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【本編完結済】恋を忘れた『破滅の魔女』へ  作者: 伊瀬千尋
【第二章.魔女と古本屋の息子、そしてオルクスの嫉妬】
33/88

2-18.公爵騎士は魔女を攫う

オルクスの病み回です。

どうかお楽しみいただけますように……!

 リラが、泣いていた。

――自分ではない、他の男の腕の中で、抱きしめられながら。

 髪色も瞳の色も違うし、服も見慣れないものだけれど、すぐに彼女だと分かった。見間違える、訳がなかった。

 だって18年間も、彼女だけをずっと、見つめてきたのだから。


 彼女を助け、抱きしめるのが、何故自分ではないのだろう。

 彼女が泣いているのを最初に見たのが、何故自分ではないのだろう。


――自分はいつも、肝心な時に、彼女の側に居られない。

 そのことが、身を切るように辛くて、堪らなくて。

 それならばもう、いっそのこと――。


◇◇◇◇◇

 暴漢を追いかけた無茶をフローラとエルメスにこってり絞られ心配され、解放されてリーベラが屋敷に帰ってきたのはもう夜だった。

 フローラに見送られ、屋敷の前に立ち。

――家に灯りが、付いている。

 オルクスが来ている、とリーベラはごくりと唾を飲んだ。


 そろりと玄関の扉を開け、家の中へ入る。今の自分は、オルクスに買ってもらった服を着て、ウィッグも取って目の色を元に戻した自分。オルクスに、あの時の少女がリーベラだとはバレないはずだ。

(……大丈夫、落ち着け、普通の顔をしろ。目を合わせるな)


 客間に入ると、暖炉に火が灯っていて、ソファーに座った人物の黒髪が見えた。やや紫がかった、夜空色の髪の色。

「――やあ、リラ。おかえり」

 オルクスがマグカップを片手に、いつもの完璧な笑顔で振り返る。どうやら珈琲を飲んでいたらしい。

――いつもの、オルクスだ。

 ほっとしたような、落ち込むような、不思議な気持ちでリーベラは「ただいま」と頷いた。


「……来てたんだ。用事は? もういいの?」

 リーベラがそう言うと、オルクスの表情が揺れた。笑顔だけれど、すっと目が笑わない笑顔になる。思わず息を呑み、さっと顔を逸らすリーベラの耳に、オルクスの言葉が届く。

「昨日言ったろ、『行って来ます』って。僕はどこに行っても、必ず君の元へ帰ってくるよ。……僕はね」

 最後の言葉だけ、トーンが一段階低いものになる。オルクスはソファーからやおらに立ち上がり、立ち尽くすリーベラの前に立った。


(……どこに行っても、帰ってくる、か)

――嘘つき。貴方は王女と婚約するから、私の元には帰って来られない。


 エルメスから聞いた、オルクスの婚約情報と、先程王女と腕を組んでいた彼を思い出す。はっと思い出してオルクスの全身の格好を見れば、それは今日見かけたものと同じ格好で。

 白いシャツに、濃いブラウンのすらりとした長ズボン。無造作に整えられた髪型は、前髪が少しかき上げられていて、右側の髪だけを耳掛けしていて。形の良い耳と顎のラインがいつもよりよく見えた。

「……リラ? どうしたの」

 覗き込まれて、リーベラは「なんでもない」と目を逸らした。


「……珈琲でも飲む? 淹れるよ」遠慮がちにそう聞かれて、とりあえずこの立ち尽くした状況を何とかしたくて、リーベラは「飲む」と頷く。頭上で、少し息を呑む音がした。

「あ、でも、ちょっと待って、これも借りになる? 飲んでも飲まなくても借りだっけ?」

 慌てて見上げると、顔を歪めるオルクスと目が合ってしまった。リーベラは一瞬硬直し、すぐに目を逸らす。


――オルクス、すごく嫌そうな顔してた。


「ああ、もうそれはいいんだ。……関係なくなるから」

 低い呟きとともに、オルクスが勝手知ったる様子でキッチンに向かう。リーベラはその背中を見送り、のろのろと、オルクスが座っていたのとは別のソファーに座った。


(……もう、関係なくなる?)

