第6話 占い師・ヴォルヴァ
ルヴィス達が向かったのはヘルヴォル市場の近くにあるスラム街だった。
小汚い建物が犇めき合い、細い通路には沢山の異種族が行き交っている。客引きをしてるのだろう、店の前で甘ったるい声を掛けるフェンリル族の娼婦たち。小柄だが屈強なドワーフ族の男が数人、喚き散らしながら喧嘩をしている。
中にはごく稀であるが、エルフ族もちらほら見えた。彼らはエルフ族だが耳の形が丸い。アースガルドに現存するエルフ族の多くは人間との混血だった。フィーネの様な純粋なエルフ族は出会う事すら滅多に無い。
ただ、エルフ族にしかない、透明な白い肌と金髪碧眼の特徴は、混血の彼等にもしっかりと受け継がれていた。
むっとするすえた臭い。その中をルヴィスは慣れた足取りで進む。ユナもそれに続くが、騒音が煩いのか耳がひょこひょこと忙しなく動かしている。
「ここも相変わらずですの」
レーヴァテインの口調は嬉しさ半分、呆れ半分といった具合だった。
「でも十年経ってっからな。あいつらどこか移っちまったかも……」
ルヴィスが街中に視線を巡らせていると、露出の高い衣装を身に纏ったフェンリル族の少女たちがルヴィスに声を掛けてくる。
「お兄さん、カッコいいじゃん!」
「そんなダサいオンナやめて、あたし達にしなよ」
「なっ……だ、ダサい……⁉」
ユナは顔を真っ赤にして眉を吊り上げるが、ルヴィスは逆に少女たちに近づき声を掛けた。
「この辺にエルフ族の婆さんいないか? 良く当たるって噂の、占い師の」
「占い師?ああ、それなら……」
フェンリル族の娘たちは、気前よく話し始めた。ルヴィス達は教えられた区画に進む。
すると、一際怪しげな店が見えてくる。
ショッキングピンクのけばけばしい看板。店の外壁も破壊的なまでにピンクだ。濁った外壁の建物が立ち並ぶスラム街の中で、それは異様な存在感を放っていた。
「何だこりゃ………」
「目がちかちかする……というか、もはや痛いですの……」
「おい……まさかここではあるまいな………」
眩暈を覚えるルヴィスの横で、ユナも眉をひそめる。入るのに躊躇していると、店の勝手口から人が姿を現した。
「………。もしかして……ルヴィス⁉ ちょっと、ルヴィスじゃない‼」
店から出てきた人物は、ルヴィスを見ると嬉しそうな声を上げた。化粧をし、女のような恰好をしているが、体格や顔の形はどう見ても男だ。どうやら煙草を吸いに出て来たらしく、右手の指先には火のついたばかりの煙草が挟まっている。
その迫力にユナは耳をぴくぴくさせながらたじろぐが、ルヴィスは笑って答えた。
「よお、十年ぶり。元気そうだな、ザッツ」
「もう……本名で呼ばないでよ! 今はシェリーって名乗ってるの。ねえ、みんな!ルヴィスが来たわよ‼」
シェリーの野太い一声でその一角の店から大勢の人々が出て来る。
「ルヴィス? ルヴィスだって⁉」
「へえ……この人が?」
「十年ぶりじゃねーか‼」
「やだ、懐かしい! 変わらないわね、レーヴも」
「はいですの!」
「今までどこに行ってたんだよ⁉」
わらわらと大勢の人が出て来る。その多くはやはりフェンリル族やエルフ族、ドワーフ族だ。ルヴィスとユナは彼らの手厚い歓迎にもみくちゃにされる。そしてそのまま破壊的ピンク色の店の中へと引き摺り込まれてしまった。
店はそのまま宴会騒ぎに突入する。三人は店の一角にあるテーブルに半強制的に座らされた。レーヴァテインは甘い飲み物を与えてもらって早くも上機嫌だ。スラム街の住人達はしきりにルヴィスとユナにも勧めて来る。
