第1幕 【愛美(つぐみ)と愛美(まなみ)】 / 第6節
「いや~、あの娘スゲー可愛かったな! おまけにとても性格が良さそうだったし、声をかけておいて正解だったぜ~」
――少女の姿が見えなくなった後、大輔はニコニコしながら満足げに話しかけてきた。
「ホント、お前の行動力には目を見張るものがあるよ。まぁ、いろいろとツッコみたくなる場面は多かったけどな…」
そう言って、今度は俺が少しあきれ顔になりながら額に手を当てた。しかし、大輔はそんな俺のことを気にも留めず、
「まぁまぁ、細かいことは気にするなって。ただ、最後にあの娘の名前を聞けなかったのが唯一の心残り、か…」
大輔は少女が立ち去っていった方角を見つめ、少し名残惜しそうな表情を浮かべた。
「ドンマイ。でも、あの娘は俺らと同じ二年生だって言ってたから、校内でそのうち会えるんじゃないか?」
「う~ん、まぁ、それもそうだな。ってか、俺らも急がないとヤバくね? そういえば、昼飯もまだ買ってねーし…」
「だよ、な…。しょうがない、学校まで走るぞ!」
――近くのコンビニへ駆け込んで昼飯を買い、俺らが学校に駆け込んだ時には規定の登校時間ギリギリ。朝に掲示板前にあった人だかりは嘘のように消え失せ、異様な静けさだけが残っていた。
「こらっ、お前たち遅いぞ! もうそろそろホームルームが始まるから、早く教室に行きなさい!」
校門前に立っていた強面のスーツ姿の中年男性教師に注意され、俺らは苦笑いで軽く頭を下げる。
それから急いで掲示板の名簿に目を通し、自分のクラスを確認すると、お互いに自分のクラスへ散って行った…。
「んじゃ、歩夢。また放課後!」
「おう」
――俺が教室に入ると、さすが文系クラスというだけあって、女子の比率が前のクラスに比べて圧倒的に高かった。ざっと見た感じだと、男女比はだいたい三対七くらいだろうか。
(うっ…。薄々分かってはいたけど、まさかこれほどとは。まぁ、大輔だったらクラスに入ったとたん、きっとガッツポーズをキメこんで大喜びしていたんだろうな)
俺はぼんやりとそんなことを思いながら、黒板に貼られてあるA4用紙くらいのサイズの座席表に目を通す。そして、自分の座席の位置を確認し、さっさと指定の席に座った。
教室内は仲の良い女子生徒同士の会話ですごく賑わっていていたが、俺にはその声があまりにも耳障りで仕方がなかった。
(にしても、うるせーな~。朝だってのにワイワイキャーキャーと、ここは動物園かっつーの…)
とりあえず、俺は早々にイヤホンで不快な周りの騒音をシャットアウトし、机の上に組んだ腕の中へ顔を埋めた。
――高校一年の冬、進路調査で俺は文系クラス、大輔は理系クラスの専攻を希望していたため、今年も大輔とクラスが同じにならないことは事前に分かっていた。
だが、俺は小・中学校のみならず、高校生活でも他人との関わりを極力避けていたため、校内で本当に仲がいいと呼べる友人は幼馴染の大輔くらいしかいない。だから、大輔と一緒にいるとき以外、基本的に単独行動が当たり前で、クラスの人間とは最低限の日常会話のみ。
去年の俺を傍から見れば、きっとクラスでひときわ浮いている孤独な男子生徒にしか見えなかったのだろう。
でも、俺は今年もそのスタイルを変える気はない。
(誰かと無理に気を使って一緒にいてもただ疲れるだけ…。それだったら他人に必要以上に干渉せず、一人でひっそりといた方が何倍も気楽でいい)
不意に腕に埋めていた顔を上げ、前の席に目を向ける。すると、登校時間を過ぎているにも関わらず、なぜか目の前の席だけが綺麗なままだった。
(あらら、お気の毒に…。この時間にまだ来てないってことは、新学期早々、風邪でもこじらせたのか? まぁ、俺には関係のないことなんだけど――)
――キーンコーンカーンコーン
