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血戒の心臓  作者: 天野地人
第一章
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第1話 吸血鬼王の復活

 白を基調とした美しい街並みに、温かい初春の陽光が降り注ぐ。


 賑やかな市場。市街地を走り回る子供たち。


 公園の真っ白な鳩たちが一斉に飛び立ち、澄み渡った青空の中を羽ばたいていく。


 王都アースガルドは完全に復興を遂げ、その美しい姿を取り戻していた。

五十年前の吸血鬼の侵攻の痕は、今や爪の先ほども感じられず、人々の間では歴史上の遠い記憶と化しつつあった。


 その王都を見渡す小高い丘の上に、壮麗な城が聳え立っている。

 ――ヴァルハラ城。王都の街並みと同じく白を基調としており、美しくも森厳さを感じさせる。アースガルドを統べるその城は、ミズカルズ大陸全体の政治と権力の中枢でもあった。

 その城の地下通路の階段を三人の人間がゆっくりと降りていく。


 真ん中に立つのが王都を統べるジークフリート王だった。年齢は三十後半。流れるようなストレートの長い金髪に薄氷を思わせるアイスブルーの瞳は、見る者に時には神秘性を、時には冷淡さを感じさせる。

 王の前方には照明を下げた宰相のラーズグリーズ。そして王の後方に王都軍の精鋭部隊、聖騎士ヴァルキリーの騎士団長ユナハイム=ブリュンヒルデが続く。


「それにしても……我が城の奥深くにこの様な場所があったとは」

 宰相のラーズグリーズは照明を掲げながら薄暗い通路を見渡した。通路内はひどく黴臭い。長い間人の出入りが無いことを窺わせる。ジークフリートは歩を進めながらそれに答えた。

「吸血鬼王による《五十年前の劫火》の際にも、王族の避難場所として活用されたそうだよ。私も足を踏み入れるのは始めてだ。ルヴィス……彼に会うのも久しぶりだな」


「それにしても……どういう事でしょうか。吸血鬼王・ルヴィスは英雄ヴィルヘルム=シグムントによって討伐されたはず……」

 戸惑ったようにラーズグリーズは呟いた。ラーズグリーズのみならず、それは王都の民の常識となっている。


 王都アースガルドがルヴィス=レギンレイヴの襲撃を受けたのは五十年前の話である。その被害はすさまじく、王都は焼け野原になった。これまで人間の前に姿を現した歴史上の人型の吸血鬼の中でも随一の力を誇った彼は、今では畏怖と憎しみを込めて吸血鬼王と人々の間で称されている。

 ルヴィス=レギンレイヴの襲来に、王都の戦力は総結集した。大陸最強と謳われる王都軍と王の近衛軍である聖騎士ヴァルキリーが同時に吸血鬼王を迎え撃ったのである。しかし吸血鬼王の力は絶大で、王都軍と聖騎士は壊滅の危機に陥った。


 最早、全てが終わったかと思われた時。


 奇跡は起きた。


 当時の聖騎士ヴァルキリー騎士団長であったヴィルヘルム=シグムントは、たった一人残されても尚、吸血鬼の群れに立ち向かっていった。

 その勇敢さと豪胆さ、そしてアースガルドに対する厚い忠誠心に、運命の女神たちも感嘆したのだ。

 彼女たちの温かな祝福を受け、彼は吸血鬼王・ルヴィスを打ち倒した。戦いは激しく、三日三晩続いたと言われている。ヴィルヘルム=シグムントはその時の戦いで力尽き、命を落としてしまったが、国を救った英雄として、今もアースガルドの人々の胸に刻まれているのだった。

 

 それは偉大な歴史であると共に壮大な英雄譚として語り継がれ、大衆にも幅広く受け入れられていた。大衆演劇や小説でも人気の題材となっているほどだ。


 しかしジークフリートは何でもないことの様に微笑んだ。

「ああ、ラーズグリーズは知らないのか。表向きは確かにそうなっている。でも父はルヴィスを密かに飼い続けていたのだよ」

「な……何故、その様なことを……?」

「簡単だよ。うまく使えば戦力になる。吸血鬼には吸血鬼を、という事さ。実際父は聖騎士ですら手こずる高位の吸血鬼をルヴィスに処理させていたらしい。

それに《五十年前の劫火》では何十万人という人々が死んだ。それでも吸血鬼王を屠る事が出来なかったとなれば、王権に傷がついてしまうだろう」


 最後尾のユナハイム=ブリュンヒルデは二人の会話に加わることもなく、黙って彼らに付き従っている。彼女が身に着けているミスリル・メイルと呼ばれる鎧は、体の可動部も含め頭部に至るまで全てを金属で覆っており、彼女の表情を窺い知ることは出来ない。更に腰のベルトには特徴的な形の黒い短剣が連なって装着してあり、背中には自らの身長と同じほどの長さもある大剣を背負っていた。


