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血戒の心臓  作者: 天野地人
第一章
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第3話 残されたメッセージ

 その後、王都軍は周囲を警戒しつつ、市場の撤収と吸血鬼の残骸の後始末に取り掛かかった。

 

 ルヴィスとレーヴァテインは市場の屋根に座ってそれを眺めた。


「ところで主様、今日はこれからどうするんですの? まさか……また以前の様に地下牢へ?」

 レーヴァテインはひらりと上空で一回転しながら、ルヴィスにそう尋ねた。

「うんにゃ、喜べ! 今日は野宿だ‼」

 得意満面に告げるルヴィス。しかし、レーヴァテインは眉を吊り上げる。

「あ……あんまりですわ! 吸血鬼王ともあろうお方が野宿だなんて‼ それに……私だって野宿は嫌ですの‼」


「うるせえなあ……別にいいだろ。昔は普通に野宿してたじゃねえか。二ヴルヘイム領の近くまで行った時とかよ」

「あ、あの辺は見渡す限り荒野で周りに何も建物が無かったから……仕方なくですの! 折角王都にいるのに、野宿だなんて! 惨めな事この上ないですわ‼ 

 こんなに沢山家がひしめいていますのに……‼」

 両手で顔を覆い、さめざめと泣くレーヴァテイン。武器とはいえ、幼い子供に泣かれるとかなり気まずい。


「家、ねえ……。まあ、無い事もないんだが……」


 何とはなしにぼそりと呟いてしまったルヴィスの顔を、レーヴァテインはキラキラした瞳で真正面から覗き込む。先程までの落ち込み様はどこ吹く風だった。

「主様‼ それは一体どういう事ですの⁉」


 しまった、と思った時はすでに遅く、レーヴァテインの厳しい追及を受ける羽目になってしまった。仕方なくルヴィスはユナに連れて行かれた一軒家に戻った。

 すでに日はとっぷりと暮れかかっている。


「すごい……すごいですの、主様!大出世ですわ‼」

 よほど嬉しいのだろう、レーヴァテインは宙に浮いたままくるくると舞った。一方、気乗りのしないルヴィスは口調もぞんざいだった。


「いや、まあ……出世とかとは違うんだが……。レーヴ、お前気に入ったんならここに泊まれ。俺は外で寝床を探す」

「そんな……主様を置いて私だけなんて、そんなこと出来る訳無いですの!」

「じゃあ、俺と一緒に来るか?」

「野宿は嫌です‼」

「じゃあどうすんだよ」

「あ……主様の意地悪~~~!」


 押し問答を繰り広げる二人。その背後へ、金属の擦れ合う音が近づいて来た。

 見知った鎧と狼の耳。ユナだった。ルヴィスとユナは目が合った途端、天敵にでも遭遇したかのように同時に顔をしかめる。


「……何を騒いでいる? ご近所に迷惑だろう」

「お前……」


「な、何者ですの?」

 警戒したのか、レーヴァテインがルヴィスの後ろにこそっと隠れた。

「聖騎士ヴァルキリーの団長様だよ。今現在の」

 つい口調が刺々しくなるが、ユナはあっさりそれを受け流した。表情にも声にも疲れが色濃く滲んでいる。


「さっさと中に入れ。私も早く休みたい」

「……どういう事だ?」

「忘れたのか。私はお前の『見張り』だ。私もお前と一緒に当分ここに住み込むことになっている」


「おい……冗談だろ⁉」

 思わず怒鳴っていた。背後でレーヴァテインがきゅっと身を縮める。


「冗談ではない。言っておくが、お前に拒否権は無いぞ。どこに居ても、必ずこの家に引き摺り戻す。……これは王命なのだからな」


 ルヴィスは渋い顔をした。ユナはそれを無視して先に家の中に入る。レーヴァテインが憤慨した様に唇を尖らせた。

「な……何なんですの、あの女!」

「だから言ったろ。出世なんかじゃねえって」

 半眼で吐き捨てる。レーヴァテインは取り成すように明るい声を出した。


「でも……物は考えようですの。あちらが主様を利用するつもりなら、主様もとことんあいつらを利用してやりますの‼」

「……お前、野宿が嫌なだけだろ」

「ああん、主様~~~!」

「分かった、分かった。確かにお前に惨めな思いをさせるわけにはいかない。……それにどうせ、心臓が戻らなければどこにいたって同じだしな……」


 心臓が無ければ、王都から離れることは出来ない。ジークフリートもそれをよく承知しているのだろう。ただ、先代の王・ジークムントがルヴィスを徹底的に閉じ込め管理したがったのに比べ、ジークフリートはある程度放し飼いにして余計なストレスを与えまいとしている。


