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hidden heart  作者: ナタデココ
3/3

血だまりの記憶

第3話 [血だまりの記憶]


 今日から学園祭だ。かといって、特別見たいものもやりたいこともない。基本的に私は無気力なのだ。何事にも熱くなれるような性格ではない。めんどくさいモノはめんどくさいし、可能な限り省エネで生きていたいのだ。このような冷めた性格も死神の血筋が関係しているのだろうか?


 ちなみに私のクラスではカフェをやるそうだ。学生でも簡単に用意できるパンケーキや

 ジュースを中心としたメニューである。正直値段は少し高めだ。お祭り価格というやつだろう。他にもウエイトレスは可愛い衣装を着たりといろいろあるのだが、自分は接客には向かないと判断し、材料の買い出しなどを担当することにした。買い出しを口実に人込みから遠ざかろうという作戦である。


 学園祭の開催時間が近ずくにつれクラス内もよりにぎやかになってきた。さて、そろそろ

 私はここからフェードアウトしますかな。教室からこっそり抜け出そうとした時、後ろから声をかけられた。


「鹿島さんどこに行くの?」


 クラス委員長の林道 夏樹だった。この人は本当に視野が広いな盛り上がってるクラスメイト達ではなく私に目をつけるとは、少し苦手なタイプだ。なんでもできる人の典型みたいだ。


「いや、お客さんに出すようの品が切れたらまずいから買い出しに行こうと思って」


 彼女は少し間をあけてから心配そうに私に尋ねてきた。


「一人で大丈夫?荷物とか多そうなら私もいっしょに行くけど...」


 やめてくれぇ~そんな澄み切った目で見ないでおくれ!私はこの場所から一刻も早く逃げたいだけなんだ!


「だ、大丈夫だよ!そんなに量もないし、一人でも平気」


 そう言うと、林道さんは、わかった!人手がいりそうなら私に声をかけてね!とほほ笑んでくれた。そう言い切った彼女の表情は少し寂し気に見えたような気がした。


(たまには頼ってくれてもいいのにな─)


 そんな言葉が頭の中に直接流れ込んできた。本当に林道さんは優しい子だ。日陰者の私にもためらわず声をかけてくれる。教室から出ると私は思わずつぶやいてしまった。


「ごめんなさい」


 それは無意識に出た言葉だったかもしれない。あるいは彼女を好きになれないことに対する謝罪だったのかもしれない。ただ、彼女が誰にでも向ける平等な優しさが苦手なのだ。崩れることのない笑顔が人間らしくなくて不気味なのだ。



 ****




 教室を一歩外に出るとそこはすでに人であふれていた。見渡す先には、お化け屋敷、焼きそば屋など様々な出店が並んでいる。外から来賓してきた人もたくさんいる。よく人が集まったものだ。まるでアリの行列だ。学生が行うお化け屋敷なんて、しょぼいに決まっている

 だろうに。どうしてそこまでして入ろうと思うのかね。怖いもの見たさという奴だろうか?


「おい!ぼさっとしてんじゃねぇーぞ!」


 声のするほうに振り替えると、二人組の男性がフードを目深にかぶっている男性に文句を言っていた。どうやらフードの男性が急に立ち止まったところ、前をあまり見ていなかった男性二人組がぶつかったようだ。フードの男性は何も言い訳をしようとしないどころか、二人組に言われ放題だ。関わるのも面倒なので立ち去ろうとした時バカそうな声が聞こえてきた。


「おい、おい、おい!せっかくの学園祭だ!もめごとはなしで楽しくいこうぜ☆」


 柏木 椿(バカ)の姿がそこにはあった。奴が仲裁に入ったことにより場はなんとか収まり、もめごとは解決したようだ。二人組はくだらない時間を過ごしたと文句を垂れつつ、フードの男性は結局一度もしゃべらず軽く会釈をして、その場を去った。


(...........)


