第2幕 【それぞれの想い、その先に…】 / 第終節
――それからどのくらい経っただろう。ガチャッと部屋の扉を開ける音が聞こえた。
その音に反応し、ベッドで軽く寝入ってた俺は瞼をこすりながら、疲労の溜まっている上体をゆっくりと起こす。
「おっ、お帰り。結構長かったみたいだが、告白の結果はどうだった? まぁ、もちろん聞くまでもないだろうけ―――」
「フラれたよ…、スマン」
大輔はうつむいて、弱々しく短い返事を返す。俺は思ってもみなかった大輔の言葉に、眠気が一気に吹き飛んだ。
「――は…? う、嘘だろ⁉ お前、この数週間、あいつのためにスゲー頑張ってたじゃん! なのに、何で…」
「――…、はっきりした理由は俺にも分からない。でも、愛美ちゃんがいろいろ考えて出した結論なら、悔しいけど、こればっかりはどうにもならないみたいだな…。
ま、まぁ、恋愛なんて一筋縄ではいかないのもまた醍醐味って言うし、そんなこともあるって! もしかしたら、ただ単にタイミングが悪かっただけかもしれないし…」
重苦しい空気を察してなのか、大輔は明るく振る舞おうと無理にぎこちない笑みを作り、頭の後ろで腕を組んだ。しかし、大輔の口から発せられたその言葉は、俺に向けてではなく、まるで自分に言い聞かせているようだった。
「そ、そもそもさ、フラれたのは俺自身なのに、お前がそんなに辛気臭い顔してどうすんだよ? そういう時は“次があるさ”みたいな、軽い感じで励ましてれるのが友達ってもんだろ?」
「――っ…」
俺はそんな大輔の姿を見て、思わず唇を噛み締めた。不意に俺の頭の中に、頭を抱えながらも必死に試験勉強している大輔の姿が浮かぶ。
そんなことってあるかよ…。コイツがこの数週間、どんな思いで頑張ってきたと思ってんだ。
自分の好きな人のことをずっと思い続けて、そのために自分の嫌いなことでも最後まで逃げずに向き合って。それなのに、それなのに―――。
「お~い、歩夢、どうした? 体調でも悪いのか?」
うつむいたまま小刻みに肩を震わせている俺を、大輔は不思議そうな顔で見つめた。
「――こんな結末、俺はどうしても納得がいかねぇ‼ 今までのお前の頑張りを俺からも話せば、もしかしたらあいつも…。愛美は、今どこにいるんだ?」
「あぁ、愛美ちゃんならまだ海岸にいるぜ。もう少しここにいたいんだってさ。でも、もう過ぎたことだし、今さらお前がわざわざ――――」
「海岸だな、分かった!」
大輔の言葉を遮り、俺はバタンという大きな扉と共に勢いよく部屋を飛び出した。
「えっ? ちょっ、歩夢!?」
大輔の呼び止める声を振り切り、階段を勢いよく駆け降りる。そして、玄関ですぐさまスニーカーに履き替え、愛美のいる海岸へと駆け出した。
――その後、俺はやっとの思いで海岸に着き、愛美の姿を探す。
すると、愛美は向こうの堤防にゆったりと腰を下ろし、上半身を軽く後ろに反らしたまま夜空を見上げていた。さっきまで月を覆っていたはずの厚い雲はどこかへ消え、空には無数の星たちが瞬いている。
「――あれっ、歩夢君? そんなに急いでどうしたの?」
俺が重い足取りで歩み寄ると、愛美は不思議そうな顔で俺を見つめた。
「はぁ、はぁ…。どうしたも、こうしたも、ねーよ…。お前、大輔の告白、断ったんだってな…」
俺は息を切らしながら、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。それを聞くと、愛美はハッと驚いたように少し目を大きく開いた。
「――話、聞いちゃったんたんだ…。うん、そうだよ」
しかし、悪びれた様子もなく淡々と言葉を返す愛美に、俺の心の中で再び怒りの感情が込み上げてきた。
「――どうして…、断ったりしたんだよ! そりゃあ、確かにアイツはお調子者で、不器用なやつだけどさ…。でも、いいところもたくさんあって、今回なんかはお前のために―――」
「うん、知ってる。大輔君、”昔から”誰にでもすごく優しくて、友達思いで、一緒にいると楽しくて…。
だからこそ、そんな大輔君に”好きだ”って言ってもらえたことが…、私、とても嬉しかった」
愛美は俺の言葉を遮り、小さく微笑みを浮かべて呟いた。
「じゃ、じゃあ、どうして…⁉」
俺の悲痛な心の叫びが、儚くも夏の夜空にこだまする。悔しさと悲しさと怒りと…。次から次へと湧き上がる感情を抑え込む余裕なんて、今の俺にはもはや無くて。
――だってこれじゃあ、今まで懸命に頑張ってきた大輔が浮かばれないじゃないか…。
俺のその言葉を聞いた愛美は静かに目を伏せ、口を噤む。
それからしばらくして、彼女は思い切ったように、
「それは…、私も大輔君と同じように、心に決めている人がいるから」
と、小さく呟いた。
「―――…。えっ?」
俺は愛美の思わぬ一言に耳を疑う。砂浜へ押し寄せる波の音が、俺の耳にやけに大きく響いた。
(心に決めてる…人?)
