3ー3.オルクスの屋敷と、穏やかな朝食
いや本当に…遅くなって申し訳ございませんでした…(残業め、許すまじ。。)
オルクスの屋敷滞在の平和回です。どうかお楽しみいただけますように…!
――なんだろう、この状況。
リーベラは呆然としながら、暖かい湯に浸かっていた。
ざあと流れる水の音。ほんのり灰色がかった大理石の浴槽から流れ出る透明な湯が、浴槽と同じ色の床へ静かに広がっていく。
「リビティーナ様、湯加減はいかがですか」
湯に浸かるリーベラの髪を浴槽の外から洗ってくれている白髪交じりの老婆が、リーベラにきびきびと声をかける。先ほどオルクスから紹介された、屋敷の家政婦長のシャロンだ。
「だ、だ、大丈夫、です。ありがとう、ございます……」
リーベラは動揺しつつ頷く。
数日前まで感情の読めない『破滅の魔女』として名をはせていた彼女は、すっかりこの状況に動転していた。
――朝、目が覚めるとベッドの上で、片膝を折り曲げて頬杖をついた姿勢のオルクスに見下ろされていて。
状況を整理する間もなく、あれよあれよという間にシャロンを紹介され。「まず湯浴みをしてこい」と大浴場に行かされ、今に至る。
(……いや本当に、どういう状況なんだ)
まず、「屋敷にこんな大理石の大浴場があるとはどういうことだ」という疑問から始まり、湯浴みを手伝ってくれる人間が存在しているということに驚いた。
リーベラは今まで、風呂に浸かったことがなかった。いつもは数分のシャワーですませるし、それも体に着いた血と汗と泥と埃を洗い流すという端的な目的のためにだけだ。
あまりに丁寧に髪を洗ってくれるシャロンに恐縮し、リーベラはおずおずと「あの、あとは自分でやりますので」と申し出た。
「なりません。どうか私めにお任せを」
そうあっさりと返され、リーベラは「すみません」と身を縮こまらせる。こうして人に手厚くもてなされるのには、慣れていなかった。
「至らぬ点がありましたら、申し訳ございません。恐縮ながら、本日はお屋敷にオルクス様がいらっしゃるので、女性の使用人が出仕していないのです。私だけですが、どうかご容赦を」
「いえいえいえいえ、あの、至らぬ点なんてとんでもない」
リーベラは慌てて首を振る。そして、「……ん?」と首を傾げた。
「……あの、オルクス……様がいらっしゃる時には出仕しない、とは?」
リーベラはつっかえながら聞いた。オルクスを様付けするのにはまだ慣れない。
「様」とつけるたびに、ああ彼は貴族なのだなと妙な実感が湧いてくる。リーベラとは違う世界の住人だ。
「我が主は、女性からの視線があまりお得意ではないのです」
「……? そ、そうなのですか」
というか、この自分自身も性別上は女なのだけど。
(もしや私、女性と思われていない……? いやあり得る、あいつ会話の途中に取っ組み合いを仕掛けてくるくらいだし)
何となく納得して、リーベラはそれ以上追及をやめた。
――そして、湯浴みから上がり、髪を乾かし、渡された白いワンピースに着替え。
「こちらへどうぞ」
首元までかっちりとボタンを留めた黒のロングドレスに白いエプロンという出で立ちのシャロンに先導され、リーベラは恐る恐るオルクスの屋敷内の廊下を歩いていた。
深い紺色の絨毯敷きの、白く滑らかな壁に囲まれた長い廊下を抜け。角を曲がろうとした所で、その先から聞き慣れた声が聞こえてきた。
「――何考えてんですか、急にお休みだなんて! 俺に全部皺寄せがくるんすよ、俺に」
「ちょっと事態が変わってね。それにこれまでずっと働きづめだったんだ、少しくらいいいだろう?」
「確かにずっとお休みは取ってませんでしたけど……いえ、それとこれとは話が」
「まあ、とにかく全部、予定前倒しだ。頼んだよ」
「ちょっと、オルク……」
角を曲がって姿を現したシャロンとリーベラを見て、オルクスと話していた男性騎士が言葉を詰まらせた。
「リ、リーべ……あ痛って」
「やあ、リラ。着替えたんだね、よく似合ってる」
べしりと強く肩を叩かれてよろめくデルトスを押しのけて、オルクスが満面の笑みでリーベラの方へ歩いてきた。ラフに白いシャツを七分袖に腕まくりし、黒く細いズボンがその長い足を引き立てている格好で。
