終幕 【遠き日の願い、そして…】 / 第1節
ガタンガタン、ガタンガタン―――…。
俺の後ろ側からやけに騒がしい音が響く。騒音の勢いと長さから察するに、手前のホームを貨物列車が通過していったようだ。近くの窓ガラスが通過した振動でガタガタと小刻みに揺れていた。
――俺は星川駅の待合室にある長椅子に腰かけ、文庫本のページをめくる。それから、ほどなくして読んでいた文庫本をパタンと閉じ、ポケットからスマートフォンを取り出して時刻を確認した。
集合時間である十時を過ぎているが、周りを見渡してもまだ愛美が来る様子はない。
「――…。あいつ、どうしたんだろ。ま~た道端で困っている、見ず知らずのお年寄りの手助けでもしてんのか? まったく、あいつの世話好きも考えものだな…」
そう呟いて小さく肩をすくめ、手に持っている読みかけの本を再び開く。
そして、再び文庫本を読もうと視線を下へ落としたとき、
(うっ――)
突然、俺の目元が何かで覆われ、視界が急に暗くなる。目元は少しひんやりと冷たく、それでいて柔らかな感覚に包まれた。
「―― 、だ~れだ?」
それから、小さな咳払いと共に聞きなれないトーンの低い声が俺の背後から聞こえてきた。
とはいえ、その声は地声というにはあまりにも不自然で、俺に対してこんなことを思いつきそうな人間は俺の知る限り一人しかいないのだけど。
「はぁ…。五分遅刻だぞ、愛美」
ため息交じりにそう言うと、覆っていたものがゆっくりと目元から外れ、暗闇に包まれていた俺の視界が開ける。
俺はあきれ顔で後ろへ振り向くと、
「えへへ、バレちゃった。あー、あー、テステス…。う~ん、もうちょっと声のトーンを低くしておけばよかったかな?」
意地悪そうな笑みを浮かべ、蛇のようにちょろっと舌を出している愛美が立っていた。
今日の服装はネイビーのスキニーデニムに文字付きの白いパーカー。その上にグレーのチェスターコートを羽織っている。
愛美のトレンドマークである白いマフラーとニット帽も携え、防寒対策はバッチリなようだ。
「あっ、いや、反省点はそこじゃなくてだな…。とりあえず、今回の遅刻について何か弁解することは?」
「ん、遅刻…? あぁ、え~っとね、実は私も集合時間前にはここに着いてはいたんだよ。
だけど、“なんか普段通りに会うのもつまらないな~”って思ったので、私のちょっとした思いつきで、今回は遅刻したフリをして歩夢君にサプライズを仕掛けてみました」
愛美は悪びれた様子もなく、むしろ満足げにニコニコと楽しそうに話した。そんな愛美に、俺は怒る気にもなれず、
「――…。まぁいいや、今回の遅刻のことはスタバのキャラメル・フラペチーノで水に流してやるよ。もちろん、お前のおごりでな?」
すると、愛美は驚いたように目を丸くし、
「ええっー⁉ だから私、遅刻してないのに~…。
しかも、よりにもよってコンビニじゃなくてスタバでおごりだなんて、そんなの一言も聞いてないよ~」
身を大きく後ろに反らして一歩後ずさる。それから、がっくりと肩を落とした。
俺はそんな子供みたいなオーバーリアクションをとる愛美の様子を見て、
「あははっ、冗談に決まってるだろ。そもそも俺自身、甘いものはそんなに得意じゃねーし。俺からも仕返しにちょっとからかってみただけだよ」
掌で愛美の頭をポンポンと軽く叩いた。
「うぅ~っ、歩夢君のいけず…」
愛美は頬を小さく膨らまし、子供のような幼い瞳で目一杯俺を睨みつけた。
『間もなく、一番線ホームに白鳥行き電車が到着いたします。ご乗車のお客様は、黄色い線の内側まで下がってお待ちください』
愛美とそんな他愛のないやり取りをしていると、アナウンスが駅の構内に響き渡った。
「おっ、もうこんな時間か。それじゃあ、そろそろ行こうぜ」
