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血戒の心臓  作者: 天野地人
第一章
3/36

第2話 レーヴァテイン

 ヴァルハラ城の一室にルヴィスは連行された。


 部屋は他と比べて過度な飾り気は無いものの、格調高い壁の装飾やシャンデリア、運命の三女神を象った彫刻など眼を惹きつけるものばかりだ。磨かれた大理石の白い床は窓からの光を冷たく反射している。


「ちっ……何が『取引』だ、あの野郎……!」

 ルヴィスはぶつくさ言いながら、宰相のラーズグリーズに言われた通りに従った。身に纏っていた襤褸布を脱ぎ、隣接された部屋の風呂に入る。ジークフリートによって打ち込まれた矢や、長年壁に縫い付けられてきた杭の跡は既にきれいに塞がっていた。


 そして、与えられた服装に着替える。

 まるで黒の髪に合わせたかのような黒いジャケットに黒のインナー、ブーツやパンツに至るまで真っ黒だった。その中で真紅の瞳が異様に際立つ。

「……。……俺は鴉か?」

 備え付けの鏡で己の姿を確認し、うんざりしたように肩を竦める。


 その時、背後の扉が開き、聖騎士の騎士団長、ユナハイム=ブリュンヒルデが顔を出した。ルヴィスが兜を叩き割ったせいか、頭部は晒したままだ。

「おい、終わったか」

 ルヴィスは半眼で後ろを振り返る。

「……ノックも無しかよ」

「来い。王がお待ちだ」

 聖騎士はルヴィスの言葉を無視し、顎でしゃくってついて来いと命令する。ルヴィスは渋々後に続いた。


 やたらと長く、幅も高さもある廊下を歩き続け、聖騎士はルヴィスを一つの部屋の前まで連れて行った。王の執務室だ。

「やあ、さっぱりしたようだね」

 書類作業をしていたジークフリートはルヴィスの姿を認め、満足そうに言った。王の後ろには宰相のラーズグリーズが硬い表情で控えている。

「……取引ってのは何だ?」

 ルヴィスは遠慮のない足取りで執務室に入ると、王を睨みつける。

「我々に協力して欲しいんだよ。今、ちょっと困ったことになっていてね。王都に吸血鬼が出る。君にそれを退治して欲しい」

 ジークフリートの言葉を、ルヴィスは鼻で笑った。

「ハッ……そんなもん、王都軍の兵士にでもやらせときゃいいだろ。それとも、そんなに人手不足なのか?」

 ジークフリートは顎を引くと、挑む様ようにしてルヴィスを見据えた。

「……ルヴィス。さっきも言っただろう、私は父とは違う。父はお前を罪人の様に獄に繋ぎ、おまけに奴隷の様にこき使っていたようだけど、私はそんなことはしない。

 ――君に家を与えよう。ある程度の自由も保証する。他に望みがあれば、働き次第で報酬として支払う。お前が我々に協力すると誓うのなら、ね」


 王の提案はしかし、ルヴィスを不機嫌にさせただけだった。

「ふざけてんのか、てめえ! それとも余程頭の中がおめでたく出来上がってんのか? ……誰がお前らなど信用するか‼」

「それはお互い様だよ、ルヴィス。父はお前の実力だけは高く買っていたようだが、生憎私はそうじゃない。使えないのであればお前は即刻地下に逆戻りだ」

「……。俺を試そうってのか」

  眼を細めるルヴィス。

「吸血鬼退治も十年ぶりだろう。鈍った体を動かすには丁度いいリハビリだと思うよ」

  ジークフリートは平然と肩を竦める。


(結局俺を顎で使おうってんじゃねえか!)

