異世界トリップⅠ
ボスの住処である広大な戦闘フロアには、フロア全体を取り囲むように檜で出来たたいまつがずらりと配置されていた。
たいまつの灯りが薄暗いフロア一帯を照らし始め、周囲のたいまつの炎が全て灯される時、その時こそ戦闘開始の合図だ。
さて、どんな奴が相手だ?
たいまつの炎が前方から次々と灯され、巨大なボスのシルエットがみるみると浮かび上がり始めた。
ゴオオォォォォォォォン!!
全てのたいまつの炎が灯されると同時に、ボスは耳をつんざくような騒がしい雄たけびを上げる。
ボスの姿は、蝙蝠のような羽を生やした巨大なドラゴンだった。
「ていうか、負け犬の遠吠えも大概にしろや、タコ!!」
あまりにもうるさかったので、切れた僕は全長15メートル、高さ6メートルのドラゴンをゲーム内最弱と言われている伝説の大剣『骨』で壁際まで殴り飛ばした。
ドラゴンは蚊の鳴くような小さい呻き声を立てながら、その場に崩れ落ちるのだった。
うるさかったんだもん、仕方ないよね。
僕は納得したように二回ほどコクリと頷く。
それにしても、Sランクのボスとは言えど大したことはなかったな。
さすがに、ボスがここまであっけなくやられるのはプレイヤーの僕としても面白くはない。
だが、俺TUEEEは面白いな、すっきりするし。
これがこのPNOの魅力でもある。
何しろ、このゲーム。
特殊な電子機器でプレイヤーの脳の潜在能力を読み取り、プレイヤーの潜在能力の高さによって初期戦闘ステータスが決まるという公平性を欠いたゲームだから、強者と弱者がゲーム開始時点で決まってしまうわけだ。
人は生まれながらにして平等ではないという点と課金によって戦闘ステータスをパワーアップ出来る点において、現実世界の構図をある意味追求したゲームでもある。
何かやらしいゲームだな、今考えてみると。
ちなみに、僕は言うまでも勝者の方である。
その点においては本当に良かった。
心からそう思っている。
このゲームのレベル1時点でのプレイヤーの能力値はスタミナやHP、MPが30、そして、攻撃や防御、素早さなどが10ぐらいである。
ところが、僕の場合はこんな感じだ。
LV 1
HP 100
MP 100
スタミナ100
物理攻撃99999999
魔法攻撃100
物理防御999999
魔法防御999999
素早さ 999999999
……反則級だ。
僕はそのことを認めざるを得ない。
その上これだ。
スキル 戦闘ダメージ無効
この戦闘ステータスの高さでスキル持ちと来た。
普通の人から見ればチート以外の何者でもない。
このゲームの上限は100レベルまでで1レベルアップにつき、戦闘ステータスを50だけ自由にHPや素早さなどに振り分けることが出来るようになっている。
普通の人なら満遍なくあらゆる項目に振り分けすることになるわけだが、僕の場合は戦闘ダメージ無効なので、防御面を気にすることなく物理攻撃と素早さに極振りだ。
そんな訳で、僕はボス相手にあんな離れ業をすることが出来たわけだ。
まあ、こんな下らない自慢話はさておき、ドラゴンの素材を手に入れないとな。
僕はそんなことを考えながら、ポケットからiphoneのモニターがなくなったバージョンのような表に小さなボタンが一つ付いている機器を取り出した。
《トランス・テスラ》、それは表にある小さなボタンを押すことによって、自分の視界にゲーム画面を表示させる機器だ。僕の視界にゲーム画面が表示されるときの状況は、ゲーム画面をそのまま僕の視界内に移植したものと考えれば分かりやすいだろう。
僕はスマートフォンのボタンを押すような手つきで《トランス・テスラ》のボタンを押す。
すると、僕の視界にアイテム、設定、ステータスなどの6つの表示が記されたコマンド画面が目一杯に表示される。
普通のアクション系ゲームのゲーム画面ならば、ゲーム画面上に現在地の記されたマップが表示されているはずだ。ところが、このゲームにはゲーム画面上にマップを表示する機能がない。
製作者側の話によると、ゲーム画面上にマップが表示されたまま、クエストを行えるというのはリアリティの追求という点においてはあまりよろしくないとのことだ。何故なら、視界にマップが表示されること自体が現実世界ではあり得ないからということらしい。
だから、クエスト受注の際には、クエスト攻略に必要なマップを事前に配布されることになっているのだ。
つまり、プレイヤーは地図を持ちながらクエスト攻略を進めなければならないということだ。
僕はドラゴンから半径1メートル圏内の場所に入ると、視界に記された【アイテム】のタグをタッチする。すると、画像の入ったドラゴンの素材が目の前に表示され、その下には【受け取りますか?】【受け取りませんか?】という文字が表示されていた。
僕は表示されたドラゴンの素材を【受け取る】の表示を何度もタッチして、ドラゴンの素材を回収すると《トランス・テスラ》のボタンを押して、ゲーム画面を閉じるのだった。
アイテム回収の際、近づいて【受け取る】の文字をひたすらタッチするだけでアイテムを受け取れるのは非常に楽なシステムだ。そして、受け取ったアイテムは自分の四次元ポーチにしまい、《トランス・テスラ》を一押しし【アイテム】タグをタッチして使用することが出来る。
この点に関しては、僕も製作者側の良心を感じているところだ。アイテムのなかには怪物の目玉や胃液など手で触りたくない物も結構な数あるから、手で触れずにアイテムを回収できるのは便利この上ない。
――すごいわね、さっきの。
聞き覚えのない女の声だ。
全く聞き覚えのない美しい女の声が水溜りに雫がポチャンと音を立ててこぼれ落ちるようにこの広いボスフロア一帯に響き渡る。
だが、どういう訳か……奇妙なことに声は聞こえるのに彼女の姿が見当たらないのだ。
僕は驚きと焦りの表情で首を左右に振って周囲を見渡した。
しかし、見渡す限りでは特に彼女らしい人影は見当たらなかった。
「うふふ、横じゃないわ。上よ、上」
僕は言われた通り、上へ振り向く。
そこには、空中で蝙蝠のような羽を広げ、黒い猫耳に猫の尻尾を生やした黒髪の美少女の姿があった。美少女は悪魔特有の緋色の瞳を細め、妖艶な微笑みを浮かべながら、僕の方を見下ろしていた。少女は制服姿の格好をしていた。きっと、ある年齢層受けのためのデザインなんだろう。
胸元を大きく露出した白いセーラー服から覗く、牛乳のように真っ白な素肌にはやたらと大きな谷間が出来ていた。
ひと目見て、僕は確信する。
絶対Gカップはある!!