ルヴィスの隣に座るユナは、あまりの騒々しさと怒涛の展開に眼を白黒させた。手渡されたコップの中身を口にし、とび上がる。
「な……何だ、これは……む……酒ではないか‼ おいルヴィス、情報収集はどうした‼」
小声で聞いて来るユナに、ルヴィスはお手上げのポーズをとる。
「仕様がねえだろ、こうなっちまったらよ。お祭り騒ぎが好きな奴らだからな。今はつき合うしかない」
「全く……こんなことをしていて、本当に何か分かるのか……⁉」
ブツブツと文句を言うユナ。そのユナを押しのける様にエルフ族の女たちが二人やって来た。容貌は二十代ほど、やはり人間との混血だ。ルヴィスに惜しげもなく体を押し付けて来る。
「あん、久しぶり。ルヴィス、変わらないわね」
「ホント、あたし達ばかりオバサンになって……嫌になっちゃう」
「何言ってんだよ。どうせ相も変わらず人間の男たぶらかして、いたぶってんだろ」
エルフ族の女たちはくすくすと含み笑いをする。
「あら、酷い言われようね。……その通りだけど」
「ルヴィスのそういうとこ、好きよ。吸血鬼だなんて、勿体無いくらい」
ルヴィスは心の中で苦笑する。お褒め頂いて光栄ではあるが、ルヴィスは女たちが見た目以上にしたたかなのを良く知っていた。彼女たちにとって色気で男を騙し、身ぐるみ剥がしていく程度の事は朝飯前だった。
一方ユナはルヴィスの横で、エルフ族の女たちのあまりに露出の多い服装に瞠目していた。薄っぺらい布きれは、豊満な肢体の必要最低限の箇所しか覆っていない。溢れんばかりの色香は、同性から見ても顔が赤らむほどだ。
「な、何てふしだらな……! 大体、あんな奴のどこがいいんだ……‼」
ユナは持っていた果実酒を一気に煽る。頭上の耳が落ち着きなく動いた。
そのうち、部屋の中央で美しいエルフ族の娘達が踊り始める。誰ともなく楽器を取り出し、それに合わせた。一緒に踊る者、手拍子を叩く者。宴会は最高潮を迎える。
踊り子の娘の一人が誘うようにルヴィスの腕を引っ張った。ルヴィスは立ち上がり、彼女達と慣れた様子で一緒に踊り始める。ユナはそれをぼんやり眺めながら物思いに耽った。
(ルヴィスの奴、随分と慣れているな……。それにここの連中も奴が吸血鬼であることを承知している様子……。何故だ……?)
こういった場に慣れていないユナは居心地の悪さを感じ、果実酒を何度も口に運ぶ。飲みやすさも手伝って、やたらと杯が進んだ。
暫くして、ユナは微かな地面の揺れを感じる。
「これは……地震か⁉」
咄嗟に身構えるが、周りの人間たちは異常を感じている様子が無い。訝しんでいると、ユナの座っている座席だけが下から急激に押し上げられた。その弾みで、ユナは椅子ごと後ろにひっくり返る。
「な……何だ⁉」
周囲の者達もひっくり返ったユナを唖然とした顔つきで眺める。
すると、ユナが座っていた場所の床が裂け、そこから一人のドワーフ族の老人がひょっこりと顔を出していた。モグラを連想させるずんぐりとした体格で目にはゴーグル。髭の生えた顔は、泥だらけだ。
「……ん? 何じゃ。変なとこに出てしもうたのう」
老人は周囲を見回しながらゴーグルを押し上げる。ルヴィスはその顔を目にし、破顔した。
「ギル爺……ギル爺じゃねえか! 生きてたか!」
「……ん? そう言うお前はルヴィスか。暫く顔を見んと思っとったが……この悪たれめ! まだくたばっとらんかったようじゃの‼」
再会を喜ぶルヴィスとギルを尻目に、シェリーは悲鳴を上げた。
