Mission:2
翌日の放課後、藤くんと一緒にJHに行った。今は成り行きからか、藤くんが新人の私の世話をしてくれる形になっているが、いつかは一人でやらなければいけないらしい。どうもここのヒーローはゴレンジャーとは違って、単独行動が多いらしいので。
藤くんに昨日のモニターのある部屋まで連れて行ってもらい、一人で仕事に出かける藤くんを見送った。藤くんは首に巻いたストールをひらりとなびかせて、行ってしまった。
この部屋には現在私一人。刈安さんは、どこかに行っているらしい。変身しなければいけないのか、そもそも本当に私がヒーローになっていいのか……疑問と不安は山積みだけど、もう道を選んでしまったからしょうがない。選んだというよりは、その道以外選ばせてもらえなかった……の方が正しいかもしれない。
大きな液晶モニターを見上げると、この街の地図が表示されている。その地図上で、赤色とピンク色と青色の丸が、ゆっくりと移動している。青は、藤くん。ピンクは、モモちゃん。じゃあ、赤色は……?
「おや、日和田くん。刈安待ちですか?」
不意に背後から声をかけられ、驚いて振り向くとすぐ後ろに青丹さんがいた。足音や気配がしなかった気がするけど、どうなっているのだろう。
「あ、青丹さん」
「僕のことはドクターでいいですよ。皆、そう呼びますから」
にっこり、青丹さんは変わらぬ均一な笑顔で話してくれる。片手には昨日捕まえたイーバが入れられたプラスチックケースを持っている。ピンク色で、クラゲの形をしたイーバ。そもそもこの子たちは何のために、地球に来たんだろう。地球侵略のために来た……とかだったら、こんなあっけなく捕まっては目標を達成することはできないだろう。
「ああ、これですか? 一昨日に貴女が捕まえたのと同タイプですね。……少し、実験をしてもいいですか?」
ドクターはプラスチックケースを軽く持ち上げ、イーバを示す。
「実験、ですか?」
「ええ。貴女が本当にイーバに好かれやすいのか、この目で確かめてみたくて」
「あの、好かれてるかとか、よくわからないんですけど……」
「本来、イーバは不必要に人間に近付きません。興味のわいたもの、気になるもの、好むもの以外には積極的に近づきません。野生の動物と同じで、人間が来ると逃げるタイプの個体が多いです。だから、貴女の傍にいたと聞いて、科学者としては研究心を刺激されまして」
少し離れた位置に移動したドクターは、イーバの入っているプラスチックケースをリノリウムの床に置く。どうやら、実験をやる気満々なようだ。
「今から、イーバを放してみます。僕や他の人間に近付かないのは証明済みなので、貴女に近付いたら好かれやすい、ということですね。昨日藤くんが捕獲してきた個体とは違う個体ですから、より正確な結果になると思います」
かたん、という音とともにプラスチックケースの蓋が開けられる。イーバはふわりと、プラスチックケースから出てきた。辺りをうかがうように、ふわふわと上昇する。そうして、立ったままの私の方へゆっくりと近づいてくる。やはり形も動きもクラゲのようで、触手をなびかせゆったりと宙に浮く様は、とても癒し系だ。
イーバはそのままゆっくりと私の方へやってきた。他のものに見向きもせず、真っすぐに。そうして、ふわふわと私の周りを回遊しだした。
「……驚きました。本当に、イーバに好かれているようですね。この種類のイーバだけなのか……イーバ全種になのか……後日、再度実験をしてもいいですか?」
興味深そうに銀縁の眼鏡を人差し指で押し上げ、私とその周りを回遊するイーバを見る。ドクターの言葉に嘘はないと思うが、もしそうだとしたら、どうして私にイーバが近寄ってくるのだろう。何か好かれるようなフェロモンが……って、イーバに好かれてもあまり嬉しくない。
そう思いながら、私も好かれる理由が知りたくて、首を縦に振った。
「では、そのイーバを捕まえてもらってもいいですか? 僕が行くと逃げてしまうので」
「えっと……手でいいですか?」
「素手で触れても平気ですから、どうぞ」
ドクターに太鼓判を押され、ふわふわ浮かぶイーバを両手で掴む。むにゅっとした、そのピンク色の体。ああ、やっぱりむにゅっとしてるのね、君は。
ドクターはプラスチックケースを持ってきて、その中にイーバを入れると鍵をかけた。そうするとイーバは箱の中の住人となり、出ることは叶わなくなる。
「ありがとうございました。また、実験させてくださいね」
「はい」
プラスチックケースの中で大人しくするイーバを片手に下げて、ドクターは行ってしまった。実験がしたかっただけなのだろうか?
