第3幕 【絆、そしてあなたの瞳に映るものは…】 / 第3節
――それからあっという間に時間は流れ、気づけば約束の日の当日。その日の午後、俺はいつもの櫻美公園で愛美と待ち合わせをし、それから家に向かった。
本当は今日、愛美は一日中部活の予定が入っていたらしいのだが、無理を言って部活を午前中で切り上げさせてもらったとのこと。
わざわざそこまでしなくてもいいのにと、そんな愛美に俺は半ばあきれていた。
しかし、彼女にとっては大事な部活を差し置けるほど、今日の日を楽しみにしていたということなのかもしれない。
家へと向かう道中、珍しく今日は俺の腕にしがみつくことはせず、黙ったまま俺の隣を歩いていた。きっと連日の部活で疲れているのだろう。俺は愛美に気を使い、あえて自らその部分を詮索することはしなかった。
歩道は赤や黄色で彩られた落ち葉で敷き詰められており、まるで一本の果てしなく続く絨毯のようで。
それを一歩一歩踏みしめるたび、ガサッガサッという葉のこすれ合う音が、二人の間に流れる沈黙の中を寂しげにこだましていた。
――公園を出てからしばらく歩いたところで、俺らはとある建物の前で立ち止まる。
黒塗りの屋根に白い壁の二階建て。何の変哲もない、どこにでもありそうな家。目の前の塀に取り付けられている石の表札には“東雲”の文字がくっきりと刻みこまれていた。
「ここが、歩夢君の…」
愛美はそんな変哲もない建物を見上げ、なぜか懐かしむように全体をゆっくりと見渡していた。
「――あぁ、そうだよ。望海んちみたいに新鮮味が無くて悪かったな」
「ううん、そんなことない。温かみのある、とても素敵な家だと思うよ」
愛美は落ち着いた様子で小さく呟く。そんな愛美の言葉に、俺は目の前にそびえ立つ自分の家を再び見つめた。
「温かみのある素敵な家、か…。俺にはむしろ冷めきっているようにしか見えないけどな。
とりあえず、お前から先に中に入れよ。そんな格好じゃ寒かっただろ?」
愛美の今日の服装は黒いセーターにチェック柄のグレーのミニスカート。そして、膝丈まで長さのあるブラウンのロングブーツ。
唯一の防寒対策といえば、頭にかぶった白のニット帽と首元に巻いた白いマフラーのみ。
ジャケットを羽織い防寒対策バッチリな俺からしたら、そんな愛美の服装は見るからに寒そうだった。
俺がそういうと、愛美はピクリと一瞬身を震わせ、ぎこちなさげに苦笑いを浮かべる。
「あはは、バレちゃった? 実は気合を入れて私服をコーデしてきたのはいいんだけど、お恥ずかしながら、急いでてアウターを羽織ってくるのをすっかり忘れてしまいまして…。
それじゃ、お言葉に甘えて」
そう言って、愛美は前へ一歩踏み出し、慎重にドアノブに手をかける。しかし、なかなかドアを開けようとしなかった。
「ん、どうした? 入らないのか?」
「あっ、いや…。実はさっきから変に緊張しちゃっていてさ。な~んか身体が思うように動かないんだよね」
よく見ると、愛美の手が小刻みに震え、肌寒いにも関わらず手にうっすらと汗がにじんでいる。
「なんだよ、会った時からなんか様子がおかしいとは薄々感じてはいたけど、そういう事か。
にしても、まさかお前にも緊張することがあるなんて、なんか意外だな。普段はそんな素振り、一切見せないのにさ」
そんな俺の言葉に、愛美は再び苦笑い。
「まぁ、私だって何でも平然とこなせるほど完璧な人間じゃないから。当然、緊張の一つや二つくらいはね。 」
「えっ?」
「ううん、何でもない。それじゃあ開けるよ?」
愛美は大きく深呼吸。それから、恐る恐るドアを引いた。
「お、おじゃましま~す…」
――すると、目の前には二人揃って立っている母さんと親父の姿が飛び込んできた。
「ふふっ、いらっしゃい。あなたが歩夢の言っていた彼女さんね? 歩夢の母です、歩夢がいつもお世話になってます」