 また頭に直接感情が流れ込んできた。ただ、それは言葉にはできないほどひどく冷たい感情だった。全身に鳥肌が立つほどだ。私は思わずあたりを見渡した。周りは人であふれかえっている。結局その感情が誰のものかは分からなかった。

「気味が悪いな...」


 一刻も早くこの場所を離れたくて買い出しに向かった。



 ****




 外に出ると憂鬱な気持ちとは裏腹に空には雲一つない青空が広がっていた。人込みはなくなり、周りにはだれ一人いない。そんな最高なひと時が私を待っていた。


「あぁ~しんどかった。やっぱりひとりのほうが気楽でいいわ」


 体にたまっていた空気をため息と一緒に吐き出す。少しだけ気分が落ち着いた気がした。しかし、人の感情が直接頭の中に流れ込んでくるのは厄介なことこの上ない。更には相手の考えていることまで無意識に読み取ってしまうという能力まで追加されている。一見便利そうだが、読み取りたい感情が読み取れるわけではないし、人込みの中だと誰の感情かもわからない始末だ。悩みの種にしかならんな。


 そうこう考えてるうちに買い出しの目的地であるお店に到着してしまった。買う物は決まっているが、時間をつぶすためいろいろ見てまわろう。お菓子コーナーに向かうと見知った顔があった。


「ほぉ、これが人間界の食べ物というやつですか、実に興味深い」


 そこには幼女がいた。

 いったい何をしているんだ、あの幼女は...。


「こんなところで何やってるんすか、モルちゃん」


 幼女は不機嫌そうに振り向いた。


「だからその呼び方は...まぁ、いいです」


 モルちゃんは半ばあきらめたように小さくため息をついた。それにしても昨日の死神遭遇事件はやっぱり夢ではなかったのか。我ながらすさまじい体験をしているなと考えているとモルちゃんが口を開いた。


「そういうあなたこそいったい何をしているんですか。今日は確か学園祭というものがあったのではないですか」


 まるで私の心の奥底を見透かすような瞳でモルちゃんがまっすぐこちらを見つめてくる。やっぱり心を読まれているのだろうか。


「ただのさぼりですよ。人込み苦手だし、一人のほうが気楽でいいんで」


 そうですか。と一言だけ言ってモルちゃんは再び商品棚に視線を戻してしまう。視線の先には[パチパチ!?占いキャンディー!]という商品名のお菓子があった。どうしよう、もうただの子供にしか見えない!可愛い!本当に死神なのだろうか。あ、モルちゃんがこっちをジト目で見ている。心を読まれたか。露骨に話をそらすように私は一つの質問を投げかけた。


「死神もお腹が減ったりとかするんですかね?」


「いいえ、空腹はありませんよ。それどころか何も食べずとも死にません。味覚はあるんですけどね」


 なるほど、それは便利な体だ。そういえば昨日私は最初モルちゃんをはっきりと視認することができなかった。他の人からはモルちゃんはいったいどんな風に見えているのだろうか。分からないことだらけで頭がパンクしそうだ。考えを巡らしているとモルちゃんが立ち上がり、お店から出て行ってしまおうとする。私はまだ聞きたいことがあったからかモルちゃんの腕を掴んだ...はずだったのに、なぜか私の手は空を切っていた。


「えぇぇぇぇぇ!」


 驚きのあまり叫んでしまった。いったいどういうことだ!やはり私は今まで幻を見ていたのか!


「あーもう!めんどくさい人ですね!説明するので黙ってください」


 ******



 一通りの説明が終わった。どうやらモルちゃんは今、霊体?の姿で人間界に存在しているらしい、この状態の時は、こちらからも向こうからも干渉できないようだ。干渉するためには媒体となる何かが必要だとか。普通の人ではモルちゃんの姿すら視認できないそうだ。正直頭の良くない私ではここまで理解するのがやっとだった。


 モルちゃんは説明を終えると用事があるからと、どこかに行ってしまった。私もいつまでもさぼってるわけにもいかないので必要なものとモルちゃんが見ていたお菓子がふと気になり買ってしまった。[パチパチ!?占いキャンディー!]か、中に入っている飴の色でその日の運勢が決まるとか。


「どれどれ、私の運勢は─」


 飴の色は赤色だった。赤色に当たるとその日は幸運でいられるらしい。占いもあてにならないな。ただでさえ死神案件やら学園祭やらで憂鬱だというのに。私は飴玉を口に含み学校に戻ることにした。


「──本当に、占いとはあてになりませんね」


 誰もいなくなったはずの店内にその一言だけが響いた。




 ****




 学校に戻ると、さらに賑やかになっていた。軽音楽部の音楽は鳴り響き、並んだ屋台からはおいしそうな匂いが漂っていた。談笑をしながらあちこち見物する生徒たちは見るからに楽しそうである。


 何が、そんなに楽しいもんかね。屋台の品物はお世辞にも安いとは言えない。人込みは嫌いだし、自分に与えられた仕事をこなすのも面倒だ。何よりやりたくないものまでやらされてそれの後片付けもやらされるとは、たまったものではないですね。えぇ、本当に!