「うん!」
それから、俺らは三十分ほど電車に揺られ、愛美の故郷である隣町の白鳥町を目指した。
白鳥町は地元で“北の都”と称されるほど、華やかで多くの人が憧れを抱く町だ。ちなみに北の都の“北”というのは、白鳥町が県の北部に位置していることからなのだそうだ。
とはいえ、白鳥町は元からここまで繁栄していたわけではない。
町の規模は櫻美町より大きいものの、当初はそれに見合うだけの人口や商業施設はなく、アクセスも決して良いとは言えない。
昔はこれといった特徴のない、田園風景が広がるありふれた町だったらしい。
しかし、十五年前に町長が変わったのをキッカケに、それを機に積極的なインフラ整備や商業施設の誘致などの公共事業に尽力した。
そしてその結果、今では数々の雑居ビルや高層ビルの立ち並ぶ、まるで都会のような華やかな町へと変貌を遂げたとのこと。
だが、その一方で近年では白鳥町への人口集中が激しく、周囲の町は過疎化の問題に頭を悩ませているのだそうで…。
一説では、櫻美町も過疎化対策の一環として、莫大な費用をかけて星翔高校を設立したとの噂もあるが、その真相は明らかになっていない。
――今回、わざわざ櫻美町を離れて白鳥町でデートすることになった理由。それは突然、愛美が白鳥町に行きたいと言い始めたこと。
なんでも、白鳥町にしかないとあるレストランへ行きたいらしい。
俺も白鳥町へはここ数年訪れる機会が無かったため、視察も兼ねて愛美の提案を快く了承し、今回こうして白鳥町へ足を運ぶことになった。
『――長時間のご乗車お疲れさまでした。間もなく終点、白鳥に到着いたします。どのお客様もお忘れ物をなさいませんようにご注意ください』
俺たちはホームに降りると近くのエスカレーターを使い、人混みをかきわけながら改札を目指す。
そして、改札をくぐり抜けてようやく駅の外に出ると、目の前には案の定、数多くの雑居ビルが立ち並んでいた。
街中には海外からの観光客の姿が当然のように見受けられる。それ故にここへ来ると、普段から自分たちが住んでいる場所がいかに田舎であるかということを、身をもって痛感させられる。
「うわ~、すっごーい‼ ねぇねぇ、あんなところに大きなスクリーンがあるよ。あっ、こっちにはオシャレな洋服屋さんが!」
不意に横へ目を移すと、目の前に広がる景色に愛美は目をキラキラと輝かせ、子供のように無邪気にはしゃいでいる。
――しかし、
「どうしたんだ…、お前。ここで生まれ育ったんだから、この風景は見慣れているんじゃないのか?」
まるで初めて白鳥町に来たかのような愛美の様子に、俺は不思議そうに首をかしげる。
すると、俺の言葉に、愛美はぎくりと身体をこわばらせ、
「えっ、ま、まぁ、そうなんだけどね…。ここしばらくはずっと櫻美町にいたから、改めて見るとすごく新鮮っていうか、なんていうか…」
あははっと後頭部を手で押さえながら、恥ずかしそうに頬を赤く染めた。
「なんだよ、変なやつだな~。まぁ、この町だと店舗や施設の入れ替わりが激しいみたいだから、お前の知らぬ間に多少街並みが変わってても何ら不思議じゃねーのか…」
俺は思わずクスっと笑みをこぼした。久しぶりに地元へ戻ってきたこともあって、きっと嬉しさで気持ちが舞い上がっているんだろうな。
気分を損ねないように、今日は温かい目で見守ってやろう。
「――とりあえず、目的のレストラン以外でどこか行きたいところはあるのか?
昼食まではまだ時間に余裕があるし、もし何か用事があるのなら早いうちに済ませとこうぜ」
「どこか行きたいところ、か…。う~ん、そうだな~…」
愛美は顎に人差し指を置き、その場で少し考えこんだ後、
「それじゃあさ、駅の周辺をぶらりと見てまわろうよ!