 ルヴィスは腸が煮えくり返る思いだった。取引はあくまで対等な立場の者同士が行う行為だ。ルヴィスとジークフリートがそうでないことは一目瞭然だった。


 これが取引というのなら――ルヴィスは眼を見開き、思わず怒鳴っていた。

「……一つ条件がある!答えろ……俺の心臓はどこにある⁉」

 部屋が緊迫感に包まれた。突如声を荒げた目の前の吸血鬼に、ラーズグリーズはびくりと肩を震わせる。ルヴィスの背後で、聖騎士が背中の大剣の柄に素早く手を掛けた。ジークフリートは片手をあげ、彼女を制す。


「心臓………?」

 警戒しつつも、眉根を寄せるラーズグリーズ。ジークフリートは思い出したように視線を巡らせ、口を開いた。


「そう言えば父はお前の心臓を取り上げていたのだったね。残念だが、それに関しては何も聞かされていないよ」

「ちっ………その程度で『取引』か? 随分と笑わせてくれるな! こんな出来損ないの作り物で我慢しろって言うのか⁉」

 そう言うと、ルヴィスは自分の左胸を親指で指し示した。


 何故、吸血鬼王とまで謳われたルヴィスが、人間の言いなりになってきたか。

 それは全て、自らの心臓に原因があった。

 

 五十年前のあの日、予期せぬ悪夢がルヴィスを襲った。前代の王、ジークムントはルヴィスを捕らえ、その心臓を勝手に取り出していずこかへ奪い去ってしまったのだ。そして、ルヴィスに向かっていう事を聞かなければ心臓を叩き潰すと脅迫した。だからこそルヴィスはジークムントに逆らう事ができず、奴隷のように服従し続けてきたのだった。

 

 そしてそれはジークムントが死しても尚、ルヴィスの身体に戻る事は無かった。


 今、ルヴィスの体の中で鼓動を繰り返しているのは人工の心臓だ。生物にとって心臓が重要であるのと同様に、吸血鬼にとっても心臓は重要だ。

 ただ、吸血鬼の心臓はただ血液を全身に送り出すだけの臓器ではない。

 魔力の源でもあった。

 魔力が枯渇すれば血戒魔術が使えないばかりでなく、生命の維持にも関わる。例え今ある人工の心臓がどれだけ働こうとも、魔力が尽きた時点で死が確定してしまう。

 それを、あたかも人質の如く奪われた現在の状態では、どんな厚遇でも喜べるものではなかった。


 そう――本来の魔力に満ちた心臓を取り戻さない限りは。


「悪い話じゃないと思うけどね」

 ジークフリートは困った様に笑うと、ルヴィスの背後で待機している聖騎士に視線を送った。

「――騎士団長、ルヴィスを例の場所に案内しなさい」

「……承知しました」

 王の命令を受けて聖騎士は一礼し、共に部屋を退出するようルヴィスに促す。ルヴィスは舌打ちをし、ジークフリートを睨んだ。ジークフリートが心臓の在り処を知らないというのが本当かどうか、その表情からは読み取ることは出来ない。


 しかし、ここで真実を話せと暴れても、すぐに神聖魔術で返り討ちにあうだけだろう。ルヴィスは渋々聖騎士に従った。


「奴を城下に放って良ろしいのですか?」

 両者の退室を見送った後、すかさずラーズグリーズがジークフリート王に耳打ちをした。ジークフリートは鷹揚に頷く。

「心配はないよ。さっき本人も言っていただろう。父はルヴィスの心臓を取り出し、いずこかに隠した。今ルヴィスの中で動いている心臓は魔術作用の施された偽の心臓だ。彼が自分の心臓を取り戻すことが無い限り、我々を裏切ることは絶対にない。吸血鬼にとって心臓は動力源であり、弱点でもあるからね」

 

