秋の出会い
大好きな平安時代を書きました。
楽しんで頂けたら嬉しいです。
「――右兵衛権左さま」
橘昌嗣が御簾の奥へ声をかけると、すぐさまよく通る声が返ってきた。
「昌嗣で良いですよ。って、この前も言ったと思いますが」
「あらすみません。それで、本日もまた警備のご確認ですか?」
藤原秋子は、師走の寒さを乗り切るためたくさん着た十二単の裾を上手くさばいて御簾の前に座り、扇を掲げた。
昌嗣は、優しげな顔に苦笑をにじませた。
「つれないですね。貴女に会いに来ただけなのですが」
「あら。日中からそのようなことができるとは、右兵衛権左とは大層お暇なのですわね」
すました顔で冗談に返した。
がすぐに、二人して笑声を漏らす。…ここ最近の日常だ。
秋子は腹違いの姉である盛子の弘徽殿女御としての入内に伴い、女房として仕えて三月ほど。
盛子の母親は正室だが、秋子の母親は側室だった。
一月ほどの差で生まれた二人は顔立ちや背格好がそっくりで、双子のようだ。
だがそれを嫌悪した盛子とその母親が、まだ幼い頃、秋子の全身に熱湯をかけたのだ。
そのため嫁がせることもできない厄介者の娘を家から追い出す恰好の口実となった盛子の入内に、一緒に出されたのだった。
装束の襟や袖などからも見えてしまう醜い火傷のせいで女房仲間から避けられている秋子は、弘徽殿の端の方が居室だ。嫌がらせで毎日下女に混じって洗濯をさせられるほかには、することはほとんど無い。
参内して間もない頃、暇を持て余し、御簾をあげて庭の紅葉ををぼうっと眺めていたところ、警備をしていた昌嗣が偶然その姿を見つけ、出会ったのだった。
それ以来、昌嗣は休憩と称してよく遊びに来ていた。
とは言うものの、右兵衛権左は内裏の警備の半分を司る右兵衛府の次官である。その仕事量は多い。どうにか時間を見つけ、寂しそうな様子の秋子を慰めに来ているのだ。
「そうそう、今日は組紐をもらったので、持ってきました。どうぞ」
昌嗣がそれまで右手横に置いていた筺を前に出し、蓋を開けた。
「わあ…。綺麗」
白や茶、朱、藍など、様々な色があった。
「ありがとうございます! これでしばらく楽しく過ごせそうだわ」
扇を少し下げて見せた秋子の笑顔に、昌嗣もつられたように顔をほころばせた。
秋子はその表情に、知らぬうちに少し胸が高鳴っているのを感じた。
年が明け、睦月の半ばまですぎた頃。
「――秋子殿。手を、出してくれませんか」
「え?」
「渡したいものがあるのです」
「で、ですが、私の手は――」
「気にしません」
いつも礼儀正しい昌嗣が、このようなことを言うなんて、と不思議に思ったが、秋子は素直に御簾の下から火傷の痕が残る手を出した。
そこに、昌嗣が袍の袂から出したものを載せた。
「これは?」
「…私からの文、です。………明日の夜、寝る前に読んで下さい」
「明日? 今日は駄目なのですか?」
「ええ。明日の朝でも駄目です。必ず、明日の夜に」
秋子は訝しく思ったが、「分かりました」と言って手を戻そうとした。すると昌嗣がその手を取り、文を持っている指の先の火傷痕にかすかに口づけた。
驚いて身を固くする秋子の様子を分かっているのかいないのか、昌嗣は手を持ったまま目を見詰め、
「……また、会いましょう」
そう言って何事も無かったかのように手を離し、一礼して帰って行った。
(な、何…!? 何だったの…?)
秋子は何故か火照ってきた頬に触れられた手を当て、後ろ姿を見送った。
文を渡された次の日の、雪が静かに降る夜。
秋子は言われたとおりその時まで読まずにいた文を開いた。
流れるような美しい字が目に入る。
〝秋子殿
この度は突然文を渡す無礼をお許し下さい。〟
昌嗣らしい律儀な冒頭に微笑みをこぼし、次の一文へ視線を移す。
〝私は今回の除目で、土佐国の国司となりました。〟
「……!?」
突然の言葉に、秋子は声も出ないくらい驚いた。
慌てて続きを読む。
〝…どうやら、摂関家の方々から目を付けられていたようです。
もう、都へは戻れないでしょう。
出会った時、貴女が憂いた瞳で紅葉を眺めていたのを思い返し、自分と同じだと思いました。
私も、側室の母から生まれ、父親や兄弟たちから疎まれてきたからです。
ですが、貴女の瞳はもう輝いている。…あのような瞳を二度となさらぬように、祈っております。
今朝の船で都を離れました。
どうかお元気で。
昌嗣〟
「……ッ」
秋子は文を抱いて、どこか呆然としながら涙を流した。
(あの方も、私と同じだったんだ…)
昌嗣は、何をするでもなくぼんやりと過ごしていた秋子に、楽しい時間を過ごさせてくれた。
自分は昌嗣に、同じことができていただろうか。
秋子は首を振った。
「…まだ、何もできていないのに……っ」
うつむいた拍子に、こぼれた涙でところどころ滲んでしまった文の、ある一文が目に入る。
〝あのような瞳を二度となさらぬように、祈っております〟
(そ、うよ…。泣いたら、元気づけてくれた昌嗣さまに申し訳ないわ)
目の端に溜まっていた涙を強く拭う。
「……直接会うことは、できなくなっても、こうして文を書くことはできるわ」
雪が止んだ気配を感じながら秋子は文机に行き、筆をとる。
なんて、書こうかしら。
(ありのままの、気持ちを書けばいいか)
少しだけ恥ずかしそうに微笑んで、秋子は筆を紙に走らせた。
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