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honey×sweet×honey  作者: ひめきち
第1章 迷子
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1-3

 本当に、子供みたいに声を上げて泣いてしまう所だった。

 あの時、私のお腹がすきっ腹を訴えて豪快に鳴らなかったら。



◇◆◇



 取り敢えず、滲んだ涙を手の甲で強引に擦り取る。

 街があって人がいるのだから、食べ物だってあるはずだ。


 見回せば、通りの端には屋台のような店が何軒かあった。組み立て式の屋根が付いた簡素な台に、フルーツとおぼしきものがまばらに並べられている。夕刻のため、店仕舞いが近いのだろう。商品は品薄で、立ち寄るお客の数もそう多くない。今にも後片付けを始めてしまいそうだった。

 焦燥感に後押しされて、私は一軒の屋台に近付いた。店主と思われる中年男が、胡散臭げな顔で私を見た。


 「******?」


 投げ掛けられた言葉は、やはり意味が分からなかった。

 私は精一杯の笑顔を浮かべて、台の上のフルーツを指差す。ジェスチャーで示すしかない。

 「これ、ください」

 ジーンズの後ろポケットからお財布を取り出し、硬貨と紙幣を見せた。当然、日本円だ。店主の表情が一気に蔑みに変わった。

 「***!」

 食べ物にたかる蠅を払うように、私は店主に押しのけられた。


 半ば予想はしていたものの、手持ちのお金は通用しないようだ。歯噛みをする。

 目と鼻の先に食べ物があるのに!


 諦めきれずに他の屋台でも試してみたが、どこも同じだった。乱暴に断る人、同情の色を浮かべてくれる人、対応は様々でも、使えない貨幣と食べ物を交換してくれる奇特な人はいない。言葉が通じないから粘って交渉することも出来ない。

 空腹で目が回り、それ以上歩くのが辛くなって、私は細い路地裏にへたり込んだ。

 太陽はどんどん西へ傾いていく。それに追い立てられるように、立ち並んでいた屋台はすっかり片付けられてしまった。


 ――甘かった。

 人里にさえ着けばどうにかなると、そう信じていた。

 だって私は子供で、今までは守られて当たり前の立場だったからだ。

 ううん。当たり前の権利だと、いつの間にかそう思い込んでいた。

 決してそうでは無い事を知識では知っていたつもりだったのに、今更のように思い知らされる。

 私が拠り所にしていたものが、本当はこんなに不確かであやふやなものだったと。


 壁に背中を預け、立てた膝に腕を回して顔を埋めた。俯いて途方に暮れていると、近くに人の気配がした。顔を上げてみれば、先程気の毒そうに断った屋台の人だった。一瞬、何かくれるのかと浅ましい期待が私の頭に浮かんだが、商品を総て売り切ったのだろう、彼は荷物をほとんど持っていなかった。

 「******」

 彼が指差しているのは、街の中央にある建物のようだった。

 言葉が通じないから何の話か分からない。でも、私に同情の視線を向けてくれたのはこの人だけだ。あそこに向かえと言うのならやってみるしかない。どうせ、私には右も左も分からないんだから。


 「ありがとう」


 顔を上げてお礼を言うと、彼は何度か肯いて去って行った。きっと家族の元へと帰るのだろう。


 ……いいな。


 胸にキンと痛みが走って、私は慌てて立ち上がった。

 泣き始めたら、もう立てなくなる。無理矢理差した心のつっかい棒が外れてしまう。

 心に刺さった棘に気が付かなかった振りをして、私は、街の中央へと向かった。



◇◆◇



 中央にある建物は、市街地の他の建築物より数階分高く抜きんでていた。おかげで迷いようもなく辿り着けた。四隅にそれぞれ細長い尖塔が立っている真四角の壁、それに囲まれた立方体の建物の上に半球体の丸屋根が見える。壁のひとつには長方形の穴が空いていて、どうやらそこが出入り口になっているようだ。その前に人が列を作っている。

 並んでいるのは、先刻まで見ていた街の人達と違って、薄汚れた衣服に痩せ細った身体の人々だった。出入り口には対照的に身綺麗な男の人が二人いて、列の人々は彼らから順に何かを受け取って立ち去っていく。


 これは、きっとあれだ。貧しい人への施しってやつ。

 やった! 助かった! 

 捨てる神あれば拾う神ありだ。


 私は嬉々として列の最後尾に並んだ。待っている間に私の後ろにも新しく人が並んでいく。

 風体の異なる私が珍しいのか、前後の人々にじろじろと見られたけど、そんなことは気にしていられなかった。

 食べ物! 一日半ぶりに食べ物が手に入るのだ!