 色素の薄い瞳が冷たい光を帯びる。

「―――――――そういう風にできているんだよ」




 ルヴィスが次に連行されたのは住宅街の一軒家だった。平屋の二階建てで、人が一人で生活するには十分すぎる広さだった。内装も質素だが綺麗に整っている。


「けっ……ご丁寧にこんなものまで用意しやがって……」

 ルヴィスは腰に手を当てると、部屋を見回す。そして、うんざりしたような口調で戸口に立っている聖騎士に声を掛けた。

「……それで? お前はいつまでそこに居る気なんだ、犬女」


「私はお前を見張るよう命令されている」

 聖騎士は警戒態勢を崩さず、素っ気ない応答を返す。

「何……? 冗談だろう。この時代の聖騎士団長さまは余程お暇でいらっしゃるんだな」

「暇ではない。こちらもいい迷惑だ。貴様にはとっとと地下で干物(ミイラ)に戻ってくれた方が助かる」

 むっとしたのか、聖騎士は殊更強くルヴィスを睨む。


「……言うじゃねえか。かわいい顔に傷でもつけられたいのか?」

 ルヴィスは挑発する様に聖騎士に近寄る。聖騎士は顔色も変えず、背中に負った大剣の柄に手を掛けた。

「この大剣の名はクルースニク。ミスリルで精製した刀身に神聖文字を刻みこんである。グレイプニル同様、吸血鬼を殺すための魔導武具だ。……神聖魔術は吸血鬼にとって猛毒にも匹敵するのだろう? お望みとあらばいつでも試してやるぞ」

「ふん………」

聖騎士団長の言ったことは事実だった。ルヴィスは鼻を鳴らすと、渋々引き下がる。


 忌々しく思う一方。

 ――まあ曲がりなりにも聖騎士団長か、とルヴィスは思った。大抵のフェンリル族も人間同様、魔術を操る事が出来ない。人間であれば血戒紋を宿すことも出来る。しかしフェンリル族は血戒紋との相性も悪い。それを武器の特性でカバーしているのだろう。


 その時、慌ただしい足音がして一人の聖騎士が家に飛び込んでくる。二十歳前後の真面目そうな顔立ちの若者だった。

「ブリュンヒルデ隊長!……こちらでしたか‼」

「どうした、何事だ⁉」


「……で、出ました! 吸血鬼です‼」


 若者の顔には緊張と不安が色濃く浮かんでいた。いかにも新米兵士といった様子だ。それに対し、聖騎士団長のユナは力強く頷く。

「よし……今すぐ行く。吸血鬼王! 来い‼」


 しかしルヴィスは動かなかった。

「……あ? 知らねえな」

 そう言うと壁に体を預け、気怠そうに後頭部で手を組む。

「何だと……?」

 聖騎士は眉間にしわを寄せ、振り返る。

「俺は家なんざいらねえ。吸血鬼退治もうんざりだ。お前らの言いなりになるつもりなど毛頭ない」

 ユナの顔に、激しい怒りが浮かんだ。

「貴様っ……調子に乗るな!」

「それはこっちの台詞だっつの。……笑わせんじゃねーよ! モノで釣れば簡単に言う事を聞くとでも思ったか?」


 聖騎士と吸血鬼の二人は、殺気を込め、互いに睨み合った。若い兵士はすっかり怯え、壁際で縮こまっている。目の前の男が、吸血鬼王・ルヴィスであると気づいたのだろう、その眼には強い警戒と恐怖の色が浮かんでいた。


 苛立ったように背後のクルースニクを抜き、ルヴィスに突き付ける。

「……勘違いするな。これは『命令』だ。お前に選択の余地は無い」

「……。だったら何だ?」

「従わないのであれば、この場で斬る」

「やれるもんならやってみろよ。お前は俺の『見張り』だろ。俺をこの場で殺したら、それこそ『命令違反』になるんじゃねーのか?」


 ルヴィスはせせら笑う。ユナは青く澄んだ瞳を怒りに染め、ルヴィスの腹部に容赦なくクルースニクを突き立てた。


「て……めえ………‼」


 まさか本当に斬られるとは予想だにしなかった。

 ルヴィスは足を縺れさせ、大きくよろめく。耐え切れずにその場に倒れ込むと、口から血を溢れさせながらユナを睨んだ。クルースニクに付加された神聖魔術の効果が毒のようになって体に回り、全身から力が抜けていく。


