3ー4.そんな絶望した顔、しないでよ
本日も遅くなり、申し訳ございませんでした。
どうかお楽しみいただけますと幸いです…!
――そろそろ、切り出さなければ。
リーベラはデザートの、冷たいリンゴのコンポートを食べながら思う。
昨日オルクスに屋敷に連れてこられた後、確か『家に戻す訳にはいかない』と言われたけれど。それでは、こちらとしては困るのだ。
――正直、自分の家には毎日でも戻りたい。それにいざオルクスが婚約して、自分が彼の側からいなくなる時、資金源がなければ困る。
フローラやエルメスにも事情を直接説明したいし、せめて外に出て動ける時間と、数十分でも家に帰る時間がほしかった。
早く切り出せばよかったのだけれど、なかなか言い出せず。
それというのも、オルクスが度々穏やかな視線を向けてきて、なんとなくその雰囲気を崩しにくかったからである。
(とりあえず、機嫌が良さそうな今のうちに交渉をせねば)
そう思い、リーベラは口を開く。
「……あの」
「駄目」
口を開きかけたそばから、オルクスに言葉を遮られる。紅茶のカップをカチャンと起き、彼はにっこりとリーベラに笑いかけた。
先ほどの穏やかな視線はどこへやら、目が笑わないいつもの笑顔へ逆戻りだ。昨日のしおらしさは一体どこへ行ったのか。
沈黙が一瞬、朝の柔らかな空気を凍り付かせた。
「まだ何も言ってないぞ……」
「大体、予想がつくからね」
なんとなくばつが悪くなり、リーベラは顔をそらした。
「唇、噛んで切れてたの、もうすっかり治ったね」
話を逸らされ、リーベラは肩を落とす。困った、なかなか本題に入れない。
「君の薬は本当によく効くね。すぐ治って良かったよ」
さらりと言われ、リーベラは思わず目を見張った。
「……私の薬?」
「うん。昨日の夜、僕が塗っといた」
リーベラは目を見開いて唇に触れる。確かに、昨日血の味がした唇は傷もなく、元の滑らかさに戻っていて。
「あ、ありがとう」
「……」
礼を言っても、オルクスから返事はなく、返ってくるのは沈黙のみ。
じっと何かを伺うような目で見つめられているのだけは視線で分かって、リーベラはますますそっぽを向いた。
「……ねえ、リラ。そこ、他になんかないの?」
先に口を開いたのは、オルクスだった。微かに衣擦れの音がして、彼が座っていた椅子から静かに立ち上がり、リーベラの座るすぐ横に立つのが見えた。
「他?」
問われて、彼の先ほどの言葉を反芻し。リーベラは思い当たることに気づいて、ぴたりと動きを止めた。
「……いやちょっと待て、お前いま、私の薬って」
「ああ、まずはそっちじゃなくて」
「まず」とは何だろう、他に何かあるのだろうか。リーベラが眉を顰めていると、オルクスからそっと顎に手を当てられ、顔を持ち上げられた。手つきは優しいが、思いの外強い力で。
「僕は唇に塗ったって、言ったんだけど。僕が」
「……? うん、だから傷を治してくれてありがとう」
低い声で言われ、困惑しながらリーベラは言う。なんだか異様な雰囲気が漂っていて、彼と目を合わせ辛い。
「……もっとこう、恥じらうとかないの?」
「なんで? 治療だろ」
彼が何を言いたいのかが分からない。恐る恐る彼の方を見ると、意外と近い場所に彼の顔があって、リーベラは思わずその場に硬直した。
座る椅子に左肘をかけられ、右手で顎を持ち上げながら、オルクスに顔を覗き込まれている。
「……ふうん?」オルクスの冷たい視線が上から降ってきて、リーベラはたじろぐ。何か、彼の気に触ることでも言ったのだろうか。
「お前、何でそんなに機嫌悪……っ」
言いかけた言葉は、最後まで言えなかった。――オルクスの指が、リーベラの口を塞ぎにきたからだ。
固まるリーベラの唇を、オルクスの親指がゆっくりと撫でていく。妙な熱気を帯びた海色の瞳に気圧されながら、リーベラの背筋がぶるりと震えた。
長い長い、時間に感じられた。唇の感触を味わうように、オルクスは指を3度ほどリーベラの唇の上で往復させた。
