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契約の儀式Ⅰ

そこは全く見覚えのない空間だった。


 部屋の端々には木製のアンティークのようなものが飾られ、陳列棚にはハードカヴァの分厚い魔導書のようなものがギッシリと詰められている。

 もうすでに辺りは暗く、室内を照らすものはろうそくに灯された火の光以外は何もなかった。


 たった今、目覚めたばかりの僕ですら分かる部屋の異様な感覚。


 僕は慌ててベッドの上から身を起こすと、室内全体の景観を次々と自分の視界の中に叩き込む。

 そして、僕は部屋全体の景観を次々と視界の中に叩き込んだ結果、この部屋に対する発見をいくつか見出すのだった。


 まず、この部屋全体を見渡して一番最初に気づいたこと、それは部屋の異常なまでの広さだった。

 通常、ワンルーム一部屋辺りの広さと言ったら、せいぜい広くたって一般民家のリビング程度だと思う。

 しかし、この部屋の広さと言ったら、そこらに住んでいる大富豪の部屋の比ではない。

 僕の身立てだと、最低でも学校の体育館くらいの広さがある。

 いや、下手したら……運動場くらいの広さがあるかもしれない。


 僕は固唾を呑んで、衝撃的な事実を受け入れる。

 もはや、それだけでも驚くべき事実としては十分すぎる。

 もうお腹一杯だ。


 しかし、驚くべき事実はそれだけには留まらなかったのだ。


 僕の2人分くらいの広さのあるベッド、その隣ではネコミミとメリーが同じくらいの大きさのベッドで一緒に仲良く眠っていたのだ。

 つまり、それはこの馬鹿っ広い部屋を二人だけで占領しているという事実に他ならない。

 何故、こんな広い部屋を二人だけで占領出来るのか?

 それはSランク魔導師の特権から? それとも、二人の両親が相応の地位に君臨しているから? 

 しかし、それらをどれだけ考えてみたところで、決してそれは推論の枠を出ない。

 何故なら、真実を知っているのは彼らだけなのだから。

 僕は即座に思考を中断し、窓から夜空を眺めることにする。


 僕のかつて住んでいた都会からは決して見られることの出来ない、夜空目一杯に広がるあちこちに散りばめられた星団のダイヤモンドダスト。

 僕はそんな美しい自然の神秘を目の当たりにして、何となく思いに耽っているのだった。




 ――あら、やっと目を覚ましたのね……レン――




 ふと、少女の声が静まり返った夜の寝室にこだまする。

 僕はゆっくりと声のする方向に振り向いた。


 そこには、たった今目覚めたばかりで眠たそうに目元をこすりながら、ベッドの上にチョコンと座り込んでいる、黒い猫耳を頭部に生やした嘘のように可憐で魅力的な少女の姿があった。


「ああ、ようやく僕はこの世界で目を覚ましたらしい。少し長い夢でも見ていたようだ」

「ふうん、少し長い夢ねえ……。4日間も丸々眠っていた人の夢……気になるわね」


 言って、少女は口元に奇妙な微笑を浮かべながら、こちらにゆっくりと歩いてくる。

 すると、僕は少女がこちらに近づいてくるや否や、すぐさま少女の身だしなみに異常を感じ取るのだった。


 何故なら、少女の服装は下着の上に白いワイシャツを羽織っているだけで、ほとんど裸体に近かったからだ。

 少女の羽織っているワイシャツの間からのぞく、触れると壊れてしまいそうなガラスのように透き通った白い素肌に、フリルの入った黒いブラジャーに包まれた見事な球体をした乳房。

 それらが瞬時に男性としての性を射止めてしまうことを僕は身を持って理解している。


 それだけ、ネコミミは世の中の男性にとって魅惑的で魔性の女なのだから。


「別に大したことじゃない。ちょっとした昔話だよ」

 言って、僕は彼女の性的な格好に身震いし、夜空に視線を移した。


「いいのよ、それくらい。それに私、レンのこと……もっと知りたい」

 何度も空間に低く鳴り響いた冷たい足音を聞くたび、ネコミミが僕の隣に向かって来てることを実感する。

 そして、その足音が途端に消えたとき、僕は隣に視線を移した。


「でも、どう? その前に私とやりたい?」

 ネコミミは怪しげな笑みを浮かべながら、僕の隣に並び立つ。


 やりたい?

 それは、とても魅惑的な響きだ。

 しかし……、


「僕をからかうか……あの時と同じように。それだけ僕の血が吸いたいか? 或いは、吸血鬼としての性か?」

 僕は嘲笑するように口元に薄ら笑いを浮かべ、彼女に問いかける。


「そうね。よく分かってるじゃない、レンも」

「当然だ。僕が引きこもっている間、どれだけ積みゲーをクリアしてきたと思ってるんだ。もうお前のことはすでに攻略済みだ」


「本当にそうかしら?」

 言って、ネコミミは挑発的な笑みを浮かべる。


「レンも意外と私をからかうことがあるのね」

「やられっぱなしは趣味じゃない」

「どうやらそのようね。本当に負けず嫌いなんだから」


 そう言って、ネコミミは可笑しそうにクスクス笑いする。


「ところで、気になったんだが、僕はあのバトルでセレナと相打ちして倒れたままだったんだが、お前が僕をここまで運んできてくれたのか?」

「そうじゃないわ。敵のボスが出てきてピンチだった状況に、学校の先生方が助けに来てくれたのよ」


「お礼を言うなら、自分にではなく先生方にか……」

 僕は再び、きれいな夜空を見上げる。


「そういうことよ。ところで、レン? 少し気になったんだけど、そのさっき言ってた昔話。私に聞かせてくれない?」

「ああ、僕の幼馴染みが急に消えた話のことか」

「へえ、レンに幼馴染みなんていたのね」

「うん、それも女の子だ」


 さり気なく付け加えた僕の言葉に、隣でネコミミは尋常でない反応を見せる。


「それって可愛い?」

「そりゃまあ……」


 瞬間、僕とネコミミの間にしばしの沈黙が流れる。


「ふうん、レンに女の子の幼馴染みなんていたのね……それも可愛い……。すごいリア充じゃない? まるで、これまでヴァーチャルの世界で第一線を走ってた人物と同人物とは思えないわね」