正直なところ、僕もここまで大きな谷間の女性にはなかなかお目にかかれない。
いや、大きな谷間という条件だけならある程度人通りのある道端でばったり出くわすこともあるかもしれない。
しかし、彼女の場合はそれだけではなかった。
目を合わせることですら場違いだと思わせるほどに美しく整った容姿に、一部のファンが泣いて喜びそうなほどの小柄な身体。
そして、前述の見事な巨乳。
その奇妙な組み合わせは僕の眼には何もかもがアンバランスに見え、そして何もかもが絶妙なほどに調和していた。
はっきり言って、何もかもが反則級の容姿だと僕は素直に認めざるを得なかったのだ。
「さて、これはゲームのボーナスステージの始まりかな?」
まあ、あの早さでボスを倒したわけだからボーナスステージの可能性はなくはないだろう。
それに、ボーナスステージがあれば僕的にはうれしい。
「どうかしらねぇ……」少女は奇妙な笑みを浮かべ、いかにもわざとらしく首を傾げた。「もし、そうだとしてあなたが私を倒せるとでも?」
何か、初対面でめちゃくちゃ舐められてないか僕……。
悲しくなってきたぞ。女の子に弱く見られるなんて。
そもそも、その馬鹿にしてくる少女にしても、身長は低い方で全く強そうには見えない。
まあ、ゲームの世界なんで見た目はほとんど関係ないんだがな。
「面白い、その安い挑発。僕はとりあえず乗ったぞ! だから、そんなところで悪趣味なゴキブリカラーの羽をばさばさしてないで、地上に降りて来いってんだよ!」
「挑発に乗った? ふーん、私の挑発に乗ったんだ? でも、私の挑発はただで買えるほど安くはないのよねぇ。せめて、10万ルピーは貰わないと」
少女は、僕を明らかに嘲笑し切った表情で、腰辺りまで届く長い漆黒の髪をいじりながら僕の方を見下ろしてくる。
ていうか……10万ルピーって何だ!?
10万ルピーって!!
このゲームで一番高い武器が買える値段じゃないか!!
課金しても手に入らないと噂だぞ!!
持ってねえよ、そんな額!!
僕は額から滝つぼのように冷や汗を垂らしながら、彼女の方をじろりと見上げた。
「えっ!? まさかボーナスステージで金取るんですか?」
「まあ、クエスト受注料を払うのは当然よねぇ」
「あまりにも、高すぎる。泣いていいかな」
「まあ、どうしても払えないっていうんなら、ローンでいいわよ。金利200%で」
少女は満面の笑みで言った。
「どう払えゆうねん!! とは言っても、それくらいなら、貯めれば何とかなりそうだな。とにかく、今から僕はこのクエストを終わらせて、金を貯めに行ってくる。それじゃ」
僕が溜め息混じりにそう言うと、何故かは知らないけれど、さっきまで余裕の笑みを浮かべていた彼女の様子が、急に慌ただしくなり始める。
僕がこの場から立ち去ると、よほどピンチになるらしい。
少女は漫画のキャラクターのように冷や汗まみれになりながら、あたふたした調子で、
「ま……まあいいわ。今回だけ特別にタダということにしといてあげるわ。ボーナスステージにようこそ、火渡レン。今から、私があなたの相手をしてあげるわ」
と言って、翼を羽ばたかせながらゆっくりと地面に着地するのだった。
彼女は冷や汗まみれになりながらも、無理して涼しげな笑顔を俺に送った。
ていうか、今思ったんだが、これ本当にゲームのキャラなのか?
涼しげな笑顔を送った彼女に対し、僕はもの問いたげな目で彼女を凝視する。
ゲームのキャラクターにしては、感情表現が豊かだし、妙に冗談も上手い。
どうにも、NPCらしさがあまり感じられない、というのが正直な感想だ。
はたして、彼女は本当にゲームのキャラクターなのか?
或いは、一種のバグなのか?
「ようやく、ボーナスステージが始まったわけだ。手加減なしでやらせてもらうぜ」
僕は大胆不敵な笑みを浮かべた。
彼女がバグにしろ、何にしろとりあえず今の僕にはどうでもいいことだ。
それよりも、早く戦いたい。
強敵との最高のバトルを楽しみたい。
そんな感情に心がじわじわと支配されていくのを、僕は感じ取っていた。
それは、獄中で長い間監禁され続け戦いに飢えていた狂戦士さながらだった。
「そうね、全力で来なさい。そうでなければ、ボーナスステージをクリアするのはきっと不可能でしょうから」
少女は大きな翼と両手を目一杯に広げ、余裕のある表情を浮かべて言った。