 列の進むスピードがじれったいくらいだった。


 数十分待っただろうか。とうとう私の順番が来た。思わず両手を差し出してしまう。

 が。


 「****」

 「****」

 私を見て、二人の男の人が互いの顔を見合わせた。

 私の服を指差して何か言っているけど、やっぱり言葉が分からない。私は自分の格好を見下ろした。

 一昼夜着倒した服は私の感覚では汚れているけど、列の他の人に比べれば綺麗な方だと思う。まあね、民族衣装の人の群れの中にTシャツとジーンズ姿の異国人、っていうのが、違和感バリバリではあるけれど。


 それがいけないのかな?

 なんだろう。


 男の腕が伸びてきて、服越しに私の二の腕をつままれる。茫然としているうちに頬をも抓まれ、ついで、腹部の肉を容赦なく掴まれた。

 「ぎゃあああああ!」

 女の子になんていう行為をするのよ!?

 我に返った私は、大きく後ろに飛び退すさった。私の後ろに並んでいた人数人をなぎ倒し、罵声を浴びてしまう。

 抗議の気持ちを込めて二人組の男を睨みつけると、呆れたような表情で強引に列から追い払われた。

 勿論、何も与えられずに。



 今のは……多分、だけど……もしかして……。


 "お前みたいな太った奴に施しなど必要ない"って事か……?

 そうなのか―――っ!?


 見掛けで差別をするとは言語道断である! 施し者(何だそれ)の風上にも置けないわ!!



 悔しさのあまり空腹を忘れられたのは、ほんの一時いっときだった。

 むしろ、なけなしの残存体力を怒りで無駄に消費してしまった。

 立っていられなくなった私は、近くの路地裏に入ると壁にもたれて座り込んだ。

 腹は立っているものの、視線は未練がましく貧者の列を追ってしまう。



 あの人達はいいな……食べ物を貰えるんだ……私だってお腹空いているのに……昨日からまともに食べていないのに……ああ、無意味に貯えまくった己の皮下脂肪が憎い……。



 そうこうしているうちに、黄昏時は駆け足で過ぎて行き、宵闇が訪れた。

 このまま今夜も野宿するしかないのだろうか。こんな見知らぬ街で。

 昨夜は"人に会えればなんとかなる"と信じて乗り切ったけど、期待を裏切られた分、今の私は脱力感が半端無い。その上、空腹のあまり胃が痛くなってきた。

 そういえばこの街に着いてからは水も飲んでいない。自覚した途端に、喉がヒリヒリと乾いた。水が飲み放題だった分、草原を彷徨っていた時の方がまだマシだったかもしれない。


 人はたくさんいるのに私は孤独だ。一本隣の大通りを、誰もが路地裏の私に気付かずに通り過ぎていく。無人の草原で眠った昨夜よりも、大勢の人が暮らす街の一角に居る今夜の方が、寂しくて気が狂いそうだった。

 同じ人間のはずなのに、言葉が分からないというだけで途轍もなく疎外感を感じた。

 姿勢を保つ気力すらも失ってずるずると上半身がかしいでいき、気付くと横向きに地面に寝そべっていた。街中で、普段ならこんな石畳に横たわるなど有り得ない。でも今は、何もかもがどうでもいいような気がした。


 なんで私がこんな目に遭わなきゃいけないんだろう。

 これは何かの罰なの?

 私、そんなに悪い事した?

 いつになったら家に帰れるのかな。

 パパとママに会いたい。

 私は二人にとって大事な娘なんだと言って欲しい。

 「酷い目に遭ったね」って、滅茶苦茶に甘やかしてもらいたい。


 帰りたい。

 帰りたいよぅ。


 あれほど我慢していたのに、とうとう涙が溢れてきた。

 「ふ……ううっ……」

 嗚咽が漏れる。

 路地裏とはいえ街中で泣くなんて、まるで小さい子のようだ。みっともない。そう思っても涙は止まってくれなかった。


 見上げた空で、月が二つに滲んでいた。







 …………違う。


 月が、ふたつ。



 気の所為でも見間違いでもない。月が二つある―――!?



 涙も鼻水も吹っ飛ぶ勢いで私は跳ね起きた。ううん、跳ね起きようとした、時。


 「**!?」


 突然の私の動きに驚いたのだろうか、頭の上の方で男の人の叫び声がして、座り込んでいた私のすぐ横に大きな体がドッと倒れ込んできた。




 後から考えてみれば、これが私とイマードとの最初の出会いだった。

 でも、その時の私には、知らない男の人よりも、自分の紛れ込んだ世界が異世界だったという事実の方が、遥かに重大に思えたのだ。



 

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