初恋をこじらせたやさぐれメイドは、振られたはずの騎士さまに求婚されました。気ままに浮き名を流していた遊び人な騎士さまは、思ったよりもダメンズで、うっかりほだされてしまいそうです。
*この作品のヒーローはダメンズ、ヒロインはダメンズ好きです。苦手な方はご注意ください*
騎士団寮の清潔を守る、メイドの朝は日の出前に始まる。
私はとある部屋の扉を叩き、返事を聞かないまま入室した。勢いよくカーテンを開ければ、眩しいほどの朝の光が部屋の中に満ちる。
「おはようございます。今日も1日元気に頑張りましょう」
「……ね、眠い……」
布団の中でもぞもぞと図体のでかい何かがうごめいているが、いつものことだ。私は容赦なく上掛けを剥ぎ、ついでに枕も奪い取った。不敬の極みとも言えるが、問題はない。むしろ彼の所属する部隊の部隊長さまから、朝食に間に合う時間帯に起こすように頼まれているのだ。
「食堂にお食事の用意ができております。さあ、起きてください。私はシーツを今すぐ洗濯場まで運んで、お布団を干してしまいたいのです」
「あいさつより、連絡事項が多いとかひどいんじゃないの……」
布団の中から出てきたのは、半裸の美丈夫。寝起きならではのかすれた声が色っぽくて、それがまた余計に腹立たしい。前回叱り飛ばしたことを覚えていたらしく、下穿きだけはなんとか身につけていたようだ。
「ジェラルドさま、苦情を言う元気がおありでしたら大丈夫ですね。さあ、さっさと着替えてください。私がシーツを洗い場に置いて、こちらに戻ってくるまでに着替えが済んでいなかったら、承知しませんからね」
「せっかくだし、これから一緒に惰眠をむさぼるっていうのはどう?」
うっかり手を引っ張られて、視界が反転する。やられた。裸体を見せつけるように押し倒されて、思わず頬がひきつる。
「申し訳ありませんが、私は仕事中ですので」
「俺の隣にいてくれたら、その分の時間も仕事扱いにしてくれていいから」
「結構です。あなたがそうやって誰彼構わず声をかけるから、侍女の派遣が止められて、メイドの私が侍女のお仕事までやる羽目になっているんですよ」
本来の業務以外の細々としたしち面倒くさい仕事を思い出し、私は肩をすくめてみせた。騎士団の寮であるにも関わらず、割り振られた使用人の数は驚くほど少ない。問題がありすぎて、女性の入室が制限されるようになったという噂話もうなずける。
「頼むよ、あと半刻だけ」
「無理を言わないでください」
「寝不足の騎士の睡眠時間を補おうという優しさはないの?」
「これだけおしゃべりができるなら、二度寝の可能性はありませんね。さあ、シーツを剥ぎますのでどいてください。そうそう、蚊除けのために、ゼラニウムの鉢植えをもらってきたので窓際に置いておきますね。絶対に動かさないでください。先日この部屋に来たときに、首筋を虫に刺されて大変なことになったんですよ」
「虫に刺された……」
あの日は、騎士団の外ですれ違った侍女たちのせいで、大騒ぎになったのだ。ただの虫刺されのはずが、最終的に侍女長のお耳に入り、なぜかお説教&強制行儀作法コースにされてしまった。あの地獄の訓練は、二度と経験したくない。
「じゃあ、仮眠室でなら添い寝してくれる?」
「あと10秒で手を離していただけなければ、侍女長に報告を入れます。その後すべてのメイドの派遣を停止しますので、炊事洗濯掃除はどうぞジェラルドさまが責任持ってよろしくお願いいたします。1、2、3……」
「わかった、わかったから! シーツを運ぶなら一緒に行くからちょっと待ってくれ!」
「急ぎますので、お先に失礼いたします。騎士服、着崩してはいけませんよ!」
下穿き一枚で部屋の外に出ようとしたジェラルドさまを部屋に押し戻す。慌てて着替え始めた彼を尻目に、私はシーツの山を抱えて部屋を出た。
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「おや、珍しい。今日はひとりか?」
洗い場を目指して歩いていると、後ろから呼び止められた。声をかけてきたのは、部隊長さま。ジェラルドさまを毎朝起こすように私に頼んできた張本人だ。
