異世界トリップⅥ
「それにしても、まさか混浴だとは思ってもみなかったわね」
ネコミミはため息まじりにそう言うと、身体にタオルを巻いて浴槽に浸かるのだった。
水温は40度前半程度。
熱すぎることもなければ、寒すぎることもなく適温だ。
「まあ、あまり人も来ないみたいだから二種類も分ける必要がなかったんだろう。何しろ、場所が場所だからな」
「だからって、分ける必要がないなんて思考にたどり着くかしら?」
ネコミミは自慢の黒いネコミミをピョコピョコ動かしながら尋ねた。
「言ってただろ、おかみさんも? 旅人同士仲良くなるための場所でもあったと」
でも、もともと混浴しかないなんていうのも問題中の問題だけどな。
「あまり納得出来た回答ではないわね。これは郷に入れば郷に従えという解釈で適当に流しておくとするわ。それにしてもこの温泉、確かにおかみが言うとおり治癒効果がすごいわね。だってほら、さっきまで傷だらけだった足も1分ちょっとでこの通り」
ネコミミはそう言うと、何となく自慢げに浴槽から片足を伸ばして上に出す。
「嘘だろ!? あの傷がもう完治するとはな、考えられないな」
見れば、確かにネコミミの言うとおり、さっきまで歩くことすらおぼつかなかったほどに傷だらけだった足が今では傷一つなく完全に再生されきっていた。
僕はその秘湯伝説とやらを聞いた時は半信半疑でやや疑が強い印象だったが、ここに来て初めてそれが確固たる確信に変わるのを胸の中で強く感じた。
何しろ、その秘湯伝説の恩恵を受けているのは彼女だけではない。
僕自身、この秘湯に浸かることによってかなりの疲労回復を体感しているからだ。
とにかく、今日1日は本当に色々なことがあったけれども、今ではそれがいい思い出だ。
そんな感じで、この秘湯は身体的どころか精神的にも僕にゆとりを与えてくれる。
ここまで質の高い温泉は地球上、どこまで探しに行っても、きっと見つけることが出来ないだろう。
僕は心の中でそう確信するのだった。
でも、露天風呂がないところと、浴槽が普通の温泉と比べて小さいのが玉に瑕だな。
とか、思いながら。
「どうやら、この秘湯と私達猫神一族の相性は抜群みたいね」
ネコミミはすっかりリラックスした様子で言うと気持ちよさそうに浴槽の中で足を伸ばした。
「確かにそうみたいだな。ところで、一つ気になったんだが僕達がこの世界に来て、真っ先に襲ってきた天使達のことなんだが、あいつらは何者なんだ?」
僕はネコミミの話に相槌を打つと、いぶかしげに尋ねた。
「ああ、彼らのことね。あれはただのテロリストよ」
ネコミミは何気ない様子で言った。
いや、さすがに天使がテロリストはないでしょう。
僕は無言で頬を引きつらせた笑顔を見せる。
「さっき私が説明したでしょ? この世界の神様にはセイント側の神様もいればダークネス側の神様もいるってことを。彼らは互いに共存し合って生きているわけだけれど、彼らが共存し合うことを認めることによって、これまでに頻繁に起きていた悪魔と天使の対立がほとんどなくなったのよ。それで、この世界は平和への大きな1歩を踏み出したわけね。でも、それを皆がみな認めるとは限らないじゃない。そこで、悪魔と共存することを反対する位の高い天使がテロ行為を行っているわけなのよ」
……この世界の天使って本当に天使なんですか?
