3-2.嫌いになんて、なるわけない
今日も遅くなって申し訳ございません……!
オルクスの屋敷ターンが始まります。お楽しみいただけますように、祈っております。
「リラ、さっき僕に『無事か』って聞いたの、あれは一体何だったの?」
ベッドの縁の方に座り込んだまま、リーベラが無言で固まっていると、オルクスはそのすぐそばへ静かに腰掛けた。その指は、リーベラの頬に触れたままで。
リーベラは彼から目を逸らして、「なんでもない」と答える。
「寝ぼけてた、ごめん」
――本当のことは、言えない。
感情が段々戻ってきた今なら分かる。この感情の正体は、おそらく罪悪感だ。
――だって、オルクスは。リーベラが側にいたせいで、現国王に目をつけられてしまったようなものだ。
(全部、私のせいだ。私が、オルクスを……)
自分の問題に、巻き込んでしまった。
リーベラは、こちらを表情の読めない目で見つめるオルクスをちらりと一瞬見遣る。
――彼には、未来がある。死に損ないで疫病神の自分が、関わってはいけなかった。
むしろエルメスの言う通り、オルクスが王女と婚約するのであれば、こんなにめでたい話はない。彼の未来も安泰だし、安全も保障される。
流石の国王も、腹違いとは言え、妹の婚約者を突然亡き者にしたりはすまい。あの2人は元々、継承権をめぐる争いも一切なかったはずだ。
ましてや国王は、リーベラはもう死んだものと思っているのだし、オルクスに拘る理由ももうないはずで。
――オルクスの名前を王が逐一出すのは、リーベラを脅して自分の言うことを聞かせるためだったのだから。
むしろ、オルクスが王女と結婚した場合、オルクスに養われている設定のリーベラは、国王との接触の機会が発生する可能性がある。
その辺オルクスは抜かりないとは思うが、万一ということもある。こうなってはできるだけ、オルクスから離れるべきだった。
――国王はリーベラの昔の顔も、筆頭魔女の刻印の形も知っている。ひとたびこの手袋の下の刻印を見られてしまったら、彼にだけはもう言い逃れができない。
オルクスと王女の結婚について考えるたび、胸が軋んでいくけれど。それ以上そのよく分からない感情について直視したくなくて、リーベラはぽつりと口を開いた。
「あの……オルクス、ここって」
「僕の屋敷」
間髪入れずに返ってきた答えに、リーベラは軽くため息をつく。
離れた方がいい相手の、本拠地ど真ん中に来てしまっている。
「……そもそもなんで、こんなことをしてまで私を連れてきたんだ」
まずはそこをはっきりせねば。そう思って聞くと、一瞬の沈黙の後、オルクスがのろのろと口を開いた。
「……君を守るためだ。リラ、君は本来、自分がここにいるはずの人間じゃないことを忘れてないか? 君の行動は目立ちすぎる」
確かにその通りで、リーベラは言葉を詰まらせた。
――髪の色と目の色を変えて、別人になっていたとはいえど。感情を制御できず、路上で大立ち回りまでやらかしたのだ。
「それは……申し訳ない。今度からもうしない」
「うん。だけど心配だから、君にはここで大人しくしててほしい。――君の面倒は、僕が見るから。安心して」
彼の手に頬を撫でられる感触に、意識がぼうっとしていくけれど。
リーベラはぎゅっと唇を噛み、ゆっくりと頭を振った。
「……オルクス、ごめん。私は帰る」
あの屋敷に眠るアドニスを、一人にしてもおけないし。
そう思いながら素早く立ち上がりかけたところで――くらりと大きな眩暈の感覚がして、リーベラの体はぐらりと傾いだ。
「リラ!」
平衡感覚を失って倒れかけた体を、オルクスの手が後ろから抱きとめる。
「無理をしたら駄目だ。君、薬を飲んでからまだ2時間しか経ってないんだよ」
「薬を盛った張本人に言われても……」
リーベラは頭を抑えながらうめき、オルクスに肩を支えられたまま、のろのろとその場に座り込んだ。
自分が作った睡眠薬の効き目は、約6時間。常人であれば深い眠りにつけるが、基本的な薬に耐性のある自分は薬の効き目が弱い。
眠りに入るのはあっという間だったのに、目が覚めるのは早かった。
とはいいつつも、体が思うように動かないのは、どうしたものだろう。あの睡眠薬め、改善の余地が必要だ。
「とにかく、戻らないと。体がまともに動くようになったら、私は帰る。もう大人しくしてるから、いいだろう?」
リーベラがそう言った途端、肩を支えてくれていたオルクスの手にぐっと力が篭った。
「……うん、申し訳ないけどそれは無理。その言葉ももう、言わないで」
背後のすぐ近くから、オルクスの低い声が聞こえてくる。リーベラはその内容に首を傾げた。
「その言葉?」
「ああ、2回も言った。……やめてくれ、もうトラウマなんだ」