『僕に借りを全部返すまで、逃げることは許さない』

『もうそろそろ一生分、借りを作らせてやろうかな。――そうしたら君は、一生僕から逃げられない』

『貸し借り』や『均衡』は、遣り取りする者たちにとっては、ある意味『縛り』になる。約束を果たすまで、相手に返すまで、その関係は続くのだ。

 それを今、オルクスは『関係なくなる』と切り捨てた。


(……私、どこかで安心してた?)

 リーベラは呆然と、自分の家の壁を見つめながら思う。

(この貸し借りの関係が続く限り、オルクスと縁が切れないことに、安心、してた)

――なんて、矛盾。なんて、自分勝手。


 オルクスの、何でもかんでも『貸し借り』と突っかかってくる言い草に『またか』と思いつつも、それで安心してたなんて。

 自分から自立するとか言っておいて、いざ突き放されるとこんなにも寂しい。自分から言い出したことなのにだ。

(……ああ、私は本当に、勝手だ)


 心の奥がざわりと粟立ち、それを抑え込むべく唇を噛み締める。しばらくしていると、じわりと口の中に血の味が広がった。どうやら強く噛みすぎたらしい。

――感情は戻って来たけれど、痛覚はまだ、正常に作動しない。


「リラ。珈琲淹れたから飲んで」

 衣擦れの音がして、オルクスの手が、リーベラの眼前のテーブル上に淹れたての珈琲を置いてくれる。

「……ありがとう」

 声を出すと、自分の声は少し掠れていた。リーベラは珈琲をゆっくり口に含む。

 粟立つ心のせいなのか、いつもより珈琲が苦く感じられた。


「……リラ、今日はどうだった?」向かいがけのソファーの肘かけ部分に肘をつきながら、オルクスがリーベラをじっと見つめて聞いてくる。

「フローラが、街中に連れて行ってくれた」本当はエルメスもだが。

「そう。楽しかった?」

 聞かれて、リーベラはふと考え込みながら珈琲を啜る。

 街中に連れて行ってくれたエルメスとフローラの微笑み、暴漢への怒りと悔しさ、震えていたエルメスの肩の暖かさ。


「――うん。色々あった」

「……そう」

 沈黙が、部屋に満ちる。リーベラは纏まらない頭のまま、珈琲をごくごくと飲み進める。

――本当は、とても聞きたいけれど。

 王女との関係、婚約はいつなのか、昨日は何をしていたのか。

――でも、聞きたいけれど、聞きたくない。

 矛盾した思いがぐるぐると周り、それをかき消すように珈琲を飲み。リーベラはあっという間に珈琲を飲み干してしまった。


(しまった、時間稼ぎが終わった……)

