『傾国の美女』。
王宮で、私がそう呼ばれ出したのはいつからだっただろう。
顔の造作は正直、それ程たいしたものではないと思う。日本に居た時はモテた事なんかなかったもん。まあ顔以外にも要因はあったんだけど。
多分、あれじゃないかな、アジアンビューティーとかいうやつ。見慣れないエキゾチックな顔立ちが単に気になるって事なんだと思うよ。私からすればここの皆さんの方がよっぽどエキゾチックに見えるけど。
でも身体の方はね、実を言えばちょっと自慢。たわわな胸に、細くくびれたウエスト、形の良いお尻。身長は高からず、低からず。脚はすらりと長い。この体形を維持する為に日々並々ならぬ努力をしているんだから、少しくらい誇ってもいいよね? だってさ、イマードのやつ、容赦ないんだもん。
「ホウカ」
おっといけない。私は無意識に現実逃避をしていたらしい。
有難くも今は、アズハル王子のご訪問を受けている真っ最中だった。
甘い声で私の名を呼んだ後、アズハル王子は情感たっぷりに溜息を吐いた。
「ああホウカ、この切ない胸の内をどうか分かっておくれ。そなたが後宮に来てくれる日を、私は首を長くして待っているのだよ」
ないない、一生ないよ!
一瞬すっぱり断ってしまいそうになったけど、後頭部に刺さるような視線を感じた。背後からイマードに睨まれている。いかんいかん、つい地が出る所だったわ。
私は表情が読みづらいと言われる自分の顔に、謎めいた微笑みを張り付けた。
心中で二回唱える。私は女優、私は女優。
「まあ、殿下。わたくしを引き留めたいのでしたら、最低でもアイスくらいは持ってきてくださらないと」
「あいす……確か北方の地にあると聞く雪のように、冷たい甘味であったな」
「そう、氷菓と言うのですわ。生憎この国では一度も拝見したことがございませんけれど」
「……それを差し出したらいいのか」
「最低でも、ですわ。わたくしの故郷には他にも美味しいお菓子がたくさんございますのよ、殿下。わたくしにここに残れという事は、その全てを諦めろという事なのですから」
艶然と微笑んでみせると、アズハル王子は弾かれたようにソファから立ち上がった。
「ホウカ……!」
情熱のままに近寄られそうになって、思わずビクリとする。
「殿下」
低い声でイマードが呼び掛けると、アズハル王子は"自分の立場"という透明な壁に気付いて動きを止めた。己の先走った行動を恥じるかのように下を向く。それからキッと顔を上げて、私の目を一直線に見た。
「勿論私はそなたの為に最善を尽くそう、ホウカ。私の想いの深さを感じてもらうために!」
そう宣言したところで部下に促され、王子は私の部屋から去って行った。
うわ……さっき、ちょっと怖かった。力ずくで来られたら敵いっこないもん。
怯えた様子、悟られてないよね?
つくづく感情の読み取りづらい顔で良かったな、私……。
「……はあ。行った? 最近しつこくない? あの馬鹿王子」
「気を抜き過ぎだぞ、ホウカ」
「だってさ、人が嫌がってんのに毎度毎度懲りないんだもん。いい加減こっちにはその気が無いって気付けっての。とばっちりを食っているだろうあいつの部下にも、なんだか申し訳なくってさ~」
「なら王子の求愛をさっさと受ければよい」
「それだけは絶対に嫌だから、こうして頑張っているんでしょ! 早く諦めてくれないかなあ。気分転換に甘いものでも食べよっと。今日のお菓子は何かな~。あ、マクルードだ。あんたも食べる?」
「嫌味か。いらん。……太るぞホウカ」
私が必死に虚勢を張っているっていうのに。もう、イマード、ムカつく。
「ちゃんと食後に運動するからいいんだもん!」
――そう、これが『傾国の美女』の真実。
王子の寵愛をいいことに、甘味を求めて部下達に国中を右往左往させている我が儘美姫、それが私。
……『傾国』と言われるほど悪辣な要求はしていないつもりだけどね。これでも一応気を使ってはいるのだ。
だって、私が本当に欲しいものはお菓子じゃない。
嫁ぐ気のさらさら無かったかぐや姫が求婚者達に無理難題をふっかけたみたいに、のらりくらりと相手を躱しながら、到底手に入らないお菓子をねだってみせているだけ。
私の本当の願いはただ一つ。
日本に……生まれ育った我が家に帰る事、それだけなんだから。
甘いマクルードを頬張りながら、私は、この世界に初めてやってきてから今までの、怒涛の3年間に想いを馳せた――――――。