終幕 【遠き日の願い、そして…】 / 第3節
「あのさ、ちょっとお前に聞きたいことがあったんだけど」
――白鳥町でのデートからしばらく経ったある日の昼休み。俺はあの医師の言葉の真意を確かめるため、愛美を屋上へ呼び出した。
「昼休みに急に二人きりで話したいなんて、珍しいね? 何かあったの?」
愛美は頭にクエスチョンマークを浮かべ、不思議そうに俺の顔を覗き込んだ。
「まぁ、少し気がかりなことがあってな。ただ、それはお前のプライベートに直接関わることだから、俺が勝手に土足で踏み込むのもどうなのかなって思って――」
すると、愛美は俺の言葉を遮り、
「いいよ、何でも聞いて。前にも言ったけど私たち、恋人同士じゃない? 彼氏の歩夢君の頼みなら喜んで!」
優しい眼差しを俺に向けながら微笑んだ。
俺はそんな愛美を前に決意を固め、息を大きく吸い込む。そして、
「――この前のデートの時、公園でお前が急に倒れて、病院に搬送されたのを覚えてるだろ? その時にお前を担当した医師から不自然な話を聞かされたんだ。
“お前の親戚と連絡がつかない”、“もしかしたらお前の親戚の連絡先が偽装なんじゃないか?”ってな」
「あ、あれっ、おかしいな~、そんなはずないと思うんだけど…。あっ、もしかしたら叔父さんたち、知らないうちに電話番号を替えちゃったのかな?」
愛美は下顎に人差し指をそっと押し当て、首をかしげた。
「いや、替えるも何も、その電話番号は元々存在するはずのない番号らしいんだ。お前、俺に何か大事なことを隠してないか?」
すると、なぜか愛美の瞳の奥が大きく揺らいだ。そして、
「――あ~っ、思い出した! そう言えば私、先生に頼まれ事があって昼休みにやらなきゃいけないことがあるんだった。
ゴメン、歩夢君、この話はまた後でね?」
わざとらしく大声でそう言い残し、愛美は小走りでそそくさと立ち去っていった。
「なんだよ、あいつ…。まぁ、別に急ぎの用って訳でもないし、また今度聞けばいいか」
――しかし、その日の昼休みを境に、愛美がその件について明らかにすることはなかった。何度聞いても核心には至らず、いつも話をはぐらかしてばかり。
そんな彼女に対して日に日に不信感を抱いた俺は意地でも真相を突き止めるべく、彼女に悟られないように内緒で行動を起こすことを決意したのだった。
「――えっ、志乃咲さんの親御さんについて聞きたい?」
唐突な俺の質問に、黒崎は驚いたように目を丸くする。
――とある日の昼休み。俺は志乃咲の親戚についての情報を入手するため、密かに職員室で黒崎と面会していた。
「はい。そういった生徒の内部事情は、担任の黒崎先生が一番よくご存じだと思ったので。先生は愛美の保護者の方とお会いしたことはありますよね? どんな方でしたか?」
「まぁ、志乃咲さん本人に支障をきたさない程度の情報であれば、私の口からお伝えすることはできるけど…。いえ、私はまだお会いしたことはありませんよ」
黒崎は平然とした顔で答えた。
「えっ…。まだ、会ったことがない? 確か、七月の中旬に三者面談があったはずじゃ…」
すると俺の言葉に、黒崎は途端に表情を曇らせ、
「そのこと、なんだけどね…。志乃咲さんから直接お願いされたのよ、『今回の三者面談は保護者抜きで実施してもらえないか?』ってね。
なんでも、そのときは保護者の方がお仕事の都合で、両方ともちょうど白鳥町を離れていたらしくて、三者面談の日程には間に合いそうにないとかなんとか…」
おもむろに首を傾げた。
「あっ、そうだったんですか。ちなみに先生は今後、愛美の保護者の方と面会する予定はあるんですか?」
「う~ん、実はそれがさっぱりなのよね。面会の都合を尋ねたくて何度か連絡を試みてはいるんだけど、いつも“この番号は現在使われておりません”の一点張りで…。
志乃咲さんに理由を聞いても“分からない”ってはぐらかされるし、上からはその件で催促されるし、ホントどうしたらいいものかしら。とほほ…」
黒崎は深く困惑した様子で頬に手を当て、深く溜息をついた。
(――やっぱり、あの医師が言っていたことは本当だったんだ…。)
「あの、愛美の実家の住所って教えていただくことはできませんか? 実際に愛美の保護者の方と会って、どうしてもこの目で確かめなければいけないことがあるんです。
先生、お願いします!」
そう言って、俺は深々と頭を下げる。そんな俺の懸命な姿勢に、黒崎は思わず目を丸くしていた。
それから、黒崎は腕を組んで少し考え込んだ後、
