第3幕 【絆、そしてあなたの瞳に映るものは…】 / 第2節
「――ね、ねぇ、歩夢君。いえ、歩夢さん…。私から一つお願い事があるのですが、ぜひとも聞いていただけないでしょうか?」
――時間を元に戻し、デートの帰り道。愛美は急に俺の前へ立ちふさがると、再び上目遣いで俺の顔を覗き込んできた。雲の隙間から差し込む夕日に照らされ、彼女の顔は赤みを帯びている。
「ん、なんだよ? さっきまで散々甘えておきながら、いまさら急に改まって…」
俺が何気なく聞き返すと、愛美は急にもじもじしながら視線を反らす。それから、意を決したように再び俺を見つめ、
「ら、来週のお休みの都合の良い日にさ、歩夢君のお家にお邪魔しちゃダメ…かな?」
と、小さく呟いた。
「―――…。えっ?」
俺は予想外の愛美の提案にハトが豆鉄砲をくらったかのごとく目を丸くし、唖然としてしまった。
すると、俺のリアクションに戸惑った愛美は、ごまかすようにあたふたと両手をばたつかせ、
「あっ、いや、歩夢君が嫌ならいいんだけど、ね…。ただ、私が歩夢君と付き合っていることを、一応歩夢君のお父さんやお母さんにもご報告するのが礼儀かな~なんて思いまして。あはは…」
再びかしこまった様子で、恥ずかしそうに頬を軽く掻いた。
「――まぁ、別に家へ遊びに来ることは一向にかまわないんだけどさ…。わざわざ親と顔合わせするのは、ちょっと気が早すぎじゃないか? まだ付き合って一か月しかたってないんだぞ?」
「た、確かにその通りなんだけど! 実は前々から『歩夢君のお父さんやお母さんってどんな人なんだろうな~』って気になってて、せっかくの機会だからちゃんと会って話してみたいっていうか、なんていうか…」
愛美は両手の人差し指の指先をトントンと打ちあわせ、しどろもどろになりながら必死に言葉を紡いでいる。愛美のその様子はまるで、言い訳に困っているいたいけな子どものようだった。
俺はそんな愛美の様子にいたたまれない気持ちになり、
「はぁ…、わかったよ。んじゃあ、親には俺から話をつけとくから。それでいいんだろ?」
と、ついつい口走ってしまった。
「――えっ、ホントに! ありがとう、歩夢君!」
「た・だ・し! 俺んちに来てもマンガを読んだり、ネットで映画を見たりするくらいで、たぶんお前が望んでるようなものはほとんどねーからな?
変に期待を膨らませすぎて、ガッカリしても知らねーぞ?」
俺は念を押すように愛美に強く問いかける。しかし、
「うん、大丈夫! 私から無理を承知で頼んだんだもん。何があっても絶対に文句は言わないよ。約束する!」
愛美はそんなことはお構いなしと言わんばかりに、再びニッコリと嬉しそうに微笑んだ。
――とはカッコつけて言ったものの、特に親父とはここ最近まともに口を聞いてねーし、部屋も散らかったままだし…。
あ~ぁ、また勢いで面倒事を抱えこんじまったな~。
「――あ、あのさ…。二人にちょっと話があるんだけど…」
その日の夕食後、俺はリビングでくつろいでいる親父と母さんに緊張した素振りを見せながらも、意を決して話を切り出した。
(できれば親父とはあまり口を聞きたくなかったけど、あいつと約束しちまった以上はな…)
「んっ、なんだ? 進路の事なら好きにしたらいい。必要なものがあるなら、その分だけ金は渡してやる。お前の好きなようにしなさいといつも言っているだろう」
俺の事なんか興味がないと言わんばかりに、親父は頑なに新聞を見つめたまま、相変わらず不愛想に言葉を返す。
――あの日以来、親父はいつも俺に対して冷めた態度ばかりだ。
とはいえ、俺が必要だというものは、何も言わずに買い与えてくれるし、俺のやりたいようにやらせてくれている。
そんな親父を傍から見たら、息子思いのとてもいい父親に見えるのだろう。
だけど、一方でそんな親父の無関心にも似た態度が、かえって俺の心を傷つけてきたことを、きっとこの人は知らない。いや、知るはずもないんだ。
以前の親父はいつも家族に優しくて頼りがいがあって、その姿は幼い俺にとってずっと憧れだった。でも、
「お父さん、あのね―――」
「すまん、歩夢。今は忙しくて手が離せないから、話はまた今度な」
愛美が旅立ったあの日から仕事を言い訳に、平日はいつも家を空けてばかりで、せっかくの休日も自分の部屋に籠りきり。
