2-10.僕の元で生きるしか、道はないよ
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「オルクス、お前何を……」
「ちょっと黙って」
オルクスの手から逃げようと身を捩ろうとした途端、顎を掴んでいた彼の手が、リーベラの口を覆った。
冷たい海の底色の瞳が、リーベラを凍てつかせる。
「う……」
口を塞がれて声が出ない。彼の手を剥がそうと右手をかけながら、リーベラは反撃すべく自分の左足を鋭く蹴り上げ――いとも容易く、オルクスのもう片手にその足を掴まれた。
「ん……っ!?」
(嘘だろ、かなり早く蹴り上げたのに……!)
驚きに声を上げかけたが、それも言葉にならず、オルクスの黒い革手袋の中に吸い込まれていく。足を掴んできた手を振り払おうともがいていると、彼の手の力がますます増し――ならば最終手段だと懐から目潰しのキャプシカムの粉末を出そうとすると、オルクスが顔を至近距離まで近づけてきた。
「ここまで相手に近づかれたら、その目潰しの粉で君も相打ちになるね」
「……!」
リーベラはぎょっと目を見張る。彼の言う通り、この距離では自分に取ってもデメリットが大きい。痛みは感じなくても、感じないだけでダメージはある。目の機能が一時的に下がるのだ。
「無駄な足掻きはやめた方がいい。……忘れた? 君は今、16歳の体なんだ。当然、大人の男に力で勝てるわけないだろ」
片足を掴まれた状態で更に上に持ち上げられ、リーベラの体がじり、と宙に浮く。くつくつと喉を鳴らして笑うオルクスの声が、やけに大きく聞こえた。
「いい加減学習しなよ。一度も体術で僕に勝てたことがないくせに」
そう言いながら、オルクスがリーベラの口から手を外し、その手を肩に回してぐっと持ち上げる。もう片方の手で膝裏にも手を回され、次の瞬間には、リーベラはオルクスに抱き上げられていた。
「……っ、何だよこれ、降ろして」
「嫌だ」
「嫌だじゃないだろ、子供かお前は。とにかくふざけないで降ろして……」
「君、昨日持ち上げた時も思ったけど痩せすぎじゃない? ちゃんと食べた方がいい」
「人の話を聞け……うっ」
あっという間に客間に移動され、リーベラは白いソファーの上に投げ出される。
衝撃で息が一瞬つまったリーベラの隙をついて、オルクスがリーベラを組み伏せた。リーベラの後頭部に左手を回して掻き抱き、左手首を彼の右手で掴んだ体勢で。
ちなみに足まで彼の片足で上から押さえつけられていて、びくともしない。リーベラは唇を噛み締めながらオルクスを見返した。
「お前、今まで本気出してなかったな。なんだ、この馬鹿力」
「馬鹿は君だ」
ギリ、とオルクスがリーベラの左手首を握る力に手を込める。リーベラはオルクスからの圧力に眉を顰めた。
「何の話だ……とにかく、そこをどいて。この体勢のまま話す意味が分からない」
「……馬鹿だ馬鹿だとは思ってたけど、ここまで君が馬鹿だとは思ってなかったよ。頭の回転が悪くなったのかな」
「何だと、嫌がらせも大概に……っ」
しろ、と言いかけたリーベラの目と鼻の先へオルクスが顔を寄せる。鼻筋の通った彼の鼻と触れ合いそうな距離に、リーベラは息を飲んだ。
冴え冴えとした海色が、リーベラの瞳を覗き込む。
「ほら、君は現実が全く見えてない。容易く体の自由は奪われるし力も足りない、一人じゃ職も店舗の物件も見つからないし、稼ぐ手段もない。魔女の力だって限定的すぎる。どう考えても、一人で生きていくのは無理だ。
――君の意思はどうであれ、唯一君の事情を知っていて、君を保護できる僕の元で生きるしか、道はないよ」
「……やってみなきゃ、分からないじゃないか」
「やってみて分かったはずだ、社会はそんな甘くない。……リラ、なんでそんなに、頑なに意地を張るんだ」
オルクスの冷たい表情が、リーベラを真っ直ぐ見下ろす。詰問する口調とその内容に、リーベラは言葉を詰まらせた。
――言えない。オルクスが婚約者を迎えて生きていくのを、側で見たくないからだなんて。
それに、とリーベラの脳裏に、覚えている数少ない記憶が駆け巡る。前にも似たような状況があった。
王宮でたまたまオルクスと出くわしてしまって、壁際まで追い詰められたことが。あの時も周りに、人がいなかった。
――『君が任務に失敗すればいいのに』。オルクスはあの時、せせら笑いながらそう言った。
『君が任務に失敗して、すごすご戻ってくる日が待ち遠しいよ』と。
――あの時と同じだ。こいつ、私が失敗するのを楽しんでる。
リーベラは彼から目を逸らし、ボソリと言った。
「……お前こそ、なんでこんな嫌がらせをするんだ。頼むから、もう放っておいてくれ」
「……嫌がらせ?」
リーベラの腕を掴む彼の手に、更に力が篭る。そして彼はそっと呟いた。
「ああ、そうか。全然、興味がないんだね。……しかも」
言葉を切って、彼はリーベラの顔を無理矢理自分に向けさせた。怪しく光る目が、リーベラの顔を覗き込む。
「……随分怯えた目で僕を見るね。そんなに僕が怖い?」
「……そんな目で、見てない」
「見てるよ。現に今だって、怯えた顔してる」
「顔……? 私の表情は……」
『破滅の魔女』当時、感情が上手く起こせなくなった時から、自分は表情も一緒に死んでいた。だから、顔に出るということは――
『リビティーナさんが怒ってる横で……』
『……その顔、当たりね!』
『大分怒ってる表情が顔に出てる』
『君が感情を見せてくれるようになって嬉しいよ』
