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honey×sweet×honey  作者: ひめきち
第1章 迷子
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1-5

 私は、次第に路上生活に慣れていった。


 比較的温暖な季節からのスタートだったのも幸いした。

 私がいた日本では初夏だったのだけど、こちら(当時の私はまだ国名も知らなかった)ではもう夏も終わりかけだったようだ。そこそこ暑さは残っていたものの、日本の夏に比べると格段に湿度が低く、屋外でも過ごしやすい時期だったのだ。

 とはいえ、最初の一週間くらいはお風呂に入りたくて気が狂いそうだった。けど、そこを越えると感覚が麻痺してきたのかあまり気にならなくなっていき、拾ったぼろ布を湿らせて顔や手足を拭く程度でなんとか折り合いをつけられた。我慢が出来なくなると人目を忍んで街の外に出、小川に身体を浸した。遠出は疲れるからそう何度もは出来なかったけど。

 ここは空気が乾燥していて日本ほど大量に汗をかかないので、ホームレス生活の割に私は身綺麗にしていた方かもしれない。まあ再会した時イマードにはおもむろに人一人分の距離を取られていたけどね。


 あの時私が一番心配していたのは、女性特有の毎月の現象だ。だって、この異世界でどういう対策を取れば良いのか全く分からなかったから。同じ女性に訊こうとしてもまず言葉が分からない。どうしよう、どうしようと悩むうちに、ふと気が付くと予定の周期をとっくに過ぎていた。私の身体のなかで毎月繰り返されてきたリズムは、この世界に来てからぱったり止まっていたのだ。ストレスの所為だったのか食生活の変化の所為だったのか……憶測だけど、原因は多分その両方だったのだろう。今は普通に定期的にあるから。


 私はとにかく元の世界と少しでも繋がっていたかった。

 無用の長物と化してはいても、携帯はその象徴だった。元の世界の文明、科学技術のすいを集めた小型の通信機器。漂流者が波間に浮かぶ木切れに縋り付くように、私も携帯を心の拠り所にしていた。電波も拾えないこの世界で、未練たらしくスリープモードにしていたのがいい証拠だ。

 それでも数日経つうちに、電池が切れる事がどうしようもなく怖くなってきて(充電なんてどうやってやるの、ここで?)、節約のために泣く泣くスリープモードを解除して電源を切った。

 携帯を立ち上げるのは1日1度朝だけと定め、それもごく短い時間だけに留めた。着信とメール、アンテナの立ち具合を確認するだけだ、すぐ終わる。

 今までやった事もないくらい真剣に、毎朝私はお祈りをした。一方通行でも構いません、どうか元の世界と連絡が取れますように、と。でも何回ボタンを押しても、新しい着信履歴やメールの表示どころか、アンテナの一本だって立ってくれなかった。



 今になって、あの時感じていた気持ちを思い出そうとしても、うまく記憶の中から呼び起こせない。あの日々は霞がかかったようにぼんやりとしている。

 きっと私の身体と精神は、それ以上深く傷付くことがないように感受性を鈍くして己れを守っていたのだろう。負傷した動物が傷の癒えるまで自分の巣穴に引きこもるように。



 多分、私に必要だったのは、現実を認める勇気だった。

 自分が異世界にきてしまって、帰り方が分からない、という現実。



 自分の属していた世界が変わるというのは本当に大変な事なのだと思う。自分の存在基盤が一から作り直されていくようだ、と言えば分かってもらえるだろうか。

 異世界の空気、水、食べ物、重力、ことわり――生まれ育った本来の世界のものと似て非なるそれらに、順応するために欠かせない行程として、私のうちの何かがゆっくりと壊されていっていた。気づかないフリをするためには感覚ごと鈍磨するしかなかった。



