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▽3

 膝を付いた夏希(なつき)が真っ白い合板に張り付き、途切れた壁の先をそっとのぞき込もうとしていた。

 安っぽいリノリウムの床に、細いアルミサッシの影が落ちている。

 ガラスの入った窓と所々に引き戸の付いた壁は百メートルほど先で階段の踊り場に突き当たっていた。

 廊下に動くものはない。

 それでも夏希は鼻を何度か動かしたきり、じっと動かなくなった。

「何かいるのか?」

「今日もシルキーさんかな。音はしないけど、変な匂いもしないだろ? 風は流れてるから、まだ部屋にいるんじゃないかな。ほら」

 口を押さえた夏希が、もう片方の指で一番奥にある引き戸を指した。

 取っ手の辺りには薄手のカーテンのようなもやがたゆたっていた。薄く開いた隙間に揺れているのに引っ込む様子はなく、立ち上りもしなければ霞んで消えるようでもない。

 ふるりと、薄絹が帆のように風をはらんだ。

 波打つひだが縁に届く前に、弾けるように膨れ上がって廊下に押し出された。

 それは真綿のようにふくよかながら透けていて、奥から髪の長い女性が手馴れたように抱え直すのが見える。

 淡い水色のエプロンドレスは随分と古風で飾り気がなく、ラインも硬い。裾は短く膝上辺りを踊っていたが、そこから先は何故か宙に溶けていた。

 廊下から頭を引っ込めたアカツキが、小さく息をついた。

「あれを相手に索敵警戒と隠行が必要なら、ここはもう仮設のダンジョンだな」

 夏希の首には、丸い日付入りのスタンプが押されたカードが掛かっている。背中から胸元に戻す夏希が、視線に気付いて屈託無く笑った。

「確かにシルキーさんは埃と入館証に容赦ないけど、それ以外は全然興味無いっていうか。経費は機密保持とか警備で落としてるらしいけど、〈研究棟(ここ)〉って、実は入館証無しの方が安全なんだぜ?」

 アカツキが再度頭を出すと、シルキーさんが足下も見ずに階段を下りていくところだった。

「夏希。それは、私が隠れる必要は全然無かったということではないか」

 アカツキが不意に鼻を押さえた。手で触れてからようやく気付いたように体を震わせる。

 慌てて辺りに飛ばした視線が、「試食の間(仮)」と書かれた名札を捉えた。

 夏希を放って廊下を渡り切ると、アカツキはノックをしたまま姿勢を正した。

「……ここには罠なんか残ってねーよ? シルキーさんがきれいに片付けちまうから」

 突き出された手の甲がしなり、更に加速した人差し指が夏希の額を抉った。

「礼儀というのは諭すものではなく、叩き込むものだったな。甘味を振る舞うために人を招こうという御仁が、わざわざ罠など仕掛ける訳がない」

「いってえ! それはお前がここの住人を知らねえからだろ!」

 言いながら夏希は口を押さえて飛び退くが、追撃はなかった。

 隙間から中を窺った途端に、アカツキは腕の一振りだけで引き戸を開け放っていた。


 壁に寄せられたテーブルはゆったり大きく、合板の木目はきれいだがどこか豪快な造りをしていた。天板も脚も底板に積まれた六脚の椅子も、厚く四角く、余計な装飾はない。

 だからこそ、その机に並べられた数々の作品の繊細さが映えていた。

 深い琥珀のシロップに浸かったピックの先には、一口大の白くて丸い膨らみが三つずつ連なっている。

 底の浅いバットには、薄く四角く少し緑の勝った、艶こそ無いがしっとり滑らかな黄金で均されている。

 その奥には手のひら程度の銅鑼を二つ重ねたような円盤が、深めのガラスの器に山と盛られている。

 鬼灯の実ほどに丸められた白と黒、赤や緑に紫の珠は、わずかな光をきらめかせていて、まるで色とりどりのビー玉のよう。

 淡く柔らかで目にも楽しい、素朴な色合いと意匠で飾られたテーブルは六つもあった。そのどれにもいくつか違った種類の作品が溢れんばかりに乗っている。

「なあ、何でそんなに驚いてるんだ?」

 ふらふらと伸びるアカツキの手が止まり、鼻の頭に皺が寄った。

「〈お団子〉…… 串がミスリルピックでも、添えてあるのが三角フラスコでも、誰が見たって絶対〈みたらし団子〉なのに。甘しょっぱい醤油の香りは? 焼き目の付いた餅の焦げは? ……なんで肉桂の、シナモンの香りしかしないのだ?」

 夏希の声を聞く素振りも見せず、アカツキは硬い表情で慎重に間合いを測り直し、手のひらで鼻先を扇ぐ。

 その先に鎮座しているのは、冷や奴ほどもある芋ようかんと、どら焼きにあんこ玉。

「……さつまいもどころか。小豆の香りもしない、だと」

 周りには他にも雷おこしに人形焼き、磯部巻きにあんみつ、金太郎飴に金鍔、そして桜餅に柏餅が見栄え良く並べられ、あるいは切り分けられている。

 なのにそのどれもこれも、何もかもが。どんな甘みにも隠れることがない、粉っぽくて、確かに甘いながら辛くて苦い、枯れきった木の皮の香りだけを漂わせていた。

 アカツキはよろよろと後ずさって部屋の中央に置かれたテーブルに手を突くと、そのまま言葉もなくうなだれる。

 何度か小鼻を膨らませた夏希が、心底不思議そうに目を瞬かせた。

「アカツキって、もしかして好き嫌い多い方? いいよ、言ってくれれば俺が食うから」

「誤解するな、そんな失礼な話ではない! 心構えというか礼儀というか、しゅ、主催者に挨拶もせずに手を付ける訳にはいかないだろうということだ」

「無断で上がり込んでおいて、今更それなの?」

「そうだ!」

 熱弁を振るうアカツキの拳が、テーブルを打ち付けた。

 金色の大きな薬缶がぐらりと傾き、何度も揺り返し水音を立てる。

 隣に山と積んであった平たい湯飲みは、縁をカチカチ鳴らしただけですぐに止んだ。

 夏希が何でもなさそうに、押さえていた湯飲みの天辺から一つ取ってアカツキの目の前に差し出す。

「別にそういうことでも良いけど。俺、今ので喉乾いちゃった。お茶くらい良いよな?」

 夏希と湯飲みと机を見比べたアカツキは、不承不承ながら薬缶の取っ手を掴んだ。


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