フローラとオルクスの台詞を思い出して、リーベラは身をこわばらせた。
――まずい。よりによってこのタイミングか。
「オルクス、離して」リーベラは彼に顔を直視されないよう、顔を背けてそう言った。
「嫌だ」
オルクスから返ってきたのは素っ気ない返事のみ。リーベラはぐったりと体の力を抜いた。
「……お願いだから、離して。分かった、店は諦めるから」
「……急にどうしたんだ、リラ。こっちを向いて言って」
疑っているような声音で、オルクスはリーベラに顔を向き合わせるよう要求する。リーベラは答えず、表情を見られないために口を一文字に結んでぎゅっと目を瞑った。
「リラ!」
焦ったような声と共に、オルクスの手がまたリーベラの顎を掴んで顔を元の向きに戻してくる。ギリギリと顎を掴まれながら、リーベラは目を瞑り続けながらうめいた。オルクスから発される圧力が、苦しい。
「リラ、目を開けて」
「……お前がそこから退かない限り、開けない」
駄々を捏ねている子供っぽいが、背に腹は変えられない。リーベラは頑なに目を閉じ続ける。
数秒して、オルクスの長いため息が聞こえてきた。
「……分かった」
顎と手首から手が離れ、足を押さえつけていた力がなくなる。リーベラはそろりと目を開けて、ソファーの上で起き上がった。
先ほどまでオルクスに掴まれていた手首を見ると、赤い痕がついていた。相当強く掴まれていたらしい。
「……リラ、手荒な真似をして悪かった。でも、君を守るにはこれが1番なんだ。……君は、ずっと僕の庇護下にいた方がいい」
ソファーの前に立ちながら、オルクスが自分の目を片手で覆いながら言う。リーベラはソファーから静かに立ち上がり、肩越しに彼の方へ半身だけ振り向いて口を開いた。
「――ああ、そうだな。現実が見えたよ。むしろ、一人で生きられない私にここまで手を貸してくれて感謝するべきだな。ありがとう、我儘を言ってすまなかった」
「……リラ?」
オルクスが掠れた声で呼びかけてくる。リーベラは畳み掛けるように言葉を続けた。
「お前の言う通り、店は諦める。……ちょっと書斎に行ってくるな」
リーベラがそう言って歩き出した瞬間、オルクスが息を呑む気配を感じた。
「――書斎は、駄目だ」
「どうして。もう逃げないよ、何が問題なんだ」
「とにかく駄目だ」
やたらと頑なな声だ。リーベラは訝しく、足を止めて半身だけ振り返った。
「正当な理由は何かあるのか? ……30分したら戻るのに、それでも?」
顔を真っ直ぐは合わせず、肩越しに会話するリーベラに、オルクスはため息をついた。
「……分かった。約束だ、30分したら絶対戻ってきて」
「ああ、約束する」
そうして、リーベラは書斎へ足を踏み入れて、大扉をバタンと閉めた。そのままずるずると歩き、書斎机の前の椅子へ座り、机の上に置いてある三面鏡を見る。
鏡には、途方に暮れて青ざめる表情が窺える、1人の少女が写っていて。
「ああ、本当だ……」
リーベラは目を閉じて、机の上に突っ伏した。
――『師匠、この前いつからか痛覚も感情も鈍くなったって言ってたじゃないですか。それ、多分呪いか術の類ですよ。その匂いが師匠の体から漂ってます。いつ引っ被ったんですか、そんなもん』
多分、衝撃だったのだろう。アドニスとの会話を、リーベラは覚えていた。
『……匂いなんて、あるの? いつ引っ被ったかは私も聞きたいよ』
『ありますよ、というか俺には分かります。俺の中には魔物が棲んでるんで』
『……そう。呪いか術か……解く方法は、分からないよね』
『あんたに分からないもんが俺に分かるわけないでしょうが。ま、でもあんたの呪いが解けるよう、俺も手伝います』
『……ありがとう』
そんな会話を、この書斎で本を調べながら2人でした。
アドニスはあの時、言っていたのだ。
『でももし師匠が感情を元通り取り戻せたとして、その兆候が現れた時は気をつけてくださいよ。今まで抑えられていたものが突然復活するんですから、相当混乱するはずです。
――ま、俺がいるから大丈夫ですね。ゆっくり、取り戻していきましょう。感情を』
――そう言っていた弟子は、もうここにはいない。
リーベラはぼんやり目を開けて、書斎の本棚を見遣った。
多分今、自分は何故だか感情を取り戻しつつある。他人に表情で感情を見抜かれることなど久しぶりで。
それに、確かに頭と感覚が前よりもはっきりしていて、自分が何を感じているのか、何を思っているのかが『破滅の魔女』時代より格段に分かりやすくなっている気がするのだ。
と、すれば。
(混乱している状態を、弱みをオルクスに見られたくない。見せたら確実につけ込んでくるし、奴の格好の玩具になる。
……それに、表情を見られたら困る。出来るだけ見られないようにしなくては)
いままで散々オルクスから事あるごとに因縁をつけられたり、揚げ足を取られたりした記憶が頭の中に蘇り、リーベラは頭を振る。
それにあのめざとい幼馴染が、リーベラの表情から読み取って、また手を回して進路を妨害してはかなわない。
リーベラは彼に表情を見せないよう、固く自分の心に誓った。
すみません、文量がだいぶ長くなりました……。
「オルクス、過去の自分に首絞められてるね」回でした。
(オルクスのために補足をしておくと、彼はリーベラが彼のために裏で奮闘していたのを知りません……そのこともおいおい今後の展開で書きます!)
明日からまた21時ごろの投稿に戻ります!
よろしければまた、お付き合いいただけますと嬉しいです……!




