第1幕 【愛美(つぐみ)と愛美(まなみ)】 / 第8節
――昼休み。志乃咲は転校生ってこともあって、たくさんの生徒に囲まれていた。
(まぁ、全国的にお嬢様学校と名高い聖姫学院高校って言えば、誰だって興味を持つのは当たり前なんだろうけど…)
「ねぇねぇ志乃咲さん、聖姫学院ってどんなところ?」
「聖姫学院にはどんな部活があるの?」
「女子だけの高校ってどんなかんじなの?」
「「「志乃咲さん!」」」
「え、え~っとね…」
女子生徒からの怒涛の質問攻めに、志乃咲は少し困惑していた。しかし、さすがはお嬢様高校出身というだけあって、彼女は品のある魅力的な笑顔を巧みに使いながら、一つ一つの質問に対して丁寧に答えていた。
(――にしても、前の席の人だかりがひどすぎて、ゆっくり飯も食えやしない…。あ~、もう!)
俺はやむなく席を外し、昼飯の入ったコンビニの袋を片手に“お気に入りの場所”へ向かった。
昼休みの人通りの多い廊下を掻い潜り、突きあたりの階段を最上階まで駆け上がる。すると、目の前には白塗りのスライド式ドアが。そのドアの取っ手を握り、ゆっくりと横にスライドさせると、視界には青く澄み渡った空と遠方の山々、そして鮮やかな薄紅色の桜で彩られた校庭が姿を現した。
星翔高校は町内で唯一“屋上”が常時解放されており、生徒が自由に出入りできるようになっている。そのため、ここは生徒の間で「放課後の告白スポット」として密かに人気を博しており、“放課後の夕暮れ時に告白して結ばれた男女は卒業後も幸せでいられる”なんて全く根拠のない噂までも独り歩きしているほどだ。
しかし、この学校では昼休みを学食や教室で過ごす生徒が圧倒的に多く、昼休みの屋上にはほとんど人がいない。それ故、人混みの嫌いな俺にとっては、心を落ち着かせることができるオアシスのような場所なのだ。
「ふっ…、さすがここは相変わらず安定だな。まぁ、そもそも新学期早々ここに足を運ぶヤツなんて、俺みたいな変わり者くらいだろうけど」
俺は近くに備え付けられている比較的新しい木製ベンチにもたれかかり、左手にぶら下げていたコンビニの袋からおにぎりを取り出す。そして、それをゆっくりと口へ運び、ペットボトルに入ったお茶と一緒に勢いよく胃へと流し込んだ。
簡単な昼食を済ませたあと、俺はイヤホンを通じて流れる音楽に浸りながら、屋上から見える色鮮やかな景色をただぼんやりと見つめていた。
(あっ、これはさすがにヤバいかも…)
その後、心地よい春風と陽気な日差しがたびたび俺の眠気を誘い、俺は睡魔に誘われるまま静かに瞼を閉じた。
――それからしばらく時間が経過したとき、俺はトントンと後ろから軽く肩を叩かれた。
「ん?」
うたた寝をしていた俺はイヤホンを耳から外し、不思議そうに叩かれた方を振り返る。すると、なぜかそこには志乃咲が立っていた。
「――東雲君、ここにいたんだね…。どこを探し回っても全然見つからないから、見つけるのに苦労したんだよ?」
と、志乃咲はホッと安心した様子で微笑んだ。
「なんだ、誰かと思ったら志乃咲か…。さっきはクラスのヤツらに囲まれて賑やかに話してたみたいだけど、それはもういいのかよ?」
それを聞くと、志乃咲はなぜか目をそらし、
「あぁ、あれね…。実は『ちょっとお腹の調子が…』って嘘ついて、コソっと教室を抜け出してきちゃったんだ。さすがにあそこまで質問攻めされちゃうと、話し上手な私でも答えるのに疲れちゃってさ~」
と、軽く舌を出して意地悪な笑みを浮かべる。
「そっか、それは大変だったな。で、こんなところまで俺に何の用? 別に教室でも話せるのに、わざわざ教室を抜け出してこんなところまで俺を追っかけてきたってことは、俺によほど大切な用事でもあるんだろ?」
俺は見透かしたかのように、淡々と言葉を並べた。
――すると、それを聞いた志乃咲は急に表情を曇らせ、目を伏せる。それから視線を泳がせ、もじもじした様子のまま、
「え~っと、その、学級副委員長の件なんだけど、さ…。本当にごめんなさい!」
と、勢いよく頭を下げた。
「――私、転校してきたばかりでクラスの人がよくわからなくて、そしたらちょうど東雲君を見つけて、今朝に公園で話していたらなんかいい人だなって思ったから…」
彼女は頭を下げたまま、たどたどしく言葉を紡ぐ。俺を学級副委員長に指名したのは、やっぱりそういう理由だったのか。
(ってか、今朝にお前と話していたのは九割くらい大輔だったはずじゃ…)
