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また、もう一度だけ、この場所で…  作者: 雲乃宇宙
chapter 4 ~a Autumn Story~
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終幕 【遠き日の願い、そして…】 /第終節

「――それから、今年の3月に愛美はここに戻ってきたんだよ。

 アヌビスさんがこっちでいろいろと根回しをしてくれてたみたいで、衣食住はこの黒色のカードのおかげで困らなかったし、用意してくれた転校届ですんなりお兄ちゃんと同じ学校に入学することができたんだ。

 ほんと、アヌビスさんには感謝しかないよ」


 そう言って、愛美は遠くを見据えながら嬉しそうに呟いた。


「そっか…。でも、その話が本当なのだとしたら、あまりにも代償が大きすぎるんじゃないか?

 自分の存在を覚えている人がこの世で誰一人いなくなったら、お前がこれまで生きてきた意味は――」


 すると、愛美は首を横に振り、


「ううん、そんなことない。アヌビスさんのおかげで愛美はもう一度、こうしてお兄ちゃんやみんなと会うことができた。この世でちゃんと自分の願いを叶えることができた。

 もしもあの時、アヌビスさんの言葉を素直に受け入れて冥界へ帰っていたのなら、今もまだ私の心は計り知れないほどの罪悪感に蝕まれ続けていたと思う。

 だから、愛美はあの時の選択を後悔してないんだ」


 言葉の一つ一つを噛み締めながら、力強く言い放つ。彼女の言動、そして表情がそのことを紛れもなく証明していた。


「ただ、この半年間はすごく辛かった。志乃(しの)(さき)(まな)()として自分を偽って、お兄ちゃんたちと接しなきゃいけなかったこと。私の自分勝手な願いのために、大切なお兄ちゃんを利用してしまっていたこと。

 前に学級副委員長にお兄ちゃんを指名したのも、こうしてお兄ちゃんの恋人を演じていたのも、全ては東雲家復興のためだと無理矢理自分に言い聞かせて…」


 愛美は苦悶の表情を浮かべ、手のひらでスカートの裾をグッと強く握りしめる。しばしの沈黙の中、近くの鉄道橋を通過する電車の走行音が、やけに大きく響いて聞こえた。


「本当はね…、“お兄ちゃん”って隣で声を大にして呼びたかった。

 愛美が初めてお兄ちゃんと一緒に家へ行ったあの時、お父さんやお母さんともう一度、あの頃みたいにテーブルを囲んでワイワイ楽しく話したかった。

 でも、今の私にそんなことは許されなくて、結局は自分のエゴのために誰かを騙して、利用して、傷つけて…。

 愛美、本当にダメな妹だよね…」


 愛美は申し訳なさそうに目を伏せた。彼女の言葉は目の前の俺や家族だけじゃなく、大輔や工藤、そしてこれまでに関わりを持ってきた全ての人たちへ向けた謝罪の言葉だった。


「愛美…」


「――とりあえず、この話はここでおしまい。愛美、そろそろ行かなくちゃ。

 お兄ちゃん、短い間だったけど今まで楽しかったよ、ありがとう」


 そう言って、愛美はゆっくり立ち上がり、スカートの後ろ側をポンポンと軽く払った。


「えっ? 行かなくちゃって、いったいどこに…。はっ――」


 俺がとっさに夕日の方へ目を移すと、夕日はもうすぐ地平線へ差しかかろうとしている。


 愛美が言っていた、“身内の誰かに自分の素性が明らかとなった、その日の日没まで”という言葉。


 もしその言葉が本当なのだとしたら、愛美といられるタイムリミットが目前まで迫ってきていたのだ。



 ――もう、この世から愛美のことを覚えている人はいなくなってしまう。あんなに仲の良かった大輔も望海も。そして、一番近い存在である父さん、そして母さんでさえも…。


 もしかしたら、俺自身も本当に愛美のことを忘れてしまうのかもしれない。


 愛美が全てを捧げてまで実現させてくれた願い。愛美のおかげで、後ろばかりを見続けていた俺を含めた家族みんなが、再び前へ歩き出すことができた。


 でも、その一方で俺は愛美に何も返せてない。


 本当にそれでいいのか? このまま何もできないまま、愛美とサヨナラをしてしまっていいのか?