 通路は漆黒の闇に包まれ、前方は全く見通せない。三人の乾いた足音だけが響く。

 

 やがて、階段は終わり、水平の通路が十メートルほど続いた。その前方に重厚な金属製の扉が現れる。扉はすっかり錆びが浮かび上がってしまっていた。取っ手には埃まで積もっている。

「ここで行き止まり……か。この先のようだね」

 ジークフリートが呟くと共に、ラーズグリーズが後ろを振り返った。

「……ブリュンヒルデ騎士団長」

 名前を呼ばれた聖騎士は、一礼すると宰相から鍵束を預かり、錆びきってしまった鍵穴に鍵を差し込む。ガチャリと重々しい音が周囲に響いた。激しく軋みながら扉が開くと、その先には牢のような小部屋が広がっていた。ラーズグリーズが恐るおそる一歩部屋の中に踏み込み、その内部を照明で照らす。


「……‼ これは……!」


 一際黴臭い匂いに宰相は顔をしかめる。

 部屋の最奥の壁に、干からびたミイラが吊るされていた。襤褸衣を纏い、両手両足を含め、体中が杭で壁に打ちつけられている。骨と皮ばかりになった頭部はがくりと項垂れ、ぽっかりと穴を穿った眼窩には眼球の痕跡すらない。

「王、奴は生きているのでしょうか? どう見ても死んでしまっているとしか……」

 あまりの光景に、宰相の声は心なしか震えていた。

「魔術によって封じられているだけだと聞いているよ。それにしても……親父も悪趣味だ」

 

 ジークフリートは溜め息をつきながら右手を翳す。すると、その先に真っ白い魔術式が一瞬明滅した。

 

 次の瞬間、突如部屋の空気がミイラに引き寄せられるように集まっていく。

劇的な変化が始まった。干からびたミイラの胴体や頭部、四肢に筋肉が付き、肌も瑞々しさを取り戻していく。眼球が戻り、その上を角膜や瞼が覆っていく。まるで腐敗映像をそのまま逆再生したかのように、瞬く間に肉体が蘇生されていく。


 そして磔のミイラは十代後半ほどの男の姿になった。襤褸衣はそのままだが、頭部には黒々とした髪が揺れる。完全に肢体が蘇ると、杭に打たれた掌がゆっくりと動いた。

「う……動いた……⁉」

 息を呑む宰相。甦った男は首をもたげる。


 そしてその双眸をゆっくりと見開いた。


 凶悪そうに吊り上った瞳――その色は血を垂らしたかのような真紅。

 その両眼が王を睨みつける。ジークフリートは動じた様子もなく、にこやかに男に話しかけた。


「やあ。久しぶりだね、ルヴィス」

「……誰だ、てめえ? ジークムントのクソ野郎はどうした」

 ルヴィスと呼ばれた男は吐き捨てるように言った。敵意を隠そうともしない口調。宰相と聖騎士に、俄かに緊張が走る。

「貴様っ! 先代とはいえアースガルズ王に何たる暴言を……‼」

 しかしジークフリートは片手を上げて声を荒げた宰相を制した。

「いいんだ、ラーズグリーズ。」

「ジークフリート王! しかし……‼」

 ルヴィスは不意に、にやりと笑った。

「……思い出したぞ。てめえ、ジークフリートのガキか。随分フケたもんだな」

「当たり前だよ。お前が眠りについて十年経つのだからね。……父は死んだよ、ルヴィス。半年前のことだ」

 その場が静まり返る。照明の炎が部屋を不規則に揺らした。


 やがてルヴィスは小刻みに肩を揺らし始めた。

「………は……。は……ははっ、こいつは傑作だ! とうとうくたばりやがったか、あのジジイ‼ ザマあみやがれ‼ くははははははっ‼」

「くっ……いい加減にしろ! この吸血鬼風情が‼」

 宰相は蒼白になって怒鳴った。高らかに哄笑していたルヴィスはふと真顔になり、ラーズグリーズを一瞥する。


「うるせえな。てめえは黙ってろ」


 ルヴィスはそう言うと、両手に力を込めた。そのまま体を壁から引き剥がそうと試みる。しかし随所を縫いつけていた杭が、反発するように小刻みに軋んだ。ルヴィスは構わず、掌を握りしめて力を込めると杭を体ごと壁から引き抜く。鮮血が宙に舞うが、それも構わずだ。

 同時に真紅の瞳が一瞬明滅し、魔術式が浮かび上がった。

「け……血戒魔術……⁉」

 宰相は恐怖で上擦った声を上げると、体を捩って後退りする。


 ――その時だった。


 それまで沈黙を保っていた聖騎士が素早い身のこなしで動いた。

 宰相を庇うように前に進み出ると、腰に下げていたベルトから奇妙な形状をした真っ黒の短剣を三本取り出し、ルヴィスに向かって投げつける。ルヴィスは自由になった手で手刀を形作ると、俊敏な動きでそれらを全て叩き落とした。そして狂暴そうな瞳を歪め、嗤う。