「ちょっと、アタシの店の床に何てことしてくれるのよ! ……信っじらんない‼」
「し、仕方ないんじゃ! 地下はドワーフの漢のロマンじゃからのう‼」
確かにドワーフ族には地下を掘り、移動する習性がある。若いドワーフ族には地上で定住する者も多いが、ギルのように未だに地下で移動しながら暮らす者も少なからずいる。
「……しかし、ぐっどだいみんぐじゃ! どれ、ワシも宴会に参加させてもらうとするかの」
がははははと豪快に笑うギル。よっこらせ、と穴から這い出て来ると、宴会に加わる。
「……もう! 後でちゃんと塞いでおいてよ、ここ‼」
シェリーはぷりぷりと怒った。
一方、ユナは椅子ごとひっくり返ったままぐったりとし、起き上がろうとしない。
「う……うう……」
「大丈夫か、ほら」
ルヴィスは何やら呻くユナに手を差し出すが、ユナは緩慢な動作でそれを払う。
「う……うるひゃい……お、お前、ら……んか、に……!」
明らかに呂律がおかしかった。ほんのりと顔が赤い。
「……おい、まさか酔ってんのか?」
シェリーはユナが飲みかけていた果実酒の瓶を手に取り苦笑する。
「この果実酒、結構強いわよ。飲みやすくてグイグイいけちゃうから案外気づかないのよね」
「マジかよ。しょうがねえなあ……」
呆れた口調でユナを見下ろす。酔ったユナは、いつものきちんとした姿とギャップがあるせいか、妙に色っぽく見えた。頬を染め、身をよじって微かに喘ぐ。無防備なその姿に思わずドキリと心臓が跳ねる。いつの間にか自分が彼女の露わになった太腿を見つめているのに気づき、慌てて目を逸らした。
「放っておいてあげなさいよ。どうせみーんな最後には酔い潰れるんだから」
シェリーは肩を竦める。
数時間後、果たしてその通りになった。乱痴気騒ぎはいつの間にか静かになり、男も女もあちこちで酔い潰れてひっくり返っている。ユナも静かな寝息を立てていた。酒瓶や料理を食い荒した皿があちこちに散乱し、宴の終了を告げている。
「……さてと。そろそろ仕事しねえとな」
「仕事……? 何かあったの?」
ルヴィスはシェリーにヘルヴォル市場でのことを説明する。
「吸血鬼⁉ やだ、怖いじゃない! しかもヘルヴォル市場って、うちのすぐそばよ」
「問題は書置きの方なんだ。誰が何の為に残したのか分かれば……」
思わせぶりな文面。古代文字。まるで挑発するかのようですらある。しかし、それが誰に向けたものなのか、何を狙ったものなのかは、今の時点では確信が持てなかった。
そもそもルヴィスは吸血鬼退治を名目に地下から解き放たれた筈だ。しかし、肝心の吸血鬼の襲撃の方はさほど深刻なレベルではない。一体どういう事なのか。
何かが引っ掛かる。
その時、ふと店の入り口に視線が吸い寄せられた。
漆黒のローブを纏った一人の老婆がそこに立っていた。扉から入って来たのだろうが、音は全くしなかった。まるで亡霊のように、いつの間にかそこにいたのだ。フードを目深に被っている為、表情は分からない。
「婆さん……!」
「ルヴィスか。来る頃だと思ったよ」
老婆はしわがれた低い声でそう言うと、フードを下ろす。髪は白髪。淀んだ、それでいて鋭い眼光。尖ったエルフ族特有の耳。占い師ヴォルヴァは高名な占い師であると共に王都の異種族を束ねる長でもあった。
彼女はエルフ族といっても、ダークエルフに属す種族だ。ダークエルフはエルフ族の中でも異端であり、謎が多い。何といってもエルフ族より更に数が少なく、ヴォルヴァの様な純血種となると出会う確率は一生に一度あるかないか程である。
