第3話【異変の始まり(上)】
私がこの街に辿り着いて、既に二週間が過ぎた。
悲しい事だが、もう私の財布は、諦めた方がいいのかもしれない。
(あのお財布、結構気に入っていたんですけど……)
悲しんで、何時までもくよくよしても仕方ないと、頭の中を切り替える。
私は今縁あって、行き着いた酒場で住み込みでのアルバイトをさせてもらえている。せめて、報酬以上の働きをしなくては。
長い白銀の髪を二つの水色のリボンで縛る。
たまたま持っていたシンプルな白の長袖のワンピースに青色のグラデーションと月と雫のワンポイントが素敵なエプロンを身に纏う。
お気に入りの黒の靴を履いて、扉の外に出る。この店で働くのに必要ないから、剣はベットの上に置いていく。
階段を降り、店内に入る。掃除道具を取ろうとして気が付いた。
「あら?」
リズがいなかった。この店で一番遅くまで働いて、一番早く仕事に取りかかるリズがいなかった。
少しだけ不思議に思ったが、特に気にせず箒とバケツと雑巾を用意する。
いざ掃除を始めようと箒を手に取ると、階段がある方からドアを開く音が聞こえた。
「ルチアのおねぇーさん!おっはよー!!」
出てきたのはロイルだった。今朝は何時もより早い。普段通りなら私が掃除を終わらせたと同じくらいに起きるのに。リズはまだ来ない。
「おはようございますロイルさん。今日は一段とお早いですね。何かありました?」
「えへへ~分かる?分かっちゃう~?今日ね、おとうさんが帰ってくるんだ~!」
「そうですか。よかったですね」
「うん!美味しいお菓子をね、たぁ~っくさん持って帰ってくれるんだって!」
お父さん。
私はロイルの父親とは会ったことがなかった。
それも仕方のないこと。ロイルの父親は国外で働いており、滅多に帰ってこないと聞いていた。むしろこの店で働いて一週間という短い時間で会うことになるとは思わなかった。
二人で掃除を始めて暫くするとと慌てたような足音が聞こえてきた。正体は分かっている。
「寝坊した─────!!」
「リズさんおはようございます」
やはりリズだった。別にそんなに遅くないだから気にしなくても良いと思った。
一体リズさんは普段どの位早起きなのだろうか。何時もは私より早いのは確定と言っても良いだろう。
「もぉ、おかあさん!いくらおとうさんが帰ってくるのが嬉しいからって、朝寝坊はダメだよ~」
「アンタは早いね。何時もより」
「まぁねぇ~!」
どうやらリズとロイルは嬉しいことがある日の前日の様子も違うらしい。私はどちらかと言えばロイル派である。
「ふんふんふ~ん」
「おや、今日のお坊ちゃんはご機嫌だねぇ」
「そうですね」
今日はジャック一人での来店だった。ジークは仕事だとかでいない。
ジャックたちは、今日ロイルの父親が帰ってくることを知っていたらしい。
「兄貴は国外での生活が長いからな。やっぱり滅多に会えない父親に会えるのは嬉しいんだなぁ……」
「そのようですね」
ロイルは誰が見ても分かるくらい、とてもいい笑顔をしている。私にはよく分からない事だが、きっと凄く嬉しいのだろう。
(私には、いませんからね。遠く離れて暮らす父親なんて……)
「ルチアの嬢ちゃん、どうした?」
「あ、なんでもないですよ。気にしないでください……」
少しだけ、昔の思い出に浸っていたらしい。あまり思い出すべきものではないと仕事に頭を切り替える。
「ところでロイルさんのお父様ってどんな方なんでしょうか?」
どのみち今日会うことになるのだから気にしなくてもいいのだが、なんとなく気になってきた。
「聞きたいか!?いいぜ……とびっきり長くなる俺たちの漢の物語を」
「注文お願いしま─す!」
「わかりました!少々お待ちくださいませ」
「……………………おーい」
なんだかジャックが寂しそうな目でこちらを見ている気がするが今は仕事中。次の休憩の時にしよう。
なんだか気になったものがあった気がするが今は関係ない。
その後、次々と別の客がやってきた。ジャックは酒と料理の追加を。今日は一日中いるらしい。明日に響かないのだろうか。
「ウィ~!酒だ~しゃけもってこぉ~い」
