1-1.プロローグ。破滅の魔女の終わり
素直になれない魔女と拗らせヤンデレ気味の幼馴染騎士の両片思い奮闘記、始まりです。
少しでも楽しんでいただけたら幸いです!
「――師匠、本当に後悔しないんですか?」
ああ、なぜ、ここで、その言葉を言うのだろうか。
リーベラはぼんやりとそう思いながら、目の前に座る青年へ杖を突きつけたまま、彼を見下ろした。
艶やかな銀髪に、切長の瞳を持つ美しい青年。けれど、その目はどす黒いと言っていいほど暗く赤い色で。
禍々しく、荒々しい。そんなその者の本性を、そっくりそのまま写す瞳だった。
「……後悔? 私が? 何を?」
ゆっくりとリーベラが紡いだ言葉に、赤い瞳の青年は口角を片方上げた。
「とぼけずとも、分かっているでしょうに。オルクス様の件ですよ」
「ますます分からんな」
表情の乏しい顔を崩さず、リーベラは青年に向け、更に杖をぐいと突きつける。
リーベラの瞳と同じ、赤みがかったゴールドの煌めきを宿す宝石のついた杖。「破滅の魔女」と恐れられる彼女が魔術に用いる、唯一の杖。
それももう、これを最後に役目を終える。
「別れの挨拶、してないんでしょう? 幼馴染なのに」
「する必要がなかった。何か問題でも?」
間髪入れずに返ってきた答えに、銀髪の青年は軽く肩をすくめた。
「いいえ。俺としては、嬉しい限りです」
そしてすうっと、彼は禍々しく赤い目を細める。
「もし心残りがあるのなら、俺は封印できませんから」
その言葉と共に、青年の周りに赤黒い光が立ち込め始める。リーベラは目をすがめ、彼に突きつけた杖に力を込めた。
「……させない」
青年の中に巣食っているのは、最悪の魔物だ。この青年がその凶悪な力を奮おうとする限り、この世に平穏は訪れない。
そして、この青年を抑えられるのは、この世に自分ただ一人のみ。その自分でさえ、犠牲なしには彼を封じ込め、救うことはできない。
だから、リーベラが取る方法は一つしかなかった。
リーベラは杖を構え、即座に呪文を唱える。
この青年をしばらく封じ、人間に戻す代わりに、自分を終わらせる魔法。
世界を救うための、魔法の呪文を。
リーベラの瞳と同じ金色の光が、青年の発する赤黒い光に抵抗するように激しくわななき、空間を満たしていく。
「――ごめんな、アドニス。しばらく眠っていてくれ」
駆け巡る閃光の中、リーベラは青年の肩をしっかりと掴む。決して逃さぬように、そしてもう誰にも危害を加えないように。
意外にも彼はその綺麗な顔に笑みを浮かべただけで、抵抗をやめた。その後に広がるのは黄金の光のみ。
凄まじい力の渦の中で、ぼんやりと意識が遠のいていく。
その中で、先ほどの『弟子』の言葉が宙に浮かんで霧散する。
『本当に、後悔しないんですか?』
一筋の涙が、リーベラの頬を伝う。
心残りでは、ないけれど。後悔であれば、数え切れないほどのものがある。後悔のない死など、ないのだから。
――私は、どこで間違えてしまったのだろう。
もっと伝えておけばよかった。会話しておけばよかった。
もっと素直に、なっていればよかった。
――なあ、オルクス。
喧嘩ばかりだった幼馴染の顔を思い出しながら、リーベラは静かに目を閉じる。
――伝えられなかったことばかりで、悔しいけれど。どうか、幸せになってく……れ……
◇◇◇◇◇
デルフィーナは、美しい自然と調和した優美な景観で知られた王国だ。
その気候は年間を通して穏やかで、春・夏・秋・冬の季節は巡れど、荒れて不作になることもない、恵まれた大地。
その王都・オルテンシアの王城に程近い城下町の外れに位置する屋敷の地下室で、一人の少女がその目を開けた。
「……死んだか」
ぼんやりと呟き、仰向けになっていた少女は、頭上の見慣れた白い大理石の天井を見つめる。
「すごいな、体が軽い。死んで魂だけに……ん?」
少女は手をわきわきと動かし、違和感に戸惑いの声を上げた。そしてそうっと、横になったまま手を目の前に掲げてみる。
「手が……」
乾燥しがちだった手が、瑞々しい質感を取り戻している。
そして、何より謎なのが。
「服が」
黒に金糸をあしらった魔女のローブ。その裾が目に見えてぶかぶかなのだ。少女は目を見張り、ガバリと身を起こす。
眼下にあるのは、見慣れた白い大理石に黒曜石の魔法陣を埋め込んだ、自邸の地下室の床。そして確かに脈打つ、自分の左胸の鼓動。
「……私、生きてる……? なんで……?」
金色の目を持つ魔女、リーベラの戸惑いの声。それは地下室の中でぽつんと響いた。