第7話 英雄の伝説
いつの間にか王都の空には星が瞬いていた。思ったより長い時間をスラム街で過ごしてしまったらしい。ルヴィスは酔い潰れたユナを背中に負い帰路につく。
その側でレーヴァテインが呆れ返って腕組みをした。
「全く……だらしない女ですの!」
「まあ酒に強いか弱いかは個人差があるからな。つっても、フェンリル族には酒豪が多いって話だったが……」
それでも彼らの中にも下戸の一人や二人はいるだろう。それとも、もしかしたらユナは人間との混血なのかもしれない、とうっすらと考えた。
「う……ん……。ここは……?」
目が覚めたのだろう、ユナは眼を開くと辺りを見回す。そして自分がルヴィスに背負われているの気づき、慌てて手足をばたつかせた。
「ふにゃっ……何だ、これは⁉ は、はにゃ……離せ!」
ユナの身体を覆っている聖騎士の鎧が容赦なくルヴィスの背中や後頭部を強打する。
「いてっ……暴れんなって! ったく……呂律も回ってねえくせに何言ってんだよ」
「ぶ……ブレイなっ……酔ってなどいない!」
「分かった分かった」
酔っぱらいはみんなそういうんだよ、ベタか――と心の中でツッコむ。ユナは一時的に静かになったが、すぐに何か思い出したらしく、ルヴィスの背中から上半身を離した。
「む……そういえば、きしゃま! 何故、異種族と親しい、のだ! キュ、吸血鬼のクセに‼」
何だそんな事か、とルヴィスは説明する。
「昔あのスラムでよく吸血鬼が出てたんだよ。つっても十五年ほど前だがな。その時にあいつらと知り合った。吸血鬼の被害状況なんかを確認するためにちょくちょく話しただけだったけど、どうやら顔は覚えていてくれたみてえだな。」
スラム街はアースガルドの中でも外れに位置し、街を覆っている外壁や結界にも近い。まだジークムントが王だった頃は頻繁に吸血鬼が出没し、入り込んでいたのだ。
とは言え、彼等とは任務がてらに顔を合わせるだけの関係だったのだが。今日の様な歓迎を受けることはルヴィス自身少々意外だった。人間は異種族の者達をえてして馬鹿にしがちだ。しかし彼らには彼らの長所がある。人よりよほど寛大で、情に厚い部分もあるのだ。
「情報は……どうだった、んだ?」
「収穫は無しだ」
ユナの問いにルヴィスは嘆息で答える。ヴォルヴァの占いもはっきりと何かを特定できるようなものではなかった。ユナはしゃっくりをあげながら怒り始める。
「ナン、だと⁉ だから……異種族など、アテに……ならない……」
「何でだよ。お前だって異種族だろ」
「そうだ! 異種族さべつ、は駄目だ! でも、あのスラムは不法占拠……」
「んな事言ったって、今更追い出すわけにもいかねえだろ。大目に見てやれよ」
いじめっ子を諭す様な口調のルヴィスに、ユナは唇を尖らせる。
「む……違うと言っている! 私は……差別しゅぎ、ではにゃい! 知って、いるのか⁉ かの英雄、ヴィルヘルム=シグムント将軍も異種族の血が混じっておられるのだ!」
《ヴィルヘルム=シグムント》――その名前を聞いた途端、ルヴィスの心臓がズキリと痛んだ。動揺がさざ波のように広がっていく。忘れようとも忘れられない、亡霊の様な名。
まさかユナの口からそれを聞こうとは予想もしていなかった。
「《五十年前の劫火》の時……貴様を、下したヴィルヘルム=シグムント将軍は……人間とダークエルフの混血、だったと学校で教わった。……だから、私も聖騎士ヴァルキリーになろうと……決めたのだ。シグムント将軍の様に、なりたいと……」
「………。くだらねー」
思わず吐き捨てていた。意思とは関係なく体が強張るのを感じる。しかしユナは酔っている為かその事には全く気付かなかったようだった。
「シグムント将軍は……お前と違って……偉大、な………」
そう言い残すと、そのまま再び眠りに落ちていく。ルヴィスは黙り込んだ。無言で眼前の虚空を睨みつける。
ヴィルヘルム=シグムント。その男の事を、勿論ルヴィスも良く知っていた。武神の如く戦い、たった一人で吸血鬼に立ち向かっていった勇敢な英傑。人徳があり、弱者を思いやる心も忘れなかった。人々の希望。彼の存在が《五十年前の劫火》から立ち直ろうとするアースガルドの人々の、精神的支えだったのは言うまでもない。
それがシグムント将軍という英雄だ。人々はそれを皆、疑うこともなく信じきっている。ユナと同じように。