 心の中で文句を垂れつつ、教室へと戻ると林道さんが出迎えてくれた。


「おかえりなさい、一人で大丈夫だった?」


「平気だよ、特に重たいものもなかったし」


「そうかもだけど、今朝のニュースのこともあるし」


「今朝のニュース?」


 私が首をかしげていると、林道さんは話の内容を大まかに話してくれた。どうやら、ここら辺の地域で事件を起こした犯人が現在も逃亡中でまだ捕まっていないらしい─。


「逃亡中なんでしょう?わざわざ人が多い学園祭には来ないんじゃないかな」


「それもそうだね。でもなんとなく気になっちゃって」


 林道さんは心配性だなそんなことあるわけ─


(─賑や...どいつも...殺し─)


 全身に鳥肌が立った。圧倒的な負の感情、怒りを通り越した殺意。まさか本当にこの学校に逃亡中の犯人がいるのだろうか。そんなやつがいるとか笑い話にもならないな。


「どうしたの?鹿島さん顔色わるいけど」


「いや、もしも犯人がこの学校にいたりしたら怖いなと思って」


「そうだね。早く捕まるといいね」


 林道さんはそう言うと他のクラスメイトに呼ばれ、行ってしまった。


 さっきの負の感情の正体を突き止めないとな。正直、私以外の誰に危害が及ぼうと関係のない話だ。犯人がどこら辺にいるのかを知っているだけで、自分に降りかかる危険を防ぐことができるだろう。そもそも犯人だって本当はいないかもしれない。何かの勘違いかもしれない。そういった安直な考えが私の足を動かした。


 今思うと私は随分と軽率だったのかもしれない。確かめなどせず、学校を離れていればあんなことにはならずに済んだのだろうか。


「この辺から感じたはずなんだけどな」


 負の感情を感じた方面を探しながら周りの人の心の声に耳を傾ける。しかしこれだけ人が多いと探すのも一苦労だ。そもそもこんな人込みの中にいるはずないか。いるんだったら体育館裏とか旧校舎の人がいないところ─


(誰か─助け─)


「聞こえた!?」


 どうやら旧校舎の方からのようだ。これで大まかな位置はつかめたな、あとはそこに近づかなければ─


(誰かいな─くそ!)


 関係ない。


(こんなとこで─死─)


 関係ない関係ない関係ない関係ない関係ない。


(あぁ、神様─)


「くそ!頭の中に直接流れ込んでくるなよな!」


 私はそう叫ぶと旧校舎に駆け出した。

 旧校舎にたどり着くと犯人から逃亡してるであろう人の心の声はまだ聞こえていた。どうやら生きてはいるらしい。学園祭では旧校舎は使用禁止となっているため人の気配は無い。でも確かにここには誰かいる。私は気配を殺して旧校舎の階段を一段ずつ昇っていった。


 一番上の階段に差し掛かると声が聞こえた。


「お前誰なんだよ!何でこんなことするんだよ!」


 あれが心の声の主の正体か、あれは確かフードの男性に向かって文句を垂れていた学生の一人だった気がする。身体の数か所にはナイフか何かで浅く切り付けられたのだろうか制服は所々破れ、血がにじんでいた。その学生の前にはフードの男性が立っていた。


「別に誰でもよかったんだがなぁ、生意気な態度をとられたもんだからよ、お前から殺したくなっちまった」


 低い声でフードの男性がそう言った。


 私はそれを確認すると、携帯で警察に連絡を取った。警察はすぐに駆け付けてくれるとのこと、これ以外私にできることは何もない。あとは彼の運に任せるしかない。やはり誰かと一緒に来るべきだっただろうか。こんなに人気のない場所ではさすがに─


「人気のない場所だと思っていろいろ工作したんだがな、目撃者が増えちまった」


 フードの男性はそうつぶやくとこちらに振り返った。握っているナイフには血が滴っていた。全身の鳥肌が収まらない、鼓動が速くなり今すぐここから逃げろと警笛を鳴らす。けど足はまるで石化したかのように動かない。