「ジェラルドさまでしたら、おそらく朝食を召し上がっているところかと」
「あの寝坊助を、毎朝起こしてもらって申し訳ない。我々もいつも助かっている」
「部隊長さまからは、ノックをした段階でジェラルドさまが起きていなければ、蹴り飛ばしてもいいと言われていますからね」
「蹴り飛ばして起きるなら、安いものだ。ジェラルドの手綱を握ることができるのは、あなたくらいだろう。長い付き合いだと聞いた。失礼だが、結婚式はいつ頃になるのだろうか?」
「まったく、ご冗談ばかり。ただの腐れ縁ですよ。私は、ずいぶん昔にジェラルドさまに振られておりますから」
唖然とする部隊長さまに向かってころころと笑ってみせれば、背後で何かがひっくり返るような大きな音がした。振り返ろうとしても、手元のシーツが邪魔でよく見えない。
「あら、何か落ちましたか? 壊れていないといいのですが」
「……あれはもともとどこか壊れているようなポンコツだから、気にする必要はない。気になるようなら念のため、こちらで確認しておく。ところでその荷物だが、わたしが運ぼう」
「いいえ、洗い場までもう少しですし、お構いなく。備品の状態を確認しておいていただくだけで、とても助かります。それでは失礼いたします」
一礼して、その場を離れる。
「私も大概未練がましいわね。シーツを自分で運ぶ理由を知られたら、寮内の出入りが禁止になるんじゃないかしら」
シーツの山を胸に抱えなおし、そのまま小さくため息をついた。
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5年近く前の話だ。私はジェラルドさまに告白し、見事に玉砕した。
私の住む街には、告白の日という別名を持つ夏祭りがある。本来は神に感謝と祈りを捧げる日だったはずが、大切な相手に想いを伝える日として有名になったものだ。
祭りの日にはみんなが浮き足立っていて、普段なら言えないことも口に出せる雰囲気があった。だからこそ、私もあんなことを口走ってしまったのだろう。
『どうか私を、ジェラルドさまのお嫁さんにしてください』だなんて。
今考えてみても、街を巡回する時にしか見たことのないジェラルドさまに向かって、よく言えたものだと思う。
無謀なことを言う私に、ジェラルドさまはあきれるどころかにこやかに笑っていた。今ならわかる。ジェラルドさまは、あんな告白など掃いて捨てるほど受けてきていたのだ。
『ありがとう。5年経って、それでも俺のことを好きだって言ってくれるなら、歓迎するよ。祭りの日にまた声をかけてくれ』
『わかりました。約束ですよ』
そう言って指切りをした私に、ジェラルドさまは道端の花を手折り、即席の指輪を作ってくれた。鮮やかな黄色が可愛らしい、たんぽぽの指輪だ。
明確に断られたわけではない。むしろ、それならどれだけ良かっただろう。雑草の指輪を心から喜ぶ私の姿は、笑ってしまうほど子どもだったに違いないのだ。
ジェラルドさまにとっては、諦めさせるためのその場しのぎの約束。馬鹿な私はそれを後生大事に大切にしていた。
1年目。
自分は親が誉めてくれるほど、特別可愛くも、優れているわけでもないことを知った。ジェラルドさまは、整いすぎた美貌と優れた剣技でも有名だった。
2年目。
世の中には絶対に覆ることのない身分があることを知った。ジェラルドさまは高位貴族の出身で、まさに雲の上の方だった。
3年目。
大人は自分の手に余る物事を解決するために、「時間を置く」「先延ばしにする」という手段を使うことを知った。ジェラルドさまには、いくつもの婚約話が出てはいつの間にか消えていった。
4年目。
「永遠の愛」も「真実の愛」も儚いことを知った。ジェラルドさまの血縁関係は、物語も真っ青なほどの複雑なものだった。
そして、今年が最後の5年目。約束の年だ。祭りはあと数日後に迫り、それを過ぎれば私の片思いもようやく終わらせることができる。
ジェラルドさまは、メイドとして王宮に上がった私に気がつかなかった。その上、年頃になった私に向かって甘い顔で微笑みかけてきたのだ。