 言い換えると、両者はその点が違うだけで根本は一緒だった。


 先王・ジークムントの事を思い出すと、怒りが沸々と湧いてくる。溜め息をつきながら家の中に入ると、レーヴァテインは無邪気に家の中を飛び回っていた。


「すごい! きれいなお部屋ですの‼ 可愛いインテリアがきっと似合いますの‼」

 はしゃいだ様子で、一階のキッチンの方にすい、と飛んでいく。


「きゃ~~~、キッチンも素敵っっ‼ カーテンは何にしよう……調味料は全部お揃いの小瓶に入れて、お洒落なキッチン道具も揃えなきゃ! 窓にはお花も飾らなきゃだし……ああん、わくわくしちゃうですの~~~‼」

「……女って好きだよな、やたらと部屋を飾りたてるの……」

 ルヴィスはリビングの中央に設置してあるテーブルに浅く腰掛け、レーヴァテインの様子を呆れて眺めていた。


 暫くしてユナが二階から降りてくる。鎧は脱ぎ、ズボンとシャツの上下に厚手のカーディガンという、飾り気のない簡素な格好だった。

 後ろでまとめていた髪は下ろし、さらさらの長い銀髪が揺れている。


「……おい、吸血鬼」

「あ?」

 階段の真ん中で立ち止まり、こちらを見下ろしているユナへと視線を上げる。


「何故、市場であの時動いた? 吸血鬼退治にはうんざりしているんじゃなかったのか」


 ユナの表情はこれでもかと言うほど厳しかった。こちらは希望通りの働きをしてみせたというのに、まるで犯罪者でも見るかのような視線だ。


「うるせえな。俺を吸血鬼と戦わせることがお前の仕事だろ。結果そうなったんだからいいじゃねえか」

 面倒臭くなって適当に手を振ると、ユナは不愉快そうに眉を顰めた。


「そういう事ではない‼ 王都の安全は我々聖騎士ヴァルキリーが守る! 貴様の手など必要ない! 《五十年前の劫火》を引き起こした吸血鬼など、誰が信用できるか‼」


「……。好きにしろよ。俺は俺で勝手にやらせてもらう」


 言いなりになる気など毛頭無かった。それにこちらとて、ジークフリートやユナを信用するつもりもない。

 怒り任せに口を開きかけたユナを制し、ルヴィスは畳み掛ける。


「縄張り意識が強いのは結構だが、お前には他にやることがあるんじゃないのか。何だ、あの王都軍の体たらくは。あれじゃ王都どころか人ひとり守れやしないぞ」

「き……貴様にその様なことを言われる筋合いはない‼」


「昔は違ったぞ。……少なくとも、五十年前は、な」


 その言葉が存外堪えたらしく、ユナは黙り込んだ。両手を握りしめルヴィスを睨みつけていたが、そのまま踵を返し二階へと上がっていく。


 ルヴィスはそれを見送り、嘆息した。


 余計なことを言ったのは分かっていたが、あまりにも正面から敵意と憎悪をぶつけられ、こちらも苛立っていた。疲労感が増大する。


 二人の会話を聞いていたのか、レーヴァテインが台所から戻ってきてルヴィスにぴったりと寄り添った。

「ヤな女、ですの! せっかく主様が吸血鬼を倒したのに!」

「仕方ねえ。聖騎士は訓練の過程で吸血鬼への憎しみを叩きこまれるからな。あれはむしろ真っ当な反応だろう」

「フンだ! 馬に蹴られて死んじまえ、ですの‼」

 レーヴァテインは二階に向かってベーと舌を出す。

「お前……どこでそんな言葉覚えて来るんだ? ……まあいいや。俺達も休もうぜ」


 食料庫には僅かな食料が保管してあった。吸血鬼も、肉体的なエネルギーの補給を目的として、そういった食料を食べる事はある。しかし、今は何となく食べる気にはならなかった。欠伸をしながらルヴィスも二階に向かう。


