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▽5

 天井に達した〈光球〉は、ほんのわずかだが更に影を遠ざけ、その先の闇を一層深くした。

 窓ガラスが十枚ほど、部屋が大小合わせて三つほど。

 その間に挟まれた廊下には、冗談のように、人の形をした何かが累々と倒れていた。

 装備も性別も、背の高さも肉付きの良さも、老いも若きも区々なもの。

 限りなく人に近しいながら、そのどれもが一切身動きせずに、ただそこに転がっていた。

 数歩踏み出しただけで、奏羽(かなわ)の足が止まった。辺りを見渡して立ち尽くす。

「何で誰も息してないんよ…… これ救急車、それとも消防? って医者、そやない施療神官(クレリック)?」

「落ち着いてください。大神殿への転送される気配はありませんから、死んだ訳ではないのでしょう。こういう時にこそ〈気付け薬〉を…… ふむ、息をしていないのですから、嗅いでくれる訳もないと」

 打ち掛けを手早く畳んで階段の手摺りに掛けてから、オラトリオはポーチから取り出した細身のポーションの栓を抜いた。

 赤く濁った煙を鼻先に突きつけられても、夏希(なつき)は嫌がる様子もなく、また吸い込む気配もない。

「そんなん気にするとこちゃうやん! いいから景気よく一本使うたって!」

 奏羽は試験管を引ったくると、夏希の胸元に勢いよく叩きつけた。

 跳ねた飛沫も破片も一旦形を失って銀色の光になって全身を包み込むように広がり、そのまま染みるように消える。

 わずかに少年の顔が赤みを帯びると、唐突にだらしなく顔が緩んだ。

「もう無理、お腹一杯だって。……仕方ねえな。もう一杯くらいなら、付き合ってやってもいいぜ」

 幸せそうな笑顔を浮かべたまま言葉は途切れ、そのまま深い寝息に変わり、そしてそれもすぐに止まってしまった。

 硬い音に目を向ければ、平たい茶碗が手からこぼれ落ちたところだった。

 顔を見合わせる、奏羽とオラトリオ。

「途中まで、ただの酔っぱらいやったよね。いや、でもおかしいやん?」

「何かから逃げていた、という訳ではなさそうですよね」

 床に転がる湯飲みを拾いながら、オラトリオは言葉を濁した。

 辺りをもう一度見回してから指を立て、握っていた茶碗を奏羽に放った。

「どうしても分からないことが一つあって、それだけはどうにも見当が付きません。そうなると、一体どこから何を話せばよいやら」

「ならそれ以外、分かってること全部話したって。それまでは梃子でもここを動かんから」

 茶碗の底をのぞき込んでいた奏羽が、踊り場に立つオラトリオを睨みつけた。

「分かりました、順番に話してみましょう。それで分かることも、気付くこともあるでしょうし」

 オラトリオはあっさり折れる素振りもなく頷くと、教壇には狭い踊り場で、ゆっくりと円を描くように歩き始めた。

「私が〈錬金術師〉で、専攻が〈水溶液〉なのはご存じのことと思います。今日はその研究成果である〈洗剤〉、より正確に言うならば〈洗浄液〉を試していただくために、方々を召集させていただきました」

 オラトリオを目で追いながら、奏羽は首を傾げた。

「昨日、ホクトが色々下拵えしとったやん? 美味しそうな匂いしてたし、てっきりお茶会でも開くんや思ってたけど」

「ええ、ですからその『香り』をしっかり楽しんでいただこうと、苦労と苦心を重ねた傑作を用意したのです」

 ぽかんと口を開けたまま、奏羽が足下に転がる夏希を見やった。

「息の根止めて、一旦香りとか味とかリセットさせる、とかいうてる? 何それ怖い」

「そういうものを〈洗浄剤〉とは言いません。確かに鎮静作用のある物は入っていますが、それも多角的に検証済みです」

 一歩引いた奏羽に向けて、オラトリオは小さく手を振った。

「既に味覚の確かな〈料理人〉や抵抗力の高い〈守護戦士(ガーディアン)〉に試していただいていますし、大体、効果も濃度もデンタルリンスに入っているアルコール程度です。……十八歳未満が対象外だった点は落ち度かもしれませんが」

「〈岩窟王の食卓〉!」

 突然奏羽がびっと指を向けると、オラトリオは自分の口を押さえたまま曖昧に頷いた。

「すごい噂になってるんよ。武器が作れそうな素材集めを頼まれて、なのにそれが普通に料理されて出てくるって。味の記憶はトラウマになるって言うし、その対策やったら随分良い仕事ってことやん!」

 奏羽は歓喜の笑みを浮かべて何度も頷き、心底ほっとしたように胸をなで下ろす。

 オラトリオはこっそりと息をついただけで、ぺたぺたとスリッパを鳴らし続けた。


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