そんな生活を繰り返していたせいか、今ではあの頃の面影はどこかに消え失せ、職場と家を行き来するだけの仕事人間と化してしまった。
本当はたくさん褒めたり叱ったりして欲しかった。もっと俺を見て欲しかった。
だけど、結局今日までその想いは叶わなくて…。
俺は何をしても自分に関心を持ってくれない親父のことが次第に嫌いになり、気づけば親父を避けるようになっていった。
学校のことも進路のことも、相談事を打ち明けたのはいつも親身になって考えてくれる母さんだけだった。
(親父、アンタにとって今の俺は一体何なんだよ…)
「――あ、いや、そういうことじゃなくて…」
「んじゃあ、何だ? 言いたいことがあるなら、はっきりと言いなさい。父さんも母さんも連日の仕事で疲れてるんだ。あまり困らせないでくれ」
淡々と口にする親父の冷めた言葉に、沸々と湧き上がる怒りの感情。しかし、俺はその感情をなんとか歯を食いしばって必死に押し留める。
(ここで俺が取り乱したら、全てが水の泡になっちまう。あいつのために、それだけは絶対に避けないと…)
俺は心を落ち着かせるために、鼻で大きく深呼吸をする。そして、決意を固めると、
「――じ、実は、俺の彼女が来週ウチに来たいって言い出してさ。その時に親父や母さんとぜひ会いたいって言ってるんだけど、ダメ、かな…?」
少し照れ臭さをにじませながら言った。
すると、俺の言葉に親父は俺へとゆっくり視線を移し、意外そうに目を丸くする。親父の珍しいリアクションに俺は少なからず手ごたえを感じ、不意に勝利を確信した。
しかし、
「はぁ、急に何を言い出すかと思えば…。俺はあいにく、そんな戯言に付きあっていられるほど暇じゃないんだ。
お前たちがどうしようと勝手だが、そこに俺や母さんを巻き込むんじゃない」
と、親父は溜息交じりに呟いた。そんな親父の投げやりな態度に、俺の胸の内に抑えこんでいた感情がついに頂点に達した。
(息子のお願いを戯言扱いって…。やっぱり、アンタに頼んだ俺が馬鹿だったよ。愛美、ゴメンな…。さすがにもう限界だ!)
俺は不服な表情を露わにし、無言のまま踵を返してその場を立ち去ろうとしたとき、
「――まぁまぁ、いいじゃないの。あなた、忙しいとは口では言っておきながら、休日はいつも一人で部屋に籠ってばかりじゃない。
少しでも時間に余裕があるのなら、たまには歩夢の頼みも聞いてあげたら? 普段はめったに頼みごとをしない歩夢が、珍しくこうして私たちにお願いしているわけなんだし」
皿洗いをしながら会話を聞いていた母さんが、静かに水道の蛇口を閉じ、割り入って俺のフォローに入ってくれた。
「ふふっ、にしても、異性に全く興味を示さなかった歩夢が、まさか私の知らないうちに彼女を作っていたなんてね~。
私はいいわよ、歩夢の彼女さんがどんな娘か興味あるし」
母さんは微笑みながら、嬉しそうに言った。
「それで、あなたはどうなの? 歩夢の頼み事、聞いてあげる気になった?」
「い、いや、しかしだな~…」
突然の母さんのフォローに、親父は困惑した表情のまま母さんに視線を移す。
すると、母さんは急にうつむき、肩を小刻みに震わせる。そして、
「――しかしもかかしもないわよ! あなたはそうやって歩夢から目を背けてばかり。いつも歩夢と向き合うことから逃げて、逃げて…。
あなたはそれでいいのかもしれない。だけど、父親に突き放された歩夢の気持ちも少しは考えてあげてよ!」
母さんは親父をキッと鋭い目つきで睨みつけ、力強く言い放つ。それは、母さんが今まで胸の内に抱えていた心の叫びだった。
普段はめったに怒ることのない穏やかな母さん。だけど今の俺の目の前には、母親としての強さを兼ね備えた、俺の知らないもう一人の母さんがいた。
そんな母さんの態度や言葉に親父は圧倒され、しばらく沈黙。リビングに重苦しい空気が流れる。
そして、
「――来週の日曜日、お前の彼女さんを連れてきなさい。その日だけなら時間を空けといてやろう。いいな?」
と、再び新聞紙を見つめ、独り言のようにボソッと小さく呟いた。
「あなた…。歩夢、良かったわね?」
母さんは俺の方に視線を移し、満足したように小さく微笑んだ。
「――うん、分かった。愛美にそう伝えておくよ。親父、母さん、ありがとう」