「おじさん顔まっかっか~。昼間っから飲み過ぎだよぉ~」
「だまれぇ、じーく。漢にはなぁ、のまなきゃならねぇときがあんだよぉ~」
「ボクロイルだよぉ~!」
ついに顔の判別が出来ない程になってしまった。
これ以上は飲ませない方が体にいいのかもしれない。後でジャックさんをどうするか相談しよう。
「ねぇ。おねえさん。ジャックのおじさんお店の邪魔になるから二階に運ぶんだって」
「そうですか。どうやってですか?」
「おじさん重いしね。この袋でおじさん包むから手伝って」
ロイルが引っ張り出してきたのは、飾り紐がついたとても大きな布だった。
どんなものでも包める大きさならば、例え非力な子供や老人でも片手で運べるほどの重さになる袋【火事場の風呂敷】だった。神聖国で同じものを見たことがある。
「おとうさんが、お土産に買ってきてくれたんだ~。おじさん運ぶの楽になるんだけど、袋に包むまでが大変だから……」
「そうなんですか。わかりました」
そう言って、ジャックを袋の上に乗せるのを手伝う。
そして、袋に乗せ終わって、後は包むだけとなった時に、激しくドアを開ける音が聞こえた。
振り返るとそこにいたのはジークだった。息が荒い。
「こんにちは!!ジャックさんは!?」
「あらジークさん。ジャックさんならいらっしゃいますけど……」
「ウィ~……ヒック!!」
「完全にできあがってますね……」
「そんな!こんな非常時に!?ジャックさ──────ん!戻ってきて──────!!」
ジークはジャックの肩や背中を激しく叩きながら呼び掛ける。
非常時、と聞こえた。何かあったのだろうか。
「ヒジョージ?」
「そうだよ!何せ通信装置が作動しなくて、船に避難誘導が出せない……」
そこまで言った後、ジークははっとしたように口元を押さえた。そしてわなわなと声の方を見た。そこにいたのはしかし、ジークよりも顔を真っ青にさせて震えていたロイルがいた。
「ひなん……?ふね……?」
「ろ……ロイル君……」
「じゃあ……おとうさんたちは……?」
その一言に、私はハッとする。
ロイルの父親は、仕事で国外にいると言っていた。
その父親の話を今すると言うことは、ここの港に来る船を使うということ。
あれだけ父親の帰りを待ち望んでいたロイル。帰宅時間を予想するために船の時間を調べておいてもおかしくはない。
「ねえ……ジークのおにいさん。おとうさんは平気だよね?大丈夫だよね?」
「え……と。うん、大丈夫のはずだよ。大丈夫……」
ジークは歯切れ悪く言った。恐らく海の上での非常事態を、船に伝えられていないのだ。
ここにはロイルがいる。これ以上は刺激をしない方がいい。
「ロイルさん。すみませんが、少し用事が出来てしまったので少しだけ外しますね」
「え?」
「リズさんに上手く言っておいてください。終わり次第、すぐ戻りますので」
「え?ええ?」
それだけ早口で言うと、すぐさま二階の部屋に行って、ベットの上に置いてある剣を手に取る。
一階にはロイルがいる。今剣なんて見せたら、さらにパニックに陥ってしまうだろう。
仕方なく、はしたないが窓を開けて飛び降りる。伊達に長年旅人をやっているわけではない。多少の衝撃は仕方ないが、無傷で着地することができた。
街の人たちの視線が気になるが、気にしている場ではない。
大急ぎで、船がある方向へ向かう。私がこの街に来るのにも使った港へと。
港には沢山の野次馬で溢れていた。警備員が野次馬を帰そうとしている。
私はその間を潜り抜けて前へと進む。こういう時は、この体も役に立つ。
「あれは……」
その海には大きな生物がいた。この時期には滅多に姿を見せない筈の【ハクトバス】だ。
白い大きな体に八本の足。白いタコのような姿だが決定的に違うのはその大きさ。一般的なタコの十数倍はある。
柔らかい歯ごたえだが、それは食べる時であって、いくら柔らかいとは言っても重量があればそれなりに破壊力も大きい。
確かに危険だ。
「でも普段は深海に棲んでいて出てくるのは半年ほど先だったはずですが……?」
それが何故今現れて、今海の上で暴れまくっているのかは分からない。