あの頃の私が欲しかった、大人の女性への誘い文句。その言葉が嬉しくてとてつもなく悲しい。ジェラルドさまにからかわれるたびに、心の奥が冷えていく。
男の人は、愛がなくても女性と肌を重ねることができるらしい。ジェラルドさまの手は、今まで何人の女性を奏でてきたのか。寮内で、王宮内で、女性と戯れる姿を目にするのが辛い。
ジェラルドさまは、これからもたったひとりの女性だけを見続けることはないだろう。それなのに私ときたら、そんな彼から目が離せないのだ。
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うだうだと悩んでいても、仕事は終わらない。私は迷いを振りきるかのように洗濯に没頭する。
「はあ、疲れた」
「それなら、手伝おうか?」
「わっ、びっくりした! ジェラルドさま、こんな裏方にいきなり顔を出すのはやめてください」
いくら誰でも出入りができる場所だとはいえ、本来騎士さまが来るようなところではない。思わず指摘すれば、珍しくジェラルドさまの口元から笑みが消えていた。
「……俺のこと、そんなに嫌い?」
「何を急に?」
「それ、俺の部屋のシーツだよね?」
指差されたのは、私の足元。汚れが酷かったり、手で洗うことができないような大物を足で踏み洗いしているところだった。
「ああ、これのことですね。シーツに血がついていたので、しばらくつけ置き洗いをしていたんです。その後にこうやって足で踏みながら洗うと、綺麗になるんですよ」
「足蹴にしているわけではない?」
「何ですか、その発想」
まったく、呆れてしまう。足で洗われるのが嫌なら、備品と言えど綺麗に扱ってほしいものだ。
「嫌いだったら、そもそも布団を干したりもしませんし、シーツの交換もお部屋の掃除も最低限にしてやりますよ。仕事はできるだけ簡単にしたいですからね。と言いますか、踏みつけにされるくらい嫌われているかもしれないと思うなら、変に絡むのをやめてください」
「……そうか、うん、そうか、ありがとう」
「なにをにやにやしているんですか」
「いや、いい眺めだなあと思って」
視線の先にあるのは、洗濯のために膝までめくり上げた私の両足だ。
「変態!」
恥ずかしがるのも癪なので、徹底的に放置することに決める。このひとはこういうひとなのだ。どうせ、すぐに私のことなんて頭の中から消えてしまう。その予想通り、シーツと残りの洗濯物を洗い終わった時には、彼は木陰の下で気持ちよさそうに寝息を立てていた。鮮やかな赤毛が、ふわりと風に揺れる。
「本当に嫌なひと。眠っているときですら綺麗だなんて、一体どうなっているのかしら」
彼と夜を過ごした女性は、こんな寝顔を好きなだけ眺めることができるのだろうか。
シーツを干した場所のすぐそばでたんぽぽが咲いていた。レンガの隙間のようなところでも咲き乱れる、見た目以上にたくましい花。その花の強さが羨ましくて、そして私のことなんて忘れてしまっているジェラルドさまが少しだけ憎らしくて、眠っているジェラルドさまの周りを黄色の花で飾ってみた。そして、小さな声でささやいてみる。
「ジェラルドさま、約束の5年が経ちますよ。私、今でもやっぱりあなたのことが好きみたいです。私のこと、お嫁さんにしてくれますか?」
「もちろんだよ」
「!」
私は手首を捕まれ、またもや視界が反転した。
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「起きていたんですか!」
「今、目が覚めたところ」
「嘘ばっかり」
「本当だよ。ひとりだとうまく眠れなくてね。君のそばは心地いいから、すぐに眠たくなってしまうんだ」
ジェラルドさまの髪は夕焼け色。瞳は抜けるような青空で、こんな近くから見せつけられると頭がくらくらしてしまう。私に覆いかぶさったままで、ジェラルドさまが私の頬に手を添えた。
「今さら、何ですか」
「5年前の約束は、ちゃんと守るよ」
「結構です。あの約束を守るつもりなんて、さらさらなかったんでしょう?」
