2-2.『行ってらっしゃい』の意味と、拗れてしまった関係
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本日第一弾です。続きは本日20時更新目指します!
――『破滅の魔女』みたい。
そう言われた瞬間、リーベラはぴくりと肩を震わせた。
『君の正体は、僕とデルトスしか知らない。フローラをはじめ他の人間の誰にも気づかれないよう、細心の注意を払ってくれ。ちなみにデルトスは、ああ見えて口が堅い。そこは心配しなくていい』
オルクスの手紙にはそう書かれていた。だから、フローラは知らないはずだ。
目の前にいるこの自分が、『破滅の魔女』だということを。
ならば、取るべき道はただ一つ。
「……あの、さっきから気になってたのですが、『破滅の魔女』って?」
リーベラは首を傾げて見せる。「初めて聞きました」という態度を貫いて。それを見て、フローラは「ああ、そうよね」と頬に手を当て、宙を見上げた。
「貴方は知らなくて当然かも。私も本人を見たことはないの、よく話を聞くだけで」
「……話」
「そう。この国の筆頭魔女っていう凄い魔女で、王様の勅命でこの国を敵国から守ってくれてるの。人間とは思えないほど美しくて、凄く強くて、そして――自分の痛みを、感じることができなかったそうよ」
ちょうど今のあなたと同じね、とフローラはぽつりと呟く。その手が、リーベラの頭に優しく乗った。
「……ごめんなさいね、背中の傷。私さっき、玄関へ行くときに押してしまったわ……」
「いいえ、全然大丈夫です。私も認識さえしていなかった傷ですし、フローラ様は何も悪くありません」
「いえ、そういう問題じゃないのよ。貴方みたいな子が……こんな……こんな……なんて、むごい」
どうやらリーベラの背中の傷を見て、ショックを受けてしまったらしい。唇をわなわなと震わせ、今にも泣き出しそうな彼女を見て、リーベラは口を開いた。
話を、変えなければ。
「あの、一つ聞いてみてもよろしいでしょうか」
「え、ええ。何かしら」
リーベラの質問に、フローラはおずおずと頷いた。
「フローラ様は、先ほど私に『行ってらっしゃい』を教えてくれました」
「……え」
彼女がきょとんとリーベラを見る。リーベラは頷き、言葉を続けた。
「私、『行ってらっしゃい』なんて、何年ぶりかに聞いたんです。そして気づきました――私、その言葉の意味をきちんと分かっていなかった」
単なる、定型句だと思っていた。何処かに行く人へ向けて使うときの常套句だろうと。
だけど、それならば、あのオルクスの反応は何だったのだろう。それが無性に知りたかった。
26年間生きてきて、今更ながらのこの疑問。今のこの姿でなければ、リーベラが聞けなかった言葉の意味。
「フローラ様、教えて下さい。『行ってらっしゃい』は、どんな意味を持っているんですか」
――ねえ、リビティーナさん。お見送りのとき、貴方が先に『行ってらっしゃい』って言ってみて。
あの言葉があったおかげで、オルクスと久しぶりに正面から向き合って、やりとりができた気がしたのだ。
「……『行ってらっしゃい』はね」
フローラが息を吸い込み、にこりとリーベラに笑いかける。感情に鈍かったリーベラにも分かる、優し気な微笑みだった。
「誰かが何処かへ行くときにその人へ向けて言う、『無事に戻ってきてください』っていう意味の、言葉なのよ」
彼女の言葉に、リーベラは思わず目をじわりと見開く。
「そしてね、その返しの『行ってきます』の意味は――『何処かに行ったとしても、また再び戻ってきます』」
リーベラの脳裏に、先ほどのオルクスとのやり取りが蘇る。
『行って、らっしゃい』
『……行ってきます』
まさか、そんな意味があったとは。
「もう挨拶として定着してしまってるから、本来の意味も薄くなって形骸化してる場合も多いけど……少なくとも、うちの兄とオルクス様は私にそれを耳タコレベルに聞かされてるから、充分知ってるはずよ」
ころころと明るい声で笑ってから、フローラは呆気にとられているリーベラへじっと視線を向けた。
「さっきはいいもの見せてもらったわ。オルクス様、あんな表情もできるのね。いつもは人を食ったみたいな胡散臭い笑顔のくせに。ああ、最高の気分よ。これがこれから毎日拝めるなんて……!」
なぜか上機嫌で隣に座ってくるフローラの声をバックに、リーベラはぼんやりと思った。
(……そういえば、オルクスと最近挨拶を交わした記憶がなかったな)
自分の感覚がおかしくなってから、「行ってらっしゃい」なんて、言った記憶がない。おはようもおやすみも、行ってらっしゃいも行ってきますの言葉も交わした記憶がない。
今朝、交わした会話が初めての「挨拶」の記憶だ。
そもそも過去に、どんな具体的にどんな会話をしたのか。今の自分には、記憶がぼんやりとしか思い出せない。それも霧の向こうの景色を見ているような、はっきりとしない記憶。
なのに不思議だ、オルクスと交わした喧嘩の色の言葉たちのことは、よく覚えている。
『勘弁してくれ、朝から君の顔は見たくない』
『聞こえないな、もう少し大きな声で話してよ』
『今日も味気ない格好してるね。せめて、もうちょっと外見に気を使えば?』
『君が失敗して、泣いて帰ってくるのを楽しみにしてるよ』
(昔は、あんなことを言い合う仲じゃなかったはず、だけど)
――多分それは、自分のせいだろう。
この自分は、彼にとって疫病神の自分は、彼と親しく話すわけにはいかない。それだけは、ぼんやりとした感覚の中でも分かっていて。
だから、彼と関わらないように、親しく見えないように、自分から接触を持とうとはしていなかったはずだ。
だから。恐らくそんな態度を自分が繰り返すうちに、彼も愛想をつかしたのか、いつしか喧嘩腰にばかり話をするようになって。
――当たり前だ。人は、自分がされたことを人に返す。最初に引き金を引いたのは、恐らく自分。
そして自分も、親しくしてはいけないと分かりつつ、喧嘩腰でならまだと会話に応じるようになって――そうして、いつからかずっと拗れてしまったままだ。
それももう、ぼんやりと認識できる程度にしか思い出せないけれど。
思い出していたら、心の底がじくじくと暗い色で染まってくる。
そんなリーベラの隣で、朝食を食べ進めていたフローラが突然「あら!?」と驚愕の声を上げた。
「ど、どうしたんですか」
「なんだか、数刻前より自分の肌の調子がいい気がして……。足もなんだかむくみが取れて軽いんだけど、これってひょっとしてあれかしら、ときめき効果かしら!?」
「と、ときめき?」
目を白黒させながら、リーベラははたと思い当たって「しまった」と内心頭を抱える。
レーズンも植物から獲れるもので、その効能には確か「美肌、むくみ解消」があり。
(ティーローフの中に入れたレーズン、確か料理中に素手で触ったな……)
どうやらうっかり魔法を発動させてしまったらしい。自重しようと、リーベラは遠い目でそう思った。