突如、叫び出したい衝動に駆られた。違う、そうじゃない。そんなのはただの幻想なんだ――言葉が口をついて外に飛び出し、今にも暴れ狂いそうだった。
しかしそれは、すぐさま途方も無い虚無感へと変わる。
「……。ただの酔っ払いですの」
レーヴァテインがぽつりと呟いた。
ルヴィスはただひたすら歩を進めた。
翌日。
ユナはうっすらと目を開く。窓から柔らかい朝日が差し込んでいた。視線を巡らせ、自分が自室のベッドで寝ていることを理解する。
鎧は脱がされ、インナーだけの格好でベッドの中に寝かされていた。長い髪には寝癖が付いてしまっている。
「……。私は、いつの間にこの部屋に……? つっ………!」
身を起こしかけて二日酔いの頭痛を感じ、思わず頭を押さえる。痛みと共に、徐々に記憶が甦ってきた。
「確か昨日……異種族たちのスラム街で……。ま……まさか……‼」
ユナは青ざめた顔で愕然とする。
一方、ルヴィスも部屋を置き出し、一階の台所で水を飲んでいた。
「あーーくっそ、肩痛え……。聖騎士の鎧ってあれでも結構重量あるんだよな……」
強張った両肩をほぐしながらリビングに戻った。そこに慌てた様子のユナが二階からドタバタと駆け降りて来る。
「おいっ! ルヴィス‼」
「よう。酔いは冷めたか?」
その返答で全てを悟ったのか、ユナの顔色はみるみる青ざめていく。
「や、やはり……私は酔い潰れてしまったのか……‼ く……武門の名折れだ! ユナハイム=ブリュンヒルデ、一生の不覚‼」
悲嘆の声と共にがっくりと肩を落とす。憐れなほどの落ち込み具合だった。ルヴィスは呆れ返る。
「んーな大袈裟な話か? よくある事だろ。……酔っぱらって公園のベンチで寝たとか、公共設備の一部を自宅にお持ち帰りしたとか」
「き、貴様と一緒にするな!」
怒声も心なしか覇気が無い。
「それよりそんな恰好でうろうろしてると風邪ひくぞ」
ユナはスカートの上にぴたりと体に密着したタートルネックを身に着けていた。露出こそ少ないものの、体のラインがくっきりと浮かび上がっている。
鎧を纏っている時は見えなかった胴体部分。
思いの外、豊かな胸が形よく並んでいた。
「そういえば……何故私は鎧を身に纏っていないのだ?」
ユナは慌てて両手で体を覆った。赤面し、眉が八の字になっている。
それに対し、ルヴィスは事も無げに言った。
「俺が脱がしたからに決まってんだろ」
ユナの顔は、今度は怒りで赤く染まった。傍にあった金属製の重厚な水差しをルヴィスの顔面目がけて投げつける。ルヴィスは慌てて身を躱し、それを避けた。的を失った水差しは弧を描き、ゴトンと重々しい音をたてて床に落下する。
直撃していたら、ただでは済まなかっただろう。ルヴィスは血相を変えた。
「あっぶね! 何しやがる‼」
「うるさい! 二度と私に触れてみろ‼ 十字架に張り付けてニンニク攻めの火炙りにしてやる‼」
ユナは怒りと羞恥で真っ赤だった。耳は外向きに傾き、目にはうっすらと涙がにじんでいる。フェンリル族は人狼族とも呼ばれるが、今のユナにはそんな威厳など欠片もなく、狼と言うよりワンコと表現した方がピッタリだった。
「あのな……御伽話の吸血鬼じゃあるまいし、十字架もニンニクも怖くねえんだよ! 鎧着たまま寝ると関節がバッキバキになるだろーが! せっかく親切心で脱がせてやったのに‼」
「黙れ! この変態色欲吸血鬼‼」
言いながらもユナは手元にあった果物だの野菜だのを手当たり次第に投げてくる。ルヴィスはそれを器用に避けていたが、ついに拳大のジャガイモが顔面に直撃した。
「うごっ……い、いってえええぇぇぇぇ‼」
顔を押さえてその場にうずくまる。
「……何事ですの? 騒がしいですの~~~」
寝ぼけ眼のレーヴァテインが二階から降りて来た。
その時。
家の玄関を激しく叩く音が朝方の長閑な空気を一瞬で替えた。
「ブリュンヒルデ騎士団長! お目覚めですか⁉」
「ど……どうした、何事だ!」
緊張した面持ちで扉を開いたのは、いつぞやの若い兵士だった。ユナを見ると、すぐさま敬礼のポーズをとる。
「はっ! 朝早くに失礼します! ……吸血鬼の群れを確認しました! ハーナル公園です‼」
ルヴィスとユナの表情に緊張が走る。――ついに、出たか。
「……分かった、すぐ行く!」
ユナはそう返事をすると、鎧を装着する為二階に駆け上がっていった。ルヴィスもジャケットを取りに二階へ向かう。