第二話
その日は、とても暑い夏の日だった。
今年、高校二年生になる山田華美は、額に掻いた汗をハンカチで拭いながら玄関の扉を開けていた。
この家に引っ越してきたのは、華火が高校に入学した年だった。
母親の再婚を機にこの家に引っ越しをしたのだ。
小学生の時に父親が亡くなってから、華火と母親の関係はとても最悪なものになっていた。父親が亡くなってすぐのころは、華火も母親の機嫌を取ろうと頑張っていたのだが、母親は華火のことを気味悪がってことあるごとに「バケモノ」「あんたなんて産むんじゃなかった」と口にしていたのだ。
華火としては、そういいながらも養ってくれることに感謝をしつつも、次第に距離を空け、出来るだけ母親の視界に入らないように息を潜めて生きるようになっていった。
だから、ある日突然知らない男と同い年の少女が家族として現れても、華火は何も言うことはなかった。
しかし、華火だけが家族らか浮いた存在となってしまっていた。
華火にとっては、それでもよかったのだ。
高校生となり、自力である程度の生活費を稼げるようになった今、寝起きできる場所としての価値がそこにはあったからだ。
家族と出来るだけ顔を合わせないように、息を潜めて暮らす華火だったが、義理の妹になった恭子は何が気に入らないのか、なんやかんやと華火の生活に口を出してきた。
初めて出会った時から、なんとなく嫌われていることを肌で感じていた華火は、恭子と距離を取っていたのだが、華火に文句をつけることが生きがいとでもいう様に、恭子は家でも学校でも、華火を貶めることような言葉を吐き出していた。
周囲の人間とあまり関わりたくない華火は、そんな恭子の行動にノーリアクションを貫き通していたのだが、それが気に入らないようで、恭子の行動は日々エスカレートしていった。
家に帰った華火は、汗で張り付く制服が気持ち悪く、着替えをもってバスルームに向かっていた。
ちょうどその時だった。
「あっつー。クーラー、アイスー」
そんな言葉と共に玄関の扉が開いたのは。
ちょうど帰宅した恭子と視線があった華火は、小さな声で恭子に声をかけたのだ。
「お……かえり……」
「あっつー。なんか、虫でもいるのか、変な音がする~」
この結果は分かり切っていたことだったが、それでも華火は恭子に「おかえり」と声をかけたのだ。
幼いころに亡くなった父親から挨拶をきちんとするようにとしつけられていたからだ。
だから、息を潜めるようになった現在でも挨拶だけは必ずしていたのだ。
分かっていても無視されることは辛く、華火は下を向きながらバスルームに入っていった。
さっと全身の汗を流してからバスルームを出ると、さっきは華火を無視した恭子が猫なで声ですり寄って来て言うのだ。
「ねえ、お腹空いた。なんか作って? あー、素麺はなしで。出来れば、肉系ね。出来たら呼んで~」
そう言って、華火の返事も聞かずに自室に行ってしまう。
恭子のそういう行動に慣れていた華火は、大きなため息を吐きながら冷蔵庫の中を覗いていた。
別に言いなりになっているわけではない。
自分の分を作るついでだから。
そう自分に言い聞かせながら夕食の準備を始めていた。
ちょうど挽肉があったため、ハンバーグにすることにした華火は自分用のエプロンを―――この家で料理をするのは華火くらいだったが―――着けながら必要な食材を取り出していった。
慣れた調子でハンバーグを捏ね、味噌汁と付け合わせのポテトサラダも作っていく。もちろん、炊飯器でご飯を炊くことも忘れていなかった。
そして、温めたフライパンでハンバーグを焼こうとした時だった。
家全体が大きく揺れていた。
華火は、急いで火を消して、ダイニングテーブルの下に避難してから、両手で自身を抱きしめるようにしてその場に蹲ったのだ。
少しして、揺れが治まったと華火が思ったのと同時に、家中の電気が消えていた。
「地震の所為で停電したのかな?」
そんなことを口にして首を傾げていた華火だったが、二階から聞こえてきた恭子の叫び声に慌ててその場を駆け出していた。
しかし、恭子の部屋に着く前に、部屋から慌てた様子で飛び出した恭子とかち合う。
「どうしたの?」
華火が恭子にそう声を掛けるも、華火を無視した恭子はそのまま靴を履いて玄関から外に飛び出して行ってしまったのだ。
恭子の行動に華火は驚きつつも、サンダルをひっかけて恭子の後を追って玄関の扉を開けて驚きにその身を硬くするのだ。
「な……なにこれ?」
本来あるはずの、向かいの家はなく、いや、それどころか、外には何もなかったのだ。他の家も電柱も街灯も。本来あるはずの物が何ひとつなかったのだ。
その代わり、華火の視界に広がった光景はとてつもなく非現実的なものだった。