 ぼんやりとマグカップの白い底を見つめ、珈琲を飲みきっていないフリでもしようかなと思っていた時だった。


「――ねえ、リラ。君の口調、昔に戻ってるね。あの男と、何かあった?」

「え……」

 唐突に、オルクスの低い声が耳朶を打った。リーベラは真っ白な頭で、思わず頭を上げて。そしてすぐに後悔した。

 ソファーに座って頬杖をついたままのオルクスの視線が、憎々しさに満ち溢れていたからだ。

 今朝夢で見た、あの魔物討伐戦後の王城での出会いを思い出し、リーベラの背筋は震えた。


「分からないかな、情報屋のガキとのことだよ。――まさか髪と瞳の色と服装を変えたぐらいで、僕に君が分からなくなるとでも思った?」

 そう言いながら、オルクスがゆらりと立ち上がる。とてつもない威圧感に、リーベラは声を迷子にさせて無言で立ち上がり、客間の外へ出ようと走りだそうとして。


「――そんなわけ、ないだろう」

 オルクスに右手を掴まれ、一気に引き戻される。そのまま両肩を掴まれ、ものすごい力でソファーに座り直させられた。

「オ、オルクス……?」

「……相変わらず、やっと視線を合わせたと思ったら、怯えた目で僕を見るね」

 リーベラの両肩をソファーの背もたれに縫い付けたまま、オルクスが顔を寄せてくる。そして右手をリーベラの肩から外し、リーベラの頬にそっと触れた。

 そのまま呆然とするリーベラの唇を右手の親指で優しくなぞり、「血が出てる」と彼は小さく呟く。


「……他に傷は?」

「え?」

 硬直して動けないまま、リーベラはぼんやりと聞き返す。この状況は、何なのだろう。というか、オルクスにあの時の少女が自分だと完全にバレている。

「……怪我はない? あのナイフの男はうちの騎士団で拘束したから、相当の罰を与えるよ。安心して」

「……何の、はな…」

 リーベラの声は、最後まで出なかった。目の前の青年から発される威圧感に負けて。ドロリとした敵意の視線が、リーベラの上に降り注いでくる。

 王女に腕を組まれていたオルクスが、向けてきていた視線と同じ。


「……っ」リーベラは思わず立ち上がろうとして。

 体を動かした途端、ぐわんと視界と頭の中が揺らいだ。

(……何、これ)

「……ああ、珈琲、もう全部飲んだのか」

 くつくつと低い笑い声が聞こえて来て、リーベラは愕然としてオルクスを見上げる。冷たい海の底の瞳は、濁った感情を混ぜた怪しい光を湛えて、リーベラを見つめていた。


「君は変なところで警戒心が足りないね、リラ。……まあ、毒も薬も、自分で試して耐性があるもんな。仕方ないか」

「……オルクス、まさか」

 リーベラはぼんやりとし始めた感覚の中で、目を見開く。

――さっきの珈琲、やたらと苦かった。


「でも、いくら普通の薬に強いとは言っても、君自身の薬ならどうだろうね?」

 自分で作った睡眠薬の効き目はどう? と囁かれて、リーベラは無言で唇を噛み締める。

(――私としたことが、警戒心がさっぱり抜けていた。オルクスは、私の家の薬棚を、知っている。確か、自分で使っていたこともあった……)

 オルクスの前だと、どうしてこうポンコツになってしまうのか。


「……ごめん、リラ。僕が悪いんだけど、唇は噛まないで。傷がまた広がる」

 そう言いながらオルクスの指が唇の下をなぞってくるけれど、もう抵抗する力がリーベラにはなかった。


 体全体が重く、だるい。まるで眠りにつく直前の、体は既に眠っているが意識はやや覚醒している時のよう。

 まどろむような感覚の中で、オルクスがそっとリーベラの後頭部に手を添えてくる。そのままゆっくりと優しい手付きで髪を撫でられ、背筋が震えた。


「君が一番よく知ってると思うけど、副作用はないから、安心して。ゆっくりおやすみ」

 そう言いながら、もう片方の手をリーベラの膝裏に回して抱き上げる形で、彼は立ち上がって歩き始めた。

「ちょっと待って、オルクス、どこに……」

 彼の腕に支えられて、空中を浮遊する感覚の中で、リーベラは絶え絶えに聞く。体がもう、言うことを聞かない。まるで金縛りにあったみたいだ。


「僕の屋敷。これ以上、勝手に君に動かれると困る」

「……待って、お願い。私は、行けない」

 言うことを聞かない体に鞭を打ち、リーベラは必死に起き上がろうと意識の中で足掻く。

――アドニスが眠る地下室から、彼を置いてあまり遠ざかりたくない。

 それに、オルクスの屋敷には、また王女が訪ねてくるかもしれない。その現場も、見たくなくて。

 王女にしがみつかれているオルクスの姿を思い出して、胸の奥がざわついて。


「……ごめんね。君のお願いは、何でも聞いてあげたいけど」

 オルクスがリーベラを抱く手に、力が篭る。暗い沼に意識を引き摺り込まれながら、リーベラは彼の言葉をぼんやりと聞いた。


「それだけは、もう聞いてあげられない。――君に置いていかれるのは、もうたくさんなんだ」

いつもお読みいただき、ありがとうございます!

大丈夫ですかね…オルクスくん、読者さまに嫌われてないでしょうか…(戦々恐々としております…)


明日はオルクス視点の予定です。そろそろ次章に入りますので、よろしければお付き合いいただけますと幸いです…!

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