1-15.行ってらっしゃい、気をつけて
「肌も雪みたいに白くて滑らかだし、目は宝石みたいだし、こんなに整ってる顔見たことない……! 髪は小説で言うところの『月の光を溶かし込んだような銀髪』ってとこね、いやあこれは……本当に本物のヒロイン……!」
「つ、月……? ひ、ひろ……?」
初めて聞く類の比喩に、謎のワード。それに加えて初対面の女性との会話だということもあって、情報処理しきれなくなったリーベラの思考は停止した。
どうしたらいいか、分からない。
そんなリーベラの後ろで、オルクスがにこやかな笑顔でデルトスを見下ろす。
「君の妹、止めてきて。今すぐ」
「いや、あれだけ幸せそうな顔見てると、どうもすぐ止めるのは気が引けますね……好きなことを真っ直ぐ好きと言って語れることって、すごく尊いことだと思うんですよ、俺は」
デルトスは妹の生き生きとした表情と輝く目を見ながら言う。対するオルクスは、ふと真顔になって声を潜めた。
「うん、確かにその通りで、とても素敵なことなんだけどね。この場面だと、些か問題が」
「ああ、なるほど。例の『公爵騎士様』がまさしくご自分のたち」
「早く止めてこい」
上官のブリザード級の冷え切った声と、冷酷極まりない表情が、デルトスの言葉を遮って彼に襲い掛かってくる。デルトスは喉まで出かかった悲鳴をこらえ、こくこくと頷いた。
「……っ、分かりました、分かりましたから! ほらフローラ、そこまでだ!」
「ええー、お兄様のケチ」
兄に襟首を掴まれたフローラが口を尖らせた。
「ケチって言うな。好きなことを止めろとは言わないが、せめて人前では自重しろ」
「え、自重してますけど」
「嘘だろ、これで自重してるのか……?」
リーベラは言い合いを続ける2人を見比べながら、黙って瞬きを繰り返す。
「どうしたの」
黙りこくったリーベラの隣に、オルクスが並んできた。
「……いや、仲が良いんだな、と思って」
リーベラはポツリと言った。
昔、デルトスを王城で見かけたことがあったけれど。彼はリーベラたちの3つ歳下で、王宮に出入りしていた期間が被っている。
「こんなやりとりをする、妹さんがいたんだな……」
妹を相手に言い合いをするデルトスを見ていると、「こんな顔もするのか」と、なんだか不思議な気持ちになってくる。生活感が滲み出ている気がするからだろうか。
そうか、きっと、王城ですれ違う人たち、一人一人にも。
――こうして、それぞれやりとりをする人たちが、生活の中で側にいて。
「リラ」
改めて呼びかけられ、リーベラはハッと我にかえる。顔を上げてオルクスを見たところで、彼女はやっと気づいた。
彼の目の下に、濃い隈ができている。さっきまではいっぱいいっぱいで、気づかなかったのだ。
「お前、その目の下の隈どうした? ひどいぞ」
「隈? ……ああ」
オルクスがふと遠い目をしながら、自分の右手を目の横に当てた。
「ちょっと、夢見が悪くてね」
「夢見? 悪夢でも見るのか」
「うん、そう。……あのさ、リラ」
言葉を切り、ふとオルクスが真剣な顔で彼女を見下ろす。何か言いたいことでもあるのか、とリーベラが口を開きかけた時だった。
「……」
視線を感じて、リーベラは振り返る。見れば、デルトスが神妙な表情で、フローラが興味津々に目を輝かせながらこちらを見てきていて。
「……あの、よかったら皆さま、朝ご飯食べて行かれます?」
その瞬間、リーベラは敬語に切り替えた。「他の人が聞いている時、その言葉使いはやめろ」との、先ほど見たオルクスの指示手紙に従って。
隣からはなぜか、長いため息。目の前には突然顔を青ざめさせ始めたデルトスの姿があり。
一方、フローラは「さっきからいい匂いがすると思ってたの! 何作ったの?」と目を煌めかせた。
「ティーローフとクランペットを……」
「素敵、私両方とも大好き! 本当にいいの?」