ダークエルフとエルフ族との違いは、能力の違いにある。一般的なエルフ族が殆ど古代魔術を扱えるのに対し、ダークエルフは戦士型と魔術師型に二分される。
戦士型は魔術の才がほとんどない代わりに戦闘能力が非常に高く、逆に魔術師型のダークエルフはエルフ族を凌ぐほどの魔力を持つと言われている。一つの種族であるにもかかわらず、個体によって二つの能力がくっきり分かれる出る事は他と比べても非常に特殊な特徴だった。
ダークエルフは好奇心が旺盛なものが多く、人間と交わる事を好む者も多い。その為、純粋なエルフ族の中には邪悪であるとか堕落していると言って、ダークエルフを嫌うものもいるらしい。
シェリーは何か重要な話があるのだと雰囲気で察したのだろう、店の奥へと入っていく。
老婆は杖をつきながらそろりとルヴィスに接近した。
「顔をよくお見せ。……その様子だと《呪い》はまだ解けていないようだね」
《呪い》というのは自分の心臓の事を指しているだとルヴィスは気づいた。彼女にその事を直接話したことはないが、事情を知っていてもおかしくは無い。それほど、この老婆の占い師としての腕前は確かだった。
「ヴォルヴァ、あんたの助言が欲しい」
開口一番そう告げたルヴィスに、ヴォルヴァは呆れたような表情を見せる。
「やれやれ、相変わらずだね。久しぶりだというのに再会の挨拶も無しかい。……まあいい。そこに座りなさい」
ルヴィスとヴォルヴァは部屋の中央のテーブルに向かい合うようにして座る。
それからルヴィスはヴォルヴァにも古代文字で書かれたメッセールヴィス事を掻い摘んで説明した。ヴォルヴァは黙ってそれを聞いていたが、ルヴィスの説明が終わるとゆっくりと閉じていた目を開く。
「―――………どう思う、ヴォルヴァ?」
ルヴィスは老占い師の反応を探るように問いかけた。
「お前はどう思っておるのだ、ルヴィス」
「今の段階では何とも……だな。だが、何となく引っ掛かる。……ここの奴らは関わっているのか? 異種族の中には魔術に長けた者もいるだろう」
「我々を疑っているのかね」
ある程度予想はしていたのだろう、その声に責めるような響きは無かった。ルヴィスも首を横に振る。
「可能性を潰しておきたいだけだ。悪く思わないでくれ」
「……占ってみよう」
そう言うと、ヴォルヴァは懐から小さな光る石を九個取り出す。そしてそれを机の上に図形を描く様に並べていった。それらの石を見つめるヴォルヴァの瞳がゆっくりと閉じられる。同時に彼女の周囲に魔術式が一瞬明滅した。
ヴォルヴァの占いは、厳密に言うと占いではない。魔術を用いた予知だ。尤も、何でも予見できるわけでもないらしい。あまりにも遠い未来は視る事が出来ないなど、制約はある。ただ、彼女の予知には間違いが無かった。そういった意味で、頼りにする者も多かった。
ヴォルヴァはやがて再び眼を見開く。
「……近いうちに試練が訪れる。選択に注意するといい。得ようとしなければ失うだけだ。恐れることなく進む以外に道は無い」
ルヴィスは面食らう。
「……。ぼんやりしてんなあ。もうちょっと具体的な事が聞きたいんだが………」
「古代文字の書置きか。それ自体はさして重要ではない。何者かの意思で記されたものであるなら、伝言は再び発せられるだろう。……私に視えるのはそれだけだ」
それきりヴォルヴァは口を噤んでしまった。静かな沈黙が店を包む。
こちらも、それ以上有益な情報は得られそうになかった。