第4話 ジルオールとジークフリート
王の謁見の間は重々しい空気に包まれていた。
ヴァルハラ城の中でも最大を誇る部屋なだけはあって、広大な空間だ。
天井も高さがあり、声をよく反響させる。その最奥に設えられた玉座にはジークフリートが座っていた。
玉座は豪華な彫刻が施され、王権の威厳と偉大さこれでもかと言うほど誇示している。
その玉座から入り口まで一直線に真っ赤な絨毯が敷かれていた。
ルヴィスとユナはそこに並んで立たされていた。
絨毯の両脇には、多くの大臣たちがずらりと並び、互いに難しい顔で囁き合っている。原因は自分だという事をルヴィスは良く理解していた。大臣たちはルヴィスに無遠慮な視線を送って来るが、恐ろしいのか決して目を合わせることはない。
玉座に座ったジークフリート王に、先ほどからユナがヘルヴォル市場での出来事を簡潔に報告していた。ジークフリートはそれを見下ろし、無言で報告の内容に耳を傾けている。
王の背後にはいつもの様に宰相のラーズグリーズが控えていた。
一通り聞き終えると、ジークフリートは口を開いた。
「……成る程。それにしてもおかしなメッセージだね。《惨劇は繰り返されるだろう》――か。まるで予言のようだね。誰が残したものなんだろう?」
「調査中ですので、まだ詳しくは……」
王の質問にユナが言い澱むと、ここぞとばかりに大臣たちが口を出し始めた。
「そんな悠長なことを言っていられる状況ではないぞ、ブリュンヒルデ聖騎士団長!」
「そうだ! ……最近王都では吸血鬼の襲撃が立て続けに起こっている」
「ジークフリート王は即位なさってまだ間もない……それなのにこのタイミングで、だ!」
「しかもその予言が正しいのなら、吸血鬼どもはこれからも城下に姿を現すという事になるのではないか⁉」
一斉に批判を浴びて、ユナは唇を噛み、俯く。ルヴィスはユナから一歩下がった位置で、それを冷めた気分で聞いていた。
いい年をした中年の男達がまるで子供の様に頬を膨らませているのは、客観的に見ると滑稽でしかない。
「そうだねえ……そのうち『新王が玉座に相応しくないからこのようなことが起こる』などと人々が言い出しかねないね」
王が他人事のようにのんびりと言った。大臣たちは一様に慌てふためき、取り繕う。
「王……! も、申し訳ございませぬ。決してそのような意味では……」
「良いんだよ。何とかしなければならないことに変わりはないのだから」
そこでジークフリートは初めて、ユナの後ろで突っ立っていたルヴィスに視線を向ける。
「……ルヴィス、お前はどう思う?」
途端に部屋の全ての視線が一斉にルヴィスに集まった。
どういう嫌がらせだ、とルヴィスはジークフリートを睨む。大臣たちが小声でひそひそと囁きかわす声が聞こえて来た。
「あれが、噂に聞く吸血鬼王か」
「まさか生きていたとは……《五十年前の劫火》の折、倒されたのではなかったのか⁉」
「我々は先王・ジークムント様に謀られていたということだ」
「静かにしろ! 王の耳に入ったらどうする……⁉」
ルヴィスはジークフリートの狙いに気づいた。ジークフリートはルヴィス自身を衆目に晒すことで、先王・ジークムントの権力の残滓を取り除こうとしているのだろう。
《五十年前の劫火》を制したというのがジークムントの最たる功績だ。しかし、それが実はそうではなかった、という事になれば、当然臣下の先王に対する信頼は揺らぐ。それが狙いなのだ。
ジークフリートは即位してまだ間もない。権力を完全には掌握していないだろうし、反乱分子も当然存在するだろう。
ただ、こちらとしてもジークフリートの余興につき合う義理など無い。
「……興味ねえな。どうせ暇を持て余した人間の幼稚な悪戯だろ」
王の質問に対し、挑発する様に不遜な態度をとってみせた。
その場が一際大きくざわめき、緊迫感に包まれる。
ユナが僅かに振り返りこちらを睨みつけて来るが、バッサリと無視する。ラーズグリーズが顔を真っ赤にして怒鳴った。
「き、貴様……真面目に答えんか!」
「その可能性も無くは無いが……メッセージは古代文字で書かれていたのだろう?」
どういうつもりなのか、ジークフリートはルヴィスの返事に真面目に答えて来る。ラーズグリーズは咳払いをし、補足する様に付け足した。
