桃の花 あなたの虜
丘の上で春を告げる
桃色の花びら
確かにそれは
僕の瞳に映った
でも桃色の視界さえ
気にならないくらい
僕は黒が目に留まった
風に乗ってふわりと浮かぶ
君の黒い髪が…
彼女はいつもそこにいた
‥長い間
ただ黒髪を
優しくなびかせて‥
声も知らない
その顔も瞳の色も
僕は知らない
僕の昼寝場所に
毎日訪れる君は
何を考えてそうしてる?
彼女は僕を知らない
彼女が上を見上げることは
一度だってないから‥
春特有の
穏やかな日差しに
僕は誘われるまま
眠りについた
風が優しく前髪を揺らす
ゆっくりと目を開けると
木の下に彼女がいた
いつもと違うのは
座り込んでいること
…眠っているようだ
起きないのを確認すると
ガサッと音を立て
彼女の横に降りた
反動で桃の花びらが
散ってゆく
長い睫毛を伏せて
髪をなびかせていた
静かな呼吸が聞こえる
正面から彼女を見るのは
初めてだった
風が彼女の髪を揺らす
そっと触れた黒髪は
絹のようで
僕の指に絡むことなく
するりと抜け出した
ぴくりと彼女の肩が揺れ
瞼がゆっくりと
持ち上がった
「!!」
僕と目が合った彼女は
目を見開いた
髪と同様真っ黒なその瞳は
吸い込まれそうなほど
綺麗だった
「‥おはよう」
僕が口を開くと
彼女は我に返ったように
頬を染めはじめた
[あ‥!]慌てたように立ち上がり
彼女は俯いてしまった
「いつもいるよね…
何してるの?」
そう尋ねると
驚いたように
目が見開かれた
[…どうして]
「…僕ずっといたよ‥この上に」
そう言って
木の上を指差すと
見られていたことが
恥ずかしいのか
彼女の頬は
桃の花のように色付いた
彼女の返事を待っていると
鈴のような声が
かすかに聞こえた
首を傾げる僕を見つめて
[‥待ってたの、ずっと]
赤い顔でそう呟いた
「誰を?」
そう問うと
声を詰まらせたように
黙り込んでしまった
静かに時が流れる中
夕日が僕らを
照らしはじめた
ザッという音と共に
木に登ると
彼女はぽかんとした表情で
僕を見つめていた
「来て」
そう言って手を出すと
彼女は戸惑いながらも
僕に手を合わせた手に力を入れて
ぐいっと彼女の手を引くと
桃の花びらが散っていった
恐る恐る
木に座り込む彼女は
目の前の景色に息を飲んだ
[…きれい…]
彼女の顔が夕日に染まる
「僕の特別な場所だからね」
そう言って口元を緩めると
彼女はまた俯いてしまった
[…‥ない]
喋り出す彼女に耳を傾ける
[…こんなところにいたら
…見るはずないよ]
ちらりとこちらを見る
彼女に首を傾げてみせる
[私‥二回目なの…
あなたに会うの]
目を伏せたまま
彼女は言葉を紡ぐ
[あなたはこの下で‥
眠っていたけど]
そこまで言うと
彼女は黙ってしまった
真っ赤な耳が覗く彼女に
頬が緩んだ
「じゃあ僕を待ってたの?」
彼女は少ししてから
小さく頷いた
黒い髪が優しく風に揺れる
「…僕もだよ」
そう言うと彼女の顔が
ゆっくりと持ち上がった
驚いた彼女の姿に
笑いかける
「奇遇だね」
そういうとやっと
彼女の笑顔が見えた
風に乗って
散ってゆく花びらの中で
僕の瞳に彼女が映った
―あなたの虜―