「女か~いいよな~切り付けた時の感触、耳にこだまする悲鳴がたまらないんだ」


 フードの男性がゆっくりとこちらに近づいてくる。手が私の頬に触れようとした瞬間、私の横を何かがすごいスピードで通り過ぎていった。


「ぼさっとしてんじゃねぇぞ!」


 その叫び声が聞こえたと思ったらフードの男は後ろに大きく吹っ飛んでいた。


「おい、そこで座ってるお前!隙は作ったんだ。さっさと逃げろ!」


「ご、ごめん。本当にありがとう。すぐに助けを呼んでくるから」


 男子生徒はそう言うと走っていった。驚きのあまり反応が遅れてしまった。どうやら通り過ぎていったのは柏木の拳だったらしい。


「か、柏木!なんであんたこんなところに」


「話は後でもできるだろ!さっさと逃げろ!」


 今までに聞いたこともない柏木の怒鳴り声が廊下に響き渡った。


「ごちゃごちゃうるせぇな─楽しい気分が台無しじゃねぇか」


 フードの男性がゆっくりと立ち上がり鋭利な刃物をゆっくりとこちらに向ける。


 私もいつまでも尻もちをついてる場合ではない。すぐに立ち上がらなければ─


「足が、動かない」


 気づいた時には声にならない声を上げていた。


「どうしたんだよゆき、足の裏にア〇ンアルファでもくっつけたか?」


 このタイミングで煽ってきやがった。でも心の声を聴かなくても発せられた言葉のトーンから分かる。ただの強がりだ、焦り、不安、恐怖それらの感情が彼の周りに渦巻いていることだろう。本当は今すぐにもここから逃げ出したいはずだ。なのにどうして─


「そんな目でこっち見んなよ、ただ同じクラスのやつが目の前で死んだら目覚めが悪いだけだ。それに俺は勝つからな、こう見えて昔は爺ちゃんに格闘技を習ってたんだ」


「何それ、てかフラグ立てんなよな」


 少しだけ緊張がほぐれた気がした。でもまだ少し動けそうにない。


「おしゃべりはもういいのかよ」


 フードの男性がニヤニヤしながらこちらを見ている。


「こっちのおしゃべりを黙って見ててくれるなんてずいぶん親切なんだな」


「何も抵抗出来なくなったガキを殺すほどつまらないことはないからな。わずかにある希望が絶望に代わる瞬間、あの瞬間がたまらない!最初はやめてと泣き叫ぶのに苦痛を与えていくと最後には自分から殺してくれと懇願するんだぜ」


 フードの男性はナイフをくるくると回し、再び先端をこちらに向けた。


「それじゃあ、始めようか兄ちゃん時間もあまりないことだしな」


「チッ、時間稼ぎもおしまいか」


 そう言うと柏木は犯人から一歩距離を取った。最初に動いたのはフードの男性だった。ナイフが届くぎりぎりの間合いに入ると柏木めがけてナイフを振り下ろした。それを柏木が体を逸らして交わし、フードの男性の腕を弾く。しかし、ナイフを起用に回し再び振り下ろす。


「痛ッ!!」


 わずかにナイフが柏木の横腹をかすめた。すぐさま柏木は距離を取る。


「全くの素人かと思ったら少しやるようだな」


「言っただろ?格闘技やってたって」


 僅かに切れた横腹を抑えながら柏木は笑って見せた。恐らく自分の中の恐怖を緩和するためだろう。


「そうかい、その割には顔が引きつってるぜ!」


 フードの男性が再び柏木に距離を詰め左からナイフを振りかざす。それを見た柏木はナイフを受け流すべく体勢を整える。


(─右から)


「柏木!左だけじゃない右!」


 私の声に突き動かされるように柏木はフードの男性の左の腕を弾き、右に向かって腕を伸ばす。それから数秒遅れて右からもナイフが振り下ろされる。柏木はその腕も弾くと体勢を崩した男性に拳を叩き込む。男性が後ろに大きくのけぞる。