「ブ……ブリュンヒルデ隊長……⁉」

 部屋の隅で成り行きを見ていた兵士は息を呑む。

「案ずるな。奴は吸血鬼だ。これ位では死なん。それより……急ぐぞ。こいつを運べ」

 ユナはそう言いながらクルースニクをルヴィスから引き抜き、血を払うと鞘に戻す。

「で、でも……」


 若い兵士は毒蛇にでも遭遇したかのような目でルヴィスを見つめ、近寄ろうともしない。

「聖騎士ともあろうものが、吸血鬼ごときに恐れおののくとは何事だ!」

 ユナは苛立ちを込めて怒鳴った。

「は……も、申し訳ありません!」

 兵士は跳び上がり、慌てて敬礼をする。そして意識を失い、ぐったりとして動かなくなったルヴィスを恐々と肩に担ぎ、ユナと共に家を後にした。




 吸血鬼が現れた現場は王都アースガルドの中でも有数の規模を誇るヘルヴォル市場だった。


 沢山の逃げ惑う市民を王都軍や聖騎士ヴァルキリーが誘導している。ユナとルヴィスを担いだ兵士は、逃げる人の波に逆らうようにして進んだ。そして、最前線で吸血鬼を押さえこんでいる部隊と合流する。


「……おっと、ようやくお姫様の到着だ」

 聖騎士副団長――グラニ=アランシスは、いかにも武人といったがっしりした体格の二十代後半の男だった。シニカルに表情を歪め、ユナを迎える。上官に対する態度としてはいささかフランクすぎたが、ユナはいつもの事なので気にも留めない。確かに言動にはいささか問題があるが、グラニの副団長としての統率力は確かだった。


「グラニ、状況はどうなっている⁉」

 ユナは吸血鬼たちの群れに眼をやりながら問う。

「……何とか凌いではいるんですが、なにぶん数が多くてね」


 目の前には様々な魔物が跋扈していた。ヒトデやクラゲのような、くにゃくにゃした軟体生物系が多い。ただ、大きさはいずれも布団ほどもあり、全身は黒く光沢を帯びている。全部で三十体ほどが、びっしりと市場を埋め尽くしていた。


 彼らは吸血鬼と呼称されてはいるが、おとぎ話の吸血鬼とは別物だ。太陽が苦手なわけでもないし、流水やニンニクを嫌っているわけでもない。ただ、人間――特に人の血を好んで食すことから、いつの間にかそう呼ばれるようになっていた。


 吸血鬼の姿形は様々だ。一般的に人型や哺乳類型の吸血鬼は強く、形が単純なものになればなるほど下位に属すると言われている。目の前の吸血鬼たちは大きさこそあるものの、さほど強敵という訳ではなさそうだった。


 幸い人的被害はそんなにないのか、ざっと見渡したところそれらしき亡骸などは見当たらない。ただ、吸血鬼と戦う兵士たちは明らかに苦戦している。

「くっ……こんなところまで吸血鬼の侵入を許すとは……! いくら数が多いとはいえ、下級吸血鬼ごときに遅れをとってどうする!

 紋章部隊と聖騎士団は前に出ろ! 王都軍の第一・第二部隊は後に続け‼ 第三部隊は引き続き避難誘導を続行‼ ……行くぞ‼」


 ユナはそう言うや否や先陣を切って吸血鬼の群れに飛び込んでいく。クルースニクを勢いよく抜くと、そのまま三体の吸血鬼をぶった斬った。


「おお……!」

「流石ブリュンヒルデ隊長だ‼」

「我々も続くぞ‼」

 ユナの勇士を眼にし、兵士たちの士気が明らかに変わった。俄かに覇気を取り戻し、ユナに続く。彼女は王都軍や聖騎士の実質的なリーダーであるだけでなく、精神的な支柱でもあった。


「……やれやれ。それじゃ俺達もやるとしますかね」

 グラニは苦笑した。確かにユナは強い。しかし、戦うその姿は同時に神々しく、美しかった。まさに、戦乙女――ヴァルキリーの名に相応しい。彼女がいるだけで、兵たちは勝利を確信する事が出来る。あれほどのカリスマ性はグラニ自身には無い。