「――ごめんなさいね、残念ながら教師の立場としてそれはできないわ。
いくら私の生徒であるとはいえ、むやみな個人情報の漏えいは、私の教師としての沽券に関わってくるので。それを理解できないあなたではないでしょう?」
言葉と同時に放たれる黒崎の鋭い眼光に、俺は思わず小さく肩をすぼめる。目の奥に、彼女の教師としての揺るぎない信念がひしひしと伝わってきた。
「そう、ですよね…。無理を言ってすみませんでした。分かりました、ありがとうございます」
“これ以上の説得は無意味だろう”と悟った俺は、黒崎に軽く頭を下げ、職員室を出ようと背を向けた。そのとき、
「東雲君、もしかして志乃咲さんと何かあったの? そのことを聞くために志乃咲さん本人じゃなく、わざわざ私のところに赴くだなんて…」
黒崎の不意打ちに、俺はぎくりと身体をこわばらせる。それから、
「い、いえ、別に何も…。失礼しました!」
誤魔化すように颯爽と職員室を後にした。
「――はぁ…。やっぱりあの人の立場上、そう易々と他人の個人情報なんて教えてくれるわけねーよな」
屋上で一人、俺はいつものベンチに腰をかけてガックリと肩を落とす。
(愛美は相変わらず口を割ろうとしないし、唯一の頼みの綱だった黒崎からも十分な収穫が得られなかったし――)
「あ~、もう! こうなったら“最終手段”を使うしかねーか。まぁ、本当はあまり気が進まないんだけど、一度決めた以上、今さら後には引き下がれないよな…」
そう呟いて、俺は渋々ポケットからスマホと一切れのメモを取り出す。そして、メモに書かれてある十ケタの数字をスマホに打ち込み、発信ボタンを押した。
――プルルル…、プルルル…。
『――はい、こちら聖姫学院高校、事務の佐原がお引き受けいたします。
お手数ですが、お電話口の方のお名前をお聞かせ願いますか?』
電話の向こうから、穏やかで品のある声が聞こえてきた。その声に俺は思わず背筋をピンと伸ばし、姿勢を正したまま、
「と、突然のお電話で、申し訳ありません。わ、私、せ、星翔高校の東雲歩夢と申します。
貴校のとある生徒に関して少々お伺いしたいことがございまして…、きゅ、急遽ご連絡させていただきました!」
緊張した面持ちでぎこちなさげに言葉を紡ぐ。加えて普段は使わない言葉を多用したためか、声の抑揚が明らかに不自然だった。
『ふふっ、そうでしたか。お互いに初対面とはいえ、そんなに緊張なさらなくてもよろしいのですよ? それで、東雲様のご用件と申しますのは?』
まるで今の自分の様子が見透かされているかのようで、不意に恥ずかしさが込み上げてきた。
「あっ、はい…。昨年までそちらに“志乃咲愛美”という生徒が在籍していたと思うのですが、彼女の担任だった教師の方と少々お話をさせていただけないでしょうか?」
『え~っと、“シノサキ マナミ様”ですね。承知いたしました。ただいま確認をお取りいたしますので、今しばらくそのままでお待ちくださいませ』
その後すぐさま、どこかで耳にしたことのあるオルゴールの保留メロディーに切り替わった。
――それから何分が経ったのだろうか。電話口から何度も際限なく流れる保留メロディーに、俺はそろそろ痺れを切らしていた。
もしかして忘れられたのではなかろうか。これ以上無駄な時間を費やすくらいなら、いっそこのまま電話を切ってしまおうか。
そんなことが不意に頭をよぎり始めた時だった。
『――東雲様、大変長らくお待たせして誠に申し訳ございません。再度ご確認させていただきたいのですが、貴殿がお伺いしたい生徒さんのお名前は、本当に“シノサキ マナミ様”でよろしいのでしょうか?』
佐原と名乗っていた女性がようやく電話に出たかと思うと、なぜか慌てた様子で尋ねてきた。
「そうですが、それが何か?」
『いえ…。先ほど昨年に一学年を担当していらした在籍している教師全員に確認をとらせていただいたのですが、どの教師の方も口を揃えて“そのような生徒さんは存じ上げない”と…」
「えっ、まさかそんなはずは…。確かに彼女は今年、貴校から転校してきたって本人が――」
『そう申されましてもですね…。第一、その方の在学履歴が存在しませんので、私どもにはどうすることも…』
彼女は考えあぐねた様子で、たどたどしく言葉を紡ぐ。
「愛美の在学履歴が…、存在しない? そ、それは一体どういうことですか⁉」
俺は彼女のその言葉の意味が受け入れられず、困惑と焦りで無意識のうちに声を荒げていた。
『はい。先ほど私は、“どの教師の方もその生徒さんを存じ上げない”とおっしゃいましたよね?