「天使がテロリストだって!? そんな設定、物語の世界でも聞いたことがないな」
僕は驚いたように目を大きく見開いた。
「事実は小説より奇なりというじゃない?」
ネコミミはニヤリと奇妙な笑みを浮かべながら、水中でしっぽをヒラヒラ揺らした。
「その手があったか」
僕は納得したようにコツンと手のひらに拳を乗せた。
「そういうことよ」
ネコミミは何故か勝ち誇ったような表情で鼻を鳴らした。
「僕はそろそろ上がるとするよ。少しのぼせてきたからね」
僕は浴槽から立ち上がり際にそう言った。
ちなみに、別にのぼせてきたわけでもなければ、特に水温が高かったわけでもない。
まあ、水温的には特に問題はなかったが、もともと僕はそこまで長風呂をする体質ではないからな。
長風呂したところで10分といったところか。
風呂なんて僕からしたら儀式みたいなものだし、何より早く風呂から上がってゲームがしたかったからね。
「上がるのが早いわね。もうちょっとゆっくり入ってもいいじゃない?」
まあ、今は早く風呂から上がってもゲームが出来るわけじゃないし、ゆっくりというのも悪くはないのか。
「それもそうだな、今日はちょっと疲れたしもう少しだけゆっくりするとしよう」
穏やかに呼び止められた僕は、静かに浴槽に腰を下ろした。
すると、ネコミミがこちらを恥ずかしそうに見つめる姿があった。
そして、少し間を空けるとネコミミは急にこんなことを呟くのだった。
「ねえ、いいわよ? 私の胸……さわっても」
…………!?
「待て待て待て待て!! 急にどうしちゃったんですかネコミミさん? 秘湯のせいでどこか頭でもおかしくなっちゃったのですか?」
僕は完全にあたふためいた調子で彼女に尋ねた。
「じれったいわね、もう!!」
すると、ネコミミは素早く僕の手をつかんで、そのまま僕の手を自分の大きなその胸に押し当てるのだった。
き……気持ちいいぃぃぃぃっ!!
マシュマロのように柔らかく、触れると手先から包み込まれるような感覚。
それは、言葉でも数字でも上手く表すことのできない。
そう、それはまさに感性の世界だ。
いや、違う違う!!
僕はそんなことを考えている場合じゃない!!
落ち着け、僕。
理性カムヒアー!!
「どう、柔らかい?」
ネコミミは妖艶な笑みを浮かべると、熱のこもった声で静かに僕の耳元でささやく。
一度、静まりかけてた制御不能な性欲の波が再び、それを上回る勢いを持って僕の心を支配してゆく。
何しろ、あの大きさだ。柔らかさだ。弾力だ。
彼女が僕の耳元に顔を近づけているということは、つまり、その大きな胸が僕の体に押し付けられているということにほかならない。
ああ、頭がくらくらする。
高温によってコードの導線が溶かされるように、僕の意識が理性が精神が倫理観が、ありとあらゆる大切なものが、 彼女の胸から伝わる生暖かいぬくもりによって溶かされてゆく。
今の僕は一体何をしでかすのか、自分ですら分からない。
恐怖だ。
それは、恐怖そのものだ。
言い表すなら、それはブレーキのない自動車で公道を走るようなものだ。
僕はそのような恐怖におびえながらも、性欲の権化と化した歪んだ快感に支配された自分自身を冷静に見守る以外はほかにないのだ。
「足りない! まだこんなものじゃ完全回復には全然足りないわ! ねえレン? 元はといえばあなたが悪いのよ。あの時、あなたが事前に自分が不死身であることを教えてくれれば、私はこんなに傷だらけになるようなことはなかったのだから。だからいいわよねえ、レン? 私があなたの血をいただいちゃっても。さあ、これは私からの罰よ。そのところは、しっかり体で支払ってもらわないと」
ガブリ!!
彼女は僕が答えるや否や関わらず、すぐさま僕の首筋に鋭くとがった牙を立てる。
彼女は性的な快感と陵辱しているかのような歪んだ優越感に満ちた不気味な笑みを浮かべながら、僕の血を吸い始めた。
僕は視界が朦朧としてゆくのをはっきりと感じながら、ゆっくりと意識を失っていくのだった。