第二十話
マリアとランジヤのいつものじゃれ合いに溜息を吐いたウェインは、マリアと一度だけ視線を合わせた後たった一言「後は任せる」とだけ言って華火の元に戻ったのだ。
ウェインの短い言葉にマリアは、「かしこまりました」と頭を下げて、ウェインの背中を見送ったのだ。
ウェインが部屋を出て行くと、ランジヤの座るソファーにどかりと腰を下ろしたのだ。
「そういうことで、あんたがさっき聞いた会話は忘れなさい」
「私が二人の信頼を裏切るようなことをするわけないでしょうが? はぁ……。それよりも、早いうちに瘴気測定の手配をするよ。多分だけど、公爵邸の瘴気レベルはゼロに近いと思う……」
頭を抱えるようにしてそう言ったランジヤだったが、乱暴な手つきで自分の頭を撫でる不器用な手に気が付いて顔をあげる。
顔をあげた先で、マリアがぶっきらぼうに言うのだ。
「分かってる。ジャンが閣下のこと心から慕ってること。だから、閣下を裏切るような真似なんてしないってね。それと、測定する人間は口の堅い人間で、尚且つあんたの息のかかった人間でお願い」
「いや……、先輩のこと尊敬してるけど……、はぁ……。マリアは、やっぱりマリアだね。本当に酷い人だ……。そこは安心して。測定は私がするよ。そうしたら、測定結果がどうであれ、絶対に外部には漏れないから。でも、この分だとハナビ嬢が王城に召喚される可能性が……」
「そうだとしても、時間を稼いで。もうすぐ、師匠が集めた情報の解析が終わる。そしたら……」
そこまで言った後、マリアは眉を顰めて口を噤む。
ランジヤは、マリアの剣ダコで硬くなった手を握り励ますように言うのだ。
「ジンさんなら大丈夫だよ。あの人、剣の道なんかよりも今の庭師としての方がすごく楽しそうだし」
「ふん。師匠のことは私が一番、誰よりも知ってる。あんたに言われなくても、師匠が本当は、武術よりも花とか手入れする方が好きって知ってるわよ。でも……でも……」
そう言って、肩を震わせたマリアだったが、プイっと横を向いた後に、自分の手を握っていたランジヤの手を思いっきり抓りながら言うのだ。
「私は、実力で師匠を超えたかったの。想像や憶測とかじゃなく、剣であのいけ好かない師匠をぶっ倒して、私の方が強いって認めさせたかったのよ。それと、どさくさに何してんのかな?」
「あだだだだ!! ちょっ! 待って待って、手の甲が抉れるから!!」
「ふん!」
ほんの少しだけ、目元を赤くしていたマリアだったが、それに気が付いたランジヤは、もっと顔を赤くしてその場から勢い良く立ち上がる。
「じゃ、そういうことで、早ければ明日にでも測定に来るから!」
「お…おう……。頼んだわよ……」
抓られた手の甲を嬉しそうに擦りながら屋敷を出て行くランジヤを見送るマリアの表情は、とても複雑そうだったことをランジヤは知る由もなかった。
すぐに頭を振って、思考を切り替えたマリアは、華火の元に向かうのだった。
そして、華火の部屋に入ってすぐに、部屋から飛び出したマリアは、片手で顔を覆っていた。
その手の隙間から止めどなく鮮血が溢れ、マリアは思うのだ。
「ああ、我が生涯に一片の悔いなし……。ぶふはぁ!!」
時は少し遡る。
そろそろ華火が目を覚ます頃だろうと、部屋に戻ったウェインは、必死にグラグラと揺れる本能と戦っていた。
ミルク粥をウェインに食べさせてもらった華火は、ウトウトとしてしまい、そのまま寝てしまっていたのだが、その眠りはそこまで深いものではなかったのだ。
眠ってしまって、それほど経たないうちに目を覚ました華火は、ついさっきまでそこに居たはずのウェインが居なくなってしまったことで寂しさが込み上げてきていたのだ。
ウェインに会いたくて、触れて欲しくて、恋しくて、居ても立っても居られなくなってしまったのだ。
ベッドから降りた華火は、ウェインを探しに行こうと部屋の扉を開けようとした時、外側から扉が開き、会いたかった人が目の前に現れたことで、ウェインへの好きという気持ちが溢れてしまったのだ。
華火は、自分からウェインに身を寄せて抱き着いていた。
そして、言葉が通じないと知っていても溢れる言葉を止めることが出来なかった。
「うぇいんさん、好きです。ぎゅーって、して欲しくて、会いたくて、うぇいんさんのことが大好きなんです。一方的にこんな気持ち押し付けられて迷惑だって思うけど、気持ちを抑えることができそうにないので……。ごめんなさい、すき」
そう言った華火は、頼りなさそうなふにゃりとした笑みを浮かべ、ウェインを見上げたのだ。
熱に潤んだ瞳で見つめられたウェインは、一度天井を睨みつけた後に、小さく呟く。
「ウトスク! イアルテチグシアワカグハナビオネロ! アホアコノサヅンーン、アキアナヘドヌリグサギーアワク?! アア、ウトスク!」
ウェインの呟きは聞こえても、何を言っているのかは分からない華火が小さく首を傾げると、ウェインは、我慢できないとでもいうかのように、華火の細い腰をぐっと抱き寄せる。そして、可愛らしい華火の耳に唇が触れそうなくらいの近距離で甘く囁くのだ。
「アディクス。ウレチシア。ンエモグ。オメヅ、アディクス」
なんと言っているのかは分からない華火だったが、その艶っぽい声音に、胸がぎゅーっと締め付けられた。
何か、とても大切なことを告げられたような、そんな気がした華火は、両腕を伸ばしてウェインの首に抱き着き、切なそうな声で思いを口にする。
「すきぃ……。うぇいんさんが、わたしのこと、どう思っていても、わたしは貴方のことが好きです。大好きなんです。ごめんさない。でも、好きなこと、止めることなんてできないです」
気が付けば、お互いの頬をすり合わせ、鼻先をくっつけて、お互いしか見えなくなっていた二人は、キスしてしまいそうな距離で見つめ合っていたのだ。
視界いっぱいに広がる、ウェインの紫の瞳と見つめ合っていた華火は、好きという感情が止めどなく溢れて、どうしていいのか分からなかった。
そして、華火の熱っぽく潤む榛色の瞳から、視線が離せなくなっていたウェインは、腕の中の小さな存在を守りたいという思いと、自分だけのものにして、何もかもを奪ってしまいたいという相反する思いで葛藤していた。
何とか理性が勝ったウェインだったが、華火の瞼にキスをしてからその身を離していた。
熱が上がってしまったのか、体が熱い華火をベッドに寝かせるとき、甘い声が聞こえた気がしたウェインは、ハッとして華火を見つめるも、その唇は心細そうに噤まれていた。
その小さな唇に視線が吸い寄せられたウェインは、ごくりと小さく唾をのんでから、ぐっと手を握りしめる。そして、華火の頭を撫でた後に、ベッドの傍に用意した椅子に座りなおす。
華火は近距離で見つめ合った時、もしかしてキスされてしまうのではと思い、勝手に期待してしまった、自分の勘違いが恥ずかしくて仕方なかった。
だから、ウェインとの間に漂う空気が以前よりもずっと甘い物になっていたことに気が付けなかったのだ。
そして、偶然二人の甘い見つめ合いを見てしまったマリアは、華火の可愛さに鮮血を噴き出すこととなったのだった。