「王の仰る通り、古代文字を操る事が出来るのは基本的に魔術を扱う者だけです。魔術式自体が古代文字で構成されていますからな。
王都軍に所属している紋章師全員に確認を取らせました。そのような書置きをした者は皆無だとのことです。一般市民は古代文字など読むことすら困難でしょう」
紋章師というのは血戒紋をその身に宿し、魔術を専門に扱う特殊兵の事だ。しかし彼らでさえ、古代文字を完全に理解しているとは言い難い。
一般的な紋章師が理解しているのは魔術を使用するのに必要な数単語だけなのだ。その様な限られた語彙の中であのような文章を残せるのか、疑問はある。
「……残る可能性は、吸血鬼の仕業という線か」
「確かに……連中の使う血戒魔術の魔術式も古代文字で形成されると言いますからな」
王とラーズグリーズの言うことは事実だった。ルヴィスが書置きを読むことが出来たのは、ルヴィスの扱う魔術もまた、古代文字で形成されているからだ。古代文字が読めなければ、魔術は使えない。
そういう意味では、確かに書置きを残したのは吸血鬼だと考えられなくもない。
しかし、二人のやり取りを聞いていたルヴィスは、それを鼻で笑った。
「くっだらねー。んな可能性は万に一つもありゃしねえよ」
再びざわめく大臣たち。
「何だとっ⁉」
ユナがルヴィスを振り返った。我慢の限界に達したのか今にも斬りかかりそうな勢いだ。
「……何故だい、ルヴィス?」
ジークフリートは尚も冷静に質問を返してくる。
ルヴィスはそれに対し蔑むように嗤った。
「メッセージを残すには知能が必要だ。少なくとも人間と同等の知能が、な。それが可能な人型の吸血鬼……それは王都史上三体しか確認されていない。しかもそいつらはどれも《ルヴィス=レギンレイヴ》とほぼ同等の戦闘力を有していたと歴史書には記されている」
「確かに……。《エインヘリアルの書》にはそう書かれているね」
「それが事実だとして、それだけの力を持った連中がこんな回りくどい事をすると思うか? 馬鹿馬鹿しい。何が目的かは知らないが、そんな悪戯まがいの小細工を仕込むくらいなら、真っ先に実力行使している。
例えば……そう、このヴァルハラを狙うとかな」
そして。
ルヴィスはジークフリートを見上げ、真正面から睨みつけるとこう付け加えた。
「――――――俺ならそうする」
その瞬間、謁見の間が静まり返った。
凍りついた様に誰も口を開かず、身動きすらしない。
「やめろ、ルヴィス! 恐れ多い……王の御前だぞ‼」
ユナが鋭く囁いた。
「俺は聞かれたことに答えただけだ」
悪びれもせずにそう答える。ユナは憤怒の形相で歯を食いしばり、とうとうクルースニクの柄に手を掛けた。
「貴様……全く懲りていないようだな……‼」
睨み合うルヴィスとユナ。ジークフリートは片手を上げ、それを制す。
「よしなさい、ブリュンヒルデ騎士団長」
「ジークフリート王……! も、申し訳ありません……」
ユナは注意を受け、慌てて正面を向いて敬礼のポーズに戻る。
「いずれにせよ、判断するには情報が少なすぎる。二人とも、引き続き吸血鬼の襲撃に備えると共にこの書置きの情報収集に努めてくれ」
「……承知しました」
ジークフリートの言に恭しく礼をするユナ。続いて王はルヴィスに微笑みかけた。
「ヘルヴォル市場で王都軍や聖騎士たちを助けてくれたそうだね。これは王都全体の危機だ。何の罪もない市民が巻き込まれている。……これからも協力してくれるね、ルヴィス?」
「………」
そういう言い方をされると、即座に「嫌だ」と返せない自分に気づき、ルヴィスは内心で舌打ちをした。ジークフリートはそれを見透かすかのように薄く笑んでいる。
ルヴィスは苦々しい表情でジークフリートから視線を外した。
城を抜け、ルヴィスとユナは城門を目指す。城壁と城をゆったりとした長い階段が結んでいた。
この城は廊下といい部屋といい、一々広いが、この階段もその例に漏れず長大だった。城と同じ真っ白い石を切り出して作られた階段は、陽光を受け、その陰影を曖昧にさせていた。
歩いていると微妙に距離感が狂ってくる。
丁度その階段の中央部には、十メートル近くはある巨大な銅像が建てられていた。ミズカルズ大陸を統一し、アースガルド王朝を作り上げた始祖王の銅像だ。