「綾ちゃんごめんねー、ちょっと用事が入っちゃたから」
「いえ、大丈夫です」
「さっき、青丹と何してたの?」
ふぅ、と息を吐きながら、刈安さんがキャスター付きの椅子に腰掛ける。手に持っていたいくつかの書類を適当に置き、座って低くなった位置から私を見上げるその瞳は、力強い。
「実験を……。私が本当にイーバに好かれてるのか、知りたいって仰って」
「それで? どうだった?」
「近づいてきて、私の周りをふわふわ浮いてました」
「それなら決まりね。モモとかはまだいいんだけどね、藤がどうもイーバに嫌われる性質っぽくて困ってたのよ。逃げられてたら、捕まえることもままならないじゃない?」
「嫌われるって……それは体質なんですか?」
「それがわかんないのよねー……青丹が頑張ってんだけど、まだ謎でね。今度から、綾ちゃんには藤と仕事してもらうわ。好きと嫌い足したら、プラマイゼロになると思うし」
そこまで喋ったところで、ピピピッとスピーカーから音が流れる。刈安さんは即座に反応して、モニター下に設置されているマイクに素早く近づき、ボタンを押しながら喋りだす。
「こちら本部。どうしたの?」
『刈安さんですか? 藤です。イーバがちょっと多くて……袋が足りなくなってしまって。しかも俺から猛ダッシュで逃げて困ってるんですよ』
モニターを見上げると、藤くんを示すと思われる青い丸が点滅している。地図から見て、場所は……どこだろう? 川岸だということはわかるけれど、それがどこになるのかわからない。地図が読めない自分が悲しい。
「ナイスタイミング。じゃ、今から綾ちゃん向かわせるわ。場所はー……ああ、ここね。じゃ、イーバが逃げないように見張ってて」
『了解です』
ピッ、と音がして、通信は途絶えた。
ちょっと待った、さっき、刈安さんがすごいこと言った気がするんだけれど。
「ということで綾ちゃん、早速出動しましょっか」
「えっ、説明は……」
「それは組織についてだから、任務自体には直接関係ないわ。今回は藤と一緒に、イーバを全部捕獲してくること。沢山いるみたいだから、予備の袋も持っていってね。場所は川の東側。小学校がある辺りね。大丈夫? 行けそう?」
「あ、はい。小学校なら知ってます」
「よーし。じゃ、いってらっしゃい!」
とても元気よく送り出されるが、これは早速変身していけということ……なんだろうな。状況がいまいちよくわからないけれど、とにかくトランスペンを取り出す。昨日と同じように、やればいいんだ。羽の部分を押して、キャップを外す。光に包まれた一瞬後、私の姿は昨日見た、ひらひらふりふりのヒーロースーツになっていた。顔が隠れているとはいえ、この格好で外に出るのは気が引ける。しかし刈安さんは私を送り出すし、いつの間にか来ていたドクターは予備の袋を沢山持ってきて、ポーチに入るだけ入れろという。
ここまで来たらもう、なるようにしかならないのだろう。私はポーチに青灰色の袋を限界まで入れて、JHを出発した。
小学校はJHがある場所から歩いて十五分ほどの場所にある。裏手が川になっているのは知っていたが、ここでこんな風に役立つとは思っていなかった。私は人目に触れるのも構わず、とにかく一刻も早く藤くんのところへ行けるようにと足を動かした。
河原に着くと、まず最初に目に入ったのは、ふわふわと浮かぶピンク色でクラゲの形をしたイーバたちだった。ここが発生源かと思うくらいに沢山いて、数は十を超えているのではないだろうか。幸い、周囲に人の姿はない。
「藤くん」
芝生の植えられた堤防に備え付けられている階段を下りながら、イーバを少し離れた場所から見ていた藤くんに声をかける。
「しーっ。コレ着てる時は、本名じゃなくて、色の名前で呼ぶのがルールだから気をつけて。俺はブルーで、日和田さんはグリーンね」
ぴんと立てた人差し指を口元に当て、ジェスチャーで静かにするようにと示す。ヒーローとして仕事をしている際は、やはり個人の個性はいらないようで、必要なのは匿名性のようだ。私は素直に謝り、訂正した。
「袋、持ってきてくれた?」
「うん。ドクターがたくさん持たせてくれたよ」
そう言いながら、ポーチにしまった沢山の青灰色の袋を取り出す。そこまで大きくないと侮っていたポーチは、実は結構な量のものが入るということを知った。おかげで、ドクターが持たせてくれた袋は、全部で二十枚近いが、それがすべて収まった。その半分を藤くんに渡し、いよいよ本題のイーバ捕獲だ。
「グリーンさ、やっぱイーバに好かれてたんだってね」
「ああ……うん、らしいよ。自分じゃ全然わかんないけど」
そもそも好かれる……イーバが興味を持つって、どういう理屈なのだろう。このイーバには、目どころか口や鼻も見当たらないのに。やっぱり、何か特別な匂いとか、何かが出ているとか、そういうことなのだろうか。イーバから少し離れた場所で、藤くんと並んで首を捻った。
