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磨き上げられたフローリングに、こぼれた日差しが揺れていた。
ひょっこりと映った人影が、長い髪を翻す。
「そんな所にいたのか、主君。老師から品書きの原本を預かっている」
階上から乗り出した少女が、そのまま頭から宙に舞う。
古びた壁の継ぎ、節くれ立った古木の木肌、真新しい鉄パイプの手すり。
軽く指か足先が触れるだけで重力に逆らって動きが止まり、その度に流星のようになびいた髪が馬の尻尾のように跳ねる。
やたらと高くて狭い吹き抜けを何事も無く降りきると、そのまま滑るようにフロアを横切ってゆく。
「もう出来たのかな、新メニューのレシピ。それともマリ姉がお誕生日会でも開くとか、でなけりゃとうとう、でっかい鉄板買っちゃった線か」
声に振り向いた青年は欠伸をかみ殺せず、小さく顔を背けて口を覆った。眼鏡を掛けたまま目元を拭い、びくりと肩を震わせてからそっと目を開ける。
驚くほど近くまで、少女が距離を詰めていた。腰元のポーチを探っているのに物音一つ、足音一つ立てない。
少女は更に間合いを詰めると取り出した紙綴じを一旦開き、その上端を握って掲げてみせた。
「〈三日月同盟〉だけの話ではないようだぞ、主君。メニューと値段は揃えたくて、でも手書き風にしたいから輪転機は回せないとか。老師も随分気にしていた」
たこ焼き、お好み焼き、焼き鳥にとうもろこし。じゃがバターに杏飴、チョコバナナに型抜きに、射的に籤引き。
最初のページに注意事項と期日が記され、その後には延々と、様々な字体で食べ物から始まって遊戯へと続く、由緒正しき屋台の系譜が名前を連ねていた。
「天秤祭の一週間前までって、結構余裕があるけど。ってこれ、たこ焼きの値段? それに金魚掬いは許可出してない…… え、その辺りも調整しろってこと? これ、本当に班長から?」
受け取った書類をぱらぱらとめくる途中で、こぼす呟きと共に手が止まった。
じっと見上げたままの少女が、不思議そうに首を傾げる。
青年がいささかぎこちなく、小さく頷きながら口を開いた。
「アカツキはさ、八つ橋って大丈夫? えっとその、香りとか食感とか」
「小豆も肉桂も得意な方だ。焼いてある方も、あの堅さとぱきぱき割ったときの音が楽しいな」
そっかと頷きながら、青年は品書きを自前のバッグに押し込み、ずっと持っていたチョークの端を摘んだまま揺らした。
向き直った壁には縦長の小さな黒板が掛かっていた。一応八人分のスペースに区切られているが、〈シロエ〉と書かれた欄は遠慮の欠片もなく上下に溢れ、それ以外は実に見事に空白だった。
「味は保証するって言ってもなぁ。班長と直継以外ってなると」
「主君。そういうことなら、是非私に任せて欲しい。遠慮はいらない、行けと命じてくれるだけで構わない」
無表情なまま、アカツキが迫った。
思わず一歩引いた青年が躓くと、壁に背を打ち付け滑らせ、そのまま尻餅までついてしまう。
だが青年は息を詰まらせ、顔を真っ赤にしながらも。
場所と時間が書かれた地図で、有無を言わさぬ硬くて平らな沈黙ごと。
まずはそっと、アカツキを押し戻した。