第2幕 【それぞれの想い、その先に…】 / 第2節
「東雲君、いつもお疲れ様。今月の報告書、確かに受け取りました。最近は物騒だから、帰り道は気をつけてね」
「先生、ありがとうございます。それでは失礼します」
――放課後、俺は今月の報告書を黒崎に提出するため、職員室を訪れていた。
普段であれば情報処理室に遅くまで残り、パソコンで報告書の作業をしているところなのだが、今回は余裕をもって早く取りかかったことが功を奏したようだ。
「――あれっ、歩夢じゃん! 一緒に帰ろうぜ~!」
俺が職員室を出たとき、聞き覚えのある威勢のいい声が廊下の向こうから聞こえてきた。
その方向へ視線を移すと、手を大きく振りながら無邪気に駆け寄ってくる大輔の姿があった。
「なんだ…、大輔か。別に構わないけど、今日は部活に顔を出さなくていいのかよ?」
「ちょっ、なんだ…って、そんな冷たい反応しなくてもいいじゃんか~。部活? 来週から試験期間だから、今週はそれに向けての準備期間で、ほとんどの部は活動停止だろ?」
(あっ、そういえば、来週から試験期間だったっけ…)
最近は学級委員の仕事とネトゲのことで頭がいっぱいで、そのことをすっかり忘れていた。
「ってかお前、まさかとは思うが、そのことを忘れていたわけじゃねーよな?」
大輔は驚いたように目を大きく見開き、それから疑いの眼差しを俺に向けた。
「おぉ、よくわかったな。お前に言われるまで完全に忘れてたよ。でも、まだ試験まで五日間も猶予があるんなら、今から始めたところでどうとでもなるだろ」
すると、大輔は俺からわざとらしく視線を反らし、
「いや~、試験まであと一週間をきってるってのに余裕かませるとか、さすがは歩夢さん! お前、普段は家に籠ってネトゲしかしてないわりに、成績だけはいいもんな~。常に学年二十位以内だし」
不満げに口を小さく尖らせた。
「おい、それは素直に誉め言葉としてとらえていいのか…? でも、お前だってやる気を出せば上位狙えるのに、なんかもったいねーよな」
――大輔の勉強に対する意欲のなさには目を見張るものがある。とはいえ、実はこいつが本気になれば、学年で成績上位を狙えるだけの才能の持ち主なのは、高校受験で既に証明済み。
しかし、コイツの性格上、本当に追い詰められた時と基本的に好きなことをしている時以外、全くと言っていいほどやる気を示さない。
それ故、この高校へ無事に入学して以来、成績がいつも赤点ギリギリで、今ではいわば教師の悩みの種的存在なのは言うまでもない。
「いいの、いいの。別に進級できりゃ、俺はそれで! “どうでもいいことはほどほどに”っていうのが俺のモットーだしな~」
そう言って、大輔はニコニコしながら頭の後ろに手を組んだ。
「お前、ポジティブすぎ…。お前の場合、その“ほどほど”が一番危ないんだっての。別にお前のスタンスを貫くのは一向に構わないけど、それで先生やコーチをあまり困らせるなよ?」
俺は額に手を当て、横目で大輔に言った。
「はいはい、わかってるって。でも、モチベーションが上がらないんだから仕方ねーじゃん?」
しかし、大輔は反省している素振りなど一切見せず、むしろ開き直って平然と答える。
(はいはいって、絶対わかってないだろ、こいつ!)