「……遅えよ!」

 ルヴィスの放った血戒魔術が発動する。緻密な魔術式は圧縮された火炎の塊へと変換され、聖騎士を襲った。聖騎士は流れるような身のこなしで背中に担いでいた大剣を抜き、振り下ろす。そして轟然とした剣圧で以ってルヴィスの血戒魔術を相殺した。

 しかし、全てを打ち消すには至らない。魔術の余波が聖騎士の被っていた兜を直撃した。兜はぱっくりと割れると、呆気なく左右に落下していく。


 中から現れたのは美しい娘の顔だった。

 涼やかな銀色に輝く長髪は、後ろでまとめ、後頭部に編み込んでいる。澄んだサファイアのような瞳はきりりと見開かれ、武人としての意思の強さを感じさせた。

 若木の様なしなやかさと伸びやかさを感じさせる娘だった。実際、まだ若い。年の頃は十代後半程だろうか。

 しかし、何より目を引くのは耳だった。娘の頭頂部には犬のような耳が生えている。


「お前、人狼……フェンリル族、か………?」

 ルヴィスは僅かに目を見張った。ミズカルズ大陸には人間以外にもいくつかの種族が存在する。フェンリル族、エルフ族、ドワーフ族などがそれだ。

 その中でもフェンリル族は特に身体能力に優れ、突出した戦闘力を持っている。頑強でばねのある肉体、破壊的なパワーを生み出す筋力、そして俊敏性。おそらく、肉弾戦で彼らに敵う種族は他にいないだろう。確かに兵士にも相応しいと言える。


 だが、聖騎士は昔から人間がなるものと決まっていた。聖騎士団長ならば、尚更だ。

 ルヴィスは皮肉げに表情を歪める。

「はっ……聖騎士の騎士団長にフェンリル族の女とはな! よほど人材が不足していると見える‼」

「……戻れ、グレイプニル」

 聖騎士は顔色一つ変えずに片手を上げ、澄んだ声音でそう呟いた。

 ルヴィスに叩き落とされ、地に突き刺さっていた短剣が抜け、聖騎士の元に戻っていく。腰のベルトに残った短剣も残らず宙に浮いた。全ての短剣が縦一列に組み合わさると、鞭状の武器になる。

 聖騎士はそれを一度振り下ろす。短剣でできた鞭は鋭い音を立てて閃くと、ルヴィスへと向かった。すかさず払いのけようとするが、不安定な鞭の軌道を読み切れない。一瞬の判断を逃し、グレイプニルはルヴィスの首に巻きついた。


「………ッ‼」

 ルヴィスと聖騎士はグレイプニルを介して睨み合う。互いの力は拮抗し、鞭がぎしぎしと軋んだ。ルヴィスは即座に魔術を放とうとするが、鞭が淡く白い光を発しているのに気づいた。

(まさか……俺の魔力を吸い取っているのか)

 ルヴィスは舌打ちをする。まだミイラ状態から体が回復したばかりで、ただでさえ魔力の回復が追いついていない。


 落ち着いた顔でそれを眺めていたジークフリートは、穏やかな口調で告げた。

「よしなさい、ルヴィス。お前は我々に従うしかない。分かっているだろう?」

 突きつけられる服従勧告。ルヴィスは目を細めると、吐き捨てるように言った。

「……フン。お前にも確かにあのクソ野郎の血が流れているという訳か」

「それはまあ、親子だからね。でも私は父と同じ道を歩むつもりはないよ」

 ジークフリートはルヴィスの悪態を涼しい顔で受け流すと、その紅い目を真正面から見据える。

「……ルヴィス、取引をしないか?」

「取引、だと……?」

 ルヴィスの眼光が凶悪な光を放つ。残った魔力を全て掻き集め、魔術式を浮かび上がらせた。

「ふざけんな! これが俺の答えだ‼」

 ルヴィスが吠えると同時に血戒魔術が発動する。召喚された炎は聖騎士が放った短剣の鞭――グレイプニルをばらばらにし、勢いを保ったまま王を襲う。


「やれやれ……」

 ジークフリートは大仰に溜め息をついた。その周囲に純白の魔術式が浮かび上がる。アースガルズ王が代々操るとされる神聖魔術。それはルヴィスの炎を吸収すると何百本もの白い矢の姿になり、反転すると逆にルヴィスの体に突き刺さった。

「ガッ……‼」                                   

 ルヴィスは卒倒し、そのまま矢ごと後ろの壁に再び縫い付けられる。間もなく、全身が痙攣を始めた。眼球が大きく迫り出し、呼吸も困難になってくる。吸血鬼にとって、王族の用いる神聖魔術は猛毒にも匹敵するものだった。


 ルヴィスの様子を見て、王は薄く微笑んだ。 



「――――――……もう一度言うよ、ルヴィス。取引しよう」



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