 軟体生物を思わせる吸血鬼たちも即座に反撃に出た。だが如何せん彼らは知能が低い。数にものを言わせば、人間でも太刀打ちできない事は無い。


 三十分後、聖騎士と王都軍は市場を占拠していた吸血鬼を残らず全て駆逐していた。先程までの苦戦が嘘のようだった。

「これで全部のようですね」

 やれやれ、といった具合に嘆息するグラニ。しかし、ユナの表情は硬かった。

「くっ……!」

 ジークフリート王はルヴィスに吸血鬼の処理を命じた。それが王命である以上、個人的な感情はどうあれ、これからは共に戦わねばならない。しかし、ルヴィスは王の命に従う気など更々無いようだった。今はルヴィスを担いだ兵士がどこに居るかも分からない。


(王は、何故あんな輩を重用したりするのだ! 王都を守護するのは我々聖騎士の役目……奴などいなくとも、それは果たせる……‼)

 《五十年前の劫火》以降、大規模な吸血鬼の侵攻は皆無だった。確かに王都軍も聖騎士も、当時に比べれば弱体化しているのかもしれない。しかし訓練は常に行っているし改善の余地も無い訳ではない。まるで王から不信任を突き付けられたかのようで、ユナは面白くなかった。

 

 ――だからと言って吸血鬼に助けを乞うのは論外ではないか。


「……? どうかしましたか?」

 グラニはユナに怪訝な視線を送る。ユナは頭を振って雑念を追い払うと、職務に戻った。

「いや……何でもない。被害の状況はどうだ?」

「それが……どうやらヘルヴォル市場は定休日だったようですね。不幸中の幸いですよ。人的被害は最小限に留まったと言っていいのではないかと」

「それでも、吸血鬼が現れたという事実は重い。住民の不安はそう簡単に消えぬだろうな……」

 魔物の出現を察知できなかったのは軍や聖騎士の落ち度だ。住民とて声には出さないものの、そう認識しているだろう。国を守れば英雄になるが、平和な世では自分たちに向けられる目は殊更厳しいものになる。ユナは小さく溜め息をついた。


 その時、聖騎士団の後方で兵士の切り裂く様な悲鳴が上がった。


 慌ててユナがその方を振り向くと、新たな吸血鬼が空から舞い降りて兵士を襲っていた。獅子の体に足は蜥蜴、背中には蝙蝠の翼を広げた大型の吸血鬼。

 その姿は、大型の合成獣(キメラ)だった。やはり、全体的に黒い光沢を帯びている。数人の兵士の上に乗りかかり、鋭い牙と爪で以ってその生き血を啜り始めた。

「ヒッ……ひいいい!」

「き……吸血鬼⁉ まだいたのか‼」

「で……でかい‼」


 虚を突かれ、王都軍は混乱状態に陥る。グラニは血相を変えた。

「吸血鬼だと⁉」

「狼狽えるな! 隊列を整えろ‼」

 叫ぶと同時にユナはクルースニクを構え、走り出す。グラニも後に続いた。しかし、東西に細長い市場の東の末端にいるユナたちからは、西端に降り立った吸血鬼のいる場所まで大分距離がある。その間にも王都軍の兵士は次々と喰われていった。


「う……うわあああああああああ‼」

「もう駄目だあああああぁぁぁぁぁぁ‼‼」


 巨大な吸血鬼を眼前にし、戦歴の浅い王都軍の若い兵士達が恐慌状態に陥っていった。恐怖や不安と言った否定的な感情は瞬く間に隊全体に伝播し、戦闘意欲や機能を低下させる。激しい焦りがユナを襲った。このままでは、吸血鬼を倒す前に隊が機能しなくなってしまう。