「守るつもりだったさ。どんなことがあろうとも、5年間、しっかり俺のことだけを想って待ってくれるなら。約束を守ってくれたのは君だけだった。君に会えてどれだけ嬉しかったかわかるかい」
少しだけ翳りを帯びた表情のまま、じわりと私と彼の顔が近くなる。この暑さだというのに、汗とは異なる甘い香りが揺れた。シーツに染み込んだ匂いよりも、ずっとずっと強い甘さがわたしをおかしくさせる。
「別の女性と一緒にいるところをああも頻繁に見かければ、割りきった関係を求める女性以外、ジェラルドさまから離れていくのは当たり前です」
「ただの任務、情報収集なのに?」
「そこに心があってもなくても、傷つくものは傷つくのですよ」
私だって傷ついた、とは言わずに懇切丁寧に教えてみせる。
人並外れて顔立ちが良いジェラルドさまが、女性たちから話を聞き出すのは理にかなっている。けれどそれが受け入れられるかどうかは、別の話だ。彼を恋い慕っている女性からならなおのこと。それにもかかわらず、彼は不満そうだ。
「気持ちの問題以前に、女性には適齢期というものがあります。貴族のご令嬢であれば5年も待てずに諦めるのが普通です。平民でも難しいでしょう。わかっていて、その条件を出したのではありませんか?」
ジェラルドさまの口元が歪む。まるでわがままな子どもみたいだ。
「本当に好きなら、待てるはずだ」
「ふふ、馬鹿なひと」
「君にアプローチをしても流されてばかり。約束を覚えているのは俺だけかと心配した」
「ジェラルドさまが心を痛めた以上に、たくさんの女性が涙を流したのですよ」
出口のない堂々巡り。なんて難儀なひとだろう。たくさんの女性の心を簡単に手に入れられるからこそ、このひとは寄せられた心をかけらも信用していない。そして、そんな壊れた彼を可哀想で愛おしいと思う私も、同じくらいの大馬鹿者なのだ。
「君は、俺のことが好きだろう」
「ええ、好きですよ」
「じゃあ、約束を守っても問題ないはずだ」
「いいえ、それとこれとは別の話です」
待つのは楽だ。夢見ることは、幸せだから。手の届かない宝石は、見るだけで十分楽しいのだ。予想外のものを与えられた時、怯えずに喜ぶことができる人間がどれだけいることか。それを想像できないのはきっと、与えられたものをもらい続けることになれた人間の傲慢さだ。
私が摘んだたんぽぽを、ジェラルドさまが指輪の形にする。
「俺と結婚してほしい」
「……できません」
「どうか、ひとりにしないでくれ」
「あなたはひとりではありませんよ」
「じゃあ、どうして」
私はジェラルドさまのことが好きだ。5年待てと言われて、本当に待ってしまうくらい、馬鹿みたいに好きだ。だからこそ、はい、とは答えられなかった。
きっと私は疑うだろう。ジェラルドさまが任務にあたっているときに、私はその身を心配するよりも、嫉妬にかられるだろう。自身の醜さを、私は受け入れられるだろうか。
何より、ジェラルドさまがずっと私のことを愛してくれるなんて、どうして信じることができるだろう。今は自分を拒む相手に興味を示していても、手に入ったが最後、捨て置かれたとしてもおかしくはないのだ。
「私と結婚したいと言うのなら。どうか信じさせてください。あなたが冗談や暇つぶしではなく、本気で私のことを求めているのだと私に納得させて」
「どうやって?」
「あなたの愛で」
「じゃあこれからは、全力で口説くってことでいいかな?」
ジェラルドさまの瞳の青が、一瞬深い色に変わる。
竜のひげをなで、虎の尾を踏む。それは、大きな危険を冒そうとすることのたとえ。
私は自分のやらかしを悟ったけれど、どうにもできない。それに少しだけ思うのだ。手に入らないものを渇望する苦しさを、待つしかないもどかしさを、あなただって味わってみればいいのだと。
「祭りは俺と過ごしてもらう」
ジェラルドさまが、ゆっくりと私の唇を指でなぞる。そのまま唇を重ねられそうになり、私はそれを掌でそっと押しとどめてみせた。
「ジェラルドさま、いけません」
私はあなたを遠くから見ていることしかできなかった。それなのにあなたが、体を使って私を落とすのは卑怯でしょう?