ショートホームルームのチャイムが鳴ったと同時に、勢いよく教室の前方の扉が開く。そして、担任の先生と思われる二十代後半くらい(?)の、ダークスーツを身に纏った女性教師が教室に入ってきた。
その教師はしなやかな細身の身体つきをしており、黒髪のロングヘアーを後ろ側に束ねている。加えて、光沢の帯びた黒縁の眼鏡をかけていて、まるで絵に描いたベテラン教師のようなオーラを醸し出していた。
その女性教師が入ってきた瞬間、さっきまでワイワイと騒めいていたクラスが不気味なくらい一瞬で静まり返る。
女性教師は教壇に立つと、コホンと軽く咳払い。そして、
「みなさん、おはようございます。今日からこのクラスを一年間担当させていただきます、黒崎真由美と申します。この学校に赴任してから今年で三年目となり、三年間ずっと二学年を担当していました。担当科目は英語です。本日から一年間よろしくお願いします。」
と、透き通った声でハキハキと一言。
身だしなみに気を使っていて、すごくしっかりしてそうな先生だな~、なんて俺はぼんやりと頬肘をつきながら、関心の眼差しを向けていると―――。
黒崎はなぜか急にかけていた眼鏡を外し始めた。そして、髪を束ねていたヘアゴムも外し、束ねていた後ろ髪をするりとおろした。それから、再び咳払いを入れ、
「――と、まぁ堅苦しい挨拶はこれくらいにして。きっと今の自己紹介じゃ全然物足りなかったと思うので、みんなの要望に応えて、お待ちかねの自己紹介を始めていきたいと思いま~す! はいっ、みなさん拍手~!」
それはまるで一人漫才でも始めるかのごとく、彼女はひとりでにパチパチと手を叩き始めた。
その瞬間、黒崎の第一印象と性格のギャップに、クラスの全員が唖然としていた。もちろん、俺自身も例外ではないのだけど。
「はぁ…。まぁ、クラスも担任も心機一転して、雰囲気にまだ慣れていないから仕方ないのかもしれないけど、それにしたって緊張しすぎですよ~。ほらみんな、リラックスリラックス!」
黒崎は愛嬌のある笑顔を作り、唖然としている生徒一人ひとりを見渡した。
(――緊張しすぎって…、そもそもこんな空気になったのはいったい誰のせいだと思ってんだよ!)
――と、生徒全員の表情が満場一致で俺と同じ心境を物語っていたが、誰一人としてツッコミを入れる生徒はいなかった。
「コホン…。それでは、ここでネタばらしを一つ。実は私、新学期初日ってことで皆さんに舐められないように、サプライズも兼ねてこのような恰好をしてきたんですよね~。
でも、今朝から職員室のみんなからはなぜか心配そうな目で見られるわ熱を測らされるわで、そもそも私の性格的にこういう堅苦しいスタイルは似合わないな~って、自分で改めて思ってみたりして…。
あっ、ちなみにこの眼鏡、実は伊達メガネだから! 私、視力はズバ抜けて良いので勘違いしないでね!」
そう言って、黒崎は机の上に置いていた黒縁の眼鏡を持ち上げ、伊達メガネであることをみんなにアピール。
それから、黒崎の少し長い(?)自己紹介タイムが始まった。自分の趣味や高校時代の思い出から、恋愛話、最近起きた面白いエピソードまで、ノンストップで主軸ブレブレ、脱線しっぱなしの自己紹介…。
だけど、そんなゆるい自己紹介のおかげで笑いが絶えず、生徒一人一人の氷が徐々に解け始めたことで、黒崎が自己紹介を終えるころには、クラスの雰囲気は温かくなっていた。
「――あ~っ、しまった! そういえば自分の話に夢中で言い忘れていましたが、実はこのクラスに転校生が来ます! 今呼んでくるので、ちょ~っと待っていてくださいね?」
黒崎は何かを思い出したように突然そう言い残し、足早に教室を出て行った。
(へぇ~、大輔が朝に言ってたことは本当だったんだ。とはいっても、クラスにたかが一人二人増えたくらいじゃ、別に何も変わりゃしないしな…)
俺はつまらなそうに再び机の上に腕を組み、かけていた眼鏡を外して静かに顔を埋めた。