1-10. オルクスのトラウマと、デルトスの気付き
王直轄の第二騎士団所属、筆頭騎士オルクスの第一部下・デルトス・ヴィ・シュナイダー。彼は今しも、放心状態の上官を目の前に困り果てていた。
「……」
豪奢な内装の馬車の中は静かだ。馬車を引く馬の蹄の音、ゴトゴトとレンガの道の上を車輪が回転する音。それらが外から微かに聞こえてくる以外、なんの音もしない。
そんな中、誰もが見惚れる黒髪の美青年である上官は、馬車に設られた窓枠の部分に右手で頬杖をつき、先ほどから窓の外をぼんやりと見ているのみ。そろそろ張り詰めた静寂が厳しくなってきた。
先ほど、リーベラの屋敷を2人が後にしてからというもの、数分間この状態が続いているのだから。
「あ、あのー……」
「デルトス」
「ひいいはいっ!」
唐突に呼びかけられ、デルトスは悲鳴とも返事ともつかない声を上げた。目の前に座っている上官は顔をこちらに向け、真顔でまた口を開く。
「礼を言うよ。ありがとう、君を連れてきてよかった」
デルトスは目を見開き、目の前の美丈夫をじっと見つめる。そして恐る恐る言った。
「……もしかして、オルクス様でいらっしゃらない?」
「うん、君は明日から背後には気をつけた方がいい」
にこりと最上級の笑みを寄越され、デルトスはほっと息をつく。
「ああ、いつものオルクス様ですね。安心しました」
「君の僕へのイメージ、どうなってんの?」
さらに深い笑みを上官に浮かべられ、デルトスはたらりと冷や汗を流した。
「あー、それにしても今日は色んなことがあったっすね。朝からリーベラ様が珍しくやって来るって事で急遽オルクス様がお休みを取られて、俺もそれに巻き込まれて休みを取らされて、でもリーベラ様は一瞬で帰って……」
幼子がするように、デルトスは朝からあった出来事を順に列挙してペラペラと喋る。特に目的はない。
――そう、全てはこの上官と2人っきりの気まずい沈黙を消化するための時間稼ぎである。
「そういや、あれから数時間後に慌てふためいてオルクス様が出て行ったの、何だったんですか?」
ふと今日の午前中の上官の謎行動を思い出し、デルトスは何気なく聞く。
今朝、リーベラがオルクスの屋敷から出た後、オルクスは座っていたソファーから根が生えたように動かず、何かをじっと考え込んでいた。
デルトスはじめ、屋敷の使用人もその様子に何も言葉をかけられず。というのも、彼の背中からありありと「話しかけるな」といった雰囲気を感じ取っていたからである。
仕方ないので放っておいたところ、昼間ごろに突然、オルクスは何も言わずに血相を変えて1人で飛び出して行った――そんな経緯があったのだ。
「いや……うん、あれは」
オルクスは大きく息をつきながら手で顔を覆う。その仕草で彼の表情は隠れていて、デルトスにも窺い知れなかった。
「……色々とショックすぎて、僕としたことが気づくのに遅れてね。あと数刻でも遅れていたら、僕は一生、自分を許せなかった」
「気づく? 何にですか?」
「……」
オルクスは下を向いたまま、答えない。馬車の中にまた気詰まりな沈黙が落ちた。
(どうしろってんだこれ! 俺1人じゃ時間が持たん!)
デルトスの心の叫びを知ってか知らずか、オルクスは数秒後、ふうと息をついて起き上がった。
「デルトス、君に頼みたいことがあるんだ」
「は、何なりと」
「今日のことは口外無しで頼む」
「はい? 勿論ですけど、何を今更」
デルトスが首を傾げると、オルクスは虚を突かれた顔をした。
「わざわざ念押ししなくても分かってますよ。リーベラ様のあの姿がこの国のトップのお方にバレないように、ですよね」
「……これは驚いた。やけに素直に従うじゃないか」
「俺はいつも素直ですよ」
「まあ、確かに。君はいい意味で裏表がない。だから気に入ってるんだ」
デルトスは信じられないものを見る目でオルクスを見遣る。どうやらこの上官、相当精神が参っているらしい。皮肉も込めずに手放しで褒めるところなぞ、見たことがなかった。
 
「ま、何はともあれ、俺はオルクス様のご意志に従いますよ。俺の上官は貴方であって、王様じゃありません。個人的にあの人あんまり好きじゃないですし」
「……」
「不敬罪だって、咎めないんすね」
デルトスは声をひそめて、オルクスをまっすぐ見据えた。その上官は珍しく真剣な表情で、こちらを黙って見ている。
何かを、試されている気がした。
――まさか、とは思っていたけれど。
デルトスは心の中で呟く。そう、彼の心にはずっと引っかかっていたことがあった。
「オルクス様、俺、ずっと引っかかってたことがあるんです」
ごくりと唾を飲み込み、黙ったままの上官へ向けてデルトスは口を開いた。
「――リーベラ様の手、酷い火傷で爛れてました。なのに」
デルトスはあの時見て、息を呑んだのだ。オルクスのハンカチを使ってリーベラが魔法を試そうとした時の、彼女の手の平を。
酷い水膨れに、爛れた火傷の跡。普通の人間であれば痛みに顔をしかめ、包帯を巻いて安静にする必要がある類の傷が、そこにあったのに。
「あの方、普通に色んな作業にその手を使って、しかも顔色ひとつ変えなかったでしょう。――まるで、痛みを感じないみたいに」
むしろ顔色ひとつ変えるどころか、ほぼ無表情の冷たい美貌の魔女が、そこに居た。
「それに俺、昔、『破滅の魔女』呼ばわりされる前のリーベラ様を、修行時代に見たことがあるんです。かなり昔……今から10年前くらいの話ですけど」
「……」
黙ったまま、ぴくりとオルクスが片眉を上げる。静止されないことを話を続ける了承だと受け取り、デルトスは言葉を続けた。
「――その時のあの人は、普通の、ただの女の子でした」
表情は元々少なかったかもしれないけれど。微笑しながら王城の中を歩いていたのを何度か見たことがあった。
「どう考えても、リーベラ様と話した時に感じるあの人の人柄と、『破滅の魔女』が結びつかなくて」
『破滅の魔女』は、元は王城内で使われていた呼称だ。――魔術にも体術にも長け、敵に対して冷酷無慈悲な、王国を守護する最強の魔女。
「……君は本当に、人をよく見てるね」
オルクスが暗い目でポツリと漏らした言葉に、デルトスははっと目を見開いた。
「……! やっぱりオルクス様、何か知ってるんですか? どうしてあのお方が、変わってしまわれたのか」
すみません、書きたいことが多すぎて長くなりました……。
今日の夜、引き続きオルクス陣営の視点です。