自分の中でその言葉をゆっくり反芻すると急に、愛美の気持ちを考えず、一時の感情任せに彼女を攻め立てていた自分が恥ずかしくなった。
「――そっか、それなら、仕方ないな…。お前の気持ちも考えず、一方的に問い詰めるようなマネして悪かった。
ちなみに、その…、お前が心に決めた人って誰なんだ? 別に言いたくないなら無理には聞かないけどさ」
「――…。歩夢君は優しいね。私が傷つかないように、いつもそうやって気遣ってくれて…。いいよ、歩夢君には特別に教えてあげる。それはね――」
俺はゴクリと息を飲む。同じ陸上部の先輩か? それとも、同じクラスの男子生徒なのか? 愛美の心に決めている人なんて、俺には皆目見当がつかない。
――本当は他人の恋愛事情に深入りするつもりはなかった。愛美がどんな人を好きになろうが、それは彼女の自由で、それを俺がとやかく口を出す権利がないことは分かっている。
だけど、大輔のこともあって、自分の中でケジメをつけるために、この事実だけはしっかりと受け止めなければならない気がした。
愛美はゆっくりと一呼吸置き、そして、
「――今、私の目の前にいる人、だよ」
穏やかな表情のまま、俺を真っ直ぐに見つめた。
「ん? 目の前に、いる人…?」
俺は愛美の言っている意味がよくわからず、首を傾げる。
(――目の前って、この状況で愛美の目の前にいる人物って言ったら…。ちょっ、それってまさか!)
俺はコホンと小さく咳払いし、
「――あ~、え~っと、間違ってたら本当に申し訳ないんだけど…。お前の心に決めた人ってもしかして…、お、俺のこと?」
気まずそうに言葉を返した。
なんとか冷静さを保とうと努めてはいるものの、あまりにも想定外の事態に俺の頭の中はそれを凌駕するくらい激しく動揺していた。
自分の顔から今にも火が出そうなくらい赤くなっているのが、自分でもよく分かった。
「うん、正解。それにしても歩夢君、顔が真っ赤だけど大丈夫?」
そう言って、愛美は口元に手を当て、クスっと笑みを溢した。
「し、しかたねーだろ。今まで告白なんてされたことなんて無かったし…。だから、こうして誰かから面と向かって言われると、恥ずかしいっていうか、照れ臭いっていうか…」
俺は不意に愛美から視線を反らし、気持ちを落ち着かせるために少し伸びた前髪を指先でいじった。
「――それにしても、どうして俺なんだ? 俺なんか周りよりも少し頭がいいくらいで、顔は普通だし、面倒くさがり屋だし、根暗だし…。それだったら、大輔や周りの男子の方が断然―――」
すると、俺の言葉を遮るように頭を左右に振り、
「私が歩夢君を好きになったのは、顔とか性格とか、そういうことだけじゃないんだ…。歩夢君、少し私の昔話につき合ってもらってもいいかな?」
と、ゆっくりと落ち着いた声で聞いてきた。
「――…。あぁ、かまわねーよ。ここまで来たら、今さら引き下がれねーしな」
「ふふっ、そういうとこ歩夢君らしいね。ありがと」
それから、愛美は一つ大きく深呼吸。そして再び遠くを見据え、昔を懐かしむように話を始めた。
――愛美は元々、俺と同じ櫻美町出身で、父、母、一歳年上の兄、そして愛美の四人家族で仲むつまじく暮らしていた。特に、優しい兄をとても慕っていて、いつも一緒に遊んでいたらしい。
しかし、
「お父さん? お母さん? お兄ちゃん…? どこに、いるの…?」
愛美が小学一年生になってまだ間もないある日、あれほど仲の良かった両親と兄が、愛美を残して忽然と行方をくらませてしまう。
祖父母も既に他界し、唯一の頼みの綱であった親の携帯の電話番号にかけても繋がらない。両親との連絡手段が完全に途絶えてしまった。
どうしてそうなってしまったのか、愛美自身には思い当たる節が無く、結局のところ未だに真相は闇の中らしい。
その後、愛美は隣町の白鳥町に住んでいる親戚の家に引き取られ、中学校を卒業するまで大切に育てられた。そして、今は高校生ながら、櫻美町にアパートを借りて一人暮らしをしているとのことだった。
過去のことを話している間、愛美は物陰でひっそりと咲く一輪の花のようにとても寂しそうで、俺がいつの日にか見た彼女がそこにはいた。