いつの間にか新しいお店も増えたみたいだし、何よりもせっかく白鳥町まで来たんだから、街の景色もゆっくり楽しみたいな」
「ふ~ん、いわゆるウィンドウショッピングってやつか。
まぁその方が余計な経費をかけなくて済むから、お前がいいなら俺はそれで構わないけどさ」
「なら、それで決まりだね。じゃあ、まずはあの“ロフト”っていう黄色い文字の書かれた大きなビルへ、レッツ・ゴー!」
そう言って、元気よく握りこぶしを頭上に掲げる。それから、愛美は俺の手を取り、早く早くと言わんばかりにグイッと強く引っ張った。
「痛たっ…。はいはい、分かったからそんなに急かすなって」
――その後、俺らは駅前の雑居ビルや近くのアーケード商店街を散策してまわった。最初の雑貨屋に始まり、洋服屋、ペットショップ、ゲームセンター等々…。
愛美の気の赴くままに、彼女が興味を示した店へ片っ端から入店していった。
こんなに楽しそうにはしゃいでいる愛美を見るのは初めてで、そんな愛美の様子に再び自然と笑みがこぼれた。
――それから再びアーケード商店街を歩いていると、愛美はとあるお店の前で急に足を止める。
そして、何かにとりつかれたかのように、その店のショーウィンドウをじっと見つめた。
「んっ、何か気になるものでもあったのか?」
俺も愛美につられてショーウィンドウを覗く。
すると彼女の視線の先にあったのは、ベージュ色でフサフサした毛並みの、少なくとも一メートルはあろうという大きなサイズの熊のぬいぐるみだった。
「か、かっ、可愛い…」
愛美はうっとりしながら、そのぬいぐるみに宝石のようなキラキラとした眼差しを向けている。
ぬいぐるみの方も、自分に熱い視線をぶつける愛美を興味津々に見つめて返しているようだった。
「――これ、欲しいのか?」
横にいた俺がさりげなく聞くと、
「えっ‼ いやいや、そんなんじゃないって。ただ、少し気になっただけ…」
ハッと我に返った愛美は両手を左右に振り、あたふたと動揺した様子で否定する。
しかし、それが嘘であることは容易に読み取れた。
「――少し、ね…。やれやれ、しかたねーな。愛美、ここで待ってな」
「えっ? 歩夢君、ちょっと――」
俺は愛美の言葉を途中で遮り、困惑する彼女を背に、そそくさと店の中へと入って行った。
――店内は決して大きいとは言えないものの、犬や猫を始めとした数多くのキュートな動物のぬいぐるみが所狭しに並べられている。
客層の大半を女性客が占めており、中にはカップルの姿がちらほらと目についた。
店内の人混みをかき分け、ショーウィンドウに飾られてあったぬいぐるみと同じものを探す。
すると、
「え~っと…。おっ、あったあった!」
思いのほかあっさりとぬいぐるみが見つかり、俺はとっさに駆け寄る。そして、そのぬいぐるみに取り付けてある値札に目を落とす。
――が、
「な、七千円…。ぬいぐるみってこんなに高いのか…」
予想以上の金額に、俺は思わず立ち尽くす。ジーパンの後ろポケットから長財布を取り出して中身を確認すると、残金はすでに一万円を切っていた。
これからの出費を考えると、今これを買ったら、俺だけここから徒歩で帰る羽目に…。
でもだからといって、さすがに愛美から金を借りるなんてカッコ悪い真似をしたくないし…。
俺はその場で散々、右往左往しながら葛藤を繰り返したあげく、
「はぁ…、しかたない」
覚悟を決め、ぬいぐるみが並べてある棚の方へゆっくりと手を伸ばした。
――俺が店を出ると、愛美は腰かけていた西洋風のベンチに腰を掛けていた。
「も~っ、遅いよ。急に自分だけお店の中に入って行ったと思ったら、いつまでたってもお店から出てこないし! 私、すご~く寒かったんだからね⁉」
愛美は俺の姿を見ると勢いよく立ち上がり、不満げに頬を膨らませていた。よく見ると、愛美の耳や鼻先がほのかに赤みを増している。
俺が店内で葛藤している間、外ではかなりの時間が経過していたらしい。
「ごめん、ごめん。これを買うのに手間取っててさ」
そう言って、俺は可愛くラッピングされた小さな不織布を愛美に手渡す。
「えっ、これって…。今、ここで開けてもいい?」
「あぁ、構わないぜ」
