第1幕 【愛美(つぐみ)と愛美(まなみ)】 / 第1節
【ジリリリリリリリリ――‼】
頭上の騒がしい目覚まし時計の音で、東雲歩夢は目を覚ました。
うるさいな~と小声で不満を漏らしつつ、顔をしかめて騒がしい音の鳴る方へ必死に手を伸ばす。そして、時計を指先でなぞりながら手探りでアラームのスイッチを探した。
(え~っと…、あ、あった)
指先にスイッチが触れると、それを手のひらでバンッと強く叩き、目覚まし時計をおとなしくさせた。
(痛ッ…)
しかし、寝起きで力の加減が効かず、思いのほか力が入り過ぎてしまったために、ジリジリと掌がほのかに熱を帯びた。
そのまま目覚まし時計を鷲掴みして手元に引きよせ、眠気眼を擦りながら時計の針を確認する。
「う~ん、もうこんな時間、か…。そろそろ準備しなきゃな…」
――と言葉では言いつつも、強烈な眠気と身体の怠さでなかなかベッドから抜け出せずにいた。
「Zzzz…」
十分間隔で幾度も鳴り響く容赦のないアラームと共にしばらく続いた睡魔との戦いを制し、俺がようやくベッドから起き上がるころには、目覚まし時計の短針は七時を指していた。不意に窓の方へ眼をやると、カーテンの隙間からはゆらゆらと陽気な朝の陽ざしが差し込んでいる。
俺は再び眠気眼を擦り、枕元に置いてあった細く茶色いフレームの眼鏡をかけた。それからベッドから立ち上がり、部屋のカーテンを両手で勢いよくスライドさせる。
すると、目を焦がすような眩しい光が容赦なく視界へ飛び込んできた。
(うっ――…)
昨日までコウモリのような夜行性生活を繰り返していた俺にとって、それはあまりにも刺激が強く、反射的に右腕で目を覆う。
少し間をおいてゆっくりと目を開けると外は雲一つない、沈んだ気持ちが一瞬でリセットされそうなほどの清々しい快晴だった。
「うわ~、昨日の夜まで雨で天気が荒れてたのに、うって変わって今日はやけに天気良すぎだろ…」
俺は両腕を真上へ広げ、ぐいっと大きく体を伸ばした後、無言で近くにあるクローゼットの扉を開けた。クローゼットの中にはジャージを含めた普段着や部屋着が数着、そして段ボールが所狭しに並んでいる。段ボールの中には、ネットの通販サイトで注文したゲームソフトやらコミックやらが入っていて、その中には消化スピードが間に合わずにまだ未開封のものもあった。
「え~っと、どこに仕舞ったっけかな~。おっ、あったあった」
そこからクリーニング済みのワイシャツと紺色のブレザー、グレーのズボンを無造作に取り出す。そしてクリーニングのビニールを素手で強引に裂き、慣れない手つきで着替えを始めた。
しかし、ここしばらく学校の制服を着ていなかったこともあってか、
「これをこうして…、あれっ、こうじゃなかったっけ? あ~もう、めんどくさっ」
ネクタイの結び方に悪戦苦闘しながらも、なんとか形を整えて部屋を出る。
その後、頭の後ろを掻きつつ大きなあくびをしながら、一階へと通じる階段を重い足取りで降りていった。
――今日は四月七日。今日から新学期が始まる。世間一般ではこれから入学式やらお花見やらイベントが目白押しで、心が沸き立っているやつが多いに違いない。
だけど、昨日まで春休みだった俺の心はいつになく憂鬱で、普段だったらまだベッドで寝ている時間であるが故に、身体が学校へ行くことを拒絶していた。
(あ~、夜遅くまでゲームしてたせいか、学校に行くのがだるくてしょうがない…。今日は“急な頭痛が~”って親に嘘ついて、学校をサボってベッドで寝てるのも悪くないかもな)
なんて、ぼんやりとそんな悪だくみを考えながら階段を降り、ダイニングの扉をゆっくりと開ける。すると、テーブルにはいい感じに焦げ目のついた食パン、半熟の目玉焼き、ボイルされたウィンナー。そして、フレッシュな野菜をふんだんに使ったサラダが俺の席に用意されていた。
――春休み中、いつも昼近くまで寝ている俺にとって、空腹時は冷蔵庫や食料棚を物色するのが当たり前。母さんもそれを了承していたため、その場所にはレトルト食品や出来合い品が常にストックされている。そのため、春休みの期間はテーブルに俺の分の朝食が用意されていることなんてなかった。
しかし、それが今日に限っては例外だった。
(げっ、これは俺に“学校へ行け”っつー母さんからの暗黙のメッセージかよ? はぁ…、釈然としないけど、サボるのは諦めるしかなさそうだな…)
俺は気だるそうに椅子に座り、それをまだ目覚めていない胃袋に無理やり詰め込んだ。朝食を食べ進めるにつれ自分の頭が冴え、さっきまでの身体の怠さが軽減されていくのを感じる。こうして朝飯をちゃんと食ったのは、何日ぶりだっただろう…。
「ふぅ、ご馳走様。そういえばさっきから母さんの姿が見当たらないんだけど、どこに行ったか知らない?」
朝食をとり終えた俺は、隣のリビングにあるソファーにゆったりと腰かけ、コーヒーを片手に新聞をぼんやりと眺めている親父に話しかける。
安定の紺色のビジネススーツを身にまとい、俺と違って既に家を出る準備は万端だった。
「あぁ、今ごろ起きたのか。あいつなら朝早くから準備をして、墓参りに出かけて行ったぞ。そんなことより、口と一緒に身体も動かしたらどうだ? そんなに悠長にして遅刻しても知らんぞ?」
親父は新聞をめくりながら、俺に興味が無いと言わんばかりのそっけない言葉を返してきた。仏間にある仏壇に目をやると、常時飾られているはずの遺影が一つ無くなっている。
「そっか…。はいはい、言われなくともわかってますよ~」
俺はそんな親父の言葉をさらりと受け流し、食べ終わった食器を重ねて流し台へと運ぶ。そこでふと、近くの壁に掛かっているカレンダーが何気なく目に映った。
七日の数字の上から堂々と赤い丸が記され、“愛美 お墓参り”と太い字で書かれている。
(四月、七日…。そうだ、そういえば今日は“あいつ”の命日だったっけ…)
――俺の妹、愛美が交通事故で亡くなって今日でちょうど十年目を迎える。
愛美はとても明るいやつで友達も多く、家族では自慢の妹だった。
あいつはとても家族思いな性格で、家族の誰かが苦しんだり悲しんだりしている姿を見ると、真っ先に寄り添って励ましてくれた。
そのくせ、自分はどんなに辛いとき時も家族の前では涙を見せず、“大丈夫”という言葉を口ぐせにいつも笑顔を絶やさなかった。そんなあいつは、まるで青空に光り輝く太陽のようで…。
本当だったら今日、愛美は俺と同じ高校生になるはずだった。だけど、十年前の今日の出来事が、あの時の俺の軽はずみな思いつきが、まさか自分と家族の歯車を大きく狂わせることになるなんて…。