ルヴィスとユナは無言で階段を下って行く。そこへレーヴァテインが姿を現した。
「主様、お帰りなさいですの」
「おう、レーヴか」
レーヴァテインは厳然と聳え立つ白亜の城を見上げながら言った。
「ここは相変わらずですのね。つまらないですの。私、城下が見てみたいですの!」
「そうだな……そうすっか。俺も飯食いてえし」
すると、人の会話を聞きつけ、ユナが眦を吊り上げた。
「おい。何度言ったら分かる? お前は私の監視下にあるのだ。勝手は許さん!」
むっとした様にレーヴァテインがそれを睨み返す。
「フンだ。主様、こんな奴無視、ですの!」
「そういうわけにもいかんだろ。こいつは職務を全うしているだけなんだ。仕方ないから連れて行く」
「分かりましたの。しょ~~~がなく、ですの!」
ユナは真っ赤になって怒り始めた。
「だ……黙れ! お前に私がついていくのではない、私がお前を連れて歩くのだ! それ以上の侮辱は許さんぞ‼」
クルースニクの柄に手を掛け、今にも抜刀しそうな勢いだ。ルヴィスは呆れた。
「あのな……いちいち突っかかって来るなよ、お前も。こっちはお前らに協力してやってんだ。お前も少しは協力的になれよな」
一晩経って、ルヴィスは徐々に冷静さを取り戻していた。
どんなに過去に執着したところで、ジークムントはもういないのだ。この世に存在しない人間への恨みをユナやジークフリートにぶつけても、何の意味も無い。
それに、やる事があるならそれをしてもいいと思える程度の余裕は生まれていた。ジークフリートの意の中というのは気に食わなかったが、少しばかりの自由を得たからと言って何もせずに無為に日々を過ごすのは性に合わない。
これから共に行動をするのだ。いちいち命令違反だと言って串刺しにされては堪らない。
「く………‼」
ユナは左の掌を握りしめ、クルースニクから右手を離す。
確かにジークフリートはルヴィスに対しユナと協力するよう求めた。それが王の意思なら、ユナもそれに沿って行動するしかない。この吸血鬼が共に書置きの情報を探り、吸血鬼退治をしている限り、どれだけ気に食わなくても手を貸すしかない。
その時、ルヴィス達に向かって城門の方から三十人ほどの兵士の集団が近づいて来るのが見えた。
とても屈強な男達だ。その集団の先頭を一際風格のある厳つい男が歩いている。四十代中頃の男で、豪華な軍服の胸元には数々の勲章が煌めいていた。
額には大きな血戒紋。
ユナはその男に気づき、数歩歩下がって道を譲ると敬礼する。男はユナに気づくと、ゆっくりと微笑んだ。威圧感のある容貌に反して、目元は優しい。
「ユナハイム=ブリュンヒルデか。……息災か?」
「……はい。お気遣い、ありがたく存じます」
「巷では吸血鬼が跋扈しているようだな。大事な時期だ。弟を支えてやってくれ」
「はいっ! お任せください‼」
ユナは嬉しそうに微笑んでいた。それを見たルヴィスは、僅かに目を見開く。
始めて見る彼女の表情だった。頬をほんのりと赤く染め、恥じらう様は、まるで憧れの先輩と接する士官候補生のようだ。こうしてみると、十代の少女の初々しさやあどけなさ、純然さが覗く。
ユナは余程男に好意を寄せ、信頼しているのだろう。
そしてそれは吸血鬼であるルヴィスに向けられることは決してない。
男はユナに頷くと、背後の兵を率いて城内に入っていった。
「……何だ、今の奴は?」
ルヴィスは目で男を追いながらユナに尋ねた。ユナはすぐにいつものしかめっ面に戻る。
「馬鹿者! 今の方はジークフリート王の兄君であらせられる、ジルオール様だ」
「ふうん? 後ろの奴らは何だ。王都軍の兵じゃなかったな」
「あれはジルオール様の私兵だ。ジルオール様はヴァナヘイム領を治めていらっしゃる」
ヴァナヘイム領は王都アースガルズの東側に位置する領だった。
ミズカルズ大陸は現在、四つの領に分かれている。
北に位置する極寒の大地、二ヴルヘイム領。
南に位置する灼熱の大地、ムスペルヘイム領。
西に位置するのは嘗てエルフ族の領地であったアルフレイム領だ。
そして、東に位置するのがヴァナヘイム領。これら四つをまとめているのが中央に位置する王都アースガルドだった。
一方、ミズカルズ大陸の外は吸血鬼の住処であり、ヨトゥンヘイムと呼ばれている。人間は一歩たりとも足を踏み入れることは出来ない魔の地だ。
