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血戒の心臓  作者: 天野地人
第一章
1/36

プロローグ 全ての始まり

 どこかでまた、瓦礫の崩れ落ちる音がした。

 大気は怒り狂ったように熱を帯び、火の粉を孕んだ荒々しい風が容赦なく大地をなぶっていく。

 

 ミズカルズ大陸の中心、王都アースガルド。


 市街地は焼き払われ、すでに地獄と化していた。五百年の歴史を誇ると言われる、美しい石造りの古都――しかし今は見る影もなく、無残な姿を晒している。


 散乱する瓦礫、王都軍の兵士や民間人の死体。そこかしこに流れる生々しい血。

 馬ほどの大きさのナメクジに蝙蝠の翼を生やした魔物がその死体の血を啜っていた。他にも同じ程の大きさの魔物――蜘蛛の体に蛭の頭を持った魔物や蟻の胴体に猿の手足が六本生えた魔物など、様々な異形の姿をした化け物たちが人間の血を求めて徘徊している。

 彼らはこの世界では「吸血鬼」と呼称されていた。


 人と吸血鬼――双方の体には、互いに生々しい傷跡が幾多も刻まれている。

 アースガルドは吸血鬼の大群による侵攻に晒されていた。

 

 そして。


 中央広場では未だ一人の男が戦っていた。


 王都軍精鋭部隊、聖騎士ヴァルキリーの騎士団長。名をヴィルヘルム=シグムントという。黒い髪にアメジスト色の眼、精悍な顔つきの若者だった。聖騎士の鎧は端々が砕け、剣もあちこちが刃こぼれし、鍛え上げた肉体は満身創痍だった。


 それでもヴィルヘルム=シグムントは臆することなく上空に居座った敵を睨む。  

「……来い! 吸血鬼王、ルヴィス=レギンレイヴ‼ 決着をつけてやる‼」


 その視線の先には、やはり黒い髪の若者の姿があった。瞳は鮮烈な真紅。

 彼こそが後に吸血鬼王と呼ばれる吸血鬼――王都アースガルドを地獄へと陥れた元凶だった。


 ヴィルヘルム=シグムントとルヴィス=レギンレイヴ。一見すると、両者の姿かたちはどことなく似ている。まるで、相対する光と影のようでもあった。


「……良かろう。――――死ぬがいい」

 宙に浮かび上がったルヴィスはヴィルヘルムを見下ろし、重々しい声でそう宣告する。

 瞬時に、その周囲に光る文字が浮かび上がった。ルーン文字――古代文字とも呼ばれる文字群だ。それらは次々浮かび上がると、数式の様にずらりと並んだ。魔術を編み出す計算式――魔術式だ。そして完成した魔術式は一度強く発光すると、すぐさま消えていく。

 それが、合図だった。


 次の瞬間、ルヴィスの周囲に無数の炎の塊が召喚され、矢のように放たれた。触れるものを悉く溶かす、摂氏数千度の炎塊の群れ。それが一斉にヴィルヘルムを襲う。

「くっ……! 血戒魔術か‼」

 ヴィルヘルムは奥歯を噛み締め、鋭く呟く。ルヴィスが発動したのは吸血鬼の用いる魔術――俗に血戒魔術と呼ばれるものだった。この世界で最も高度な魔術の一つでもあり、人間には容易に対抗する手段は無い。

しかし、だからと言ってここでやられるわけにはいかなかった。


 ヴィルヘルムはすぐさま額に意識を集中させた。全身のエネルギーが額の一点に集中していく。そこに血戒紋と呼ばれる複雑な文様が浮かび上がった。

 無数の炎の矢がヴィルヘルムに着弾する――その刹那。ヴィルヘルムの前方に防魔障壁(シールド)が発生し、寸隙の差で防御に成功する。


 肩で激しく息をするヴィルヘルム。それとは対照的に、上空のルヴィスは涼しい顔で地上を見下ろしている。


 ミズカルズ大陸の人間は、吸血鬼とは違い、基本的に魔術は使用することができない。そこで血戒紋を体に刻み付け魔術を行使するのが常となっていた。

 しかしそれは、所詮は血戒魔術の劣化版に過ぎなかった。生まれながらに魔術を扱える吸血鬼と比べ、人間の用いる血戒紋魔術は、どうしても魔力の消費効率や術の威力の面などで劣る上、発動に時間がかかるなどの欠点が多い。お世辞にも、互角に戦える代物ではなかった。


 おまけに、問題は使用できる魔術の質の違いだけではない。

 ヴィルヘルムは自分と上空の吸血鬼との間の基本的戦力に、埋めようも無いほど圧倒的な差があるのを感じていた。歴史的に見ても、人型の吸血鬼は災禍と恐れられる程の戦闘力を誇るとされている。目の前の吸血鬼、ルヴィスもまた、それに比する力を持っていた。堅牢な城壁と魔術結界に守られた王都アースガルドが、ルヴィスの発した数発の魔術で目の前の廃墟と化してしまったのだ。それが何よりの証拠だった。 

 ここまで耐えられたのは奇跡的だと言っていい。


 それでもヴィルヘルムは負けるわけにはいかなかった。王都を守護する聖騎士ヴァルキリーの騎士団長として、そして死んでいった仲間たちの為に。


 吸血鬼王・ルヴィスは皮肉に口元を歪めた。

「防いだか。そのしぶとさ……最早ゴキブリ並みだな。――――――――………ん?」

 しかし、すぐに異変に気づき、自身の右腕を見下ろす。

その視線の先でルヴィスの二の腕から下がボトリと捥げ、落下していった。

「………⁉」

 ヴィルヘルムは思わず目を見開いた。一瞬自分のこれまでの攻撃が功を奏したのかと胸が高鳴るが、すぐさまその考えを自ら否定する。これまで、掠り傷一つ負わせられなかったのだ。自分が原因ではない。


