終幕 【遠き日の願い、そして…】 / 第2節
――その後、俺と愛美はいままで歩いてきた道を足早に引き返し、白鳥駅から白鳥空港アクセス線に乗って織彦駅へと向かった。
その路線は他の路線と比べて比較的新しく、地元の空港まで一本の長い高架橋で結ばれている。
それ故に、電車は常に高い位置を走行しており、車窓から見える白鳥町の景色はとても見晴らしが良かった。
電車に十五分ほど揺られ、目的の織彦駅で下車をする。駅を出ると、目の前には巨大なショッピングモールが姿を現した。
先ほどの白鳥駅とは異なり、駅の周辺は高層マンションや大型の店舗が点々としている。
「んで、とりあえず無事に織彦駅に着いたわけだが…。ここからどっちに向かえばいいんだ?」
そう言って、俺が隣にいる愛美に目をやると、
「ん~と…、ちょっと待ってね~。Siri、レストランファンタジアまでのルートは――」
愛美はアイフォンに搭載されている音声アシスタント機能を使い、改めてレストランの方向を確認する。そして、
「はい、出ました! この道路沿いを真っ直ぐに行けば着くみたい。赤い文字で書かれた黄色い看板が目印だって!」
目の前の街路樹が連なる歩道の遠方を、ビシッと力強く指差した。
「そっか、りょーかい。まぁ、話を聞く限り看板も目立ちやすいみたいだし、少なくとも変に迷うことはなさそうだな」
「うん、いざとなったらまたSiriさんを頼らせてもらえばいいだけだしね。それじゃ、出発しんこー!」
掛け声と同時に、愛美は相変わらず俺の左腕にギュッとしがみつき、身を寄せてきた。
「♪~~」
それから少しの間、隣で上機嫌な愛美と共に高架下の道路を道なりに歩く。
そして、
「あっ、見えてきた。たぶんあそこじゃない?」
大きな交差点に差しかかろうとしたタイミングで、愛美は俺の腕からそっと手を放し、交差点の向かい側にある建物に指を差した。
愛美が言ったように、建物の近くには赤い文字で書かれた黄色い看板が堂々とそびえ立っている。
しかし、その建物を目にいれた瞬間、
「えっ、嘘…だろ? まさか、ここは――」
嫌な予感が突然に頭をよぎり、俺は慌てて周りを見渡す。見覚えのある装飾のレストラン、高架下の広い交差点。
途端に、あの日の記憶が俺の頭の中でフラッシュバックを起こす。
――間違いない。ここは、愛美が交通事故にあった場所。俺ら家族が狂い始めた元凶の地だ。
(レストランの名前を聞いたときに感じた違和感はこれだったのか…)
ふと道路脇へ目を移すと、一本だけ部分的に焼け焦げたような黒い跡が残る電柱。そしてその柱の陰に、色褪せた一束の献花がそっと立て掛けられている。
いったい誰が、いつ立て掛けたのかはわからない。ただ、その一束の献花が、まさに俺の嫌な予感を現実のものとして証明していた。
俺の身体からじんわりと脂汗がにじみ出て、徐々に呼吸が荒くなり始める。
「歩夢…くん?」
さすがに俺の異変に気がついたらしく、隣にいた愛美が心配そうに俺を見つめていた。
「――あ、あぁ…。悪いが、少しどこかで休ませてくれないか。体調が優れないんだ」
――それから、俺は片手で顔を覆ったまま、愛美の肩を借りてよろよろと歩き出す。そして、たまたま近くにあった小さな広場のベンチに二人並んで腰を掛けた。
愛美は俺が落ち着いたタイミングを見計らうと、
「大丈夫? あのレストランを見たときから様子がおかしかったけど、ここで何かあったの?」
再び不安な表情のまま声をかけてきた。
そんな愛美の呼びかけに、俺は少しの間沈黙を保っていたが、
「――…。ここで“なんでもない”ってはぐらかしても、きっとお前のことだから納得してくれないだろうな。
今の楽しい雰囲気に水を差すことになるけど、聞いてくれるか?」
意を決して話を切り出した。俺の問いかけに、愛美は神妙な面持ちのまま黙ってうなずく。
俺は自分の膝元に視線を落とし、唾をゴクリと音をたてて飲み込むと、
「前に俺の部屋で、妹が事故に巻き込まれて亡くなった話をチラッとしたよな? それを機に、俺自身や俺の家族が大きく変わってしまったって…。