しかし、船に連絡を送れないこの状況。直せればいいのだが、直してもあの怪物が暴れている事には変わりない。
「ルチアちゃん!ここにいたのかい?」
あれこれ考えていると、不意に後ろから肩を掴まれた。無意識に振り返るとそこにいたのはジークだった。
「……ジークさん?ロイルさんは?」
「……いないよ。いるわけ、ないだろう?さっさと戻った方がいいよ。リズさんも、ロイル君も、みんな心配してる」
「終わり次第戻ると、言い残しましたから。大丈夫ですよ」
「終わらせる?何を?まさかとは思うけど、あれを?馬鹿な考えはやめた方がいい。君はまだ子供で、危険に自ら首を突っ込むのは駄目なんだ」
ジークは私の手を引っ張って、酒場に連れ戻そうとする。酒場に戻ってもよかった。私が余計な事をしなくてもいいのなら、自分から首など突っ込まない。
だが長いこと旅人などやっていると、最悪な状況を真っ先に思い浮かべてしまう。私が子供だと言われたこと以上に、私の心に突き刺さった言葉があった。
「……やっぱり、危険なんですね」
「……そうだよ。だから、帰って。大丈夫だよ。今、警備隊の人たちで対策を考えているから。安心していいんだよ?機械の修理だってやっている。本当ならジャックさんがこういう機械作業は得意なんだけど、他の人でも何とかなるし、大丈夫だから」
「時間が、かかりそうですね」
私は、静かにそう言った。やんわりと、ジークから手を離す。再び海へ顔を向けた。
「ジークさん。私は、大人の庇護を受けなくてはならない子供の女の子ではありませんからね」
「そうだろうね。君は旅人で、僕はそうじゃない。旅の危険性なんて知らないし、楽しさも辛さも分からない。その事に関しては僕の方が子供だろう。だけどね、君は僕よりも若いんだから」
「ジークさん」
早くしないといけないのに、何をぐちぐちといっているのだろうか。
少しでも時間を稼いでいるつもりなのか。全く持って意味がない。
時間を稼いで私の邪魔をして何になる。通信装置が直るのか。直るのなら遠慮なく邪魔をすればいい。だが、そんなわけがない。
例え直って、船に連絡が届いてもあの怪物はどうするのか。海の上にいる限り、あれの脅威にさらせれるのは目に見えている。
それに直らなかったらどうなるのか。船はそのまま進むだろう。もしかしたら上手く回避して何事も起こらず上陸できるかもしれない。だが、もしもそうならなかったらどうなる。
怪物はどうする。あれほど暴れまくっているのだ。活きはよさそうだ。ステーキにしても、神聖国のように生のまま食べても、美味だろう。
ハクトバスは食べられるが、捕るのが大変でかなり高価な取引が行われると聞いたことがある。そんな高級食材をみすみす逃すとは思えない。
それに海の上で暴れていて、ロイルの父親が危険にさらされる可能性があるのだ。行動する理由は揃っている。
手に持っている剣の柄を握る。そうすると剣の鞘と柄に付いている宝石は、赤から青へと変化する。戦闘準備は整った。
だが、まだ納得していない大人が後ろにいるのは気に食わない。しかも、理由は私が『まだ子供だから』だという。
確かに本当の子供ならば、大人の庇護により護られるべき未来の宝だ。次の世代に未来を渡すための大事な架け橋であり、希望そのものだ。
だが、生憎。私は既に護ってくれる大人は存在しないし、護られるだけのつもりはない。
これくらいは言ってもいいだろう。子供子供、若いからと。そこまで言われると、こちらとしても腹が立ってくる。
いくら、こちらの見た目がそうだとしても。
ちらりと、顔だけ振り向く。ジークがどんな顔をしていたかなど、この際どうでもいい。ただ、これだけは言っておく。
「少なくとも私、貴方よりも年上です」
リズ・リーリース(三十二歳)
黒色の短髪。黒色の瞳。
酒場【月の雫】の女将。ロイルの母。
ロイルと違い気が短く怒ると怖いが、誰よりも酒場とそれを愛してくれる人と家族を愛している。
最近の悩みはロイルが年上の女性に猛烈なアピールをする事。ロイルには浮気癖のない誠実な男性として成長してほしい。
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