私が何を言おうとしているのか理解したのだろう。彼は私の体を起こし立ち上がらせた。そして自身はひざまずき、騎士の礼をとる。そのまま私の手に軽く触れ、たんぽぽの指輪に口づけを落とした。
自分への愛を試しすぎてすべて叩き壊してしまう美しくも愚かなあなたと、ようやっと手に入れた愛をあえて受け取らずに突き返した私。ひねくれ、ねじ曲がった私たちは、案外お似合いなのかもしれない。
汚れの落ちた真っ白なシーツは風にはためき、青空によく映えている。
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「無事に本懐を遂げられたようで何よりだ」
祭りの日。なんだかんだと言いながらふたりで出かけた私たちを祝福してくれたのは、娘さんを連れた部隊長さまだった。奥さまは、第二子を妊娠中とのことで人混みを避けて家で休んでいるらしい。
やはりできる男は、家族を大切にするのだなあと考えていたら、ジェラルドさまが部隊長に向かって頭を下げていた。
「配属変更の件、ありがとうございました」
「いや、こちらもお前に任せっきりだったのは良くなかった。いい機会だ、剣の腕を磨いて次の大会では優勝を目指してくれ」
配属変更とはなんのことか。首をひねっていると、部隊長さまに説明された。
「情報収集ではなく、より実践的な現場に出てもらう。まあ基本は、男ばかりの場所になるな。その分、怪我は増えるからどちらが楽かは言いがたいが……。このまま情報収集をしていると、ジェラルドはいつか刺されてしまうだろうしな」
妻帯者が色仕掛けをするのは確かに不味そうだ。そして、ふと気がつく。
「ジェラルドさま、最初から配属変更を願い出ていれば、あんな無茶な約束をふっかけなくても、もっと早く素敵な女性と結婚できたのではないですか?」
「俺は、あんな無茶な約束を守ってくれる君が好きだ」
「まだ結婚を承諾したつもりはありませんが」
「年内にはきめるつもりだから、覚悟しておいてくれ」
「ジェラルド、順番は間違えるなよ」
すると大人の会話に退屈していたらしい娘さんが、おしゃべりに参加してきた。
「ねえねえ、おにいさんが、おねえさんに『こくはく』したの?」
「お姉さんが、お兄さんに告白しましたよ」
「すごいね!」
「うーん、すごくはないですねえ。いつか、お父さんみたいな素敵なひとが見つかるといいですね」
「もういるよ! あのね、わたしはおおきくなったら、レイくんとけっこんするのよ」
「だ、誰だ、そいつは!」
狼狽する部隊長をよそに、娘さんは好奇心いっぱいという顔をして、私たちを見つめてきた。そして、私の指先で視線が止まる。
そこにあるのは、たんぽぽの指輪。本物の婚約指輪を贈りたいというジェラルドさまのお願いをはねのけ、道端の花で作ってもらったものだ。
ジェラルドさまは、このたんぽぽの指輪を見るたびに、胸が痛むらしい。その顔が心地よくて、あえてこの指輪をつけている私は相当に性格が悪いと思う。初恋をこじらせなければ、こんなことにはならなかったのかもしれないが。
「とっても、すてき! いいなあ」
「差し上げたいところなのですが……。これはあまり縁起のよいものではないのです。『蓼食う虫』になってしまいますよ」
「むしになっちゃうのは、イヤだなあ」
「おわびに、あちらの屋台のお菓子をお贈りしますね」
「わーい」
頭を抱える部隊長と、糖蜜菓子を笑顔で食べる少女。微笑ましくふたりを眺めていれば、ジェラルドさまが声をかけてくる。
「『蓼食う虫』か。言い得て妙だな。こんな俺を想ってくれるのは君くらいだ」
納得顔のジェラルドさまに向かって、私はそっと首を振る。
「この場合、『虫』になるのはあなたの方ですよ、ジェラルドさま」
「なに?」
「ここ、侍女長に教えていただきました。『蓼食う』どころか、本当に悪い虫ですね」
首筋――かつて赤い虫刺されがあった場所――を指差してみる。
珍しくジェラルドさまがうろたえるのを楽しみながら、私はにこやかに微笑んでみせた。