習作
空を飛ぶ夢を、初めて見た。
手を広げ羽ばたくというよりは、すっと急に浮き出す気球に乗っているかのような感覚。ぷかぷか、という形容のままに、僕は一回転したり上へ昇ってみたりした。
空は晴れ晴れとしていて、雲ひとつない。照りつける太陽の日差しが眩しい。ふと太陽に翼を焼かれたイカロスの話を思い出したが、僕には蝋の翼も無かった。
ひとしきり空中浮遊を楽しむと、何処と無く手持ち無沙汰となり、そこから動くことなく遠くの景色を眺める事にした。
「あなたは、何時も自分のことばかり考えているのね」
そんなことは無いと言いたくても、言えなかった。ただただあの日の綺麗な空を眺めていた。
「あなたは、何時も自分のことばかり考えているのね」
羽ばたく翼を持たない僕には、手の届かない場所。
「あなたは、何時も自分のことばかり考えているのね」
そこに今、ようやく辿り着くことが出来た。
それから先に何があったか、覚えていない。
空の上から眺める景色の先に、僕は何を見ていたのか。
耳の中にレコードのノイズに似た歪んだ音が刻まれる。雨の音だけが、僕の頭に残されていた。
カーテンを開けて、暗い空を見る。雲が一面に広がり、部屋を不気味に照らす。
薄黒く照らされた、顔の輪郭。不規則に乱れた髪の毛がベッドからはみ出している。シャツをだらしなく着て、寝そべっている。
僕はそれに軽くキスをした。重なる唇の先に宿る湿気が、嫌に生々しかった。
彼女は目を開き、ぼうっと僕を眺めながら言った。
「卑怯者」
「どうしてさ」
「私が見ていない処でしか、私を見ない」
「そんなことは無いさ」
「じゃあ何で、そんなに寂しそうな目をしているの」
暗い部屋に溜まるノイズのせいで、余計にはっきりと聴こえた気がする。空を飛ぶ夢を見たのは、後にも先にもこれっきりだった。
僕はずっと、濁った空の下にいた。