「ふ~ん、なるほどね。まぁ、いつもなら面倒くさいことは断じてお断りだけど、よりにもよってお前から直々に指名されたんじゃあな…。転校してきたばかりでお前ひとりじゃ心許ないだろうし、仕方ないから学級副委員長としてお前をサポートしてやるよ」
――なんて口ではカッコつけて言ってはみたものの、こんなのはただの強がりに過ぎない。本当は志乃咲に言いたい文句は山ほどあるけど、それを感情的に口にしたところで、今さらどうしようもならないのは分かっているから。
俺のその言葉を聞いた瞬間、志乃咲はゆっくりと顔を上げる。さっきまで曇っていた彼女の表情は、まるで荒野に一輪の花が咲いたかのようにパッと明るさをとり戻していた。
「――…‼ ありがとう、東雲君ってとても優しいんだね。私、てっきり学級副委員長の事で機嫌を悪くして、こんな私と顔を合わせたくないから教室を出て行っちゃったんじゃないかって、ずっと心配してたんだよ?」
(あ~、いや、別に優しいとかそういうのじゃなくて、ただやるせなさで怒る気にもなれないだけなんだが…)
「ふっ、別にそんなんじゃねーって、小学生じゃあるまいし…。ってかさ、そもそも何で転校早々、学級委員長なんかに立候補したわけ? クラスで人気者になりたいとかそういう理由?」
俺は唐突に気になっていた疑問をぶつける。すると、
「えっ、え~っとね…、それは今言わなきゃ…ダメ?」
志乃咲はなぜか下唇に人差し指を当て、少し戸惑った表情を見せた。
「とりあえず、一応はな。お前のワガママにこれから付き合うわけだから、落とし前として聞いときたいっていうのはあるし。つっても、別に聞いたところで馬鹿にはしねーし、他の誰かに話すような子供じみたマネをするつもりもないからさ」
すると、彼女は腕を後ろに組み、
「う~ん…、それはまだ秘密にさせて欲しい…かな」
くるりと俺に背を向ける。そして、横顔で俺の方を静かに見つめた。
「はっ、なんだそりゃ? まぁ、言いたくないなら無理には聞かねーけど…」
彼女の表情から何らかの事情を抱えていることを察し、俺はあえて言葉をはぐらかした。
「ゴメンね…。ありがと、東雲君。今はまだ無理だけど、そのうち私の気が変わったら、そのときはちゃんと自分の口で伝えるからさ。約束する!」
そう言って、志乃咲は子供のような無邪気な笑顔を見せた。
「そのうち気が変わったらって…。あ~、はいはい。んじゃあ、その日が来るまで気長に待たせてもらうよ」
俺は心に小さなモヤモヤを抱えつつ、呆れたように小さく鼻息を漏らす。
“どうせ他人に言い出すのが恥ずかしいだけの、小学生じみたしょうもない理由なんだろうな~”と、その時の俺は志乃咲のその言葉の意味を大して気にも留めていなかった。
だけど、彼女は”その理由を言わない”んじゃなくて、”言えなかった”んだ…。
彼女の口からこの事実を告げられるのは、それから半年後のことになる――
――キーンコーンカーンコ―ン
志乃咲とそんな他愛のないやり取りをしている間に、校内に昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。
「あっ、昼休み終わっちゃったね。本当はもう少し、こうして二人きりで話していたかったんだけど、残念。それじゃ、教室に戻ろっか?」
「あぁ、そうだな…。 でも、これから俺は教室に戻る前にちょっと用事があるから、志乃咲は先に教室に戻っててくれ」
――とは言ったものの、本当はこれといった用事はない。ただ、志乃咲と二人きりで歩いている現場を大輔やクラスの男子に目撃されたら、後で何を言われるか分からないからな…。これ以上、コイツのせいでさらに面倒事に巻き込まれるのはゴメンだし。
「は~い。それじゃあ、私は先に教室に戻ってるね?」
そう言って、志乃咲は疑いもなく後ろに手を組みながら、ゆっくりとドアの方へ歩いていく。
しかし突然、何かを思い出したようにピタリと足を止め、俺の方を振り返った。
「あっ、それと、これから私を呼ぶときは“志乃咲”じゃなくて“愛美”ね? 私たちはもう友達なんだから、これからはお互いにフラットな感じで接したくて。歩夢君はそういうの、嫌…かな?」
(おいおい、昼休みに少し話しただけでもう友達気取りかよ? やけに慣れ慣れしいやつだな…)
「あっそ。はいはい、分かりましたよ、しの――…。愛美サン」
俺は心の内から湧き上がる負の感情を表情に出さないようにこらえつつ、代わりに皮肉を込めて半ばあきれたように言い放った。
――が、志乃咲はそれを聞くと嫌な顔一つせず、むしろキラキラと眩しい笑顔を見せる。そして、
「~~♪」
鼻歌を歌いながら上機嫌に立ち去っていった。