「――こういうことなんだけど。どう? 何も感じない?」
「……別に、何も」
すうと指を離したオルクスから問われ、リーベラはやっとのことでそう言った。
オルクスは一体、何を考えているのだろう。頭の中がぐるぐると回り、落ち着かないけれど。
それを彼に伝えるのは、なんだか憚られた。
「そう、そりゃ残念」
オルクスはあっさりと肩をすくめ、リーベラを解放――すると思いきや、彼は「そうそう、そういえば」とそのままの姿勢で話を切り替えた。
「君の薬ね、全部うちの屋敷に持ってきたよ。君の店から回収してきたやつも、君の家に元々あったやつも」
こともなげにさらりと笑顔で言われ、リーベラは絶句した。
沈黙が再び、張りつめた空間を満たす。
「……持ってきたって、どこに」
「秘密。言うわけないだろう?」
にべもない返事に、リーベラの目の前が一瞬、暗くなる。
――薬、全部取り上げられた。
薬さえ手元にあれば、オルクスが出勤している隙をつくなりして、エルメスに渡しに行けるのに。
これでは、資金集めができないではないか。せめてまた、自分の庭に行って薬草を取ってこなければ。
――ああ、でも家に戻るのも、駄目だと言われているのだった。
「――そんな絶望した顔、しないでよ」
オルクスがリーベラの髪を撫でながら苦笑する。恐る恐るオルクスを見上げると、優しげな声音の反面、彼の目は一切笑っていなかった。
凍りついた、海の底の目だ。
「君の考えてることは大体分かるよ。あの時、あの男といるのを見た時からずっと考えてた――情報屋に、裏で薬を売ってもらうためだったんじゃないか?」
密やかな笑い声が、頭上から聞こえる。リーベラは身体を強ばらせつつ、黙ってふるふると首を振った。
「じゃあどうして、あの男と一緒にいたの」
「……」
「リラ、お願いだから答えて」
オルクスの口調が、少し哀願するようなものに変わる。
――何か、答えなければ。
普段は冷静だったはずのリーベラは、すっかり頭が回らなくなっていた。昨日のオルクスに縋りつかれるような態度と、先ほど唇に指を触れられたくだりとが、なぜか頭の中を何回も回る。
――どうしたんだろう、私。正常な判断ができなくなってる。
「……リラ?」
すっかり情報処理できなくなって、固まったリーベラの肩をオルクスが揺さぶる。冷たく刺すような視線は消えて、代わりに揺れた波が、彼の瞳に表れていた。
「……ごめん、調子に乗ってやりすぎた」
リーベラの髪を、オルクスがそっと撫でる。
「……本当にごめん。もしかして、嫌いになった? 僕のこと」
本気で沈んだような声に、リーベラはゆるゆると首を振った。
「……嫌いになるわけないって、言っただろ」
口を開くと、オルクスがほっと息を吐く音が聞こえて。なんだか罪悪感に駆られて、リーベラは言葉を続けていた。
「……うん、ごめん。私も勝手に動いてたから悪かった」
完全にバレているのだから、隠し続けても無駄だ。もう観念して、オルクスに打ち明けるしかない。
リーベラが巻き込んでしまったことなのに、フローラとエルメスにオルクス自ら問い詰めに行って迷惑をかけてしまうのも申し訳ない。
「……答える代わりに、私の願いを聞いてくれないか」
リーベラはゆっくりとオルクスの目を見る。その瞬間、オルクスが息を呑んだ音が聞こえた。
そして彼は視線を外し、のろのろと答える。
「……家に帰りたいって願いは聞かないよ」
「いや、願いはそれじゃない」
「……じゃあ、なに」
リーベラは一つ息をつき、彼の目を見上げた。
「フローラとエルメスに、会わせてほしい。それから、少しだけ家に寄る時間を。帰るんじゃない、ほんの数分でもいいから」
ブクマ、本当にありがとうございます!
超自転車操業なので、皆様の暖かさが身に沁みて頑張れます……!
明日は所要につき、21時ごろ投稿できるよう頑張ります。
どうかお付き合いいただけますと大変嬉しいです…!