 ネコミミは嫌味でも言うように、低く呟く。


「いや……、確かに思い返してみればあの頃はかなりのリア充だった気もするが、僕はその幼馴染みが消えた日をさかいにゲームしかやらない引きこもりになってしまうわけだ。それだけ、幼馴染みを失った悲しみが大きかったんだろう」


「急に消えたってどうしたの? 誰かに誘拐されたとか?」

「いや、そういうわけじゃない。それなら、まだ踏ん切りは付いたかもしれない。僕の幼馴染みは急に姿を消したんだ、そして、彼女が消え去った後は僕しか彼女のことを覚えていなかった」

「つまり、その幼馴染みが消えた後、彼女に関する記憶がその世界からすっぽりと抜け落ちていたということね」

「まあ……、大方そういうところだろうな。正直なところ、今でも信じられないようなことなんだが……」


「へえ……、案外レンみたいな魔法に縁のない世界でも、そんな不思議なことが起こるものなのね。もしくは……」

 言って、ネコミミは真剣な表情になって何かを考え始める。


「もしくは?」

 僕はネコミミの言葉を反芻する。


「レンみたいに、異世界に連れて行かれたのかもしれないわね」

「そんなことあるのか?」

「完全にないとは言い切れないわ」

「それじゃ、ひょっとしたら……この世界に……」

 僕が言葉を続けようとした瞬間、ネコミミの言葉が遮った。

「だとしても、絶対にこの世界に辿り着くとは考えられないわね。この世界以外にも、他に異世界が存在することを偉大な研究者が証明しているから」


「もし……そうなったとしたら、僕はやはりもう幼馴染みには会えないのか……」

 僕は気落ちしたように呟く。


「そうじゃない? もしもそうだったら。でも……、希望はあるかもしれないわよ」

 その言葉を聞いた瞬間、僕は驚いてネコミミの方に振り向く。


「それは一体……どういう?」


「この世界にはあなたの世界にいけるワープ地点がいくつか存在するのよ。それは何時でも存在する訳じゃなくて、決まった時間によって決まった場所に現れる。今のあなたがその幼馴染みを救うために元の世界にワープして、その幼馴染みが異世界に連れて行かれる状況を阻止したらいいってことよ。簡単な話でしょ?」

 そう言って、ネコミミは口元に余裕のある笑みを浮かべた。


「いや、もしそうだとしても……僕の場合は過去にワープすることになるんだぞ。お前の場合とではその点が大きく違うんじゃないか?」


「そうね。言われてみれば、そこのところはしっかりと考慮しきれていなかったわね」

 そう言って、ネコミミは気難しい表情になる。


「まあ、過去に戻るなんてこと事態、馬鹿げた話だ。どうせ、無理ならそれはそれで踏ん切りがつく。気にするな」


「今……考えてみたけど、あなたの世界の時間軸がどうだとか、その辺りはきっとワープするにあたって関係ないと思うわ。だって、私達の世界とあなたの世界は全く違うんだもの。あなたの世界と私の世界はたとえどんなことがあっても平行線、絶対に交差することのない世界。そんな世界同士がどうして、共通の時間軸で動くと思って?」


「えっ……?」


「きっと、あなたは自分の行きたい過去の世界にワープ出来るはずよ。私を信じて!」

 ネコミミは、自分の大きな胸に手を押し当てながら自信満々に言う。


「本当に……そんなことが、可能なの……か……?」


 僕はそんなネコミミを呆然とした様子で見守る以外他にない。




 ――本当にそんなことが出来るのだろうか?




 こんな素朴な疑問を残しながら。

 もし、そんなことが確実に出来るのならば、僕は快く賛成しただろう。

 しかし、その点において最も信頼すべき対象である専門家のネコミミは確固たる答えを持っていなかったのだ。

 それは、口では出来るといいながらも、不安そうな顔つきで手術を開始する外科医そのものだ。


「出来るわよ、絶対に。私を信頼しなさい!」

 そう言って、ネコミミは僕の驚愕している様子を見て、面白可笑しく笑った。


 すると、そんな様子のネコミミを見て、何故か僕の喉元から笑いが込み上げてくるのが分かった。

 外科医がどうだとか、専門家としての態度がどうだとか……そんなちっぽけな心配、どれほど取るに足らないものであるかと僕は気づいたからだ。


 そんなものは全部、関係ないだろう。

 外科医にしろ、専門家にしろ、そんなもんは所詮他人じゃないか。

 他人ならば、率直に無機的で客観的な評価を下しても構わないだろう。

 でも、ネコミミは他人という枠でくくれるほどのちっぽけな存在だったのか?


 違うはずだ。


 少なくとも、幼馴染みが僕の目の前から消えて以来、初めての家族以外のつながりなんじゃないか。

 そう、それはとても貴重なつながりだ。

 仲間だ。

 そんな存在を僕は心から信頼し切れないでどうする?

 仲間の挑戦を心から応援できないでどうする?

 仲間ならば、そんな客観的評価や無機的事実、それら全てを放り出して着いていくべきじゃないか。

 僕は何を血迷っていたんだ!


「ああ、そうだな。頼むぜ、ネコミミ」

 僕は喉元から込み上げてくる笑いを素直に受け止め、自然な形でそれを表現してみせた。



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