「――そう、だったのか…。お前、そんな辛い過去を背負ってたんだな。ゴメン、そうとは知らずに俺のために辛い過去を思い出させちまって…」
「ううん、いいの。私が自分から話したくて勝手に話し始めただけだから。歩夢君が謝ることじゃない」
そう言って、愛美は首を横に小さくを振る。
「気を遣ってくれてありがとな。でも、その過去の話だけだと、お前の過去と俺を好きになる関係性が全然見えないんだけど…」
俺は困惑した表情を浮かべ、首の後ろを軽く掻いた。
「確かに、この話だけを聞いてるとそうかもしれないね…。でも、一番初めに言ったでしょ? 私に生き別れのお兄ちゃんがいるって。歩夢君、私の大好きだったお兄ちゃんにどこか似てるんだよね」
「えっ…、俺が、お前のお兄さんに?」
「――うん。上手く言葉では表せないんだけど、歩夢君と一緒にいるとまるでお兄ちゃんが傍にいるようで、心が自然と落ち着くっていうか、なんていうか、さ…」
愛美は相変わらず遠くを見据えたままで、照れ臭そうに呟いた。
「そっ、か…。でも、俺はお前のお兄さんじゃない。ただ単にお前のお兄さんに似てるっていうだけの理由で俺を好きになったのなら、俺へのその感情はいっそ捨ててしまったほうがいい」
俺は真剣な眼差しを愛美に向け、わざと吐き捨てるように言った。
「えっ?」
愛美はゆっくりと視線を俺に移し、意外そうに目を丸くする。
――本当は愛美が俺を好きだって言ってくれたことがすごく嬉しい。だけど、そんなどうしようもない理由で彼女が俺に囚われ続けているというのなら、彼女はきっと、本当の幸せを一生かかっても掴むことができないだろう…。
だから、たとえ彼女から憎まれ役になろうとも、俺はここで彼女の目を覚まさせなければいけない気がしたんだ。
「そう、だよね…。そんな曖昧な理由で、歩夢君が納得してくれるわけないよね。でも、私には歩夢君以上の人はいない。そんな気がするの。世界中のどこを探しても、きっと…」
愛美は視線を落とし、寂しそうに呟く。
「ふっ、それはさすがに大げさすぎだって。俺以上の人間なんて、世の中には数えきれないほどいるさ。
今のお前はただ、周りが見えていないだけ。いや、自分にそう言い聞かせて、周りを見ようとしていないだけなんだ」
「そんなはずない…、私は―――」
「お前はいなくなった兄貴と俺を重ね合わせているだけ。それはきっと恋なんかじゃない。お前の兄貴への未練が生み出した、俺への偽りの感情なんだよ!」
言い切ってから、俺はハッと我に返る。いくら憎まれ役を演じようとしたとはいえ、俺は勢いで彼女になんてひどいこと言ってしまったのだろう…。
俺の発した心無い言葉の数々が、もしかしたら愛美の心に深い傷跡を残すことになるかもしれない。もし仮にそうなってしまったら、俺は…。
先日の国語の授業で取り上げられた“後悔先に立たず”ということわざの意味を、嫌でも身に染みて痛感した瞬間だった。
「―――…」
俺のその言葉に、愛美はいっそう悲しそうな表情を浮かべ、静かに膝を抱えた。彼女のその背中はとても小さく、今にも壊れてしまいそうなくらい儚いものだった。
「愛美、その…、い、今のは流石に俺も言い過ぎた。ゴメ――」
「そうかも、しれない…。歩夢君が言ってることはきっと正しくて、私は間違っている。歩夢君の言う通り、歩夢君へのこの感情はもしかしたら偽りのものなのかもしれない…。でもっ――」
愛美は膝に伏せていた顔を勢いよく上げ、真っ直ぐに俺の目を見つめる。彼女の目には涙が浮かび、瞳の奥が灯のようにゆらゆらと揺れていた。
「――今の私は紛れもなく歩夢君が好きで、今のこの気持ちにだけは正直でいたいんだ! 傍から見たら、好きになった理由がたとえ偽りで、歪なものに映っていたとしても…。
誰かを好きになって、一途に相手を想うこと。ほんの束の間でも自分の心に生まれた、その素直な気持ちに間違いなんてないんだって、私、信じてる、から…」
愛美は途中で嗚咽を漏らし、指先でこぼれ落ちる雫を静かに拭った。
「―――…」
俺は愛美の心の叫びに圧倒され、そんな彼女をただ呆然と見つめたまま、何も言い返すことができなかった。