 二階には三部屋あった。廊下の右側に二部屋、奥に一部屋だ。その、一番奥の部屋の扉には『立ち入り厳禁』の文字の下に、『侵入者は即刻死刑』と殴り書きで書いてある。どうやらユナはそこを自分の部屋にしたようだった。


 別段愛着もない家なので、部屋の間取りを勝手に決めるのは構わない。だが、張り紙の文字からはユナの殺気がそのまま表れていて、ルヴィスはうんざりする。内心で「誰が頼まれても入るか」と悪態をつく。


 取りあえず、ユナの部屋とは離れた、一番手前の部屋に入った。


 寝室はベッドとソファと小さな箪笥しかないシンプルな部屋だった。レーヴァテインはソファを自分の寝どこと定め、毛布を被って丸くなる。ルヴィスはジャケットとブーツを脱いで、新品のベッドの上に横たわった。


「………。そうか、ジークムントの野郎は死んだ、のか……」


 不意に呟く。一人になると、自然とジークムントの元で働かされていた頃を思い出した。


 あの暗く湿った地下牢に閉じ込められ、吸血鬼を倒すだけの日々。他人との接触は許されず、地上の移動も悉く限られた。


 時折ジークムントは思い出したように地下牢にやって来た。そして決まった様にルヴィスをなぶり、罵倒していく。

 神聖魔術の使えないジークムントは決して自ら手は加えない。エルフ族の奴隷を使うのだ。エルフ族は古来より魔術に長けている。


 エルフ族の奴隷は何か弱みでも握られているのか、へりくだった卑しい笑みを浮かべ、常にジークムントの顔色を窺っていた。ルヴィスに対して手加減を加える、などという事は一切無かった。

 

 ルヴィスには抵抗出来る筈もない。自分の心臓はジークムントに握られているのだ。それがどれだけ理不尽であろうとも、黙って耐え忍ぶしかなかった。


 魔術を用いた拷問は壮絶、などというものでない。骨を砕き、肉をずたずたになるまで斬り裂く。

 牢の中はそれらの骨や肉片が、溢れかえった血と一緒になり、地獄と化した。


 何しろ拷問を行う側は余計な労力を払わなくていいのだ。爪を一枚一枚剥がすなどと言うちまちましたことを行う必要などない。魔術式を浮かべ、掌ごと潰せばいい。


 不思議なことに、どんなに激しく痛めつけられても体は二、三日で回復した。もともと吸血鬼は自然治癒力が高いが、人型のそれは群を抜いていた。しかし身体的な傷はすぐ癒えても、精神はそうはいかない。激痛による人格崩壊。誇りも生物としての自尊心も粉々に打ち砕かれた。

 何度発狂状態に陥ったかしれない。


 ジークムントは思う存分罵倒し続け、唾を吐き、時には小便を浴びせかけ、ルヴィスが動けなくなるほど魔術でいたぶり続ける。そして、満身創痍で意識の朦朧としたルヴィスが許しを乞うと、ようやく満足そうに戻っていくのだった。


 それは確かに表向きは吸血鬼である自分を服従させる為の行為だ。しかしジークムントがいつからかそれを娯楽として楽しんでいる事にルヴィスは気づいていた。


 何度奴を殺してやろうと思った事かしれない。


(いや……どうせこうなるなら殺しとくんだったな………。)


 しかしその瞬間、激しい空しさに襲われる。例えジークムントを自分の手で屠ったとしても、失ったものが取り戻せるわけではない。


「くそっ……」

 やり場のない怒りを持て余しながら寝返りを打った。窓から差し込む月明かりがどことなく物寂しい。思えば月光を浴びるのも久しぶりだった。


 終わったのだ。


 狭い地下牢の中で、ただひたすらジークムントを憎んだ。そうしなければ日々を乗り越えることはできなかった。

 しかしその一方で、憎しみを糧として生きることがどれだけ醜い事かもよく理解していた。


 ジークムントを憎み、そんな自分を軽蔑し、全てを呪いながらただ呼吸だけを繰り返す。汚らわしい虫けらだと己を嗤った。それは徐々に絶望となって心を蝕み、地下牢を澱ませていった。