事実、ミズカルズ大陸の有史以降、何者かがヨトゥンヘイムへ渡ったという記録は無い。勿論、生きて戻ってきたという記録も同様だ。
「……成る程? それにしても妙だな。順序で言えば、ジルオールの方がジークフリートより王位継承権は上だろう。ひょっとしてあれか。奴は魔術を使えないのか」
ルヴィスはジルオールの額にあった血戒紋を思い出す。血戒紋は魔術の使えない人間が魔術を使えるようにする為のものだ。生まれつき魔術が使えるなら、血戒紋は必要ない。
「口を慎め! そのような事、我々が詮議すべきではない!」
俄かに顔を曇らせるユナの表情を見て、ルヴィスは確信する。
「そうなんだな?」
「う……!た、確かに……ジルオール様は民の信頼も厚く、聖騎士からも慕われていた。ジルオール様がヴァナヘイム領の領主に任命された時、聖騎士の一部はそれを追っていった位だからな」
「それであの私兵団……ってわけか」
ジルオールが連れていた三十人ほどの屈強な私兵たちは見るからに訓練されていた。おそらく王都軍や現在の聖騎士の一部よりもよほど質は上だろう。その様な兵士たちに慕われるジルオールの人柄や人望の高さも、自ずと窺い知る事が出来る。
「……ただ王族の証である神聖魔術の才に欠けておられたのは事実だ」
ユナは若干声を落としていった。
「まあ、アースガルドの歴史を鑑みれば、妥当な話だな。ジークムントのような奴が王になる事自体があり得ない話なんだ」
ルヴィスは始祖王の銅像を見上げた。アースガルドの王位継承は、神聖魔術の才能があるかどうかが最も重視される。それは王の神聖魔術がミズカルズ大陸を吸血鬼の侵攻から守ると言われているからだ。しかし、先代の王・ジークムントにはジルオール同様、その才が無かった。
では何故、王たる資質の無い者が、王となってしまったのか。
そもそもジークムントには八人の兄弟姉妹がいたが、いずれも不幸な事故や病気で命を落としている。ジークムントが即位するころ、他に目ぼしい王族は残っていなかったのだ。それが故に、資格の無い者が王位に就く結果となってしまった。
「それにしても……どういう心境だろうな。神聖魔術の才の有無だけで弟に王座を奪われるってのは。物騒な事を考えてもおかしくない状況じゃねえか。例えば……反乱とか、な」
そう呟いた途端、ユナは不機嫌に顔を顰め、首を振った。
「よせ! 何も知らんくせに……ジルオール様はそういうお方ではない! 誠実で、厳格なお方だ。だからこそ、ジークフリート王もヴァナヘイムという広大な領地をジルオール様にお任せになったのだ‼」
ジルオールを信じて疑わないといったユナの態度に、ルヴィスは呆れ返る。
「表面ではそう振る舞っていても、腹で何を考えているのか分からないのが人間だろ。お前、聖騎士団長がそんな馬鹿正直でどーすんだよ」
「う……うるさい! その様な事、貴様に言われる筋合いはない‼」
ユナはこれでもかと言わんばかりに、ルヴィスを睨みつける。
ルヴィスが何を言っても、彼女には侮辱であるとしか感じられないようだった。ありありとした敵意。ジルオールへの態度とはまるで真逆だ。同じように接しろとは言わないが、もう少し何とかならないものか。ルヴィスは内心で溜め息をついた。
「……ん? そういやレーヴは……」
ふと気になって見回すと、レーヴァテインはアースガルドの始祖王の銅像の頭の上に腰を掛けて足をプラプラさせている。
「お、お前ッ……早くそこから降りろ! それはアースガルドの始祖王の神聖な像だぞ!」
ユナは激高したが、レーヴァテインはどこ吹く風だ。
「知らな~い、ですの。私には興味の無い話ばかりでつまらないですの!」
確かに王族のゴタゴタは、吸血鬼である自分たちにとっては縁の遠い話だ。大体、興味を持ったところで、どうにかできるものでもない。
「降りて来いよ、レーヴ。飯にしようぜ」
「主様……! はい、ですの!」
レーヴァテインはひらりとルヴィスの傍に降り立つと、背後のユナに向かってべーっと舌を出す。
激怒するユナ。
「お……おのれ……!」
両手を握りしめ、ブルブルと震える。
これからもこいつらに振り回されなければならないのかと思うと、ユナは己が情けなかった。