――俺が彼女の目を覚まさせようとした、もう一つの理由。それは、俺自身が彼女から兄貴の存在を重ね合わされるのが嫌だったから。
彼女が先に発した、“まるでお兄ちゃんが傍にいるようで、心が自然と落ち着く”という言葉。彼女が今も失踪した兄貴の背中ばかりを追いかけて、本当は彼女の瞳に俺という存在が映っていないような気がして…。それ故に愛美の気持ちを素直に受け入れられずにいた。。
だったら、そんな彼女の歪んだ感情を俺が断ち切って、彼女を未練という呪縛から解放させてあげられれば、それはきっと俺のためにも彼女のためにもなる。ただ、そう信じて俺は…。
でも、結局それは俺のエゴでしかなかった。自分の気持ちの真意を知ってもなお、俺を好きだと言ってくれた。彼女の兄貴ではなく、この俺自身を…。
彼女の俺に対する気持ちは偽りなんかじゃなくて、紛れもなく本物だったんだ。
「――はっ、ゴ、ゴメンね、急に取り乱しちゃって。でも、これが今の私が伝えられる精一杯の気持ちなんだ。
だけど、歩夢君にとってはきっと迷惑だったよね? だから、このことはもう終わ―――」
「愛美、ありがとう。俺はお前のことを何も分かってなかった。分かったような気でいただけだったんだ。そのせいでお前のことを平気で傷つけて、俺ってダメなやつだな…」
俺は自分への不甲斐なさから、グッとこぶしを強く握る。しかし、愛美は静かに立ち上がると、震えた俺の握り拳を手に取り、けなげに両手でそっと包みこむ。
そして、
「ううん、そんなことない。歩夢君は私のことを真剣に思って、ああいうことを言ってくれたんだもん。もし他の人だったら、たとえ同じことを思っていても、きっとこんなことは面と向かって言えない。
だから、歩夢君は…、全然ダメなんかじゃないよ。それは私が一番知ってるもん」
と、静かに微笑んだ。
「愛美…。少し、考える時間をくれないか? 申し訳ないけど、今すぐには答えを出せそうにはないんだ」
「――うん、いいよ。私は急がないから。歩夢君がちゃんと答えを見つけるまで、いつまでも待ってるから…」
愛美は俺の拳を包みこんだ両手を自分の胸元に引き寄せ、真っ直ぐに俺の目を見つめた。
「そっか…。ありがとな」
――とはいえ、本当は俺の中で既に答えは出ているのかもしれない。だけど、それを彼女に伝える前にやることが、俺にはまだ残っている。
だからもう少し、自分の中で温めておこう。俺が胸を張って彼女に伝えられるまでは…。
「あっ!」
突然、愛美は驚いたように俺の背後を指差した。
俺は何事かと思い、とっさに後ろを振り返る。すると、無数の流れ星が夜空を駆け巡っていた。流れ星の一つ一つが、綺麗な一筋の弧を描き、瞬く間にそっと消えていく。
(そう言えばさっき、今夜に大型の流星群があるってニュースで報道してたっけ…)
「うわぁ~…。私、流れ星なんて生まれて初めて見たよ。それもあんなにたくさん」
愛美は流れ星の描いた弧を指で優しくなぞりながら、感激した様子で呟いた。
「テレビでは何度か見たことあるけど、実際に見るのは俺も初めてかな。そもそも、ここしばらくは自分の事で精一杯で、こうして夜空を見上げること自体無かったから…」
俺は恥ずかしそうに人差し指で頬を掻いた。
「ふふっ、それは私も。自分の事で忙しいのは歩夢君だけじゃない、きっとそれはみんな同じ。それだけ、私たちの生きている世界は常に忙しなく移り変わっているってことなんだよ。だから、私たちはいつもそんな世界に追いつこうと必死で…。
せっかくこんなに綺麗なものが身近にあっても、それに目もくれようともせず、当たり前のようにその横を通り過ぎているんだろうね」
それから、愛美は夜空に向かって右手を伸ばし、
「その一つ一つの輝きが本当はとても儚いもので、いつ壊れて無くなってしまってもおかしくないのに…」
消えゆく数多の流れ星を一つ一つ、慈しむように見つめていた。
「それにしても、流れ星…、綺麗だね」
俺は夜空を見上げる愛美の横顔を見つめ、
「あぁ…」
と、小さく呟いた。
――それから俺ら二人はしばらくの間、流れ星が彩る満天の星空をぼんやりと眺めていた。さざ波の奏でる細やかな音色。そして星空に浮かぶ月の明かりが、二人を包み込むように優しく照らしていた。