「このままむやみに捕獲するより……グリーンがそこらへんに立ってイーバを集めた方が、捕まえやすいと思うんだよね」
「……それはそうかも。ふじ……ブルーは、嫌われてるんだってね」
「らしいね。捕まえようとすると逃げるしさ……ほら、一昨日とか」
「あ、そうだったんだ?」
「そうだった。じゃ、グリーン、適当に立ってイーバ集めてもらっていい?」
「うん。頑張る」
私は藤くんに送り出される形で、イーバが沢山いる辺りへと歩いて行った。イーバたちは私が近づいても特に怯えたり嫌がったりして避ける様子もなく、ふわふわとその場で気ままに漂っている。私はイーバが一番密集していると思われる場所で立ち止まって、袋を一枚手に取る。そのままそこで待っていると、私に興味を持ったのか、どんどんとイーバたちが私の周りを回遊しだす。まるで、私が台風の目になったようだ。
「グリーン、ほんとすごいね」
離れた所から様子を観察していた藤くんが、感嘆したように言ってきた。別に私は何もしていないのだけれど、これはある意味私の手柄……なのだろうか。
ほとんどのイーバが集まったことを確認して、私は丁度目の前にきたイーバに、そっと青灰色の袋をかぶせてみた。イーバは逃げる様子もなく、大人しく袋に収まった。あっけなく出来てしまって、おもわず袋の口をぎゅっと握ったまま、困ってしまった。
「ブルー、これ、どうすれば……」
「袋の口縛って、下に転がしておけばいいよ。その調子でどんどん捕まえよう」
藤くんがそう言いながら近づいてくる。私は袋の口を縛り、そっと地面にイーバの入った袋を転がした。転がされたイーバは特に抵抗する様子もなく、大人しくしている。
藤くんが近づくと、藤くんがいない方向に少しずつ移動していくイーバたち。けれど、私の周りからは移動しないようで、私を中心に藤くんとイーバの追いかけっこのような図になった。私は順調にイーバを捕まえては袋に入れ、藤くんも逃げられつつも確実に捕まえていった。
そうして捕まえること、約三十分。
私と藤くんの足元には、たくさんのイーバが入った袋が転がることとなった。
「刈安さんですか?」
『こちら刈安。藤、綾ちゃん、どうしたの?』
藤くんが本部にいる刈安さんと連絡をとると、私のはめているヘッドホンから刈安さんの声が聞こえた。ただの飾り兼顔を隠すためだと思っていたので、こんなに実用的な仕掛けになっているとは思わなかった。
「イーバ全部捕まえたので、回収しに来てください。十越えてて、二人じゃ運べない量なんで」
『わかった、車でそっちに向かうわ。そこで待ってて』
「はい、お願いします」
刈安さんとの通信は簡単に終わった。私が一言も発する余地はなく、呆気なく切れたので、無視された時のような、少しさみしい気もした。
一か所にイーバの入った袋を集め、暇だったので二人で並んで河原に座って、回収車を待つことにした。お日様が傾いてきて、夕日色の混ざった光。空気は暖かくて、芝生は春の陽気のおかげか青々と茂っている。本当は、ピクニックをしたら楽しいんだろうな。
「どうだった、初任務は」
スモークグラスで表情の見えない藤くんが、河の水面を見ながら、ぽつりと尋ねてきた。
「うん……変な感じ。ヒーローって、もっとすごい命がけなことしてるんだと思ってたから」
「それはテレビの中だけだって。現実のヒーローはもっと地味だよ」
私の素直な感想に、藤くんは小さく笑いをもらいした。口元以外は見えないけれど、ほころんだ口元からいって、きっと目元も緩んだはずだ。
「あとね……私が本当にヒーローでいいのかなって、思った」
「……それは、俺も最初の頃、思ってた。けど、役に立ってるし、いいんだって思っとくことにした」
そう言う藤くんの声は優しくて、口元もやわらかく微笑んでいる。その表情を、スモークグラスに邪魔されずに見たいと思った。
「そっか……そうだね、そう思うことにする」
「そう思っとかなきゃ、こんな服着て仕事してらんないからね」
やっぱりヒーロースーツは恥ずかしいものなんだ、と思った。藤くんはヒーロースーツをあまりにもナチュラルに着こなしているし、私自身がこの姿を何度か見たことがあるせいか、もう違和感を感じない。制服の藤くんも、ヒーロースーツの藤くんも、結局は藤くんなんだ。
「まぁなにはともあれ、初任務、ご苦労さま」
最後にそう言って、藤くんは私の方を見た。
「うん、ありがとう」
なんだかよくわからないまま、ヒーローになって。ふりふりの服を着させられて。イーバを捕獲させられて。けど、それもそんなに悪くないバイトだと思う。
日和田綾、十六歳。今日からヒーロー、はじめました。