 永遠に終わる事の無いと思っていた奈落。


 それらはもう、終わったのだ。





 最初は眼が冴えてなかなか寝付けなかったが、いつの間にか眠りに落ちていた。久々に動いて体は疲れていたのだろう。


 翌朝眼を覚まし、レーヴァテインと共に階下に降りると、ユナが二人を待ち受けていた。

 昨日の全身を鎧で覆った姿ではなく、胴体と腕、足など限られた部分のみを鎧で覆っている。腰はスカートで、健康的な太腿が覗いていた。昨日に比べるとかなりの軽装だ。

 兜も被っておらず、髪は後ろでまとめ上げている。


「出かけるぞ。用意しろ」

「何だ、朝っぱらから……」

 ユナの唐突な命令にうんざりしながら、ルヴィスは台所に向かって水を飲んだ。


「これから昨日のヘルヴォル市場に向かう。お前も共に来い」

「断る。俺のことは信用出来ないんだろ? 好きにさせて貰うと言ったはずだ」


 ユナは眉間にしわを入れ、背中に担いでいたクルースニクを抜いてルヴィスに突き付ける。ルヴィスもまたか、とユナを睨み返した。

「……クルースニクの手入れも大変なんだ。あまり手間を掛けさせるな」


 怒ったのはレーヴァテインだった。すごい剣幕でユナに詰め寄る。

「も~~我慢できない‼ 何なんですの、あなた! 吸血鬼王に向かって無礼な!」

「うるさい。子供は黙っていろ」

「な……なあんですってえ⁉ 失礼ですの! 私は立派なレディですの‼」


 火に油を注ぎそうな気配に、ルヴィスは内心で溜め息をつく。

「……もういい、レーヴ。とりあえず行けばいいんだろ?」

「主様!」

「こちとら毎日串刺しにされちゃ敵わねえからな。俺、そういう趣味無えし」


 ユナはクルースニクを鞘に戻すと、顔色一つ変えずに言った。

「……。五分待つ。急げ」

 そのまま足早に戸口から出ていく。


「む……ムカつくですの……!」

 レーヴァテインは余程腹に据えかねたのか、肩を震わしていた。ルヴィスは朝飯も無しかよ、と毒づきながら、身支度を整える為に二階へ上がる。


 昨日と違い、ヘルヴォル市場は閑散としていた。住民の多くはまだ警戒しているのか、建物はどれもきっちりと閉じられたままだ。


 市場にはすでに吸血鬼の死骸は無く、西端と東端には規制線が張られ、一般人は立ち入れないようにしてある。

 昨日撤収した時には、その様なものは無かった筈だが。吸血鬼は一匹たりともいない筈なのに、ピリピリとした緊張感がそこにはあった。


「……何かあったのか………?」

 妙な雰囲気を察し、ルヴィスは口を開いた。


「ブリュンヒルデ隊長! こちらです!」

声のした先に目をやると、数人の聖騎士の兵士とグラニがユナ達を待ち受けていた。彼らはある店の壁の前で固まっている。


「一体何があった」

 ユナとルヴィスが近づいていくと、兵士の一人が説明する。

「それが……昨日は気づかなかったんですが、今朝住民の通報がありまして……」


 店の壁一面には文字で文章が綴られていた。色は、どす黒い赤。

 何かを挑発するかのような、ヒステリックな筆跡だ。文字の端々からは染料が血のように垂れている。ただの落書きにしては、異様すぎる光景だった。


 ユナは怪訝な表情をする。

「これは……」

「どうも古代文字のようですね」

「何て書いてあるのだ……?」

 眉根を寄せるユナにグラニはお手上げのポーズを作った。

「さあて……古代文字と言えば今は使われるのは魔術関係の書物くらいだ。紋章師の連中でも連れてきますか」


「その必要はない」

 後ろでその会話を耳にしていたルヴィスは即座にそれを制す。


 兵士とグラニ、ユナ。その場の全員の視線が集まるのを感じながらルヴィスはゆっくりと口を開いた。


「……そこにはこう書かれている。

 

 ――――――《惨劇は繰り返されるだろう》……ってな」



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