ですので、今年離任した教師の中の誰かがその生徒さんを担当していたのではないか、という可能性を考慮し、恐縮ながらその方の在学履歴を調べさせていただきました。
しかし、どんなに調べても出てこないんですよ、“シノサキ マナミ”という名前に該当する人物が…』
それから、彼女は小さく一呼吸を置き、
『――そういったわけですので、申し訳ございませんが今回は東雲様のご要望にお応えすることは叶いません。どうかお引き取りくださいませ』
――ブツッ…。
思いもよらない驚愕の事実に、俺はしばらくスマホを耳から外すことができなかった。
(じゃあ…、あいつは一体何者なんだ?)
電話越しに聞こえるツーツーという寂しげな音が、俺の耳元に虚しく響き渡っていた。
「一体、どういう事なんだ⁉ 今日こそはちゃんと説明してもらうぞ!」
――その日の放課後。ぼんやりと黒みがかった群青色の空の下、屋上全体に俺の叫びが響き渡る。
俺はフェンスに寄りかかる愛美に詰め寄り、彼女の頭上の金網を右手の握り拳で勢い良く叩く。それと同時に、金網がガチャリと激しい音をたてて大きく揺れた。
「あ、歩夢君…、どうしたの? 今日の歩夢君、なんかすごく怖いよ…?」
愛美は怯えたように身を縮こまらせ、今にも泣きだしそうな表情を浮かべていた。
「――っ…、どうしたもこうしたもないだろ! どうしてそんな大事なこと、今まで俺に隠してたんだよ⁉」
「大事な…こと? 私、歩夢君が何を言ってるのか全然――」
「しらばっくれるのもいい加減にしろよ! お前、本当は聖姫学院高校の生徒じゃないんだろ⁉」
「――えっ。どうして、それを…」
さっきのとぼけた表情とはうって変わり、愛美は急に青ざめた様子で俺の目をまじまじと見つめる。
「今日の昼休み、訳あって聖姫学院高校に連絡を入れたんだ。そしたら、そこの事務の人から電話越しに告げられたんだよ。“シノサキ マナミ”に該当する人物の在学履歴が存在しないって…」
「――…」
愛美は静かにうつむき、口元をきつく結んだ。あの事務員の言葉が真実であることは、言葉に出さずとも既にそんな彼女の態度が物語っていた。
俺は愛美の両肩に勢いよく手を置き、
「――なぁ、どうして俺に相談してくれなかったんだ? お前、前に俺に言ったよな? “一人で苦しむ必要はない、あなたの心の闇は私も一緒に背負っていくから”って。
お前の心の闇を背負う覚悟なんて、お前の彼氏になろうと決めたあの日からとっくにできてたっていうのに…。
もしかして、あの言葉は嘘だったのか?」
それから愛美の肩から手を放し、ゆっくりと後ろへ一歩後ずさりをする。
「ち、違う! あの言葉は紛れもなく本物で――」
「じゃあ、今ここでそれを証明してくれよ! お前が何者なのか、どうしてみんなにわざわざそんな嘘をつく必要があったのか。
あの時の言葉が本物なのだとしたら、彼氏である俺には躊躇いなく打ち明けられるはずだろ?」
愛美は戸惑いながらも口を小さく開ける。
しかし、パクパクと少し口を動かしただけで、そのまま再び黙りこくってしまった。
「――…。あぁ、分かったよ。お前にとって俺は所詮、その程度の存在でしかなかったってことか。
ようやく心の底から信じ合えるやつと出会えたと思っていたのに…、お前を少しでも信用した俺が馬鹿だったよ」
俺は愛美に裏切られた悔しさと虚しさで、自分の拳を力一杯に握りしめる。
それから、悲しそうな表情を浮かべ、呆然と立ち尽くしている彼女へ静かに背を向けると、
「――これ以上、俺に関わらないでくれ。お前との茶番劇につきあうのは、もうこりごりだ」
そう強く吐き捨て、一人そそくさと教室へ戻って行った。