 鈍くならなければ気が狂っていたかもしれない。



 後で知った事だけど、この国で真夏に異国人が身一つで生き抜ける確率はかなり低いそうだ。

 私がやってきた場所はたまたま草原だったけど、この街の西の方には砂漠も広がっていたらしい。初日で砂漠に投げ出されていたらと思うとゾッとする。"不幸中の幸い"という見方をしてみれば、私は相当ラッキーだった部類に入るのかも。……本当に幸運の持ち主なら今ここに居るはずもないという前提は別にして。



 とにかく当時、私は日中の暑さを建物の影に入ってやり過ごしていた。

 初心者に分かりにくい場所ではあったが、街中の数カ所に公共の井戸が設置されている事を知った。イマードにもらった水嚢に水をたっぷり汲んでおいて、昼間はそれを飲んで凌ぐ。体力を温存するために、あまり動き回ったりはしない。夕刻になり暑さが和らぐと街の中央にある建物へと向かい、施しの列に並ぶ。

 数日過ごすうちに私は、くだんの建物がなにか宗教的な中心の場所なんだという事を悟った。


 一日のうち五回ほど、外壁にある高い塔の上に人が立ち、歌のようなものを歌う。すると街中の人々、老若男女全員が、仕事も家事も中断して一斉にお祈りを始めるのだ。一回一回の祈りに要する時間は短く、多分5分もかかってないくらいだろうか。それでいて自然と足並みの揃うその動きは、どこか計算され尽くした舞踊を観ているようで、ある種の儀式的な美しさがあった。

 けれど無宗教がまかり通っている日本から来た私の目には、その光景がひどく異質なものとして映った。日常の中に織り込まれた静謐な時間、それに触れるたび、"ここはやはり日本ではない"と毎回うちのめされていた。


 祈りの徹底っぷりからも分かるように、ここは信仰の篤い国だった。

 屋台でけんもほろろに扱われた苦い思い出が私にはあったが、この国ではもともと、貧者に対する救済は個々人で行うものではない。人々は定期的に己の稼ぎや財産の一部を宗教施設に寄付し、そこから恵まれない人(例えば私だ)に毎日施しの品が振舞われる。非常に効率的な社会システムになっていたのだ。

 そのような事実は、イマードから後日説明されるまで、私が知る由もなかったのだけど。


 初日こそ配給を拒絶された私だったが、諦めずに何度か並ぶうちに、渋い顔で食事を渡してもらえるようになった。私の身体と服が汚れてきた所為と、目に見えて衰弱してきたのが理由だったのではないかと思う。

 何よりも、彼らは純粋な善意で施しをやっており、真実私が困窮していると知ると二度と追い払ったりはしなかった。後で知って驚いたのだけど、この国には宗教に携わる職業――元の私の世界だと牧師や神主、住職等に相当する者――が存在せず、彼らは全員一般人のボランティアなのだそうだ。その事からも、信仰がいかに民衆に根付いているかよく分かる気がする。


 配られる食べ物は平たいピタパンに近いもので、それにたまに乾燥肉や野菜がついてきた。

 1日1食。そして内容も極めて質素。

 私の身体はみるみるうちに痩せていった。


 単純に脂肪が減っただけの痩せ方じゃない。急激に体重は落ちたものの何故か胸だけはそのままの大きさで残り、他の部分が引き締まった結果、相対的に私の身体はナイスバディ(死語?)となっていた。グラビアアイドルもかくやの、"スレンダーきょにゅう"というやつだ。

 でもその時はそれを知らなかった。私は、"痩せた"という事にしか気が付いていなかった。


 正直、それだけは良い事だと思っていた。

 やった、痩せたんだ! って。

 異世界にやってきてから辛い事ばかりだったけど、日本に戻れた時、ダイエットに成功した事だけは感謝出来るんじゃないかなって、私は思っていた。


 そう、呑気にも。

 私は、自分の姿が他者にどのように見られているのか、という点について気を回していなかった。心を守る事を優先させるあまり、私の頭の中は未だに元居た世界の日常から切り替えられていなかった。日本に居た時と同じで平和ボケしたままだったのだ。



 私が自分の愚かさを思い知るのは、異世界に来て3ヶ月目の、思い出したくもないあの事件の時だった。


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