――そんな他愛もない話をしながら校舎を出て、俺ら二人は校門の方へ向かって歩いていた。すると、夕方の茜色に染まるグラウンドから、甲高いホイッスルの音や男女の賑やかな声が聞こえる。
俺は何気なく声のする方へ視線を移すと、陸上部の練習している様子が目についた。
「――…。スゲーな、試験準備期間だっていうのに、陸上部はいつも通り練習しているのかよ…。さすがインターハイ常連ってだけあるな」
「確かに、それは俺も同感。とはいえ、できることなら俺だって勉強をそっちのけで部活に専念したいくらいだけどな。ってか、あそこにいるのって愛美ちゃんだよな? んで、その横に並んで話しているのが望海ちゃん」
そう言って、大輔は急に立ち止まり、グラウンドの遠くの方にある人影を指差す。
「ん、どこだよ?」
大輔の指差す方へ目を凝らしてみると、確かに愛美と望海らしきシルエットが見えた。
「言われてみれば…。にしてもお前、よくこの距離から見つけられるな」
「まぁ、俺はお前と違って視力だけはいいからさ。俺にとってそれくらいは朝飯前よ!」
そう言って、大輔は柄にもなく口元から白い歯をチラリと覗かせ、グッと親指を立てた。
――日中の夏の暑さがまだ冷めやらぬ気温の中、愛美や望海は他の部員と一緒にグラウンドをひたすらに走っている。俺と大輔は近くにある緩やかな傾斜の擁壁に腰を下ろし、そんな普段とは違う一面を見せる愛美たちの姿に、しばらく目を奪われていた。
そういえば、こうやって愛美たちが必死に練習している姿をまじまじと見るのは初めてかもしれない。
「――にしても、まさか愛美ちゃんが噂の転校生だったとはな~。しかも、よりによって前はあのお嬢様学校と名高い聖姫学院生だったとか、三か月たった今でも信じられないぜ~」
三か月前を思い返すように、しみじみとした様子で大輔は言った。
「俺だって未だに信じられねーよ。まして、まさか俺らがその当事者になるなんて、あの時は思ってもみなかったし…」
「ほんとだよな~。あの時、櫻美公園でたまたま話しかけた少女が噂の転校生だなんて、そんなドラマみたいな展開、誰も夢にも思わねーっての!」
大輔は腕を頭の後ろに組んで、ハハッと冗談めかしたように軽く笑い声をあげる。
「まぁな。しかも、俺に限ってはあいつと同じクラスだし…。一体、何がどうなっているのやら」
俺は両手を左右に軽く広げ、鼻から軽く溜息を洩らした。すると、
「――おい歩夢、それは俺に対する当てつけか? こっちは同じクラスのお前と違って、愛美ちゃんと会える時間がいつも限られてるっつーのに…」
大輔は不満そうに溜息を洩らした。
――新学期初日の放課後。俺が愛美と同じクラスであることを大輔に打ち明けて以降、大輔は昼休みに時間を見つけては、ちょくちょく俺のクラスに顔を出している。
一応、俺と会うためという口実でクラスに出入りしてはいるが、昼休みのほとんどを愛美との会話に費やしている。
おまけに、最近では愛美と一緒にいる望海とも仲良くなり始め、俺はもはや三人の楽しそうな会話をただ傍聴するポジションが定着してきているという…。
「昼休みくらいって…お前、なんやかんやで週三くらいのペースでアイツと会ってるだろ? それくらい会えば充分じゃねーの?」
「いやいや、愛美ちゃんとお前くらいの親しい仲になるには、週三じゃ時間が全然足りねーよ。欲を言えば、週五でお前のクラスに通いたいくらいだしな。ってかお前、ここ三か月の間で雰囲気が変わったよな? なんか前よりも明るくなったっつーか、何つーか…」
大輔は言葉に詰まった様子で、腕を組んで首をかしげる。
「なんだよ、急に? まぁ、学級委員になってから、嫌でも他人と関わるようになったからな。その影響もあるのかも」
すると、大輔は合点がいったように握りこぶしを手の平に打ち、
「あぁ、なるほどな~。最近のお前を見てると、なんとなくあの頃の面影が少しずつ戻ってきてるような気がしてさ。今のお前の姿を見たら、きっと愛美ちゃんも喜ぶだろうぜ。」
ニコニコと嬉しそうに言葉を漏らした。
「えっ、そ、そっか。だと、いいけどさ…」
思ってもみない大輔の言葉に動揺し、俺は照れ臭そうに頬を軽く掻いた。
――あの頃の面影、か…。三か月前までの俺は心のどこかでそれをいつも取り戻したいと思いながらも、どんなに手を伸ばしても届かなくて。無理だって勝手に決めつけて諦めていたっけ。
でも、愛美と出会って、学級委員の仕事をしているうちに、いつの間にかそれを取り戻し始めていたなんてな。
なぁ、愛美…。お前の目には今の俺はどう映っているんだ?
