりと見てため息をつき、手をリーベラの肩から離した。
そして眉根を寄せつつ、彼はフローラの差し出した紙の束を手に取って読み始める。その横で、フローラはリーベラの手を「こっちよ」と言いながらぐいと引っ張り、ぺたぺたと全身を触って「リビ、無事!? 無事ね!?」と念を押した。
どうやら安全確認をされているらしい。リーベラは目を白黒させつつ頷き、そして頭を下げた。
「フローラさん、あの、巻き込んでしまって本当に申しわ」
「謝るのはなしよ。そもそも全部、この男が依頼通りリビを妨害したせいなんだから……っていうか、依頼したのもオルクス様だっけ。もう全部の元凶はあの上官ね……」
ぶつぶつと言いながら、フローラが悟ったような遠い目をする。そこにふらりと歩み寄り、エルメスが彼女の肩に右肘を掛けながらゆるゆると頭を振った。
「フローラ、ナイスタイミング。あの兄さん、怖すぎてどう対処していいか俺もう分かんね」
「こんなこったろうと思ったのよ。あんたでもダメなのね」
フローラが腰に手をあてて、むうと口を引き締める。その横でエルメスは肩をすくめ、「まあな」とため息をついた。
「女同士のいがみ合いには慣れてっけど、男相手はあんまねえからな」
「いっぺん地獄に落ちろ、最低男」
フローラが笑顔でエルメスに肘鉄を食らわせ、エルメスが「すげえ一撃」と呻く。
「お前本当に、御令嬢か……?」
「今は騎士見習いとしての業務中ですので」
「それならお前の上官をまず何とかしろ、リビが危ねえぞ」
「……? どうしたのよ」
二人のぽんぽんと小気味よく交わされる会話の応酬に邪魔を入れないよう、そっと見守っていたリーベラは、突然言及されて「……私?」と自分を指さした。
「そ。これ見ろよ、どこも無事じゃねえだろ」
エルメスがひょいとリーベラの髪を首元から持ち上げ、フローラに話しかける。「なにが」と言いながら身を屈めてリーベラの首元を見たフローラは、一瞬ののち息を呑んだ。
「……あらあら、まあまあ」
「な?」
何が「な?」なのか分からない。リーベラが眉を顰めて首を傾げると、フローラは頭を抱えて「くっ」と呻いた。
「これは本当に、重症ね……」
そう言いながら、フローラは頭を抱えた姿勢のままでぐっと親指をリーベラに向けて立てる。
「リビ、ご武運を……できるだけ私もフォローするわ。うん、これはこれでアリ。独占欲様々だわ……」
「いやアリじゃねえだろ、どうしたお前」
兄のデルトスと同じ仕草に、同じ言葉。しかし相変わらずその意味は分からない。リーベラがその意味を聞こうとすると、オルクスの「なるほどね」と言う声がそれを遮った。
「フローラ、ありがとう。事態は把握したよ」
「えええ、もう読んだんですか……?」
「うん。これは提出書類として受け取っとくよ、ご苦労様」
微笑むその目と声には、先ほどまでの冷たさはない。リーベラがほっと息をついていると、目の前にすっとオルクスから手が差し出された。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
「え、でもまだ」
――まだろくに二人に対して、説明も謝罪も出来ていない。
何から言うべきか迷いつつフローラとエルメスに向かって口を開こうとすると、頭上からオルクスの苦笑が聞こえてきた。
「――そんな顔しないでよ。あの二人にはこれからも会っていいから。……ああでも、会うなら僕の屋敷でね」
「え」
リーベラとエルメスとフローラは、それぞれ目を丸くしてオルクスを見た。
「い、いいのか」
「そもそも前提が、会うこと自体駄目だったのかよ」
「会う場所も自分の膝元でって……重い……重いわ……」
ほっとするリーベラと、頭を抱えるエルメスとフローラ。三者の反応を見て、オルクスは肩をすくめてリーベラの腕を引いた。
「その代わり、君たちがセットの時だけね。あと、魔女の薬のやりとりも禁止」
「いやちょっと待て。何でセット限定なんだよ、こいつと」
「――それは、君の自分の胸に聞いてみたらどうかな」
フローラを指さして声を上げたエルメスの言葉に、オルクスがニヤリと口角を上げながら彼を振り返る。謎の言葉にリーベラが首を傾げる前で、エルメスはぐっと言葉を詰まらせた。
「安心したよ、君なら敵にならなさそうだ」
「……ああ、そういうこと。道理でさっきから威嚇してきたわけだ」
「ちょっとエルメス、どういうこと?」
リーベラも思っていた疑問を、フローラが先に口にする。エルメスが片眉を上げたところでリーベラはオルクスに肩をぐいと抱かれ、「じゃあ僕らは行こうか」と背を押されて歩き出した。
「お前は分からなくていいんだよ」
「はあ!? 何よそれ」
――そんな2人の声が、後ろから聞こえてきて。
「あの二人はあれだね」と、リーベラの肩にコートを掛けながら、オルクスが微笑んだ。「あれ?」と首を傾げるリーベラの頭に、彼の手がコートのフードを被せた。
「――『喧嘩するほど、仲が良い』って言うだろう?」
「さあ、帰ろう」と、オルクスがリーベラの手を握る。リーベラは手を引かれながら後ろを振り向き、まだ言い合いの聞こえる古書店の奥を最後に見てから歩き出し。
「あとは君の家だっけ? 行こうか」
「……うん、ありがとう」
よく分からないけれど、オルクスの機嫌が直ってよかったと思いながら、リーベラは頷いた。
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