そう言って、母さんは両手を膝に添えて、愛美に深々と頭を下げる。
「ほら、隣で黙ってないであなたも挨拶して」
「あ、あぁ…。こんにちは、歩夢の父です。今日はこんな寒い中ようこそ」
母さんに促されるままに、親父はぎこちない様子で挨拶をする。
この状況を察するに、俺が愛美を迎えにいっている間、二人はわざわざ出迎えの準備を整えていたらしい。
(母さん、ときどき変に几帳面なところがあるんだよな…)
「二人とも、久しぶりの来客だからって、別にそこまで礼儀正しくしなくても…。なぁ?」
俺はこそばゆい思いで愛美に視線を移すと、愛美はただ二人を真っ直ぐに見つめていた。
そして瞬く間に、愛美の瞳にはじんわりと涙がこみ上げ、溢れ出した雫が静かに頬を伝った。
「ま、愛美⁉」
「どっ、どうなさったの⁉」
そんな愛美の不可解な様子に俺だけでなく、母さんと親父もオロオロと困惑していた。
「――えっ? あ、あれっ、おかしいな。なんでもないの、なんでも…」
愛美はハッと自分の置かれている状況に気がつき、誤魔化すようにあたふたと服の袖で雫を拭った。
「――と、とりあえず、簡単な挨拶はこれくらいにして。ここでの立話もなんだから、先に愛美を俺の部屋へ案内するよ。
愛美の気持ちの整理が着くまで、母さんと親父はリビングで少し待っててもらっていいかな?」
気まずい空気が流れる中で、とっさに俺はその場を取り繕おうと口を開いた。
「え、えぇ…、分かったわ。それじゃあ、私たちは一足先にリビングに戻ってるわね? 二人とも、準備ができたらいつでもいらっしゃい」
そう言い残し、母さんと親父は何事も無かったかのように、リビングの方へと姿を消した。
「それじゃ、愛美。行こうか?」
「う、うん…」
――それから俺は愛美を連れて、自分の部屋に入った。
普段は漫画本やら飲みかけのペットボトルやらが部屋のあちこちに散乱しているのだが、午前中の大掃除のおかげでその痕跡は微塵もなくなっていた。
ひとまず愛美をベッドへ座らせ、俺は向かい側にある勉強机の椅子に腰を下ろした。
「愛美、大丈夫か?」
愛美が落ち着いたタイミングを見計らい、俺は心配そうに声をかける。
「うん。ゴメンね、心配かけちゃって。もう大丈夫だから」
そう言って愛美は顔を上げ、小さく頷いた。
「そっか、ならいいんだけど、さ…」
俺の父さんや母さんの姿を見て、きっと辛い過去を思い出してしまったのだろう。彼女のためにも、今はそっとしておいてあげるのが一番なのかもしれない。
それから少しの間、部屋には重苦しい沈黙が漂う。
俺は気を紛らわすため、漫画本を手に取ろうと近くの本棚へ手を伸ばした時、
「――何となくだけど、歩夢君のお父さんやお母さん、とてもいい人そうだね」
不意に愛美がぽつりと小声で呟き、優しく笑みを溢す。
「えっ、あぁ、母さんはな。普段はあまり話さないけど、いざという時にはとても頼りになるんだ。学校のことも進路のことも、ちゃんと相談に乗ってくれるしさ。でも、親父は…」
俺はそう言いかけて下唇をきつく噛み、拳を強く握りしめる。
「お父さんは…?」
俺の異変に気がついたのか、愛美は不安そうに見つめた。愛美に声をかけられた俺はハッと我に返り、
「――あ、いやっ、何でもない。お前には関係のないことだから。気にしないでくれ」
頭を左右に振って、そっけなく返事を返す。
こんなことを愛美に打ち明けたところで、どうせ何かが変わるわけでもないのだし。
「そんなことよりさ、この前に学校で――」
俺が強引に話題を変えようとしたとき、愛美はなぜか無言のままベッドから立ち上がった。
そして、
「そんなことない。歩夢君の抱えている問題は彼女である私の問題でもある。こんな私じゃ頼りないかもしれないけど、もし困ってることがあるのなら、少しでも歩夢君の力になりたいの。
だから…、話してくれないかな? さっき言いかけた、お父さんのこと」