 まだ時間はある、考えろ、考えるんだっ!


 途端に焦りを感じ、俺が胸の内でひどく葛藤していると、


「あっ、そうだ。お兄ちゃん、最後に一つ、愛美のお願いごとを聞いてもらってもいい?」


 思い出したように、愛美はふと口にした。


 俺はそんな願ってもない愛美からの言葉に、


「えっ…、あ、あぁ、もちろん! 今の俺にできることなら何でも言ってくれ!

 それで、お前の言うそのお願い事ってのは?」


 動揺してワンテンポ遅れながらも言葉を返す。


「うん。お兄ちゃんはあの日の約束、覚えてる?

 ほらっ、最後に家族みんなでご飯を食べに行った日にした…」


「あの日の、約束…?」


 俺の困った反応に、愛美は驚いたように一瞬目を大きく見開き、


「――その様子だと覚えてないみたいだね。まぁ、ずいぶん昔のことだし無理もないっか…」


 どこか寂しそうに再び苦笑いを浮かべた。


「あっ、いや、ちょっと待ってくれ。忘れたわけじゃないんだ。

 ずいぶんと前の事だから、急に言われてもすぐに出てこないだけで…」


 俺は愛美から目線を反らし、少しの間、握り拳を口元にあてて考え込む。そして、


「もしかして、約束ってあれのことか? 次の徒競走では俺に勝つっていう――」


 すると、愛美は待ってましたと言わんばかりに嬉しそうに笑みを浮かべ、


「うん、せーかい。さすがお兄ちゃん!

 実は私が高校で陸上部を選んだのも全てはそのためだったし、お兄ちゃんに追いつくこと、そして追い越すことが私にとって一番の目標だったから…」


 茜色の空を仰ぎながら、ぽつりとつぶやいた。それから小さく一呼吸を置いた後、


「だからね、最後にもう一度したいんだ…。お兄ちゃんと徒競走を――」


 曇りのない瞳で、俺を真っ直ぐに見つめた。


「ふっ、俺は全然かまわないけど、現役の陸上部と万年帰宅部じゃ、勝敗なんて目に見えてるだろ。

 俺がここ数年で唯一まともに走ったのなんて、体育の授業くらいだぞ?」


 すると、愛美は後ろで腕を組んだまま俺にくるりと背を向け、


「もちろん知ってるよ。でもお兄ちゃん、その体育の時ですらいつも手を抜いて走ってるでしょ?

 恥ずかしがり屋なお兄ちゃんの事だから、どうせ周りから一目置かれるのが嫌だからなんだと思うけどさ~」


 見透かしたような口ぶりで、それからつまらなそうに口を尖らせた。


「――…。お前、よくそんなとこまで見てるよな~。

 確かに、お前の言う通りだよ。変に目立って運動部なんかに目をつけられちゃ、たまったもんじゃねーからな」


 なんて柄にもなく強がってはみたものの、正直な話をすれば全くと言っていいほど自信が無い。


 確かに俺はここ数年、一度も全力で走ったことはなく、それでもそこそこの高タイムを出しているのは事実だが、それにしたってたかが知れている。


「えへん、お兄ちゃんの妹だからね。そんなことはまるっとお見通しだよ。

 それじゃ、改めてあの日の再戦を申込みさせていただきます! いいよね?」


 俺は言葉を真に受けている愛美に対し、半ば呆れたように肩をすくめて鼻息を漏らす。そして、無言のままゆっくり頷いた。


「ありがと。それじゃ、ここから向こうの電信柱まで。

 スタートの合図はお兄ちゃんお願い。ちなみに手加減は無しだからね?」


 そう言って、愛美は再び嬉しそうに笑顔を浮かべた。


 ここから電信柱まではおよそ五十メートル。そして電信柱まで続く一本道には、夕方にも関わらず誰かが来る様子もない。

 まさに競争をするには申し分ない環境だった。


「あぁ…、分かってる。お前の、最後のお願いだもんな。絶対に手を抜いたりしない、それは約束するよ」


 俺は両足にグッと力をこめ、ゆっくりと立ち上がった。




「よ~い、スタート!」


 あの日と同じく俺の掛け声とともに、二人で勢いよく風を切る。しかし、やはり俺の予想通り、俺と愛美の差は一目瞭然だった。


 スタートはほぼ同タイミングだったものの、愛美との距離はどんどん離されていく。


(う、嘘、だろ…?)