オルクスの体の震えが伝わってきて、リーベラは恐る恐る彼を振り返る。彼の顔は俯いていてその表情は伺えないけれど、相当弱ってそうな雰囲気が伝わってきた。
――そんなトラウマに刺さるようなことを、2回も言っただろうか。
「もう帰る」くらいしか言っていないのだけれど。
あまりに彼が本気で弱っているので、リーベラは迷った末に口を開く。
「……ごめん、そんな引き金になる言葉だとは思ってなかった。もう言わない」
オルクスに向けて言うと、彼はゆるゆると顔を上げた。海の底の瞳が鈍く光る、暗く沈んだ表情で。
「……うん、ごめん。本当にごめん――例え君が僕のことを嫌いでも、君を、君の家に戻す訳にはいかないんだ」
掠れ声で後ろから囁かれ、その内容にリーベラは凍りついた。
「今、なんて?」
「え?」
「……私が貴方を、嫌いだと思ってたの?」
たっぷり数秒間沈黙があったあと、「嫌いになったんじゃ、ないの……?」という返答が返ってきた。
リーベラは思わず勢いよく振り向き、オルクスの顔を覗き込んだ。薬の影響で、頭をふらつかせながらも。
「嫌いになんて、なるわけないじゃない」
それは本当に、確かだった。それだけは無性に彼に分かってほしくて、リーベラは思わず、普段の威圧するような口調をかなぐり捨てていた。
あれだけ、王城の廊下で突き放すようなことを言われても、険悪な言い合いに発展しても、嫌味を言われても。
――嫌いに、なれなかったのだ。多分この先も、嫌いになんてなれないという確信がある。
「……」リーベラの剣幕に、オルクスが目を見開いて固まった。そしてややあってから、ゆっくりと首を傾げてリーベラを見る。
「……本当に?」
「ええ、本当に」めまいが段々ひどくなってきた。リーベラはこめかみを抑えながら頷く。
「……そう。そうか」
こめかみを抑えるリーベラの頬に、暖かい手がそっと触れ、静かに慈しむようにつうと撫でた。恐る恐る上を向くと、オルクスが眩しそうに目を細めながら微笑んでいて、リーベラは思わず息を呑む。
「――良かった。今はそれで、十分だ」
そう言いながら、彼はこつんとリーベラの肩に額を当て、肩口に顔を埋めた。
「……ねえ、リラ。今まで、君に酷いことを言ってきてごめん。ずっと言いたかったのに、言えなかった――あれは僕の、本心じゃない。君が怒ってくれるのが、僕に感情を見せてくれるのが、嬉しかったんだ」
なんだか、今日のオルクスは変だ。弱々しく縋り付くような、どこか迷子になったような雰囲気を感じさせる。肩口に彼の体温の暖かさを感じながら、リーベラは動かせない体のまま、彼の言葉を聞いた。
「――だから、リラ。怖がらないで、僕の側に居てほしい。帰らないでほしい。君に置いていかれるのは、もう、たく……さ……」
言葉がとぎれとぎれになったかと思うと、リーベラの肩口ですうすうと寝息が聞こえ始めた。ゆっくりと、オルクスの広い背中が、リーベラのすぐそばで上下する。
「……この状況で、寝た」
リーベラはぼんやり呟きながら、自分の肩に顔を寄せて瞼を閉じる、オルクスの顔を見た。
長い睫毛が顔に陰を落とし、月夜の光がその繊細な彫刻のような、彼の造形美を浮かび上がらせる。無造作に散らばった髪の一つ一つですら絵のような、美しい青年。
その寝顔を眺めながら、彼にはいつまでも幸せでいてほしいと、リーベラは無性に強く思った。
悲しんでほしくない。苦しんでほしくない。いつも幸せに、笑っていてほしい。
彼が生きている、それだけで。自分はここまで、生きてこられた。
だから、彼の未来の幸せのためには、王女様と婚約することが一番で。
そう思いながら、リーベラの頭の中には、ぼんやりとある考えが浮かび上がる。
――王女さまも、昨日、この顔を見たりしたのだろうか。
『夜、屋敷に王女さまが内密に来て、オルクス様が出迎えてたのが目撃されてる』と、エルメスは言っていた。
きっと彼女はこの先、オルクスと婚約したら、こんなオルクスの姿を毎日眺めるのだろう。
そう思うと、胸の底がざわついた。とてもとても不穏な、嫌なざわつき方で。
――オルクスが王女さまと婚約したら、こんな風に自分が彼と過ごすことも、もうなくなる。
それが無性に寂しくて。そして自分の身勝手さに絶望しながら、リーベラは窓の向こうに見える月を見上げた。
――ごめんなさい、今だけは。こうして過ごすのを、許してほしい。
彼が王女と婚約する、その日まで。
その日が来たら、自分は消えるから。
――だから、あと、もう少しだけ。
この時間が永遠に続けばいいのにと願いながら、リーベラはゆっくりと目を閉じた。
ブクマ、本当にありがとうございます!!
明日もぜひお付き合いいただけますと嬉しいです!




