2-11.オルクスから逃げるために
ヤンデレ気味のオルクスを延々と書きたいところではあるのですが、美味しいところで病ませるためにストーリーを進めていきます……!
お付き合いいただけますと幸いです……!
◇◇◇◇◇
オルクスに『戻る』と約束した時間まで、あと5分ほど。
リーベラは眉間を揉みながら、壁一面にびっしり並んだ本たちを見上げた。
「ああ、なんか頭が疲れた気がする……そろそろ行くか」
ぼそりと呟き、本棚の奥へとそっと一瞥を向けたあと、リーベラは書斎の大扉を開いた。
「……ん?」
書斎から出るや否や、扉を開けたそばに黒い塊と人の気配がして、リーベラはまじまじとそれを見つめる。
「オ、オルクス? どうした」
黒い塊の正体は、騎士服を着たオルクスだった。長い片方の足を伸ばし、もう片方の足の片膝を立てて座り込み、さらにその片膝に腕をかけ、その上に頭を伏せている。髪も黒いので完全に全身が黒い。
「……リラ?」
オルクスがゆるゆると顔を上げ、こちらを見上げた。途方に暮れていたようにぼんやりとしていた彼の目の焦点が、徐々に定まり出す。
「ああ、よかった。戻ってきたんだね。おかえり」
「え、あ、うん……? そりゃ、用が終わったら戻ってくるよ」
おかえりも何も、既に家には帰ってきているのだが。オルクスの謎の言葉にリーベラは内心首を傾げた。
「……ごめん、さっきは力の加減をミスってやりすぎた。君の手首、痣になってる」
立ち上がりながら、オルクスがリーベラの左手首を見遣る。眉を顰め、本当に申し訳なさそうな調子で言うものだから、リーベラは慌てて首を振った。
「いや、このくらい全然平気だ。痛くないし」
「そういう問題じゃないんだよ……。手当をさせて。まずは冷やさないと」
「お前がしおらしく親切だと調子狂うな……大丈夫だよ、このくらい」
リーベラがそう言うと、オルクスはショックを受けたような顔でこちらを見てきた。
――一体、何なんだ。
何か地雷を踏んだらしいが、思い当たる節がなく、よく分からない。
「こんなの手当するまでもない。それより、お前に頼みたいことが」
「リラ、まず手当をさせて」
「しつこい、大丈夫だってば」
言葉を遮ってきたオルクスをリーベラがじろりと見遣ると、彼は何か言いたそうに口を開きかけて、また閉じた。
――こいつ、なんでこんなに狼狽えてるんだ?
リーベラはそっと彼を見つつ、不思議に思う。さっきまでの態度からあまりにも急変がすぎるのだけれど、この30分の間に一体何があったというのか。
「本当に気にしなくていい。それより、店を片付けに外に出たいんだけど……行っていいか?」
「……なんで僕に許可を取るのかな。それは君の自由だよ」
肩を竦めるオルクスに、リーベラは鋭い一瞥を向けた。
「気づいてないとでも思ったか」
「何のこと?」
オルクスがじっとこちらを見つめてくる視線を感じ、リーベラは彼を正面から見るのを避けつつ、ため息をついた。
「私に監視の目をつけてるだろ。外に行く時どうせ騎士団の誰かをこっそりつけるなら、今回はフローラにしてくれ。私の我儘に巻き込んでしまったことを謝りたいし」
――そう、フローラは騎士だとリーベラは確信していた。
薬を試そうとしていた時、リーベラの手の中にあったナイフを素早く叩き落としたあの慣れた手つき。尋常ではない体力と足の速さ。それに彼女はリーベラの付き添いを『仕事の一環』と言っていた。
しかも、ご令嬢といえば基本的には長く美しい髪が一般的で、彼女のようにバッサリ短く切っているのは珍しいのだ。騎士団の活動のために切っていると言われれば、全ての辻褄が合う。
「……」
オルクスの沈黙が重い。リーベラが黙ったまま返事を待っていると、彼はゆっくりと息をついた。
「……彼女が言ったの?」
「いや、全く。だからフローラには何の落ち度もないし、あの兄妹を叱らないでくれ。あと、フローラには私が知っていることも言わんでいい」
あのシュナイダー兄妹の、オルクスの怒りに対する怯え様を思い出しながら、リーベラはオルクスにそう頼み込む。
「可哀想にあんなに怯えて、お前は普段騎士団でどんな態度取ってんだ……」とリーベラが遠い目でぼやくと、オルクスは「普通だと思うけど」と言いながらにっこりと笑った。いつも通り目の笑わない笑みである。
「……ああ、そういうところだろうな」
「何の話?」
「なんでもない。とにかく」
リーベラはごほんと咳払いをして、オルクスの前に立つ。顔は見ないように、彼の騎士服の首元あたりを見るようにしながら。