いつになく真剣な眼差しを俺に向け、力強く言い放った。そんな愛美の態度に、俺は思わず目を丸くする。
今まで、こんなに自分に寄り添おうとしてくれる人がいただろうか。彼女なら、もしかしたら…。
とっさにそんな淡い期待と嬉しさに駆られ、俺は一瞬口を開きかける。しかし、
「――でも、やっぱりお前に迷惑をかけるわけにはいかない。気持ちだけありがたく受け取っておくよ」
その気持ちをグッとこらえ、喉あたりまで込み上げていた言葉をゴクリと強引に飲み込んだ。
「えっ…。そうだよね、やっぱりこんな私じゃ、頼りなかった、よね…。出過ぎた口をきいちゃってゴメン」
愛美は胸にそっと手を当て、悲しそうに目を伏せる。
「あっ、いや、違うんだ。誤解しないでくれ。俺はお前が大切だからこそ、俺のプライベートな問題に巻き込むわけにはいかないんだ。
この問題はお前が考えている以上に複雑で、もしかしたら、深く関わってしまったことでお前自身を不幸にしてしまうかもしれない…。
もう…、自分のせいで誰かが不幸になる姿を見るのは、たくさんなんだよ!」
俺は強く握りしめた拳を机に強く叩きつける。
ドンという大きな音とともに拳から伝わるジリジリとした痛み。そして、しばらく忘れかけていた過去の胸の痛みとが混ざり合い、俺の心をきつく蝕んだ。
「――…。悪かったな、急に取り乱して。とりあえずそういうことだから、この件についてはもう――」
「ありがとう、そうやって私のことをいつも気遣ってくれて。
でも、私だって同じくらい歩夢君のことが大切で、だからこそ、歩夢君が一人で傷ついて苦しんでいる姿を、ただ指をくわえて見ていることの方が、私にとってはよっぽど辛いんだよ。だからね…」
愛美はゆっくりと俺の方へ歩み寄り、俺の前に立った。そして、
「私たち、恋人同士だもの。歩夢君の心の闇は、私も一緒に背負っていくから。もう歩夢君一人で苦しむ必要はないんだよ?」
彼女は俺の頭をそっと抱きしめた。彼女から伝わるトクトクという優しい鼓動が、温かいものとなってゆっくりと俺の中へ波紋のように広がってゆく。
俺の家庭の事情に愛美を巻き込んじゃいけない。これは俺だけの問題なんだ。そんなこと、頭では分かっているのに、なのに…。
「――うっ、うぐっ…」
今まで俺の胸の内に隠し続けてきた寂しさや不安、苦しみで形作られた巨大な氷がゆっくりと溶けだし、それが涙となってとめどなく溢れ出す。
瞳から際限なく流れ落ちるその雫を止める術を、俺は持ち合わせていなかった。
「愛美…。本当に信じて、いいのか?」
「うん。私はどんなことがあっても、歩夢君を信じ続けるよ。だから、歩夢君も私を信じて…」
――その後、落ち着きを取り戻した俺は、親父を含めた俺ら家族が変わってしまった過去の経緯を包み隠さず打ち明けた。
愛美はそんな俺の話を肯定も否定もすることなく、澄んだ瞳でただ静かに聞き入っていた。
「――そっか、歩夢君の過去にそんな辛い出来事が…。ちなみに歩夢君は今、お父さんのことをどう思ってるの?」
愛美の率直な質問に、俺は口を閉じたまま、少しの間黙り込む。それからゆっくりと口を開き、
「正直、今の親父は嫌いだよ。そして俺が今思ってるように、きっと向こうも…。だけど、このままじゃいけないっていうのは自分でも薄々感じてはいるんだ。
でも、自分じゃどうしていいのかわからなくてさ」
首元に手を当てながら、困惑した表情を浮かべる。すると、
「そうなんだね…。うん、わかった。そういうことなら、私に任せて!」
急に愛美はなぜか自信に満ち溢れた表情で、トンと胸を叩いた。
「?」
そんな様子の彼女に、俺は思わず首をかしげる。
――果たして彼女がこれから何をしようとしているのか、俺には全く見当もつかない。けど、きっと彼女なら何かを変えてくれるはずだという予感はしていた。