 ――何が起こっているのか。

 

 吸血鬼王は苦痛に顔を歪めることもなく、にたりと嗤う。

「ふむ……この肉体もそろそろ限界か。丁度いい。俺はお前が気に入った」

 そしてヴィルヘルムに視線を巡らせると、残された左手を優雅に躍らせた。その指先の先に複雑な魔術式が浮かび上がり、血戒魔術が発動する。


 次の瞬間、ヴィルヘルムの体は自らの意思とは関係なく、硬直していた。まるで金縛りにあったかのように、全く身動きを取ることができない。何が起こっているのか。しかし、それを理解する間もなく、足がふわりと地を離れる。


 ヴィルヘルムの体は、そのままするすると宙に浮かび上がった。見えない力に羽交い絞めにされ、全身が上下左右に強制的に引っ張られる。その様は、見えない十字架に張り付けられたかのようだ。

「な……何⁉」

 ヴィルヘルムに動揺が走った。身を捩って抵抗を試みるが、ビクともしない。それどころか闘志の拠り所である剣が右手から離れ、乾いた音を立てて地面に落ちてしまった。磔の状態になったままどんどん上空へと上昇し、吸血鬼王の目の前でぴたりと止まる。

「な……何のつもりだ、貴様っっ‼」

 ヴィルヘルムは内心の焦りを押し隠し、全力で目の前の吸血鬼を睨む。しかしルヴィスは意にも介さない。血を垂らしたかのような真紅の瞳でヴィルヘルムを凝視する。その瞳の先に再び魔術式が浮かび上がった。


「……邪魔だ」

 ルヴィスの言葉と共にヴィルヘルムの聖騎士の鎧が粉々に砕け、吹き飛ぶ。それは鎧の下の楔帷子をも引き千切った。その上半身、鍛えられた体が露わになる。

「ぐあっ………‼」

 衝撃を真正面からもろに受け、ヴィルヘルムは大きく仰け反る。しかし、両手両足に科せられた見えざる枷はびくともしない。それでもヴィルヘルムは何とか呼吸を整え、言葉を吐き出す。

「わ……私、は……聖騎士、だ……! この、王都を……アースガルドを……守る……‼」

 ルヴィスは眼を細めそれを聞いていた。

「ふむ……大したものだな、その執着心も。いや、誇り高い……と評するべきか?

だが――――――………」

 そしてカッと目を見開き、耳元まで裂けんばかりに口元を歪ませ、嗤った。

「安心しろ。それもいずれ、全て忘れ去るだろう」


 その刹那。

 ルヴィスの鮮紅の色をした眼球が、パシャリと妙な音を立てて弾けた。

「な………に…………⁉」

 ヴィルヘルムは驚愕と共にそれを凝視する。


 ルヴィスの割れた眼球から生々しい血が流れ、顔面を鮮烈な赤で濡らした。しかし眼球から出てきたのはそれだけではない。その奥から、血液ではない、どろりとした赤黒い物体が溢れ出し、アメーバのようにゆっくりと増殖していく。

 よく見るとそれは小さな文字の塊だった。無数の魔術式が蠢き、群れを成している。

「――――――……さあ、始めようか」

 ルヴィスの言葉を合図に、彼の眼球からあふれ出した魔術式の集合体が俄かに激しく動き出す。踊り出すようにして宙に身を投げると、一つの生命体であるかの様に激しくうねった。


 そして魔術式の塊は、ヴィルヘルムの左胸部――心臓を目がけて飛び込んできた。

 それらはまるで無数の蟻が地面を食い荒し、巣を作るが如く突入を開始する。ヴィルヘルムの皮膚を喰い破り、肉を破壊しながら心臓を侵食していく。


「ガッ………ア……アア………ッ―――――――」

 今まで味わったことの無い、とてつもない激痛がヴィルヘルムを襲った。逃れようと狂ったようにもがくが、手足は見えざる力に拘束されたまま、胴体だけが空しく跳ねた。全身が激しく痙攣し、口や鼻、目から大量の血液が溢れる。それらが血の雨となって、地上に降り注いだ。

(何が……起っている……⁉私は……死ぬの、か………?)

 生まれ育った、アースガルドの美しい街並み。最後まで共に戦った、聖騎士ヴァルキリーの仲間たちの顔。それらが次々と脳裏に浮かび、消えていった。

(みんな……すまない……!)

 悔しかった。敗北感と、申し訳ないという無力感が胸の内に広がっていく。


 やがて魔術式の全てがヴィルヘルムの心臓に吸い込まれ、ヴィルヘルムはがくりと首を垂れる。霞みゆく意識の中で、吸血鬼王・ルヴィスの満足そうに笑う声が聞こえた。


「――――喜ぶがいい。そなたは《ユグドラシル》に選ばれた」


 言い終わると、ルヴィスの体は風に煽られ、砂塵の様に溶けて消えていった。

同時にヴィルヘルムの両手両足は見えない枷から自由になる。そして、糸が切れたように落下し、どさりと地に落ちた。


 ヴィルヘルムの意識はそこで完全に途切れた。





 ――――――それから五十年後。




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