 短距離走に関しては本気を出せば、自分では並みの陸上部に引けを取らないくらいの自信はあった。

 なのに、日々の部活動で鍛えた愛美の走りは俺の予想をはるかに上回っていた。


 あれだけ離れていたはずの電柱が目前に迫り、気がつけば愛美はゴールまで残り十メートル。


 俺がもうダメかと諦めかけたとき、アクシデントは起きた…。



 ――愛美はゴールを目前にして一気に減速し、愛美がガクリと膝から崩れ落ちたのだ。


「お、おいっ、愛美⁉ 大丈夫か?」


 俺は脇目もふらず、一目散に愛美の元へ駆け寄った。


 愛美は両足を外側に折り曲げ、ぺたりと地面に力なく座っている。


「あはは、おかしいな~。急に膝に力が入らなくなっちゃった…。

 この身体が限界に近づいている証拠なのかもね」


 その言葉通り、愛美の膝がガクガクと小刻みに震え、立ち上がることもままならないようだ。


「あ~ぁ、あともうちょっとだったのに、やっぱりお兄ちゃんには勝てなかったか…

 ざ~んねん、今回こそは勝ちたかったんだけどな~」


 しかしそんな悔しそうな言葉とは裏腹に、愛美の顔はやり切ったように晴れやかな表情を浮かべていた。


「ありがとう、お兄ちゃん。最後まで愛美のワガママに付き合ってくれて」


「俺の、方こそ、ゴメンな。こんなこと、くらいしか、付き合って、あげられなくて…。

 お前からは、本当に、本当にたくさんをものを、もらったのに、そんなお前に、結局俺は何一つも…」


 俺は息を切らしながらも、悔しさのあまり、自分の拳を強く握りしめる。


 すると、愛美はそんな俺の拳を両手でそっと拾い上げ、


「そんなことないよ、愛美もお兄ちゃんからたくさんのものをもらった。

 ううん、お兄ちゃんだけじゃない。お父さんからもお母さんからも、大輔君からも、望海ちゃんからも…。

 だから、愛美は大丈夫!」


 いつものようにニッコリと優しく微笑んだ。


 そんな愛美の姿が、途端に俺の中で幼い日の愛美の面影と重なり、俺は目頭が熱くなった。


「愛美がいなくなれば、もうこの世界から私の思い出は全て消えていく。アヌビスさんの言う通り、愛美のことを覚えている人は誰一人としていなくなるかもしれない…。

 だけど、愛美はみんなと過ごした時間は絶対に忘れないし、この先もずっとみんなのことを覚えているから」


 愛美は沈みゆく夕日を見つめながら、一人懐かしむように呟いた。


「もしもだよ…。もしも、奇跡が起きてまた、もう一度だけ、この場所でみんなと会えたなら、今度はちゃんと東雲愛美として、お兄ちゃんの妹としてみんなと一緒にいたいな。

 あっ、そのときは四人でまた海に行こうね? あの時にできなかった花火、今度はやりたいな~」


「あ、あぁ…。また、みんなで、行こうな。四人で一緒に…。だからっ―――」


 どこにも行かないでくれ。そのたった一言だけが喉の奥に詰まる。


 愛美と過ごした日々が、走馬灯のように頭を駆け巡り、必死に堪えていた涙が瞳から頬を伝って流れ落ちた。


 どうして、運命はこうも残酷なんだ…。長い年月をかけて、ようやく妹との再開を果たせたってのに、気がついたときには、いつだって、もう――。



「――お兄ちゃん、サヨナラする前に一つ、約束させてもらっても、いい…?」


 そう言って、愛美は恥ずかしそうに自分の右手の小指を差し出した。


 俺はそんな愛美を前に、無言のまま自分の手のひらを見つめ、


(この小指を差し出したら、今度こそ本当に愛美がいなくなってしまう…。こんな形でサヨナラなんて、俺はそんなの嫌だ。俺は、まだ愛美と――)