「俺、なんで今叩かれたんですか……?」
そう呟きながら、デルトスが呆気にとられた顔でこちらを見遣る。リーベラが気まずい思いでぺこりと頭を下げていると、オルクスがその肩に手を置きながらシャロンを振り返った。
「シャロン、ありがとう。もうここで良いよ、あとは僕が連れて行く」
「承知いたしました、ごゆっくり」完璧な角度でお辞儀をした後、シャロンはきびきびと立ち去っていく。
「あ、あの、ありがとうございました!」
後ろ姿にリーベラが声を掛けると、彼女はお辞儀を返してくれて。その背中を見送ってリーベラが振り返ると、頭を抱えるデルトスと、にっこりと微笑むオルクスが居た。
「……オルクス様、まだ1週間も経ってないんですよ。堪え性なさす」
「デルトス、言いたいことがあるならはっきり言うことをお勧めするよ」
「……何でもないです、ええ、何でも」
眉間を手で揉みながら、デルトスは「なるほど、よく分かりました」と言いながら顔を上げた。
「では、今日は俺が指揮を執ります。そっちも頼みましたよ」
「もちろん。恩に着るよ」
オルクスの言葉を受けて、デルトスが敬礼してからリーベラの方を見た。
「ではリーベラ様、また今度。ひとまずご武運を」こくこくと頷きながら親指を立てられて、リーベラは小首を傾げる。
「あ……うん? ご武運?」
どういう意味だろう、とデルトスの言葉に考え込みつつ、リーベラはオルクスから右肩へ手を置かれたまま、廊下を歩く。
――と、その時だった。
つい、とゆっくり首を撫ぜられるような感覚があり、リーベラはぞわりと小さく震えた。感覚があったのは、ちょうどオルクスに手を置かれているそばの、首の右側面部分だ。
「……っ?」
何か用かとオルクスを見上げるけれど、彼は黙ったまま真顔で歩いていて。
気のせいかと首を捻り、リーベラは彼に促されるまま、連れられて行った。
◇◇◇◇◇
「……あの、これは?」
野菜たっぷりのサラダにトマトのスープ、スクランブルエッグにローストビーフ、白くて柔らかなパン。
「朝ごはんだけど?」
「豪華すぎないか……?」
朝からどっさりな上に、ローストビーフとは。リーベラは呆気に取られて大きな白いクロスのかかったテーブルの上を見つめた。
「……これも借り?」リーベラが恐る恐る尋ねると、オルクスは苦笑した。
「だから、もう貸し借りとかはいいんだって。……もう関係ないから」
そう言いながら、オルクスが紅茶をティーカップに注ぐ。「はい」と渡されて、リーベラは礼を言いながら少し考え込んだ。
――関係、ない。
『貸し借り』の関係に繋がりを感じて、勝手に安心していた自身の矛盾を、まざまざと思い出す。
「リラ? どうしたの、食べて」
「なんでもない。ありがとう、いただきます」
慌てて首を振り、リーベラは朝食の前で手を合わせる。そしてさっそくサラダに手をつけ、野菜の新鮮さと、ほんのりかかったオリーブオイルと塩の美味しさに目を見張り。
そしてつと横から注がれる視線に気づき、顔を上げた。
「……オルクス、食べ……」
「食べないのか」という言葉を切って、思わずごくりと唾を飲み込む。こちらをじっと見つめるオルクスの目と、視線が合ったからだ。
――目を細めて微笑みながら頬杖をつき、こちらを見つめる、彼の目と。
いつぞやリーベラの淹れたカモミールティーを見ていた時と、同じ表情の目だった。
(……これはどういう、感情の顔なんだろう)
分からない、オルクスの考えていることが。目を細めているから、もしかして眩しいのだろうか。そう言えばこの部屋は窓が大きくて、白を基調とした調度品の多い部屋だから、朝日が眩しいのかもしれない。
「もしかして、眩しいのか?」
「……うん、眩しい。すごく」
そう言いながら、オルクスがそっと、サラダの上にかかりそうなリーベラの髪の毛を持ち上げて、耳の上にかけてくる。その拍子に耳に触れたオルクスの指の熱さが、じわりとリーベラの頬に少しだけ浸食した。
なんだか、息苦しい。でも。
――それはどこだか心地よい、息苦しさだった。
ブクマ、本当にありがとうございます…っ! 今日は遅くなってしまい、申し訳ございませんでした。
明日もお付き合いいただけますと嬉しいです!