「――あっ、そういえばさ、お前って夏休みは暇か?」
「ん~、たぶん部活の合宿や短期バイトで忙しいかも…。何で?」
大輔は首を傾げ、不思議そうな顔で俺を見る。
「そっか…。いや、実は今日の休み時間に、俺、望海、愛美の三人で夏休みに海水浴へ行かないか~って話になってさ。もし暇だったらお前もどうかなって思ったんだけど、まぁ、忙しいんならしかたね―――」
すると、大輔は途端に兎のように聞き耳をピクリと動かし、
「おい、ちょっと待て。なぜそれを先に言わない? そういうことならもちろん俺も一緒に行くぜ!」
大輔は俺の言葉を遮り、今までに見ことのないくらいに目を輝かせて返事を返す。
「あれっ、でもお前たった今、夏休みは合宿やバイトで忙しいって…」
「ふっ…、それとこれとは別問題だろ? 確かに俺にとって合宿もバイトも大事だ。だが、それ以上に愛美ちゃんや望海ちゃんと一緒に海水浴へ行けるんだったら、俺は夏休みの全ての予定を擲っても構わないと思ってるぜ!」
そんな大輔の気迫に溢れた謎のテンションに圧倒され、
「――…。わ、わかった…。そ、それじゃあ、明日あたりにでも望海にそう伝えとくよ」
俺はタジタジになりながら空返事を返した。
「おう、よろしくな。う~っ、夏休みが待ち遠しいぜ! うしっ、今日から筋トレメニューを増やしてさらに身体に磨きをかけないとな。あとは海水浴用の道具を買い出しして―――」
「おいおい、さすがにそれは気がはやりすぎだろ。まだ詳細も全然決まってないんだし…。まぁ、用意周到なのは結構なことだけど、その前にちゃんと期末テストを乗り切らねーとだろ?」
俺は目の前で子供のようにはしゃぐ大輔にサラッと一言。すると、
「ぐっ…。せっかくいい感じにテンションが上がってたのに、相変わらず水を差すようなマネするなよ~。歩夢のそういう空気の読めないとこ、直した方がいいと思うぞ?」
大輔は右頬を膨らまし、露骨に不満げな顔をした。
「だってホントの事っしょ? ちゃんと試験を乗り切って、まずは清々しい気持ちで夏休みを迎えようぜ」
「そ、そうだな…。あぁ~、お前が余計なこと言うから、急に気が重くなってきたじゃんか…」
大輔はガックリと肩を落として、深く溜息をついた。
「まぁまぁ、そんなに気を落とすなって。なんなら今回の期末試験、俺が試験勉強を手伝ってやろうか?」
「別にいいや。どうせ試験勉強なんて、今回もする気はさらさら―――。ん、ちょっと待てよ…」
大輔は急に真剣な表情になり、腕を組んで少し考え込む。そして、
「いや、ぜひ今回は力を貸してくれ! お前の力が必要なんだ‼」
掌を返したように突然顔の前に手を合わせ、深々と頭を下げた。
「えっ、ま、まぁいいけど…。どうしたんだ、急に?」
俺は困惑した面持ちで大輔を見つめる。すると、
「ふっふっふっ。実はたった今、俺の頭の中で素晴らしい名案が閃いてな」
大輔は何か悪だくみでも思いついたらしく、ニヤリと怪しい笑みを浮かべながら顔を上げた。
「ん、名案? それはどういう―――」
「今回の期末試験、俺は本気で学年二十位以内を目指そうと思うんだよ!」
大輔は自分の腰に手を当て、ふふんと自信満々に言い放った。
「――…、はいっ? 今なんつった?」
「えっ、いや、だからさ、今回の期末テストは学年二十位以内を目指すって言ったんだって…。なんか変なことでも言ったか?」
二度目でようやくその言葉の意味を理解したが、俺はあまりの突拍子のない発言に動揺を隠せなかった。
「お、お前、さっきまで試験に関して一切興味を示してなかったのに、一体どうしたんだよ…? まさかあまりの暑さに頭がやられたか?」
「はっ…? いやいや、やられてねーよ! まったく、失礼な奴だな~」
「そか、ならいいんだけど…。んじゃあ、何で急に?」
俺は訳が分からず、おもむろに首を傾げた。
「いや、ただよくよく考えたら俺って、普段の生活の中でこれといって何か人に自慢できるものがないな~って思ってさ」
大輔の唐突な発言に、俺は思わず唖然とする。それから深く溜息を洩らし、
「はぁ…。お前、いまさら何を言い出すかと思えば…。確かにお前の場合、本気を出した時以外は、基本的にどんなことも平均かそれ以下の二者択一だからな。俺の知る限りではまだ、傍から見てこれと言って突出したものはないよな~」
すると、今度は大輔が困惑した表情を浮かべる。
「えっ、そ、そんなにはっきり言わなくても…。少しは“そんなことないよ?”とかフォローしてくれてもよくね? 俺たち、親友だよな?」
「だって事実じゃん。親友の目から見て、あながち間違ったことは言ってないだろ?」
「――…」
俺の言葉に大輔は硬直状態のまましばらく沈黙。それから、
「ま、まぁ、その通りなんだけど――。だからさ、今回の期末試験でいい結果を残して、俺がやればできる男だってことを愛美ちゃんにアピールしようかなって思ったんだよ。愛美ちゃんが転校してきてから今日まで、俺のそういうとこを彼女に見せた事なかったし」
大輔は俺から目線を反らし、恥ずかしそうに頭を掻いた。
「ふ~ん、まさかそんな単純な理由でお前が勉強にそこまで積極的になるなんてな…。ってか、なぜ愛美に?」
「え、え~っと…。そのこと、なんだけどな…」
俺がその質問を投げかけた途端、大輔は何か決心を固めるように大きく深呼吸。そして急に真面目な顔になって、茜色に染まるグラウンドを遠く見つめた。
「歩夢には秘密にしていたんだけど、実は俺さ、―――…」
――その後に大輔が口にした言葉があまりにも衝撃的で、俺はしばらくの間、大輔の話を黙って聞き入ることしかできなかった。




