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アカツキは凝った片開きの扉が十ほど並んだ先、片側二車線の十字路の中程で足を止めた。来た道と辺りと手元の地図を見比べ、ゆっくり空を仰ぐ。
真四角の巨大なガラス張りが、周りのビルと比べて遜色ないほどの高さにそびえていた。
外壁は鏡のように磨き上げられているが、奥には所々つるつるとした安っぽい合板の壁や天井が覗いている。それは部屋だったり廊下だったり区々だが、少なくとも縦横八列の枠があるのが見て取れた。
「ゾーン名は〈研究棟〉。区画丸ごと建物だから、細かい番地は無い。……今からでも手土産を調達してくるべきだろうか」
道路に面したポーチこそ柱折れて露天のままだが、それがエントランスの奥にあるカウンターまでの見通しを良くしていた。
狭いホールに、割と大きなカウンター。
ぽつんと取っ手のついた箱が置いてあるだけで、随分開放的でもあまりに閑静で、何より人気というものがなかった。
「なあなあ。あんた、この辺じゃ見たことないけど。何探してんの?」
通りの端から、随分と馴れ馴れしい声が小走りに近づいてきた。
アカツキはため息を隠しもせず首を振るが、袖を引かれると仕方なさそうに振り向いた。
顰めた眉が戻ることなく、わずかに俯いていた視線が更に下がり、そして戻る。
「定食屋なら手前の角を左だし、中華ならこのまましばらくまっすぐだぜ。黄色い薬屋は先週線路の向こう側に引っ越したとこ。良く転がる鉛筆なら…… なんだよ、その顔」
細めた瞳とそばかすが、意外に高くとがった鼻の周りで無邪気に踊っていた。薄く透いた肌も髪も硬いと言うより軽やかで、水に薄く溶いた蜂蜜のようにさらりとしている。
だがどこをどう見ても、見るからにやんちゃ盛りの少年だった。小柄なアカツキよりも、更に頭一つ小さい。靴も履いていない素足は変だが、紺の半ズボンが良く似合っている。
「あんた今、失礼なこと考えただろ。これは色々ちゃんと調べた、由緒正しい盛装なんだぜ」
仕立てたばかりのワイシャツを、見せつけるように胸を張って鼻先をこする。
その額を、アカツキの人差し指が弾いた。
大した音はしなかったが、少年の体は不自然に硬直し、そのままぐにゃりと沈み込む。
「礼儀も忠節も学ぶ前に盛るとか。少年、生意気すぎるぞ?」
「ってえ…… そっちこそ迷子のくせに」
少年は目元にたまった涙を拭いながら、聞こえよがしに舌を打つ。
アカツキは無造作に少年の腕を掴んで引き起こすと、無表情のままこくこくと頷き、人差し指を親指に掛けた制裁の構えを取った。
「私は主君より重大なミッションを託された身だ。言いたいことがあるなら、手短に」
いくら少年が踏ん張っても、軽く掴まれただけの腕は外れない。
狙いを定めた方の指も、押そうと引こうと動く気配がない。
額と構えの間に手を滑り込ませるのが最後の足掻きで、少年はとうとうやけっぱちにぶちまけた。
「姉ちゃんは〈研究棟〉初めてっぽいから、入館カードを貸してやろうかなって思ったの! 俺は今日入るつもりないし、申請とか結構面倒だから!」
言い切ったまま固く瞑っていた瞼が、そろそろと開かれた。
アカツキは足先で地面を突きながら、じっとその辺りを見つめている。
「ほら、ほらこれ! 俺も丁度小腹が空いてたとこだし、そこのスタンドのホットサンドで良いから。カードは帰るときに預けてくれれば大丈夫?!」
アカツキは人差し指をぴんと伸ばしたまま、今度こそ言葉を失って地面を転がる少年を見下ろしていた。
「あまり調子に乗るな。でもまあ、子供の無礼と空腹を放置するのは良くない。主君も招待主も、きっと分かってくれるだろう」
アカツキは無表情を崩さず、さも正論であるかのように頷く。
「俺と大して変わんねえだろ。畜生、これだから」
「ちなみにな。私の名前はアカツキだ」
無愛想な瞳に見下ろされ、少年は頬をひきつらせながらようやく一つ頷いた。
「俺は夏希、です」
わずかに動いた眉が、言葉尻に緩く開いた。
少年は止まり掛けた息を、今度こそ長々とついた。