大変なことを思い出しました。
薔薇の香りのする湯船にゆっくりと肩まで浸かって目を瞑れば、疲れた体はすぐにリラックスモードに切り換えられる。
昼食後はひたすら叶の見たがっていた戦隊ヒーローものの映画観賞会とそれのなりきりごっこ。
ヒーロー役は叶で、私はお姫様役。そして、ラスボス役は優人だったのだが意外と優人がノリノリで演じていたのが面白かった。
しかし、普通に終わらないのが我が家。
最初は可愛らしいごっこ遊びだった筈なのだがいつからか両親主催のガチ撮影会になっていた。いやはや疲れました。
巻き込んでしまった優人君には後日きちんと謝りますとも。
「疲れただろうに去る時まで完璧イケメンとか…あれが10歳とか信じられん」
迎えに来るから大人しく待っとけよ、なんて。
どこの少女漫画だよ…って、乙女ゲームの登場人物だったね彼。
これから叶と出会う攻略対象者達のキラキラに耐えられるか些か不安になってきました。
攻略対象者は全員で5人。
ゲームの本編は叶が王璃学園という全寮制の男子校に入学するところから始まる。
全寮制の男子校ですよ皆さん。実に胸が高鳴る単語ですね。
…すみません、話を戻します。
学園は都心から離れた自然溢れる広大な土地を有した山の中にある。
簡単に言えば全国の御曹司達がこれからの国を担う為の教育を受ける場なのだ。
彼らが快適に過ごせるよう学園には様々な施設やサービスがあり、偏差値も重視された超難関校としても有名。
つまり、その学園の卒業生という肩書きは将来の自分にとってかなり重要なステータスになるわけだ。
「そこに首席として入学しちゃうんだもんなぁ叶は…え、凄過ぎん?」
新入生代表として叶が全校生徒の前で挨拶する場面とかめちゃくちゃ格好良かった。
眉目秀麗、文武両道、完璧な主人公である。
そんな叶に嫉妬した祈が悪役令嬢への道を進み始めるのが彼女の18歳の誕生日。
自分の婚約者である優人が本当は叶を好きだったと知ってしまったことがきっかけとなる…って、待て。
ん?婚約者?
「………優人って私の婚約者?!」
何てこった!と叫びながら頭を抱える。
そうじゃん、そうだったじゃん。
12歳の誕生日を迎えたからって、私と優人の親同士が決めちゃってたんじゃん。
もしかして、昨日が12歳の誕生日パーティーだったとか言っちゃう?マジかー!
絶対にもうすぐカミングアウトされる案件やないかい!マジかー!
「祈様、そろそろお上がりになさいませんと逆上せてしま…お顔が真っ青でございますが如何されましたか」
「大変です橘さん。すぐに情報を整理しないと私の頭が爆発しそう」
「…お部屋で髪を乾かしてから温かいハーブティーでもお入れ致しますね」
この私よりも無表情で話す人物はお手伝いさんの一人である橘さんだ。
どんな時も冷静、仕事も魔法レベルで早い彼女を他のお手伝いさん達は敬意を込めて『師匠』と呼んでいる。
今もいつの間にかバスローブを着せられていた。しかも、爪のお手入れまで完璧です。
「お待たせ致しました。こちらハーブティーでございます」
「ありがとうございます…やっぱり、橘さんの入れる紅茶は美味しいなぁ」
「恐縮です。また何かありましたらお呼び下さいませ」
髪を乾かして貰い、ハーブティーを一口飲めばさっきよりも気持ちは落ち着いてきた。
パタンと扉が閉まる音を聞いてから勉強机に体を突っ伏す。
(婚約者問題を思い出したのが優人が帰ったあとで本当に良かった…いたら冷や汗ダラダラだったな。)
夕食の18時まであと40分。ゲームの基本設定をちゃんと整理する時間にはちょうど良い。
本棚から未使用の日記帳を取り出し、右手にシャーペンをスタンバイ。
取り敢えず、今覚えているゲームの知識を書き出していくのが良いだろう。何かの間違いで悪役令嬢としての人生が始まったりしたらリアルにヤバい。
よし、と気合いを入れ直した私は日記帳の最初のページを開いた。