「フローラとなら、外に出てもいいだろ? やるのは店の片付けと撤退だし。他の騎士はつけんでいい、気が散って仕方がない」
「……そう、気づいてたんだね。まあフローラはまだ騎士見習いだけど」
オルクスがやれやれとため息をつく。こっちがやれやれだ。正直、全ての行動を監視されているのではやりづらくて仕方がない。
「言っておくが、私は視線に敏感だ。つけられていればすぐに気づく」
「はいはい、流石は元『破滅の魔女』さんだ。力は失っても直感と身体能力は失ってない、ってね」
「……馬鹿にしてるだろ」
「してないよ、感心してる。これは騎士団全員、教育し直しが必要だね。君に気付かれるほど生温いとは」
「ほんとにそういうのやめてくれ……大丈夫、私はもう脅威になり得ない。お前の管轄の大事な街にも国にも迷惑はかけないから、とにかく監視はやめてくれ、頼む」
流石に人にモノを頼む時は、目を見て頼むべきだろう。そう思って「どうか頼みを聞いてくれますように」と祈りつつ顔を上げてオルクスに頼むと、彼はなぜか目を見開いてよろりとよろめいた。
「……何? どうした」
「……いや、なんでも」
何やら顔を背けて「反則」だのぶつぶつ言いだしたオルクスに「私は反則してないぞ」と言うと、素っ気ない「うるさい」の返事が返ってきた。こういうところが相変わらずだ。
「……分かった、分かったよ。フローラを同行させて他は外す。店の片付けだね、話は通しておくから行ってきて」
「ありがとう、行ってくる」
「……」
またも、オルクスは目を見開いて固まる。リーベラは眉を顰め、首を傾げた。
「お前、さっきからどうしたんだ。具合でも悪いのか?」
「……別に」
そっぽを向かれ、リーベラとしては「あ、そう」と肩をすくめるしかない。
「というより、お前も早く仕事に戻れ。こんなところで筆頭騎士が油を売ってていいわけないだろ」
「ああ、それは大丈夫。抜かりなく根回ししてるから」
「……は?」
「とりあえず、大人しく待ってて」
根回しとは? と聞く前にオルクスがすたすたと玄関口へ歩き、外へ出て行く。閉まったドアを見つめ、リーベラはやれやれと肩を落とした。
◇◇◇◇◇
「フローラ様。この度は私の我儘でご迷惑をおかけしてしまって、申し訳ございませんでした」
屋敷にフローラがやってくるや否や、リーベラはフローラに謝罪の言葉を述べた。彼女に不安で不快な思いをさせてしまったのは自分の行動が原因だ。
リーベラには分かっていた。フローラのあの、悪意への怯え方は演技ではなく、本物の反応だった。オルクスに全く詳細を聞かされていなかったのだろう。
「そんな、我儘なんかじゃないのよ。自立しようとするのは立派よ……! って、あら、なんか……寒気が」
リーベラが見上げると、フローラの後ろに真顔のオルクスが腕を組んで立っていた。正直、威圧感が尋常ではない。
「……ありがとうございます。まだ現実が見えていなかったので、お店はもう少し勉強してからにしようと。それであの、大変申し訳ないのですが……お店の片付けを一緒に行っていただきたくて」
「ええ、分かったわ。一緒に行きましょう」
リーベラの言葉へ神妙に頷くフローラの後ろで、オルクスが『行ってらっしゃい』と口だけ動かすのが見えて。リーベラはため息をつきながら頷き、彼女と『店』になる予定だった建物へ赴いた。
――さて、とリーベラは心の中で呟く。ここからが正念場だ。オルクスから逃げるための、道への一歩。
「フローラ様、ついたばかりで恐縮なのですが……」
リーベラはフローラに「化粧室へ行く」と言い、彼女に先に奥の部屋で作業してもらえるように頼んだ。雑多なことばかりだが、少しは時間稼ぎができる。
「……よし、行くか」
オルクスはどうやら頼みを聞いてくれたらしく、道中こちらを監視している視線は感じなかった。化粧室に入り、リーベラは大窓を開けて外に滑り出す。
なるべく早く、片をつけねば。
そう思いながら隣の古本屋まで素早く走り、リーベラは店内に足を踏み入れる。本独特の紙の香りと、静謐な空気を感じながら奥までそっと歩き――
「……あんた、さっきの」
目的の人物は、店の1番奥にいた。リーベラは顔の表情を変えず頷き、深々と一礼する。
「――こんにちは、エルメス・フィールド様。あなたと交渉させていただきたく、こうしてお訪ねいたしました」
サンディブロンドの髪に、ブラウンの瞳。整った顔立ちの今朝の失礼青年は、あんぐりと口を開けてリーベラを見た。
オルクスから逃亡するためのリーベラの策略が始まります……!(バレた時がまた怖いですね)
明日も21時頃更新予定です。頑張ります!