「勿論です」
やった、と両手を上げるフローラの横で、顔を青ざめさせながらもデルトスが手を上げかけ――その手をオルクスがピシャリと下げさせた。
「ごめんね、僕たちはそろそろ仕事に行かないと」
オルクスが「ほら行こう」と踵を返し、デルトスを急き立てる。
「ええ、ちょっと位いいじゃないですかオルクス様、お心がせま……何でもないっす」
オルクスの顔を見て何かを察したらしいデルトスが言葉を切り、リーベラに向かって頭を下げた。
「すみませんリー……リビティーナさん、俺たち仕事があって。また今度、ぜひご馳走になりたいです」
立ち去っていくオルクスの姿を気にしつつ、デルトスが言う。リーベラも、彼に倣ってぺこりと頭を下げた。
「こちらこそ、お仕事前にすみませんでした」
「いえいえ。そんじゃまた」
「……はい、また」
「はいはい、じゃあ私たちはお見送りー!」
リーベラの背中を、フローラが押す。廊下でオルクスたちを追って歩きながら、彼女はリーベラにそっと囁いた。
「ねえ、リビティーナさん。お見送りのとき、貴方が先に『行ってらっしゃい』って言ってみて」
「……え?」
謎の言葉に、リーベラは目を瞬かせた。
「いやほら、同時に言うとなんかあれじゃない?」
「なんかあれ」とはどういうことか。戸惑いながら先に進むと、あっという間に玄関に着いてしまった。
――「行ってらっしゃい」なんて、何年振りに聞いた言葉だろう。
自分なぞが言おうものなら、『何? 急に改まって。怖いんだけど』などとオルクスに言われてしまう気がする。一体全体、どんなスタンスで言えばいいものなのだろうか。
「ほら、リビティーナさん」
玄関の扉をオルクスが鍵で開けかけたところで、フローラがとんとリーベラの肩を叩いた。
狼狽えつつも、リーベラは恐る恐る口を開く。
「……い」
声を発すると、オルクスが目を丸くしてものすごい速度でこちらを振り向いた。リーベラは思わず目を逸らす。
(いや振り向くのが早い! なんなんだ!)
慄きつつも、リーベラは皆の視線を一身に受けながら懸命に言葉を続けようとした。
「……い、行って」
沈黙が痛い。空気が静かだ。
(ええい、もう早く言ってしまえ)
「……行って、らっしゃい……」
このいたたまれなさは、なんなのだろうか。そう思いながら顔を上げると、オルクスが目を見開いて固まったまま、こちらを見ていた。
(ああほら、失敗した)
リーベラは目線のやり場に困って、下を向く。変な空気にさせてしまった。やはり自分は感覚が変なのだ――そう思っていると、不意にポンと頭の上に手が乗る。
「……行ってきます」
オルクスの、応える声がした。
「……!」
手を通して、リーベラの頭にオルクスの声が振動として伝わってくる感じがする。奇妙な感じにリーベラがぽかんとして顔を上げると、オルクスは早歩きで玄関の扉を開け、外に出ていくところで。
「あっ、ちょ、待ってくださいオルクス様! じゃあ2人とも、また後で! ひとまず行ってきます!」
「はーい、気をつけて」
あたふたとオルクスの後を追うデルトスに向かって、フローラがのんびりと手を振る。そんなやりとりののち、屋敷の扉がギイと閉まり、外から鍵がかかる音がした。
そして、リーベラは今更ながらはっと気づく。
(鍵、また回収し忘れた……)
フローラが彼女を見守りながらニヤニヤ笑いを必死に堪えていることに、頭を抱えたリーベラは気づかないのであった。
ブクマ本当にありがとうございます…!!
自分の好きな要素てんこ盛りで書いてるけど刺さるかな…大丈夫かな…と戦々恐々としてたので、めちゃくちゃ嬉しいです!!
明日は19時ごろ更新予定です。(第2章の薬草屋編に入ります。ちなみにオルクスは割とまたすぐ出てきます)
よろしければお付き合いいただけたら幸いです!