 俺は目を伏せて歯を食いしばり、一度手のひらを閉じて抵抗しようと試みた。しかし、


「ほ~ら、お兄ちゃんも小指!」


 結局は愛美に促されるまま、力なく右手の小指を差し出す。


 愛美は自分の小指を小刻みに震える俺の小指にそっと優しく絡め、


「それじゃ、愛美との約束。いつまでも愛美の大好きなお兄ちゃんでいてください。

 これからもお兄ちゃんはたくさんの人と出会って、好きな人ができて、結婚して、家族を持って…。たぶん苦労することが多くなると思います。

 でも、自分のためだけじゃなくて、他の誰かのためにひた向きに頑張っている、愛美はそんなお兄ちゃんの姿が何よりも素敵でカッコいいんです」


 心の底から嬉しそうに話していた。


 そんな愛美の一言一言が俺の心に深く刺さり、胸が締め付けられるように苦しくなる。


(頼む。頼むから、もうそれ以上は言わないでくれ…)


 しかし、嗚咽で再び喉元に言葉が詰まり、俺は心の叫びを愛美に伝えることができなかった。


 それから、愛美はゆっくり一呼吸を置き、


「だからね…。何年後も、何十年後も…、そんな人をお兄ちゃんって呼べる愛美が誇らしくなるような、そんな人で居続けて下さい。

 姿は見えなくなっても、愛美はず~っとお兄ちゃんのことを応援してます!」


 絡めていた小指にグッと力を込めた。そして、


「せ~の、指きりげんまん、嘘ついたら針千本飲~ます! 指き・っ・た!」




 ――次の瞬間、愛美は俺の目の前から消え、繋いでいたはずの小指から生温かい感触がなくなった。


「つ、愛美!」


 その場から涙を拭って勢いよく立ち上がり、懸命に辺りを見渡して姿を探す。


 気がつけば夕日は完全に沈み、周囲は星が目視できるくらいの薄暗い空。そして、地平線をなぞるように横一線に伸びる紅蓮の織りなす、色鮮やかな景色が広がっていた。


 何かの間違えであってくれ。俺はそう願わずにはいられなかった。


「――ははっ、何かの悪い冗談…、だよな? 愛美、どこにいるんだ? 頼む、いたら返事をしてくれよ!」


 土手を颯爽(さっそう)と駆け降り、唯一姿を隠せそうな近くの鉄道橋の柱へ走り寄る。そして、柱の陰を何度も隈なく探した。


 しかし、彼女の姿はもうどこにもなく、


(本当に、いなくなってしまったんだ…)


 その現実を受け入れた瞬間、言葉では表しきれない喪失感が俺を襲った。


「うわあああぁぁぁぁぁぁ…っ‼」


 俺は雄叫びと共に力なくその場にへたり込み、地面に手をつく。それから、指先で地面をえぐりとり、手のひらに納まった土を目一杯強く握りしめた。


「俺は、絶対に、忘れ、ない…。お前が、俺の、自慢の、妹だったってことを…。

 例え、周りの人間が、世界が、お前のことを、忘れても…、俺はっ――」



 ――しかし、


「俺は…、ここでいったい何を…?」


 突然記憶のページが綺麗に切り取られたように、頭の中が真っ白になった。


 さっきまで確かに誰かと話していたはずなのに、誰と話していたのか、顔も名前も思い出せない。


「なんで…、なんで俺は泣いているんだ?」




 ――瞳から絶え間なくこぼれ落ち、頬を濡らし続けた涙。その雫に込められた意味を、その時の俺はもう覚えてはいない…。


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