――実は、さっきの交差点。あそこはまさに妹の愛美が事故にあった場所なんだよ…」
重々しく口を開き、噛み締めるように言葉をゆっくりと吐き出した。
「十年前の四月七日。妹を含めた家族四人で、ここのレストランにきたんだ。
今でも忘れない…。あの時、待ち時間中に父さんからお遣いを頼まれて、最寄りのコンビニへ妹と二人で向かった。そしてその道中、俺の些細な思いつきで、あの大きな交差点で俺と妹は徒競走をしたんだ。
どっちが先に向こう側までたどり着けるか競争しようぜって…」
ここまで話してから、俺は再び固唾を呑む。肌寒い気温にも関わらず、喉元には糊のようにべっとりとした感覚がまとわりついた。
「――だけど、それがキッカケで事件は起きた。徒競走の途中で、妹がポーチからお気に入りのぬいぐるみを落としてしまったんだ。
結果、妹が急いでそれを取りに戻ろうと引き返したとき、偶然にもあの高架橋の柱の陰から猛スピードで飛び出してきたワゴン車にはねられて、それで…」
俺は険しい表情を浮かべ、膝の上で組んだ両手を強く握りしめた。途端にあの日の自分の不甲斐なさや愚かさが、どうしようもない後悔と怒りの感情となって沸々と胸の内から込み上げてくる。
「妹が引き返そうとしたあの時、俺が強引にでもあいつの手を掴んで引き止めていれば…。いや、そもそも俺があんな思いつきなんかしなければ、あいつは今頃っ――」
「――はぁ、はぁっ…」
突然、俺の耳に荒々しい息遣いが飛び込んできた。自分の話に夢中だった俺は何ごとかと思い、息遣いの聞こえる方へ視線を移す。
すると、隣で静かに話を聞いていた愛美が深くうつむき、苦しそうに自分の胸に手を当てていた。
そして次の瞬間、
「――あっ、頭、が…」
両手で頭を抱え、座っていたベンチからバタリと大きな音をたてて崩れ落ちてしまった。
「お、おい、愛美⁉」
俺は地に伏している愛美を急いで抱きかかえ、上半身をゆっくりと起こす。身体を軽く揺すってはみるものの反応はなく、グッタリと力なく項垂れている。
「一体…、どうしたってんだよ! 返事をしてくれ、愛美-っ‼」
――その後、たまたま近くを歩いていた通行人が異変に気付いて俺らの元へ駆けつけ、パニックに陥っている俺の代わりに消防へ通報してくれたことで、愛美は近くの病院へ救急搬送された。
ついさっきまで、普段通り元気だったのに。ここに来て俺はまた、大切なものを失ってしまうんだろうか…。
嫌な予感ばかりが悪霊のようにつきまとい、俺は引率した救急車の車内で憔悴しきっていた。
病院に到着し、ストレッチャーで奥の集中治療室に運ばれる愛美の姿を直前まで見送った後、俺は近くに設置されてあった長椅子に浅く腰を掛けた。
それから俺は小刻みに震える両手を組み、ただただ愛美の無事を祈り続けた。
(神様、お願いです…。もし本当にいるのなら、どうか…、どうか愛美を――)
「――君が、先ほど緊急搬送されてきた彼女の彼氏さんで間違いないかね?」
あれからどのくらいの時間が過ぎたのだろうか。忙しなく行き交う人々の荒波の中で、誰かが俺の目の前でピタリと足を止める。
そして、物陰にひっそりと咲く花でも見つけたかのように、俺に優しく声をかけてきた。
俺は何気なくその声のする方へゆっくりと顔を上げる。するとそこには、年季の入った白衣を身に纏い、白みのかかったひげを蓄えた中老の医師が立っていた。
「は、はい、そうです! それで、あの…、愛美の容態は?」
俺はとっさに長椅子から飛び上がり、不安げな面持ちで医師に尋ねる。すると、
「ふっ、そんなに気構えなくても大丈夫、彼女の身体は健康そのものだよ。一時的なショック症状で気を失ってしまっただけのようだ。
今は向こうの病室でスヤスヤと眠っているよ」
医師はニッコリと微笑み、親指で病室のある後ろ側を指差した。
「ほ、本当ですか⁉ あぁ、良かった~…」
医師のその言葉を聞くと、全身に張り詰めていた緊張が一気に放たれ、肩の荷がおりた俺はグッタリと力なく再びベンチへ座り込んだ。
「――お疲れのところ申し訳ないが、今回の彼女の症状について、何か心当たりはないかい?