「ナイフをもう一本隠し持ってやがったか、あぶねぇ。ゆき、サンキューな」


 柏木が振り返らず私にお礼を言ってくる。男性から視線を逸らすことはない。


「てか、よく右からもくるって分かったな。俺よりもよっぽど良い目を持ってるんじゃないか?」


「別にあんたなんかに褒められてもうれしくないわよ」


「ハハッ、お前はそういう奴だよな」


「余裕ぶっこいてんじゃねぇぞ!」


 少し余裕を見せた私達が気に入らないのかフードの男が怒鳴り声をあげる。


「悪いがこの勝負は俺達の勝ちだぜ、外の音に耳を傾けてみろ」


 耳を澄ますと外には無数のサイレン音と階段を駆け上がってくる複数の足音が近づいていた。どうやら私が呼んだ警察と先に逃げた男子が呼んだ助けが来たらしい。


「それが、どうしたぁ!捕まる前に殺してやる!」


 男性がこちらに向かって走り出す。柏木は迎え撃つべく構える。男性が柏木に向かう─直前でこちらに方向を変える。


「なっ!」


 柏木が驚きのあまり声を漏らす。

「目の前で守りたかったモノを失うっていうのはどんな気分なんだろうなぁ!」


 ダメだ、逃げられない。しっかり相手の心が読めていればこんなことにはならなかっただろう。男性がナイフを私めがけて振り下ろす。


 ああ、人が死ぬというのはこうもあっけないものなのだろうか。やはり誰かのために何かをするなんて馬鹿らしい。助けになんて行かなければ私は死なずに済んだだろう。柏木は怪我をせずに済んだだろう。振り下ろされるナイフがとてもゆっくりに感じられる。


 ふと、柏木に目を向ける。必死な顔で何かを叫んでいるようだった。だが、うまく聞き取れない。だから私は自分のできる精いっぱいの笑顔を柏木に向けた。こんな気持ちになったのは初めてだ。──ありがとう。


 私は上手く笑えていただろうか?死ぬ瞬間の私はどんな顔をしていただろうか?誰かのために何かをするのもなかなかどうして、悪くない。そう思い、私は静かに目を閉じた。


 ………。

 ………………。


「─あれ?思ったより痛くない」


 戸惑い、私はゆっくりと目を開く。私と男性の間には柏木が割って入っていた。


「ギリギリ間に合った!」


 そう叫ぶと柏木は拳を強く握り、男性を思いっきり殴り飛ばす。吹き飛んだ男性は壁に頭を打ち動かなくなった。


「君達大丈夫かね!」


 数人の大人達が階段を上がってきて男性を取り押さえた。


「助かった。私、ちゃんと生きてる」


 緊張が解け思わず一息ついてしまう。そんな中、柏木が私に話しかけてきた。


「なぁ、ゆき?あいつに刺されそうになった時、こっちに笑顔を向けてなんて言ったんだ?」


 グッ!その話を蒸し返すか。適当にごまかすか。


「べ、別に何でもいいでしょ!」


「はぁー、なんだよそれ」


 食い下がってくる柏木、これは言うまで質問攻めにあいそうだ。仕方ないか。


「─って言ったの」


「はぁ?声が小さくて聞こえないわ」


「だーかーらー、守ってくれてありがとうって言ったの」


 半ばやけくそ気味に返事をする私。ダメだ恥ずかしい、穴があったら入りたい。


「そっか、ちゃんと聞けて良かったよ。今度はちゃんと守れ─」


「今度は?何の話─」


 ドサッ、聞き返そうとしたところで柏木が腰を下ろした。自分も死ぬかもしれなかったのだ、緊張が解け体に力が入らなくなったのだろう。そういえば、ナイフで横腹を軽く切られていたのを思い出した。


「怪我ひどくなってない?」


 私は切られたであろう横腹を軽く手で触る。手に湿った感触が伝わってくる。自分の掌を見ると赤い液体がべっとりとついていた。


「柏木、あんた血が!」


 柏木からの返答は無かった。おかしい、横腹を軽く切られただけでこんなに血が出るはずがない。恐る恐る柏木の制服をまくるとそこにはナイフが刺さっていた。


「なんで、なんで、なんで!」


 柏木が当たったのは横腹の一撃だけだったはずだ。それ以外は上手く受け流していた。このナイフは一体いつ─


「私が目を閉じていた時─」


 その回答に思い至った時、私の頭の中は真っ白になった。それとは裏腹に血が床を赤く染め水たまりを作っていく。


「おい!この子怪我してるぞ、早く救急車で病院に運べ」


 柏木の様子に気づいた大人が周囲に大声で呼びかける。そんな大きな声も今の私には届いていなかった。


 私は例え何年たっても忘れることはないだろう。手についた鉄臭い香りとほのかに暖かいこの感触を、そしてこの血だまりを、心に、記憶に刻み付けて─。


3話更新しました。少し長いですがよろしければお付き合いください。

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