 その時だった。


 紅蓮の炎が合成獣(キメラ)の姿をした吸血鬼に襲い掛かる。


「あれは……血戒魔術……‼」

 ユナは視線を巡らせる。慌てふためいて尻餅をついた兵士の丁度真上、市場の建物に張り出した木製の屋根上にルヴィスはいた。


「ったく……。こんな雑魚相手にマジでビビってんじゃねーよ!」

 ルヴィスは眼下の若い兵士を呆れ顔で一瞥すると、好戦的な瞳を吸血鬼に向ける。

「やれやれ……関わるつもりはこれっぽっちも無かったんだが、吸血鬼を見ると反射的に動いちまうな。……習慣ってのも、積もり積もると厄介なもんだ」

 台詞とは裏腹に、嬉々とした表情を浮かべるルヴィス。宙を見つめると、誰ともなく呼びかける。

「来いよ、レーヴァテイン! いるんだろ⁉」


 その言葉に反応し、市場の上空の空間が歪む。その刹那、瞬間移動の様にして少女が現れた。十歳前後の少女だ。ゆったりとした法衣の様なものを身に着けている。髪は燃えるように紅く、それ以外は肌も含めて真っ白だった。


 この世ならざる雰囲気を纏った少女。全身が僅かに発光している。


「あら、主様。最近姿を見ないと思っていたら、突然『来い』だなんて……。不躾にも程がありますの!」

 レーヴァテインは宙に浮いたまま、拗ねたような素振を見せる。ルヴィスは朗らかに笑った。

「それに関しては後で釈明する。いいから来いって」

「もう……相変わらず強引ですの!」

 レーヴァテインは困った様にやや顔を赤らめると、ルヴィスに向かって飛行していく。その体が一際強く発光し、次の瞬間に剣の姿に変身していた。白銀に輝く、美しい流線型の剣だ。刀身に、紅のラインが走っているのが特徴的だった。ルヴィスは自分に向かって飛んできた剣の柄を掴むと、軽く一振りする。


「おお、懐かしい感触だぜ」

『いやですの、主様ってば。恥ずかしい……!』

「あのな……。んなこと言われたら、こっちまで恥ずかしくなるっつうの。行くぜ、レーブ!」


 ルヴィスは屋根を蹴り、跳躍する。合成獣(キメラ)の吸血鬼はルヴィスを敵と認識したのか、身構えて喉の奥で威嚇するように唸る。


 ルヴィスは落下する重力に任せて合成獣(キメラ)に斬りかかる。レーヴァテインの刀身は紅蓮の炎が凝縮したかのような真紅に輝いた。動きの軌道に合わせて蒸気が尾を引く。合成獣(キメラ)は翼を羽ばたかせて僅かに後退してルヴィスの振った剣を避けるが、ルヴィスはさらに間合いを詰める。そして合成獣(キメラ)の前足を軽々と一刀両断した。

「グオオオオオオオオオオオン‼」

 合成獣(キメラ)型の吸血鬼は前足を失って己の不利を悟ったのか、二、三度羽ばたくと垂直に上空へと飛翔した。ユナはそれを険しい顔で見上げる。


「逃げるつもりか……⁉」

 空中に逃げられたら、厄介だ。地上は追い詰める場所もあるが、上空は遮るものが何もない。

「させるかよ‼」

 ルヴィスの真紅の瞳が強い赤光を帯び、周囲に魔術式が浮かぶ。同時に合成獣(キメラ)の周囲を火炎が包んだ。合成獣(キメラ)は瞬く間に上空で火達磨となり、のたうち回りながら黒く燃え尽きて地に落下した。


「や……やったのか……?」

「それより……今の、血戒魔術じゃなかったか⁉」

「ってことは……あいつ、吸血鬼……?」

 兵士たちは戸惑ったようにざわめく。その中でルヴィスは悠々と肩を鳴らした。

「……ま、こんなもんか」

「お疲れ様ですの、主様」

 レーヴァテインは人型に戻り、ルヴィスの周りを嬉しそうにふわりと舞った。それを遠くから眺めるユナとグラニ。グラニは鼻を鳴らした。

「……成る程。あれが噂の吸血鬼王という訳ですか」

「………。何故………」

「……は?」

「………」

 グラニはユナの顔を見て、肩を竦めた。ユナは唇を噛み、これ以上ないほど強張った表情でルヴィスを睨んでいた。




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