例えば、彼女が“極度に精神的負荷のかかるような何か”とばったり遭遇してしまったとかね。
どんな些細なことでもいいんだ、少しでも思い当たることがあれば、私に教えてはくれないかな?」
「極度な精神負荷がかかる何か、ですか…」
唐突な医師の質問に、俺は愛美が搬送されるまでの経緯を思い返す。そして、
「――もしかしたら、その原因は自分にあるかもしれません。数時間前に織彦駅近くの広場で、彼女に自分のとある過去話を打ち明けたんです。
そしたら、その最中に彼女が突然意識を失ってしまって…」
すると、医師は自分の顎ひげを親指でなぞりながら、
「ふ~む、なるほどね…。なら、原因は君の言う過去話にあるかもしれない。ちなみに、いったいどんな話を彼女に?」
「――十年前、僕の妹を事故で亡くしたときの話を…。詳細にお伝えした方がよろしいですか?」
それを聞くと、医師は驚いたように一瞬目を大きく見開き、
「そうか…。どのような理由があったかは知らないが、それはさぞかし君自身も辛かったことだろう。
いや、今回の原因は今のでおおよそ検討がついたし、この話はここで打ち止めとしよう。
僕は別に君の過去を詮索したいわけじゃない。それに、己の好奇心で無理に深掘りをして、なおさら君の心を傷つけてしまったとあっては、僕は医師として風上にも置けないからね」
そう言って、小さく肩をすくめた。
「とりあえず、彼女が目を覚ますまで傍にいてあげなさい。彼女にとって、それが一番の励みになるだろう。
ちなみに、彼女が目覚めた後の容態に異常がなければ、彼女の希望次第で今日中にでも退院はできるから」
「分かりました、ありがとうございます」
俺は医師に軽くお辞儀をし、愛美のいる病室へ急いで向かおうと身を翻したそのとき、
「――あっ、そうそう。君に一つ聞き忘れてたことがあったんだけど」
背後から再び医師に呼び止められた。
「はい、何でしょう?」
「君、彼女の親御さんについて何か知らないかい? 彼女の親御さんとどうも連絡がとれなくてね…」
医師は溜息交じりに小さく肩を落とした。
「え~っと、確かこの町に親戚の方がいるって話でしたよ。幼いころに実の両親が失踪してから、この町に住む親戚の家で育ててもらったって。
なので、彼女の実の両親ではなく、親戚の方に連絡を入れてみたら…」
その言葉を聞いた途端、医師の表情が曇り始め、
「――実は、その親戚らしき人物と連絡がつかないんだよ。それどころか、もしかしたら彼女の連絡先自体が偽装されている可能性がある」
真剣な顔つきで俺の目を真っ直ぐに見つめた。
「えっ…? それはどういう――」
「彼女さんが緊急搬送されたとき、彼女の手荷物を救急隊員の人に手渡しただろう? 僕はその手荷物から彼女の学生証をちょっとだけ拝借して、早急に親御さんに連絡を入れようと試みたんだ。
もし患者さんが深刻な状態に陥った時、僕らは患者さん本人に代わって保護者の方に治療方針を仰ぐ必要があるからね」
そこでいったん、医師は小さく一呼吸置く。それから再び真剣な顔つきに戻り、
「――それですぐさま、学生証の保護者欄に記入されていた実家と携帯の両方の電話番号にかけてみたわけなんだけど、なぜかその番号は既に使われていなかったんだ。
念のため電話会社に問い合わせたところ、その番号は本来存在するはずのないものらしくてね。
だから、こうして彼氏である君に情報提供を求めてみたわけなんだよ」
(親戚の連絡先が…、偽装?)
医師の話していることの意味が素直に受け入れられず、俺の頭は一瞬にして真っ白になった。
「その様子だと、君もそのことに関しては全く知らなかったようだね? まぁ、知らないのであれば仕方がない。
幸い、今回は軽度の症状で済んだから、無理に親御さんを呼ぶ必要は無くなったわけだし。お急ぎのところ、わざわざ引き止めて悪かったね」
そう言うと、医師は俺に背を向けて逆方向へと歩き出す。そして、ポケットに突っ込んでいた右手を肩の位置まで挙げ、ひらひらと左右に振った。
――その後、あの医師が言っていた通り、愛美は何事もなかったかのように瞬く間に回復し、本日中に無事退院を果たすことができた。
しかし、彼女が再び元気を取り戻したことに喜びを感じていた反面で、俺の中では医師の気がかりな最後の言葉がグルグルと渦巻いていた…。




