2-5.逃げることは許さない
昨日17日に読んでくださった方、本当に申し訳ございません……。
オルクスの捻くれ方に物足りなさを感じたので急遽、後半を改稿しました(&タイトルをいじりました)。どうか、改稿前のものよりお楽しみいただけますよう祈っております……!
「よく言えたね、偉いえら……プフッ」
リーベラの腕を右手で掴んだまま、オルクスが左手で自分の口元を覆って肩と声を震わせた。完全に目が笑っている。
リーベラは無言かつ真顔のまま、その光景をただ見つめた。やはり、これがオルクスの平常運転だ。
朝の「行ってきます」のくだりは幻だったに違いない。
「……絶対、もう二度と言わん」
「え、なんで」
途端に真顔になって目から手を離したオルクスの右手が、ふと緩む。その瞬間を見計らって、リーベラは彼の手から自分の腕を素早く引っこ抜き、軽く跳んで飛びすさった。
あっという間に、二人の間に距離ができる。
「リラ」
オルクスがどこか強張った顔で短く呼びかけてくる。リーベラは淡々とした語調を心がけて、彼に向かって左手の平を差し出した。
「自分の屋敷に帰れ。あと、私の家の鍵を返せ」
しばし流れる沈黙。両者のにらみ合いが続いた後、先に口を開いたのはオルクスだった。
「……嫌だ」
「嫌だじゃない、これは不法侵入だぞ」
「僕は王から君の家の管理権を渡された。不法にはあたらないよ」
「……」
確かに王へ宛てた手紙に、リーベラ自身がそうなるように書いた。そしてその約束は果たされ、今この屋敷の管理権は公にはオルクスということになっている。それは確かだし、この話題は深堀りしては危険だった。
当たり障りなく話を逸らす話術を有していないリーベラは、黙りこくるしかない。
「リラ?」
「……申し訳ないけど、1人になりたいんだ」
――なんだろう、この気持ちは。リーベラは混乱しながら思う。
向き合おうと勇気を出した途端に、茶化されて流されて。それが悔しいのかもしれないけれど。
今日の自分は、変だ。というより、この姿になってからずっと変だ。今までは特に心があわ立つことなく、淡々とした日々だったのに。
特にオルクス相手だと、上手くいかなくて自分が嫌になる。
――そんなことでうだうだしている場合ではないのに。この日常が、いつまで続いてくれるかも分からないのだ。
「……なるほど。こうなると逆に面倒だな」
低い声が聞こえたかと思うと、目にも止まらぬ速さでオルクスが距離を詰め、次の瞬間にはリーベラの背中は廊下の壁に押し付けられていた。
「こちらも申し訳ないけど、君を1人にするわけにはいかなくてね」
両肩が、彼の両手でそれぞれ強い力で押さえられている。リーベラが動かそうとしてもびくともしない。
「……ああ、君、本当に弱くなったんだね。前はこれやった瞬間、僕が君に弾き飛ばされてたのに」
吐息が軽くかかる程度の至近距離で見下ろされ、オルクスの冷えた紺青の目が真っ直ぐリーベラに突き刺さる。リーベラは静かにその目を見返した。
「油断してると馬鹿を見るぞ」
「……え?」
肩を押さえ込まれてはいるが、腕から下は動く。リーベラは懐から小袋を出し、中から赤色の粉末を手に取った。それを見た瞬間オルクスが目を剥いたので、彼にも一応知識はあるらしい。
「ちょ、え、まって、まさかそれ」
「私が調合したキャプシカムの粉末だ」
キャプシカム――遠い東洋では「唐辛子」とも呼ばれるシロモノである。真っ赤な色が毒毒しく、顔面に近いところで撒かれると非常に痛い思いをすることになるはずだ。しかもこれにはリーベラの魔力も付与してあった。
いつも、いざという時のために持ち歩いているものだ。
「参った降参だ、だからやめて。大事な話があるのに出来なくなるのは困る」
身構えたリーベラの前で、オルクスがため息を吐きながら降伏を示して両手を上げた。リーベラは渋々、粉末をざっと袋に戻す。
「大事な話?」
「そう。ま、結論から言おうか」
オルクスがにっこりと満面の笑みを浮かべる。その笑顔の圧に、リーベラは後ずさりたくなった。背中に壁が当たっているので、それも無理だけれど。
「僕もしばらく、君と一緒にここに住むよ」
「……は?」
彼の斜め上の発言に、一瞬思考が停止したリーベラの口から思わず気の抜けた声が出る。
「ちょっといま、僕の屋敷に面倒な人が押しかけてきててね……できれば顔を合わせたくないんだ。面倒くさい。だからここにしばらく住む」
『面倒』の言葉を2回繰り返し、オルクスがうんざりと言ったように頭を振る。
「い、いやちょっと待て、急に言われて、」
「君、いま僕に幾つ借りがあると思う?」
やっとオルクスの言葉の意味が飲みこめたリーベラが口を開くそばから、すかさずオルクスからの追撃がくる。
「まず、君の正体を隠すための設定を考えてあげた。この僕が、わざわざ」
噛んで言い含めるようにしながら、オルクスが口角の片端を吊り上げる。その表情はさながら、地獄で罪人の罪状を読み上げる悪魔のよう。
「それから君が店を開くための物件も手配した。君の店を手伝ってくれる人間も見つけた。そして僕の管轄下の第二騎士団は王都の警護を担当してるから、君のこの家も、君の店の安全も僕が保障してる。……これ、どのくらい『借り』があることになるだろうね? 魔女さん」
「うっ……」
「『均衡』とやらは大事なんだろう?」
挙げられたもの全てが、事実。そしてオルクスにとてつもない借りが、リーベラにあるのも事実で。
「ねえ、リラ。僕に『借り』を返してよ。まあ、これでもほんの一部だけど」
そう言って、オルクスはリーベラの方に身を屈めて距離を詰めた。
「――僕に借りを全部返すまで、逃げることは許さない」
さっきまで笑顔だった人間が、急に表情を真顔に変えた時の威力は凄まじい。リーベラは完全に退路を失った。
「こ、この……借金取りめ……」
捨て台詞を吐くのが、リーベラにできる唯一のことで。
「お褒めに預かり光栄だね」
そう言って、オルクスは屈めていた身をすっと元に戻した。そしてちらりと言葉を失ったリーベラを見遣り、「じゃ、ちょっと先に客間に行ってて」と言い残して玄関の方へ向かって行く。
どうやら最初から、リーベラには拒否権など与えられていなかったらしい。
「あ、あの悪魔……」
わなわなと震えるリーベラの小さな独り言は、廊下に溶けて消えていった。
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