愛美は丁寧に不織布の赤いリボンを解き、不織布の中へと手を伸ばす。
すると、ショーウィンドウに飾られていたものよりも二回りほど小さな、手乗りサイズの熊のぬいぐるみが姿を現した。
「――本当はショーウィンドウに飾られてるのと同じものをプレゼントしたかったんだが、あいにく懐が金欠だったもんでな…。
これで満足してもらえるかは分からないけど…」
俺は愛美から目を反らし、申し訳なさそうに視線を落とした。
(カッコつけて店に入っておきながら、結果がこのザマじゃな…。
あ~ぁ、柄にもなく慣れないことをするんじゃなかった)
肩を落として凹んでいる俺を尻目に、愛美は手元のぬいぐるみをじ~っと見つめる。そして、
「ううん、そんなことない。ありがと、とっても嬉しいよ! 大切にするね!」
ニコッと満面の笑みを浮かべ、愛おしそうにぬいぐるみを胸元に抱き寄せた。
彼女の表情を見る限り、無理に俺を気遣っているわけではなく、素直に喜んでくれているようだ。
「そ、そうか…。なら良かった」
そんな愛美を見て、俺は内心でホッと安堵が漏れると同時に、自然と笑顔がこぼれた。
「――って、愛美? 何してんだ?」
愛美は突然、目の前で不織布のラッピングに使われていた赤いリボンを外し、ショルダーバックから取り出した手芸用の小さなハサミでリボンをカットした。そして、
「ちょっと待ってね~。えーっと、これをこうして…」
それをぬいぐるみの右耳に喋々結びで器用に結いつける。
「――よしっ、できた! どう? 私なりに少しばかりアレンジを加えてみたのですが、こっちの方が可愛くない?」
そう言って、愛美は自信満々にぬいぐるみを差し出してきた。
「――…」
妹の好きだったくーちゃんと目の前のぬいぐるみが重なり、俺は不意に懐かしさが込み上げる。
『ねぇ、お兄ちゃーん、見て見て! この子、ママから誕生日プレゼントでもらったんだ~。すごく可愛いよね~』
『えっ、この子の名前? う~んと、クマだから~、くま、くま…。あっ、くーちゃん! うん、決まり! くーちゃん、これからよろしくね!』
頭の中で昔の光景が甦り、少しの間、目の前のぬいぐるみに目を奪われていた。
「――あれっ、歩夢君? もしも~し」
愛美に再び声を掛けられ、ハッと我に返った俺は、
「あ、あぁ…。ゴメンゴメン。いいんじゃないか、その方が可愛くて」
と、とっさに空返事を返した。
「えへへ、褒められちった。やったね!」
愛美はぬいぐるみを抱きしめ、嬉しそうにガッツポーズを見せた。
ふと近くの街灯に取り付けられている丸型の時計に目を移すと、時計の針はもうすぐ午後一時を示そうとしていた。
「げっ、俺のせいで予想以上に時間をロスしちまったな…。
そういや、まだ詳しく聞いてなかったんだけど、お前の行きたいレストランってどんな店なんだ?」
すると、愛美はよくぞ聞いてくれましたとでも言わんばかりに、
「ふふん、そ・れ・は~…」
即座にポケットからアイフォンを取り出し、鼻歌を歌いながら慣れた手つきで操作を始める。そして、
「あっ、あった。ここのレストランだよ!」
自分のアイフォンの画面をこれでもかと言わんばかりに、俺の目の前へグイッと突き出してきた。
「ちょっ、近ぇって。え~っと、なになに…。レストラン、ファンタジア…?」
(あれっ? この名前、どっかで聞いたことがあるような…)
「うん! 実を言うと、私はまだ行ったことないんだけどね。なんでも美味しいパフェがたくさんあって、スイーツ好きの女子にとても人気のお店なんだって!」
愛美はウキウキした様子で再び微笑む。
「ふ~ん、スイーツ好きの女子に人気のお店ね~。なら、昼時とおやつの時間の合間の、むしろこの時間の方が好都合かもな。
ちなみに、そのレストランの場所はどこあるんだ?」
「う~んとね、ホームページの情報だと、まずはいったん白鳥駅まで戻って、電車で織彦駅ってところに行かなきゃいけないみたい。
そこから歩いて五分圏内の場所にあるらしいよ」
「あれっ、てっきりこの辺りにあるものだと思ってたんだけど、郊外の方にあるのか…。
ならお前の言う通り、とりあえずは駅に向かわないとだな」




